SHORT | ナノ


▼ リトル・フィアンセ

「ね、みょうじちゃんって、本当に仁王くんと付き合ってないんだよね?」
「……だから、ないってば」
「じゃあ連絡先とかは?」
「ニオウじゃなくても人の個人情報は勝手に教えられません」

 立海大附属中学校に入学してから、何回似たような会話を繰り返したことか。頬を膨らますクラスメイトを見て、溜め息つきたいのはこっちなんだけど、とうっかり口が滑りそうになる。


 おばあちゃん子だった小さい頃のわたしは、学区は違うけれど自転車で行けるくらいの距離にあったおばあちゃんの家にしょっちゅう遊びに行っていた。おばあちゃんが死んでしまって、ちょうどお父さんの転勤が決まって神奈川に越してくるまで、ほぼ毎日、わたしの記憶にはいつもおばあちゃんが居た。
 そしてその記憶にいつもくっ付いて回って居たのが仁王一家である。おばあちゃん家のご近所さんで、特に同い年の雅治とはすぐに仲良くなった。幼少期のコミュニケーション力は本当に偉大である。雅治のお父さんのほうがひと足早く転勤したから、立海で再会した時にわたしのおばあちゃんが亡くなってしまったことを聞いて、みんな酷く悲しんでくれた。楽しくて、キラキラした日々だったと思う。
 ちんちくりんで、砂場遊びが好きで、セミが怖くて、オムライスのグリンピースを避けて食べていたまさはるくん。引越し先で再会しただけでも驚きなのに、それが思い出の彼よりうんと美形に育っていたから、わたしの小さな淡い初恋も学校生活で育っていくのは仕方ないことだった。


「えー、せめて好きなタイプとかさあ」
「幼馴染みの好きなタイプなんて知らないよ」
「……なんか、意外と仲良くない感じ?」
「ウチら普通科であっちは工業科なんだし、そんなに喋らないんじゃないかな」
「そっかあ、ザンネン」

 もう二学期も半ばなのに下の名前もうろ覚えなクラスメイトは、そう言って大人しく自分の席に戻っていく。雅治目当てなのが百パーセント理解出来て、いっそ潔さすら感じた。
 高校生になって、わたしは付属の普通科へ、雅治は男子の多い工業科にそれぞれ進学して、確かに話す機会は減ったと思う。それは嘘じゃない。けれど、みんなの考える頻度とわたし達の頻度は違うんだよなあ、なんてずるい事を考えながら机の下で携帯を取り出した。

『今日の晩ご飯何食べたい?』

 共働きの両親のもとで育って、同世代の友達よりは家庭科が得意になった。平日はご飯当番になる日も多い。今日はちょうどその日で、そういう時は一人じゃ寂しいからと仁王家が晩ご飯に招待してくれる。
 雅治ママはめちゃくちゃ美人で、面白くて、料理が少し苦手だ。出来れば作りたくないらしい。だからわたしが来てくれた方が家事手伝い的な意味でとても助かるのだ、と晩ご飯にお呼ばれしてすぐの頃に裏表なくはっきり教えてくれた。

『ハンバーグ』
『こどもか』

 ひよこの絵文字と一緒に『ピヨ』という返事が来る。雅治ママは玉ねぎのみじん切りが嫌いだから、多分わたしの役目になるんだろうな。
 ちょうど予鈴が鳴ったから、雅治とのやり取りはそこでおしまいにした。



「ねえねえ、仁王くんの誕生日って知らない?」
「誕生日?」

 外だけでなく家の中も冷たくなってきて、布団を出るのが億劫になったある日の朝。諦めの悪かったクラスメイトは、友達を数人連れて廊下を歩くわたしを呼び止めた。ちょうど雅治とのトーク画面を開いていた携帯を慌ててポケットにしまう。

「仁王くん、絶対冬生まれだよね?!」
「でも他の子は四月って聞いたらしくて……」
「十月って聞いた子も居るんだよね」

 矢継ぎ早にそう告げられて、ぐっと体を寄せられる。廊下が肌寒いからみんなであったまろうという訳ではなく、誕生日を聞くまで絶対に離さないという意思表示だった。そのための取り巻きか。

「えっ、と……」
「さすがに誕生日くらい知ってるよね?」
「ま、まあ」
「連絡先はダメでも、誕生日くらい別にいいよね?」
「えー……」

 ミステリアスで掴めない奴、みたいな印象で通したいのか、確かに雅治はパーソナルデータをあまり人に話そうとしない。
 でもそれは話そうとしないだけであって、聞かれれば普通に答えてくれる。逆に言えば、聞かれてもはぐらかすようならその相手にはあまり話したくないということだ。

「だってこの前聞いたら『二月二十九日』なんて言ってどっか行っちゃったんだよ? そんな訳なくない?」
「アハ……」

 それは多分、中学の全国大会で仲良くなった不二くんの誕生日だ……、と思っても言えないので苦笑いで受け流す。ていうかよく考えたら四月は丸井で十月は柳生くんの誕生日じゃないか? どうでもいいか……。
 何ならここでわたしが嘘言ったっていいんだろうけれど、如何せんポーカーフェイスは苦手だ。どうしようか悩んでいるところで予鈴が鳴った。廊下に居た生徒がバタバタと教室に戻っていく。わたしも戻りたい。

「いいじゃん誕生日くらい! 早くしないと授業遅れちゃう!」
「あ、じゃあ歩きながら話そう」
「サクッと教えてよ〜」

 ゆっくりと足を進めつつも絶対にわたしを離してくれないクラスメイト達が口々に呟く。本人が話したがってないんだから察してくれ、なんて言える度胸のないわたしは愛想笑いだけが上手くなっている気がする。女子高校生にしてはあまりに悲しいスキルだ。
 のらりくらりと躱そうとしても、クラスメイトなので同じ教室に戻ることは確定。両サイド、プラス後ろからもぐいぐいと迫られて観念するかと口をひらいた瞬間、見覚えのある姿が前の方に見えた。

「あ、」

 助けを求めるわたしの目に気付いたのかは分からないが、とりあえず察してはくれたのだろう。聡い彼が片手をあげてわたしを呼んでくれた。

「久しぶりだな、みょうじ」
「特進クラスなんて滅多に会わないからね」
「……え、みょうじさん、柳くんとも知り合いなの?」
「い、……一応」

 しまった、柳もめちゃめちゃ女子から人気の男子なんだった。クラスメイト達の何とも言えない顔に、わたしも何とも言えない表情を浮かべる。
 揃いも揃ってテニス部のレギュラーが大層な人気を誇っているというのは、学年全員どころかもはや全校で有名な話だ。雅治の話ばっかりされるからちょっと忘れていたけれど、柳もモテる。引くほどモテる。雅治も他のみんなもドン引きするほどモテるけれど。
 そんな彼の登場で、少しだけ浮き足立ったクラスメイト達がわたしから離れていく。柳には申し訳ないと思うが、わたしは自分がいちばんかわいいのでワザとらしく話を振った。

「そういえば、柳なら何でも知ってるんじゃない? ニオウのこと」
「仁王の?」
「ほら、誕生日とか好きなものとかさ。部活で毎日顔合わせるワケだし。ね?」
「……ああ」

 早口で捲し立てるわたしに何か思うところがあったのか、話を合わせてくれた柳は少し口角をあげてわたしたちに向き直った。

「好きな物ではないが、あいつの好きなタイプは『素顔を見せてくれる人』だったかな」

 わたしに少しだけ目線を向けた柳がそう言って、それに気づかないクラスメイト達はキャア、とざわめいた。
 うまく誕生日の話を逸らしたまま、授業が始まるからと柳と別れて教室に入る。クラスメイト達はまだ聞きたそうにしていたけれど、先生が来るのが見えて全員急いで席についていった。

『以前みょうじの作ったハンバーグが美味かったらしいが』
『そっちを答えた方が良かったか?』

 本鈴が鳴るギリギリにきた柳からのそのメッセージには返信しなかった。



「……それで付き合ってないはさすがに無理があるだろ」

 テニス部のジャージを着て呆れた顔をした桑原が、わたしの手の中にあるものをまじまじと見ながらそう言い放つ。

「しょうがないじゃん。雅治ママから渡されちゃったんだから……」
「仁王の奴、ワザと忘れていったんじゃねえか?」
「何でわざわざ」
「みょうじが直接持ってきてくれると思ったんだろ、」

 まあ受け取るけどよ。桑原がサラリとそう言って、わたしが雅治ママから受け取った彼のお弁当を受け取ろうとした時だった。ザリ、と背後で足音がしたのと、桑原が少し目を見開いたのと、わたしが振り向いたのはほぼ同時だったように思う。

「なんじゃ、浮気か」
「仁王。アップは終わったのかよ」
「お前さんが走るの早すぎなんじゃ。終わっとるのはレギュラーぐらいぜよ」
「う、つ、付き合ってないのに浮気もクソも無いよ……」
「ワンテンポ遅いのう」

 マフラーに顔を埋めるわたしとは違って、桑原と同じジャージ姿の雅治が楽しそうに笑った。桑原に渡してもらうはずだったお弁当が無事に本人の手に収まる。

「そんじゃ、真田に怒られない程度にな」
「おー、さすがにそんなに遅くはならん」
「またなみょうじ」
「え、あ、うん。またねー」

 元々ランニング終わりを呼び止めて部室棟の方に来てもらったから、当たり前だけれど桑原はコートの方に戻っていく。乾いた風が肌を撫でる木陰には、わたしと雅治だけが残された。

「ちなみに弁当忘れたのは嘘じゃないぜよ。ありがとな」
「家出たとこでちょうどママに渡されたから」
「なかなかいー仕事する母親じゃ。今度チャーハン作っちゃろ」

 なぜかわたしの頭を撫でながら雅治が笑う。少し汗ばんだ額を見上げて、ちょっとだけ見惚れてしまった。

「ん? 何じゃ、見惚れたか」
「……ちょっとだけ」
「……かわいー奴じゃな」

 頭を撫でていた手がわたしの前髪をかきあげるように動いて、ぐっと雅治が屈んでくる。わ、と声をあげる頃には真上でくちびるの触れる音がした。

「ちょっ……と、ここ学校! 外! 朝練中!」
「デコぐらいええじゃろ」
「よくない!」
「…………なあ、まだ付き合ってくれんの?」

 今まで、耳にタコができるほど周りに聞かれたこと。わたしと雅治は付き合ってない。これは本当だ。

「俺はなまえがすき」
「……うん」
「なまえも俺のことすきじゃろ?」
「…………うん」

 仁王雅治という男は幼馴染みで、家族ぐるみで仲良くさせてもらっている。それはわたしの中でとても特別で、他の何ものにもかえがたい権利だった。
 眉尻を下げた雅治の顔もかっこいいな、なんて思うくらいにはすきだ。ずっとずっとすきな自信もある。でもそこによくある彼氏・彼女を当てはめてしまったら、いつか終わってしまうような気がして、わたしはどうしても首を縦にふることができなかった。
 わがままで、ずるくて、いやな女。
 それすらも「外面のいいなまえチャンの素顔じゃな」なんて言って抱き締めてくるのだから、もうどうしようもないところまできている自覚もあった。

「……誕生日」
「?」
「聞かれたんじゃろ、俺の。参謀に聞いた」
「あー……、柳、怒ってた?」
「いや別に? 楽しそうにしとったぜよ」
「あっそう……」

 あのやり取りのどこが楽しかったのか。頭が良すぎると凡人には理解し難いツボがあるのかもしれない。

「俺、欲しいモンがあるんじゃけど」
「誕プレ?」
「頼んでもええ?」
「そりゃあ、モノによるけど……」

 すっかり汗が引いた様子の雅治は、わたしの前髪を整えながら真剣な顔つきで話す。寒くないのかな、なんて呑気に考えていたら前髪から離れた指が耳に触れた。

「なまえが欲しい」
「…………は、」
「手始めに今年はファーストキスがええな」

 風が冷たくて冷えるな、なんて思っていた頬がカッと熱くなる。テニスコートの方から少しずつ声が聞こえはじめて、雅治もきっとそろそろ行かないといけないのに、地面に縫いつけられたみたいにお互い動かなかった。

「キスが早かったらまずデートじゃな」
「ま……」
「そしたら来年がファーストキス、その次が初体験?」
「ちょっ……!」
「そんでゆくゆく――」

 耳をすべった指先が、首筋へおりて腕をつたって、スローモーションみたいにわたしの左手をとる。雅治のその先の言葉がわたしの薬指に吸い込まれていって、あいた口を塞げないまま指がぎゅっと絡め取られた。

「くれるか? 誕生日プレゼント」

 ずるい。そんな、言い方。

「き、……」
「き?」
「きっ、キス…………ファーストキスは、おばあちゃんちであげてるよ……!」
「…………は?」
「もう! 早く朝練行って! ばか!」

 強引に振りほどいた手を、雅治の背中にまわしてコートの方に押しやる。テコでも動かなさそうな雅治は、けれどもコートの方から聞こえる真田の声にハッとして慌てて声をあげた。

「待った! 何じゃそれ、俺知らんぜよ!」
「知らんことないよ! 雅治くんとしたの覚えてるもん!」
「だからいつ!」
「もお、いいから朝練行ってよ!」
「行けるか、こんな――」
「仁王! こんなところに居たのか!!」
「ゲッ」
「お、おはよう、真田」
「む……みょうじではないか。いくらみょうじでも部外者が居るのは感心しないな」
「雅治のお弁当届けに来ただけだから。ハイ、引き止めてごめんね!」
「なまえ!」
「二人とも朝練頑張って! またね!」

 焦った顔の雅治を真田に押し付けて、赤い顔を見られる前に急いで走り去る。
 どんな顔で教室まで行けばいいのか分からなくて、マフラーを巻き直して、雅治のくちびるが落ちた指を右手でそっとなぞっていた。

・・・・・・・・・・

2022年仁王くんお誕生日おめでとう!

BACK TO SHORT
BACK



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -