善も悪もない


深い闇に沈み月と星の淡い光だけがそっと降り注ぐ時間帯にも関わらず、赤々とした光を放つ家屋があった。中ではバタバタと人が走り回り大声を出している。

「早くしろ!死ぬぞっ!」

叫んだのはその大声に似合わず見目はどう見ても棺桶に片足突っ込んだ翁。しかし棒切れのように細い手は震えることなく目の前に力無く横たわる血塗れの男を手当していた。
町外れにある小さな村。若い男衆は夷狄を打ち払う為、またはその夷狄を打ち払わんとするもの達を止めるためにと幕府に召し上げられて出払っていた。
攘夷戦争下で疲弊しているのは戦場に身を置くものだけではない。戦場に駆り出され足りない男手の代わりに老人や女性、子供が必死に生活を支えていた。
それを聞きつけて現れる野盗に夜毎うろつく浪人。戦の影響は日々を過ごし生きる村民にも影響を出し、この小さな村も度重なる被害を受けていた。



「***ちゃん、ありがとうな。助かったよ」

男の手当てを終えた翁は、男が眠る横で甲斐甲斐しく世話をする女に声をかけた。

「前みたいに顔は青くなってねぇな」
「それはもう、鍛えていただきましたから」
「最初は血ィ見て目を回してたのが嘘みてぇだ」

かっかっかと豪快に笑う翁は***が駆け込んで来た時の事を思い出す。
顔面蒼白で手も服も血塗れ。どこか怪我をして駆け込んで来たのかと思い慌てて確認するも、血は全て乾ききっていた。
野盗や浪人に襲われたのか。そう思うも顔を上げた***の目には怯えの色はなかった。あるのは激しい怒り。


「あんな怒った顔して掴みかかってきて医術を教えろって言われた時は何事かと思ったよ」
「いきなりあんな格好で、不躾にすみませんでした」
「それだけ必死だったんだろう。こんななにも無い寂れた村の診療医じゃたかが知れてるのに」

日常生活で負う程度の怪我ならば当たり前に慣れていて目を回したことはなかったが、人が人を殺す気で負わされた怪我は見るにも堪えない。なによりも大切な人達がそんな怪我を負ったのを目の当たりにし、あまつさえ何も出来ずに気を失った。
気がついた時には自分は血塗れで、松下村塾で共に学んだ大切な仲間が、さっきまで生きようとしていた人が死んでいた。
「お前、邪魔」言葉と一緒に銀時に荷物を投げつけられ締め出されたのはここに駆け込む前日のことだった。
刀を握って同じ場所で戦えないのなら違う場所でもいいから一緒に戦いたいと行動したのに、血を見ただけで倒れて何も出来なかった。銀時の言う通り邪魔でしかない自分が情けなくて悔しくて怒りが沸いた。

「でも今では多少の怪我なら1人でも治療出来るようになりましたからね。ここに来て正解でした」
「それなら良かったよ。また明日から行くんだろ。その男はワシが看ておくから備えて寝なさい」

翁は薬棚から薬品や医療道具を出すと風呂敷に包む。

「頼まれていた物も揃っているし、忘れていくんじゃないぞ」



いつもより早く起床した***は人が起き始める時間に、久しぶりの外の空気を楽しみながら歩いていた。その服装は昨日までとは違い男物の着物に身を包み、一定のテンポで地を蹴る足には袴を履いている。普段は少しばかり女らしさを匂わせる程度に簪を刺す髪も、今日は飾りひとつない。紅も引かない***は少年だと言われれば首をかしげながらも頷いてしまうだけの説得力をもつ出で立ちになっていた。
今日は銀時達の元へ定期的な物資を届ける日。物資と言ってもこれといった資産を持たない***にできるのはこのご時世入手のしにくい医療品を届けることと、磨いてきた知識で彼らの助けになることだけ。
前回足を運んだ時に怪我をしていた人達は無事に回復しただろうか。今回は前回より怪我をしている人が少ないといいな。晋助もヅラも銀ちゃんも、酷い怪我をしていなければいいな。いつもこの長い道のりで考えることは一緒だった。

日が高く昇り昼を過ぎてまた傾き出す。
診療所へ駆け込んだ当初はこんなにも遠くは無かったが、日毎戦況は変わる。空が茜色に染まる頃にやっと拠点にしている小高い丘にある寺が見えてきた。
あと少し。一息入れてからと思い木陰に入った時だ。背後から口を抑えられ草むらに強い力で引き込まれた。強かに地面に背を打ち付け息が詰まる。苦しくて痛くて体を丸めて踞れば襟元を誰かに掴まれ暴れるも奥へ奥へと引きずり込まれた。

へへへ、と下卑た笑いに目を開けば***の体を跨ぐようにして立つ男と、襟を掴んで引きずっていた男が2人。盗賊なのか落ち武者なのか判断はつかなかったが、見知った顔では無い。

「綺麗な顔した男と思ったらこれはまたいい拾い物をしたな。コイツ女だ」

体を跨いで立っていた男は馬乗りになり、掴まれて乱れた襟元から覗く晒で覆って隠していた女特有の膨らみに舌なめずりをすると、開く襟元に手を伸ばしてくる。

「触らないで」

***は反射的に抜いていた懐刀を男の喉元へと押し当てた。
こんな時に不謹慎だが笑いそうになってしまう。
どんなに偽っても自分は女でしかないことと、銀時によって耳タコになってしまうほどに聞かされた破廉恥な男の思考を思い出して。きっと嫌になるほど聞かされていなければこの状況が何も理解出来ていなかっだろう自分に対して。

「おいおい、そんな危ないものだして何しようってんだ?」

一瞬怯むも所詮は女だと強気に出る男に更に刃を押し込む。皮が切れじわりと血が滲む。

「死にたくなかったら今すぐここから立ち去って」

男は自分の首から垂れた血に動揺するどころか怯むことも無く笑みを深くする。

「お前人を殺したことないだろう。震えてるのが刃から伝わってくる」

刃がくい込むのを恐れることなく身を乗り出す男に思わず懐刀を押し付ける手が引いてしまった。

「お前が人を殺したくないの間違いだろ」

男はほらなと楽しそうに笑うと背後の男が***の体を背後から羽交い締めにし、前にいた男も***の口を片手で塞ぐと手に握られた懐刀を奪おうと掴みかかってきた。

「殺したくないから近づかないで〜!ってか。甘いな。恨むなら自分の甘さを恨めよ」

目の前で嘲笑う男どもの非情さに恐怖で固まりそうになるも必死で動かせる部分を動かした。だが振り払いたくても力の差が邪魔をして振り払えない。それでもなんとか逃れようと、目の前の男の手を目掛けて懐刀を突き刺さした。
驚いた男は飛び上がり離れる。背後にいた男も反撃に驚き拘束の力が緩み、その隙によろつく足で立ち上がり距離をとった。
走った訳でもないのに息が上がり、心臓の音が大きく聞こえる。怖い。誰か助けて。そう叫びたくてもこの場には誰もいない。助けてくれる人は誰もいないのだ。震える手で、落としてしまいそうな懐刀を強く握りしめる。
刺された男は血走った目で***を睨みつけ大声で捲し立てると腰に差した刀を抜いた。

「手足斬り落としてからでもいいんだぞ。嫌なら大人しくしてろ女ァ!」

大股で近寄る男に、身構え***は懐刀を構える。
もう1人の男は簡単に行かないこの状況をよく思わないのか、慌てたように男を止めようとした。が、脅しに恐怖を感じても一切怯まず応戦する態度をとる***に、思うように行かない現状に苛立ち刀を大きく振って***を狙う。

「──っ!」

2振り3振りと刀が***を襲う。
避けた瞬間に体の真横で抜き身の刃が風を斬る音がする。男の振るう刀は怒りに染まり大振りで躱しやすいが、鋭い音に躱しているはずなのに、恐怖で心を削ぎ落とされていく感覚があった。それを繰り返せば疲弊も重なる。
怖くて必死だった。なんとかしようと。
***は男の足を地面を転がるようにして狙った。足さえ潰せば女の足でも逃げ切れる。
自分を守るために人を傷つける。良くないことだと分かっているが、自分を襲う人間を気にする余裕も理由も無かった。
血飛沫が上がりぎゃあと呻き膝をつく男を尻目に***は逃げ出した。鼻を突く鉄錆の臭いに顔を顰めるも気にする暇もない。

「待ちやがれぇッ!!」

背後から追ってくる男の声。竦みそうになるが必死に前に足を出し、元の道にを目指す。
刹那、体に強い衝撃を受けて前のめりに倒れ込んだ。ずしりとのしかかる何か。恐る恐る振り返れば男がそこにいた。

「!ッ…、なんで…」

斬りつけた足を見れば、気遣われることなく酷使された証か赤黒い肉がべろりと顔を覗かせ、血が追ってきたであろう道を記していた。

「なんでだと…?ここまでされて逃がすかよ、殺してやる」

足を腿を、腰を、男の手は這い上がり首を掴みあげのしかかってくる。男の膝が腹を、大きな手は喉を圧迫し、呼吸が詰まる。

「か、は…ッ、ぁ、…」

酸欠で霞む視界に振り上げられた刀が入った。ギラリと鈍く光る刃に意識を引き戻される。
死ねない。死にたくない。
一心でまだ手にあった懐刀を振るった。

直後、生暖かな飛沫が飛んできた。
男の呻く声と腰を抜かしたかのような悲鳴。
***の握った懐刀は男の首に深々と突き刺さっていた。
刺された男はうぎゃぁぁあぁあ!!と喚き***から距離を取ろうとする。その瞬間懐刀が抜け先程とは比にならない量の血を噴き出しながら地面へと倒れ込んだ。
手も顔も着物も全てが血飛沫で赤く染る。噎せ返る鉄の臭いに、目の前で痙攣し次第に動かなくなる男に、頭の芯が痺れていく。慣れたはずの臭いなのに息をする度に体の奥にまで入り込んでくる臭いにゾッとした。
──私が殺した。殺してしまった。
『無闇にそんなもの抜くんじゃねェよ』
銀時の言葉が頭に響き背筋が粟立った。
怖くて見ていられなくて震える足を必死に抑え、腰を抜かした男を置いて駆け出した。その足が向かうのは来た方向。
こんな格好誰にも見られたくない。何よりも抜くな握るなと言っていた銀時に一番。そう思い道に戻ればそこには高杉がいた。
高杉は***の出で立ちに驚き目を見張るもそれは直ぐにいつもの表情に戻った。
見られた。こんな血に染まった格好。誰かを殺してきましたと言わんばかりの出で立ち。
怖くて顔をあげることも出来ず立ち竦んでいれば大股で高杉が近寄ってくる。高杉は***の目の前に立つと乱れた襟を掴み露わになっていた胸元を覆い隠す。陣羽織を脱ぐと血まみれの***を包み込んだ。

「何もされてねェな、お前は無事だな***」

そう尋ねて来る声も触れてくる手もいつも以上に優しい。

「まだ生娘かって聞いてんだ」
「き…、生娘だよ」
「怪我は?どっか痛ェとこは?」

まるで見ていたとばかりに***の身を案じること以外聞いてこない高杉に、何を思われているのか分からず一歩後ずさる。

「おい、聞いてんのかバカ娘」

べしっと頭を叩かれ必死に言葉を絞り出した。

「私は…怪我、してない」

怪我をしたのではなく怪我をさせた。
沢山の怪我を治療してきた。あれは助かるような出血じゃない。

「余計なこと考えんな、お前は何も悪くない。いいな」

***に言い聞かせると腕を引き高杉は足を進めた。
その足が向かう先は拠点の廃寺で入り口の門に来て手を引かれる儘に足を進めていた***は立ち止まる。
ここには銀時がいる。こんな姿を見せるわけにはいかない。

「や、晋助…わたし」
「んな格好で帰せるわけねェだろうが」
「でも…!」
「知ってるから、」
「知ってる…?」
「お前に何があったのか」

***が男共に脇道に連れ込まれたのを見張りが見ていた。

「誰もお前を責めたりしねェ」

だからあの場所に高杉はいたのだ。よくよく高杉を見れば額に汗を滲ませていた。心配させたんだ。

「…ごめんなさい、ごめんなさい!!私必死で…」
「落ち着け***。大丈夫だ。お前が無事ならそれでいい」
「でも、私ひとを、…」

怖い、そう思って顔を手で覆う直前、視界に入った手を見て足が震えてその場に崩れ落ちてしまった。

「見るな!」

羽織で咄嗟に高杉は***の手を覆う。血塗れの手を。
怪我の手当で何度も見て触れてきたはずなのに、それが自分の手によって怪我を負わせ流された血だと思うと怖くて気持ちが悪くてたまらなかった。

「立て***、取り敢えず落ち着けるとこに行こう。な、」

人目を避け殆ど人のこない、***が使う部屋へと2人で駆け込んだ。



水に浸した手拭いで綺麗に血を拭っていく高杉の手つきは優しく、拭う度に顕になっていく怪我の数々に眉をひそめた。

「銀時は今斥候でいねェが、明日には戻ってくる」
「ヅラは?」
「いるが伝わってねェ筈だ。見張りには口止めしといたし」

見張りが報告したのが俺でよかったな。そう言って笑う高杉に小さく頷いた。3人の中で誰よりもデリカシーがあって気が利く気性をしている。

「ヅラだったら慌てふためいて一番に銀時に知らせてるぞ」

手拭いを血で真っ赤に染まった水を張った桶に入れると***の持ってきた荷物に手を伸ばす。包帯と消毒液を取り出すと丁寧に手当をしていく。

「どうしよう晋助、知られたくない。銀ちゃんに、知られたくない…、抜くなって、、言われてたのに」

自分を守るために人を傷付けることが、殺めることがこんなにも苦しいなんて思わなかった。私なんかより私の事を理解して危険な賭けをしてまでも戦場から遠ざけてくれていたのに、取り返しのつかない事をしてしまった。優しい彼はなんて思うのだろうか。きっと許してくれる。私が無事でよかったと少し眉根を寄せて小さく笑って。でも彼は私以上に傷つくはずだ。傷ついて心の内で自分がしたことは無駄だったとがっかりするのかもしれない。だから言っただろって呆れられるのかもしれない。
そして「もう来るな」そう言われるんだろう。確かに怖い。二度とこんなことはしたくない。だけどそれでも少しでもみんなの傍にいて力になりたい。突き放さないで欲しい。
考えだすと止まらなくなって目を伏せると涙が溢れ出てくる。
高杉は包帯を巻く手を止めそっと涙を拭うと背を優しく一定の間隔で叩いた。

「確かにお前がしたことはいい事じゃないかもしれない。でも間違ってはねェ。抜いてなかったらお前が傷付けられて最悪死んでたかもしれないんだ。俺はそれが怖かった。だから無事でいてくれて良かった」

ありがとな。小さく安堵したように呟かれた言葉に恐怖で強ばっていた体が解けていく。

「もしあいつが知ってもそう思うはずだ。だからあまり気に病むな」

***が泣き止むまでの暫くの間、とんとんと背を叩く音は止まなかった。





背負った罪

♭21/06/30(水)

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