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▼ 居なくなった降谷零の話

※名前変換なし
※降谷さんは出てきません


 泣くほど他人を好きになる気持ちを初めて知った。きゅう、と心臓を握られるような痛みを覚えるほど、他人に愛されるのがしあわせということを知った。キスもハグもセックスもオプションみたいなもので、ただ好きな人がそばに居て、同じ時間をわたしと共有しているだけでじゅうぶんだと知った。どんな言葉も彼が言うのなら、わたしを一瞬でよろこばせる魔法の呪文のように聞こえてしまうことを知った。辞書には載っていない「たいせつ」の意味をたくさん知った。わたしのたいせつなひとが全部教えてくれた。
 降谷零さん。
 全部、貴方が教えてくれたことだった。



「私は降谷さんの部下の風見と申します」

 風見と名乗った零さんの部下は、きっちりと丁寧にお辞儀をした。彼に倣ってわたしも名乗ってご挨拶をする。零さんは仕事の詳細など一切話してくれなかったのに、どうしてわたしの住むアパートに部下の方がいらっしゃるのだろう。
 秋も半ば。さすがに玄関先では肌寒いだろうととりあえず中に上がってもらおうとすると、風見さんはいいえ、と手を添えてやんわりと断った。

「あまり長居は出来ませんので」

 そうは言ったものの、風見さんは一向に話を切り出そうとはしない。しないというより、言いあぐねているふうにみえる。
 零さんが音信不通になるのは、今に始まった事ではなかった。二、三日メッセージの返信がこないのは当たり前、長い時は一ヶ月くらい連絡が取れないこともあった。初めのうちはわたしも我慢出来ずに零さんに当たったり、年甲斐もなく泣きわめいたり、他の男の人と食事してみたり、別れてしまおうと思ったこともあった。一度や二度ではなく、何度も考えた。けれどそのたびに、ひどく疲れた零さんが自宅に帰るより先にわたしの家に来て、ふやけた顔で「ただいま」と言うのでわたしは結局あきれながら「おかえり」を言う。それがいつものことだった。
 仕事の事は詳しく教えてくれないし、写真だって残してくれない。零さんの愛車の助手席に知らない女の人が頻繁に乗っているのも知っているし(わたしはあんなキツい香水を付けない)何やら外では別人として振る舞っているのも何回か見たことがあるので知っている。だけどわたしは零さんが好きだ。わたしの知らない零さんはたくさん居るけど、わたししか知らない零さんもたくさん居る。
 降谷零という人は大変真面目で聡明で、運動もできて料理もできる。だけど甘えるのが下手で、それから意地悪が好きだ。車の運転はたまに荒いこともあるけれど、それは余裕がないときのシーツの上とおんなじ。きっとこれからも連絡が来ない日々に悶々として、それでも零さんの帰りを待って。一緒に過ごせる時間をとびきりたいせつにして生きていくのだ。
 そう思っていた。

「実は、降谷さんから、預かり物がありまして」
「預かり物?」
「こちらなのですが」

 風見さんが差し出したのはロケットペンダントだった。銀色の楕円形で、花をモチーフにしたなんの変哲もないそれの中身は、いつ撮ったのだろう、寝ているわたしとその頬に唇を寄せる楽しそうな零さんの写真だった。

「……写真が、あったんですね」

 あまりの不意打ちに、浮かんだ涙をぐっと堪えようとして語尾が震える。風見さんはそんなわたしを見て、気まずそうに続けた。

「『俺にもしものことがあった時に渡してくれ』と、そう、言われていたので、参りました」
「え」
「……降谷さんの行方は現在不明。我々は、死亡したものとみて、降谷さんの捜査を──」
「し、死亡?」
「……ええ」

 死亡?
 突然のことすぎて頭が追いつかなかった。お前は本当にバカだなあ、とどこか嬉しそうに呆れて笑う零さんの顔が浮かぶ。

「お、言葉ですが、あの、零さんの職業……というか、本職は、警察官で間違いないのですよね」
「……そうですね。警察官です。自分も、降谷さんの部下ですので」
「それは、その、殉職?というか……すみません、何だかドラマの話みたいで、その、零さんからはあまり詳しく聞かされていない上に、無知でして、」

 早口でまくしたてるわたしを、眼鏡の奥から風見さんが冷静に見つめる。見定められているような、なんだか、わたしだけが無知で、何も知らないまま、その視線は憐れんでいるようにもみえた。かわいそうな女だ、と。
 零さんが、死んだ? そんなことあるはずない。だって、こんな年で周りの人間が死ぬなんてドラマの話だ、他人事だと思っていた。零さんは警察官で、でもこんな平和な日本で死んでしまうようなことに巻き込まれるのか? 確かに夏には、東都水族館の観覧車が爆発かなにかで、すごい騒ぎになっていたけれど。零さんはちょうどその頃連絡が取れなくて、何かあったのかなあとかなり心配した。でも帰ってきた零さんは『客の避難や後片付けが大変だったんだ』と、痣になった腕を見せてくれた。警察官は何でもするんだなあ、なんて呑気に考えたことを覚えている。
 零さんは、いつだって、笑ってここに帰ってきた。

「やはり、肌寒い季節になってきましたね」
「……は?」
「あ、いや、長居はしないつもりでしたが……、よろしければ、ですが、ゆっくりお話させて頂いても?」
「あ……ええ。はい、もちろんです、どうぞ」

 綺麗に靴を揃えて風見さんがひとこと、お邪魔します、とお辞儀する。大きな革靴を雑に脱いで、ただいま、と言ってわたしにもたれかかる零さんは、もう、居ないのだろうか。
 ペンダントの中、何も知らない自分の寝顔を引っ叩いてやりたくなった。

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