▼ アイノカタチ
※リクエスト:難しい関係の二人
『今日やっぱ帰るわ。』
ブン太からの素っ気ないメッセージに、少し、口元が緩んでしまったのは、決してわたしがドエムだからではない。
彼が『やっぱ』と言ったのは、わたしではない、別の女の子とのデートの約束だったけれど、恐らく気乗りしなかったから。『帰る』と声を掛けたのは、イコール晩ご飯を家で食べるということである。
そしてその家には、わたしも一緒に住んでいる。
駅近の2LDKは、社会人二人で折半すればそれほど生活の負担になる額ではない。光熱費も完全折半。広いリビングの最小限の家具は、お互い持ち寄った物もあるし、まあ、ブン太が少し多めに出してくれた物もある。
その代表である大きめの冷蔵庫に、急いで買い足した値引きのお惣菜をひとまず突っ込んだ。さて、メインのおかずはどうしよう。頭の片隅で献立を考えながら、大部分はブン太をどんな言葉で出迎えるかばかりを考えていた。
そもそも、いい歳した男女がひとつ屋根の下に居るというのに、わたしと彼は夫婦でも恋人でも、ましてセックスをするような仲でもない。
ただの友達の延長線。
時折、戯れのように唇を寄せ合うことはあっても、本当にそれだけで。次の日には何もありませんでした、みたいな顔で出勤して、帰りに可愛い女の子とデートに行くのが丸井ブン太という男だった。
「揚げ物する時間ないし、照り焼きでもするかあ」
換気扇のスイッチを入れながら呟いてみる。ファンの音に紛れてわたしの小さな声は消えた。
当時付き合っていた男と半同棲をしていたけれど、喧嘩別れして引っ越そうか悩んでいたわたしと、仕事や飲み歩きやデートやらであまり家に帰っていないと話していたブン太。きっかけは確か、『飯作るのがうまいから』と『お金が浮くから』、そして『昔から気が合うから』だったと思う。
フライパンを熱している間に鶏もも肉の筋を切る。
学生時代から食べることが好きだった彼に、美味しいと言って貰えるのは素直に嬉しい。今日だって急な連絡だったけれど、その為なら頑張ろうと思える。
お金が浮くことだってそうだ。前より少し余裕が出来たし、その分貯金したり、ちょっといいコスメに使えたりする。
けれど、気が合うところだけは、彼の思い違いである。
「アチ、」
皮目からもも肉を入れると、すぐに美味しそうな音がして、はねた油が腕に飛んだ。目の覚める一瞬の痛みは、学生時代の彼の人気っぷりを思い起こさせる。
同じクラスで仲の良かった丸井くん。彼に思いを寄せる子は、みんなキラキラしてて、可愛くて、振り向いてもらうために努力して。対してわたしは、たまたま席が近くて、ゲームの話や、下の兄弟の世話のことで愚痴するようなただのクラスメイトだった。
彼が付き合う女の子はみんなもれなく可愛くて、彼も、彼女達も、わたしのことなんか眼中になくて。けれど少し経つと別れたと聞かされて、結局聞き上手の仲良しポジションだけが大人になっても残っていった。
気が合う。そうなるように振舞った。
「蓋、ふた……」
焼き目のついたお肉をひっくり返して、蓋をして火を弱める。じっくり火を通す間にたれを作る為に冷蔵庫を開けた。
一番上の段が少し見づらいこの冷蔵庫は、トントン拍子にルームシェアが決まった時にブン太が欲しいと言った物だった。
わたしのご飯を美味しいと言う彼も、料理は出来るし何ならわたしよりも美味しいと思う。どっちも自炊が出来るんだから、良い物を買おうと言って、その通りになった。
「げ、はちみつないじゃん」
二人暮らしは想像以上に快適で、そして何の問題も起きなかった。
自分の部屋もきちんと確保されている上に、衛生観念や家事の頻度のズレが少ないわたし達は、かなりストレスフリーなルームシェアをしていると思っている。むしろ、わたしの視点から見れば憧れの人と住める上に、たまにスキンシップが出来る。プラスの方が多かった。
ブン太の周りに女の子がたくさん寄ってくるのはあの頃と変わりなくて、それを見ながらもわたしが彼への想いを伝えないままなのも変わらない。彼は多分本命の彼女を作っていないし、わたしも彼氏を作る気になんてならない。学生時代を知らない友人に伝えてみたら物凄く説教されたけれど、わたしはこの距離感が案外入っていた。
■□■
「ただいまァ」
玄関を開けると、俺んちの匂いがする。俺と、彼女が使う柔軟剤の匂い。キーケースだけ玄関に置いて廊下を進めば、醤油の香ばしい匂いもした。今日は照り焼きだな。
女と住んでる、なんて言うと付き合ってもいないのに怒り出す相手ばかりだったから、友達とルームシェアなんて曖昧な言い方をして早何ヶ月か。心地良さと、少しだけ見え隠れする好意に甘える生活は、想像以上に俺の心を癒していた。
「あ、おかえり。もうすぐご飯出来るよ」
「サンキュ。着替えてくるわ」
フライパンの蓋を取る後ろ姿を見ながらまるで熟年夫婦みたいな会話だ、とぼんやり考えて、自分の部屋のドアを開ける。
一人暮らししていた頃は頻繁に出入りのあったオンナノコ達も、この家に引っ越してからは殆ど呼んでない。一度リビングを通らないと各々の部屋には行けないこの間取りのせいもあるし、ルームシェアを初めた頃に何回か連れ込んで怒られたせいでもある。
――ブン太くん、彼女居ないって言ったじゃん!
ギラギラとしたその爪で俺の事を引っ掻けば良かったのに、オンナノコは百発百中、俺じゃなくて彼女の方に牙を向けた。全体的に赤く腫れた頬と、ネイルチップが擦れてついた小さな傷を、そっと触ったままの間抜け面に、全員もれなく毒気を抜かれてリビングを飛び出して行った。
――嵐みたいだったね。
泣くでも怒るでも、まして痛かったと言うわけでもなかった。最初にそう言ってへらりと笑った顔を見て、どうにも言い表せない気持ちが臍の奥から胸までグッと込み上げてきて。
学生時代からずっと気の合う友人だと思っていたなまえに、その時初めて、噛み付くようにキスをした。
「いただきます」
「いただきまーす」
部屋着になって、なまえもエプロンを外して、シンプルなダイニングテーブルに揃って座る。午後七時、大人がデートを切り上げるには早い時間。
鶏ももの照り焼きに、冷奴とオクラのおひたし。なまえの倍くらいの量の米が盛られた茶碗は、イメージカラーだから、と俺が赤で彼女が青だった。
「時間なかったから、お米食べれるおかず照り焼きしか無いけど」
「いや充分だろい。急に言ってわりーな」
「ほんとだよ、次からは手間賃とるよ」
「いくら?」
「んー、百万!」
けらけら笑うなまえが、何度こういうシチュエーションに遭遇しても手間賃を取ったことはない。ついでに言えば、俺が突然予定を切り上げて早く帰ってくる理由についても聞いてこない。有難くて、最近は少し、聞いてくればいいのにと思う自分も居る。
気が合う友人、のフリをしてた事に、ルームシェアを初めてからしばらくして気付いた。
なまえから時々漏れる俺への好意に知らないフリをし続けて、それで、だんだんそれに甘えるようになった。最初にキスしてしまった日から、少しづつ、俺の都合でなまえを振り回して、それでも決して触れずに、曖昧な距離感のまま。悪い男だという自覚はあっても、どうにもやめられなくなってきてしまったから、酒より煙草よりタチが悪い。
「百万、マジで貰ったら何に使うワケ?」
「えー百万? うーん」
箸で綺麗に豆腐の角を崩しながら、真剣に考える様子を見ながら米をひとくち。なんか、マジで夫婦みてえ。
「全国食いだおれの旅? とか?」
「モノじゃねえのかよ」
「今パッと思い浮かばないんだよねえ」
そんなもん、これからいくらでも連れてってやるのに。どこまでも狡い発言だなと考えて、それはおかずと一緒に飲み込むことにした。
今はまだ、このあたたかい雰囲気のままで。
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あーるさん、大変お時間頂き申し訳ございません!
お待たせいたしました。