SHORT | ナノ


▼ ロング・タイム・ノー・シー

※ほんのりと幸村くんの三年後の王子様のネタバレ描写を含みます。


「ごめん、遅くなった」

 中学生の頃とあまり変わらない凛とした声は、遠くの席でちびちびとお酒を飲んでいたわたしのところにもよく届いた。センター分けだった前髪は重めに短く整えられて、襟足もスッキリしてるのに、ウェーブのかかった蒼色でひと目で彼だと気付く。キャア、と小さくあちこちから黄色い悲鳴が上がる中、立海の女子の憧れの的だった彼――幸村精市くんは、端の方に集まっていた男子達の近くに腰を下ろした。
 数年ぶりに開催された立海大附属の同窓会は、一日で会うにはあまりにも参加したい人が多すぎて、何日かに分かれて行われることになった。
 仲の良かった友達と予定を合わせて参加した日に、たまたま幸村くんが来たことは嬉しいハプニングだった。けれど、彼のモデルよりも似合っている白いニット姿を遠目で見て、自分が今年の衣替えで一番最初に出したニットが白だったことを、少しだけ、恨めしく思った。

「幸村くん来たよ!」
「いくつになってもカッコイイね」
「むしろ髪型変わってますますイケメンじゃん」
「声変わりとかしてなくない?」
「てか白ニットがあんなに似合う男初めて見たんだけど……」

 あちこちで話題が彼にすり替わって、隣の友人も楽しそうにわたしに向かって話し掛ける。

「なまえも白ニットだね」
「やめて……あんなに似合ってる人と一緒にしないで……」
「声ちっさ」

 心なしか、空いたグラスをさげに来た店員も、彼を目で追っているように思う。いいな、わたしもここの店員になって近くでオーダーを聞けたら良かった。そう呟いたら隣から呆れた笑いが聞こえてきた。

「他の子みたいに話し掛けに行ったら?」
「いや無理だよ! 接点ほとんどないもん」
「接点のないクラスメイトを、よくもまあこんなに何年も……」
「ほ、ほとんどね、ほとんど」

 お酒が少し入っているせいか、いつもはしない口ごたえをしてしまって、はっとする。隣で楽しそうに笑う彼女に『たとえば?』と聞かれて、わたしは目線を少しだけ幸村くんのほうに向けた。
 例えば。中学二年生の時に一度だけ同じクラスになったこと。美術の選択授業が一緒で、ちょっとだけ話すようになったこと。ウェーブのかかった彼の髪を見て、思わず『綺麗な髪だね』なんて呟いてしまったら、思いのほかおもろしそうに笑った彼が『みょうじさんもね』と名前を呼んでくれたこと。
 それから、高校に上がっても美術の授業でたまに見掛けたけど、彼の人気っぷりに怖気付いてすっかり話せなくなってしまったこと。テニスの試合を度々見に行ったこと。高校の卒業式で、本当は声を掛けたかったけれど、目が合ったような気がしただけで結局勇気が出ずに話せなかったこと……。

「そして大学は付属に行かずに、とうとう今日まで一度も会うことが無かったと」
「……ウルサイなあ」

 指折り数えて数少ないエピソードを挙げてみたけれど、トクベツおもしろいことはひとつもなかった。
 何がきっかけだったとか、上手く言葉に出来ないけれど、記憶の中の学生生活はいつもどこかで彼の姿を追っていたように思う。ちょうど、お店の一角を貸し切ったこの同窓会の距離感くらい。話し掛けられなくて、けれどもその整った顔立ちはよく見えて、意外と些細なことで口をあけて笑う彼は、イメージと違ってすごく新鮮だったことを覚えている……って、ストーカーみたいで何だか嫌だな。
 グラスに三分の一ほど残ったお酒を飲み干して、ぐるりと会場を見渡してみる。知ってる顔、知らない顔。マンモス校だからどっちもあって当然だれけど、やっぱりみんなの視線の多くは、遅れて登場したヒーローに集まっているように思えた。

「……お手洗い行くね」
「ん、行ってらっしゃい」

 運動部でもなければ積極的なタイプでもないわたしは、お手洗いに行くために席を立っても、彼に話し掛けるために席を立つことは出来ない。いや、運動部だったかどうかは本当は関係のないことだけれども。何かしら自分の勇気のなさに理由を付けないと、せっかく久しぶりに憧れの人と話せるチャンスだったのに、何だかみじめな気持ちになりそうだった。……もうすでになっているかも。
 蛇口から流れる水をしばらくぼうっと眺めて、鏡の中の自分を見る。学生の頃とは違う髪型、髪色。自分なりに覚えたメイクと、それから、白いニット。幸村くんの格好が思い出されて、ハンカチを取り出してお手洗いを後にする。

「ため息、すごい深いけど大丈夫?」

 俯いたまま会場に戻ろうとするわたしの頭上からそんな声が聞こえてきたから、驚いてハンカチがぽろりと落ちた。

「落としたよ……、はい」
「……ゆ……きむら、くん」
「うん?」
「あっ、あ、ありがとう……」

 ぎこちないお礼にやんわりと笑った幸村くんは、わたしにハンカチを差し出した後も話を続けた。

「深刻そうなため息だったけど、大丈夫? 気分悪い?」
「えっ?! あ、や、そんなことない……よ、考え事してて」
「そっか」

 ため息ついて出てきたところで鉢合わせするなんて、なんてタイミングの悪い、と悲観するわたしと、ここで話し掛けなきゃいつ話し掛けるんだ、と奮起するわたしが揺れ動く。ここがお手洗いの前の廊下だということも忘れて、ギリギリ奮起するわたしが勝ったのはよかったけれど、数年ぶりに話す内容なんて何も思い付かなかった。

「幸村くん、髪型変わって……、その、相変わらず綺麗な髪だね!」

 『久しぶり』とか『わたしのこと覚えてる?』とか、もっと言うことあるだろ、と第三のわたしがわたしを怒る。透き通った彼の目がまるくなるのを見て、拾ってもらったハンカチをぎゅっと握り締めてまた俯いてしまった。
 ああ、泣いてしまいそう。
 人気者の幸村くんは、わたしのことなんて全く覚えていないかもしれないじゃないか。それなのに綺麗な髪だね、なんて、本当にストーカーみたいだ。そう考えたらじわじわと涙腺がゆるんできて、瞬きしたら零れ落ちてしまいそうな涙を必死に目頭で食い止める。それでもこらえきれそうになくて、ハンカチの角を少しだけ目元に近付けた。
 そんな様子のわたしの前で、ふふ、と幸村くんが小さく笑う声が聞こえる。
 何を言われるのか、それとも何も言われないのか。分からなくて、怖くて、それでも恐るおそる目線を戻すと、幸村くんは真っ直ぐわたしの目を見ていた。

「『みょうじさんもね』」
「…………えっ」
「髪、昔と違うね。俺と同じで短くなったし、明るくなった?」

 一瞬、幸村くんの後ろに美術室のキャンパスが見えたかと思った。それくらい、記憶の中の彼の言葉と、言い方も、抑揚も同じだったから。フリーズしたわたしの思考は、彼の質問にこたえるために少しずつ覚醒する。

「えっ……うん……、うん、そう、よく覚えてたね」
「そりゃあ、まあ、ね」
「?」
「時々、俺に話し掛けたそうにこっちを見てる気がしたから」
「……!」
「あれ、違った?」

 意地悪な笑い方をする幸村くんを初めて見た。……じゃなくて。
 開いた口が塞がらなくて、何か話したいのに上手く言葉が出てこない。目の前の彼はそんなわたしを急かすでも無視するでもなく、ただじっと微笑んだまま次の言葉を待っている。

「あ、幸村居た! トイレ?」

 沈黙を破ったのは、わたしでも幸村くんでもなくて、彼を呼びに来た同級生だった。

「ああ、すぐ戻るよ」
「おー」

 会場から居なくなった彼を探していたんだろう。すぐに戻ったその姿を見て、はっと気付く。

「幸村くん、お手洗い行きたかったんじゃ……!」
「ん? ああ、そうだね」
「ごめんね呼び止めちゃって! ほんとごめん!」

 まるで今思い出したように相槌を打つので、彼の邪魔をしていたことに申し訳ない気持ちでいっぱいになる。慌てて横を通り過ぎようとしたわたしを、一度だけ幸村くんが呼び止めた。

「みょうじさん」
「はっ、はい」
「ニット、なんかお揃いみたいだね」
「お――」
「じゃ、またあとで」

 そろい。思わずオウム返しした言葉は、幸村くんが閉めた男子トイレのドアの音に掻き消された。
 言葉の意味を咀嚼しようとして、コンマ三秒。男子トイレのドアを見つめる変態だと気付いて、慌てて会場に戻った。

「トイレ長かったね。吐いた?」

 あっけらかんと言い放つ友人の横にすとんと座り直して、ほんの数分の出来事を思い返す。数年ぶりの再会にしてはあまりに短くて、お手洗いにしては長い数分。ゆっくりと、幸村くんがさっきまで座っていた席の方に目を向けると、ちょうどお手洗いから帰ってきた彼の姿があって。
 目が、合った。

「吐きそう…………」
「えっ大丈夫?! トイレ行く?!」
「いや、行かないです……」
「は?!」

 この会がお開きになったら、まずは久しぶりから初めなくては。

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