▼ これから育てるユキノシタ
※夢主のお誕生日話です
事の発端は月曜のお昼休み。お弁当を食べてお腹いっぱい、さあてそろそろ五限の準備を……と思った矢先、机の中のどこにも教科書がないことに気がついた。置き勉に混ざってるかと思ってロッカーも見てみたけれど、わたしの数学の教科書はどこにもない。家に忘れたかな。あの先生、そういうの何か知らないけれどすごいうるさいんだよなあ。
「みょうじ、教科書ねーの?」
「そー。やばい、あの先生で忘れ物するとかやらかした」
「あいつ何か忘れ物に厳しーよな」
風船ガムをぷう、と膨らましながら丸井がこれみよがしに自分の数学の教科書をチラつかせてきた。ウザ。
ただでさえ学校に来るのがめんどくさい月曜なのに、忘れ物するなんて怠さが二倍だ。しかもご飯食べた後だし何ならちょっと眠い。
隣のクラスにでも借りに行くかあ、と思って席を立ったところで、入れ違いに仁王がクラスに入ってきた。丸井がおかえりー、と声をかける。
「おー。あ、みょうじ」
「なに?」
「お前さん、昨日誕生日じゃったろ。オメデト」
「え」
「そーなの? 早く言えよ! 余ってる飴あげるわ」
「飴かよ……でもありがとう丸井」
まさか死ぬほど他人に興味無さそうな仁王が、わたしの誕生日を知っていたとは思わなかった。金曜日にわたしが友達と話しているところをたまたま聞いたらしい。
「ちなみに俺からは特にないぜよ」
「ないんかい」
「人気のテニス部レギュラー様に祝ってもらえるだけええじゃろ?」
「自分で言うところが本当に嫌。あんたらこのクラスじゃそんな扱いされてないでしょ」
それはそう、と丸井がケラケラ笑う。確かにテニス部、特にレギュラーは目立つ人が多いから(頭の色とか頭の色とか)よく話題に上がる。けれど、このクラスにはその目立つ人が二人も居る上に、彼らのクラスでの行動を毎日見ているので、割とぞんざいな扱いを受けていることが多い。廊下からキャア丸井くんだ、なんて声が聞こえるたびに、こいつガム噛みながら寝ちゃって机にヨダレ垂らしてたことありますよ、と大声で言ってやりたい気持ちになる。言わないけど。
それどころか、一部の女子は彼らの力を借りてあわよくば他のレギュラーと仲良く……なんて邪な気持ちを抱えていたりもする。わたしはそんなことは……、まあ、無いとは言い切れないが、純粋に二人のことは面白い友達として好きだ。個人的にはもっと優しい人がタイプ。
「てかみょうじ、教科書借りに行かなくていいワケ?」
「あ、そう、忘れてた」
「教科書?」
「こいつ、数学の教科書忘れたんだって」
「あ、そうだ! 仁王教科書貸して、誕生日プレゼントに」
「アホか、俺の分どうするんじゃ」
右手で軽めのデコピンをされた。痛い。でも利き手を使わないあたりが仁王の優しさである。
「教科書は貸せんけど、A組なら次体育じゃから着替えとるぜよ」
「えっ……じゃあC組かあ」
昼休みもあと少しだし、早く借りに行こう。C組なら同じ部活の友達も居るし。
行ってくるわー、と二人に手を振って教室を出るわたしの背中を、仁王がニヤニヤと見つめていることなんて全く知らなかった。
C組もうちのクラスと同様、もうお昼ご飯はすっかり食べ終わっているようで、自分の席についている人は少なかった。
友達の席は窓側の方だったから呼びづらいんだよなあ、と入口からキョロキョロ中を見渡す。一応他のクラスには入ってはいけない事になっているので、結構探すのが大変だ。
「あ!」
友達は自分の席には居なかったけれど、その近くに集まっていたようで、声をかけようと手をあげた、その時。
バチ、と目が合った。
本当に音がしたのでは? ってくらい綺麗に目が合った。誰と? ……幸村くんと。
友達の名前を呼ぼうと思って開けた口が、そのままぽかん、と閉じない。幸村くんが席を立ってこちらに向かってくるのを固まったまま見つめてしまう。お昼のいちばん明るい陽射しが窓から入ってきて、まるで幸村くんを照らすためみたいに見えた。
「あれ、みょうじさん?」
「え、あ、うん」
「誰かに用事? それとも俺?」
なんちゃって、と幸村くんがふんわり笑う。
幸村くんとは、それこそ仁王と丸井を通じて話をするようになった。なった、と言っても挨拶するくらい。向こうはわたしの下の名前も知らないのではと思う。
「あ、えっと……数学の教科書、忘れちゃったから」
「ああ、借りに来たの?」
「うん。あの同じ部活の、」
違うよ、と言うのも何だかはばかられて、友達に教科書を借りに来たことだけを伝えた。ちょっと待ってて、と幸村くんがクラスに戻っていくのをぼうっと眺める。天下のテニス部部長を使いっ走りにしてしまったみたいで、ちょっと罪悪感が生まれた。
幸村くんはそのまま窓際に向かって、近くに居るわたしの友達に声を――掛けることなく、自分の席の机の中から一冊何か手に取って、こちらに戻ってきた。
え?
「はい、教科書。うちのクラスは数学四限だったから、今日中なら返すのいつでもいいよ」
「え、あの、……えっ」
渡された教科書には、確かに3C幸村精市の文字が書かれている。周りの男の子よりめっちゃ綺麗な字だ。
「別に俺のでも同じだろ?」
「そ……それはそう、だけど」
「あと、仁王から聞いてさ」
「?」
「みょうじ、誕生日おめでとう」
見計らったみたいに予鈴が鳴った。
「ほら、予鈴だよ」
石のように固まったわたしの肩に、幸村くんがそう言って手を置いた。弾かれたように身体が動いて、数学の教科書をおずおずと受け取る。幸村くんはちょっと可笑しそうにふふ、と笑っていた。
「俺のことも幸村って呼び捨てしていいからね」
「えっ?! いやそれは……」
密かに憧れていた幸村くんが、教科書を貸してくれて、わたしを突然呼び捨てして、誕生日おめでとうと言ってくれた。もうめちゃくちゃパニックである。どうしたらいいか分からずにもごもごと口ごもっていると、時計を見たらしい幸村くんが、わたしの身体の向きをくるりと変えて背中を押した。
「ほらほら」
「あ、うん。えっと、あの、ありがとう。色々」
「うん、どういたしまして」
「教科書綺麗に使うね……」
「何それ、別に折り目つけてもいいよ。じゃ、また後でね、みょうじ」
「うん……またあとで…………」
ひらりと手を振る幸村くんに、わたしもぎこちなく振り返す。両手で大切に数学の教科書を持って、バクバクと心臓が動いているのを感じながら自分のクラスに戻った。
「あ、みょうじ、教科書借りれた?」
教室の後ろのドアからそろりとB組に戻ったけれど、心の中が色んな感情で忙しくてしばらくその場に立ち止まる。ぼけっと立ったままのわたしに気付いた丸井が、ゴミ箱にガムを包んで捨てながらそう聞いてきた。
「丸井……」
「あ、借りれたんじゃん。良かったな」
「幸村くん、かっこよかった……」
はぁ? と首を傾げる丸井に、仁王がくつくつと笑い出したのを視界の端で捉えた。
チャイムが鳴って先生が来て、午後の授業が始まったけれど、わたしは上手く教科書をめくれなくてずっと上の空。結局先生には怒られた。
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後輩のお誕生日に書きました、おめでとう。