64


「お前さ、なんか勘違いしてねェ」

静かに呟かれる言葉の意味が分からなかった。

「そんなにいけないことかよ。弱ェことがそんなに悪いことかよ、なァ***」

弱くたっていい。そのままでいい。そう言われている気がした。
それが信じられなくて銀時の顔を見る。一瞬だけ視線がかち合って気まずそうに逸らされる。

「あ、いや、その…俺が言えた義理じゃねーのは分かってる……、でも、お前の言葉が、行動が、そんな理由だけで無かったことにはならないだろ」

なんて答えたらいいのか分からない。

「俺達と離れた後、ずっと晴太と一緒にいてくれただろう。晴太が言ってたよ。お前の言葉と行動に助けられたって。必死に守ろうとしてくれたって。お前自身がどう思ってようがそれが事実だ」
「それは、私が…、」

何も出来ないから、できることを探しただけだ。
自分の弱さを口にするのが躊躇われて言葉に詰まる。
***のその様子に銀時は少しだけ眉根を寄せた。

「じゃあさ、何でお前は立ったの」
「……っ、それは」

銀ちゃんが、頼むって言ってくれたから。
こんな私を頼ってくれたから。
でもそれに応えられたのだろうか。こんなにも弱くて、銀ちゃんの言葉に応えることもできない私が。
そう思うと顔が見られなくて、体が強ばった。
それに気がついたかのように銀時の腕を掴んでくる手とは反対の手が宥めるかのように頬に触れてくる。

「どうして立った?」

催促をしてくる声に、それでも優しく問いかけるような声色に震える唇を開いた。

「あなたが、頼むって言ってくれたから。……あなたが、私に頼むって」

銀時は一瞬目を見張る。少し後に顔を下げ、額に手をやった。
***は立っていて銀時の表情が見えない。

「でも…ね…、ごめんなさい。わたしは、あなたが倒れた時なにも出来なかった」

なんの助けにもなれなかった。

「…ほんとうに、なにも?お前さっき自分で言ったじゃん」

銀時は顔を上げた。

「お前を信じさせてくれた。頼らせてくれた。それだけじゃダメか」

今度は***が目を見張る番だった。
銀時の目が、真っ直ぐに射抜いてくる。

「お前が晴太を守ってくれているって信じられたから俺達は間に合った。お前が晴太の母ちゃん守ってくれたから吉原に太陽は昇った。お前は俺達に繋いでくれたよ。それにな、お前の弱ェ部分支えてくれる奴らがいるだろう。真選組のヤツらが、いねー時は俺達が」

つけっぱなしのテレビから陽気な音楽と番組司会者の声が聞こえる。
そこでかけられた言葉の意味がわかった。

張り詰めていた想いがぼろり、零れ落ちる。
銀時の触れてくる手の甲にぼたりと落ちた。

「……っ、」

それを隠すように慌てて目元を覆う。

「なあ、***…こないだはああ言ったけど、苦しいなら認めてくれなくてもいい。たださ、自分で辛くしないでくれよ」

かけられる言葉に必死に固めた鎧を丁寧に外される心地がした。
無理に強く在ろうとしなくていい。
ひとりで全部背負い込まなくていい。
嘘をつかなくていい、お前はそのままでいい。
そんな風に心に響く。

「俺はそれがいい」

掴まれた腕が離される。

「ただいまヨー!!」
「戻りました」

がらりと玄関の戸が開かれる音と一緒に聞こえる元気な2人の声に溢れた涙を慌てて拭った。

「銀ちゃん、ちゃんと寝てるアルかー?」
「神楽ちゃん、そんな大きい声出したら寝るにも寝られないよ」
「万年寝てる銀ちゃんにはいらない心配かもネ」

廊下と居間を遮る引き戸が開く。

「あ」
「え、」

神楽と新八はソファーに座る銀時と、俯いたまま背を向ける***の姿を見ると変な声を出す。

「お帰り、なんだよお前ら一緒になったのかよ」
「た…ただいま帰りました。きょ今日のお昼はパンが安かったのでサンドイッチにしようかなァーなんて」

新八が手に提げた買い物袋から食パンを出すと見せてくる。そこには3割引きなんてシールが付いていた。
そんな新八を神楽は押し退けると、

「***!ウチのバカ兄貴が変なこと言ったからって!いくらなんでもあんまりヨ!その天パだけは止めておくアル!」

とんでもないツッコミに慌てた新八の手からどさどさとパンも買い物袋も滑り落ちてしまう。

「ちょ、神楽ちゃん!!僕も気になったけど、そこはスルーする空気!!」
「何言ってるアルか新八!いいアルか?こういうことは誰かバシッと言ってくれる人がいないと、***みたいな人のいいやつはいつの間にか、ふわっと流されて戻れないところまで行き着いてしまうアル!そんなのダメヨ、お父さんは許しませんヨ!」
「アンタがお父さんかィ!せめてそこはお母さんじゃないの神楽ちゃん!」
「あーもうぎゃーぎゃーうるせェな!あんまりなのはおめーだよ神楽!やめてくんない?俺がろくでなしみたいな言い方」
「どこが違うアルか!間違ってないアル、銀ちゃんはろくでなしヨ!甲斐性もなければお金もない、足は臭いし泥酔すると玄関でゲロ吐いて寝るし」
「わかったわかった!神楽ちゃーん!やめて!改善する努力をするからそれ以上暴露大会しないで!お願い!!」
「そう言って今まで一度も改心しなかったよネ!私が必死こいて作ったピ〇チュウにゲロ吐いたよネ!***ダメヨこんなダメ男!」

ぐいと腕を引っ張られて神楽に引き寄せられる。
拭いきれてなかった涙がぽつりと落ちる。それに神楽は止まった。新八もぎょっとした顔をしたまま止まっている。

「……うそだよネ」

だがそれも一瞬。

「もう泣かされた後か、ゴルァ!」
「ぎゃァァア!暴力反対!俺、怪我人!」
「あーー!まって神楽ちゃん違う違う!ぜんぜんそんな事なにも無い!」

勢いよく銀時に掴みかかる神楽の手を掴んで引き止める。

「ちょっとね、まだ怪我が直り切ってないし、痛くてね」
「本当に本当アルか?!神威の言うこと真に受けてないアルか?!」

神楽は銀時の襟を掴んだ手を放すと***に向き合った。その目には一抹の不安が垣間見える。

「神楽ちゃん、お兄さんの言葉に神楽ちゃんが責任感じることないよ。ね、大丈夫。それにそんな大事なこと他人の一言で私は決めたりしないよ。相手がいることだし」

そう言って安心させるように笑えば、神楽はほっとひと息つくとぎゅうと抱きついてくる。

「良かったアル」
「うんうん、大丈夫」

そんな頭をぽんぽんと撫でる。

「あの、***さんはどうして万事屋に?」
「あ、そうそう。私が入院してたあいだに色々してくれたみたいだからちゃんとお礼言いたくてね。ありがとね」
「菓子貰ってんぞ」
「きゃっほーい!」

お菓子に食いついた神楽は箱の中身を見て喜んだ。


***がひとりで万事屋に来た時、お登勢に言われた言葉が銀時の頭をよぎった。
“自分がどうしたいかよく考えて行動しな。後悔しないようにね”
自分がどうしたいか。すごく悩んだ。どうするべきか。もう一度きちんと***と向き合いたい。でもあんなことをしてしまった俺の言葉はきっと***には響かない。そう思っていたのに、避けられると思っていたのに律儀にも***は万事屋に来た。
“信頼してくれてありがとう。頼りにしてくれてありがとう”
驚いた。あんな事をしたのにどうしていつも***は黙って許すように笑うのか。いつもうちに隠してそっと泣く。そうさせてしまったのは他でもない俺だ。
なのに、立った理由は俺にあると言った。きっと***なら俺の言葉がなくても立ったはずだ。だけど、その言葉が堪らなく心の内を揺さぶった。俺の事を信頼してくれていないと出てこない言葉だから。
逃げたっていいのに。俺が***と向き合うことから逃げたように、***だって俺から逃げたっていのに。俺との事つらいなら全部投げ捨てて忘れて新しい事で頭をいっぱいしてもいいのに。なのに、そうしないでいてくれる、***の強さと優しさが沁みた。
だから俺がそばで見ていないと、その信頼に返せるだけの事をしなければと思った。

お昼にお呼ばれした***はサンドイッチを作っては美味しそうに食べた。
そこには先程までの、どうしようもなく弱い己に対する怒りは感じられなくて銀時はほっと息を吐く。
“弱くてごめんね、何も出来なくてごめんね”と言われた時の表情が、過去の***そのものに見えた。己が無力だと、必要とされていないと勘違いをしていた時のあの表情に。
だからあの時言えずにいた言葉を今度は伝えたかった。

俺にとっての***に対する想いは、あの頃から変わらない。
***には笑っていて欲しい。
泣きたい時は思いっきり泣いて欲しい。
ただそれが俺の腕の中であるか、ないかは、もうどちらでもいい。どうしようもなく俺の事を認めることが苦しいのであればそれはそれで仕方ないことだと思った。


「お前仕事いつから?」

お昼を食べて少しゆったりしてから***を家に送り届けていた。
万事屋に来た時よりも幾分かこわばりが解けたその表情に、それでいて俺の事を認められないことに少しだけ申し訳なさそうなその横顔に声をかける。

「明日から。外回りの仕事は怪我が治るまでダメって言われてるけど」
「そう。ババアがさ、お前来んの待ってると思うから、時々でもいいから顔見せてやれよ」

銀時の言葉に揺れる視線。
あ、まずったと思うも遅かった。
きゅうと口は引き結ばれて眉が寄せられる。

「なに律儀にもう来れないとか思い込んでんの。俺はいいよ」
「私はこわい。坂田さんは弱くてもいいって言うけど、私は弱いのがやっぱりいや。大切な人に自分のことを背負わせるのはいや」

過去に俺のした事がこいつにもどかしい感情を抱かせている。そう思うと自分のしてきた事がとても悔やまれる。

「じゃあお前はどうしたい」

ただ背負う事が苦痛だなんて思ったことは無い。むしろ***は俺に、背負う人がいる温かみと大変さ、良いとこも悪いところも含めて何者にも変え難い存在ものだということを教えてくれた。

「私は、隣に立ちたいの」

隣に立ちたい。初めてだった。***の本心を言葉にされて聞くのは。
傍にいたい。10年前はそう思われているのは伝わってきていた。でもそれ以上の感情を持たれているとは思っていなかった。***は女としてだけではない、ひとりの人間として俺の傍にいて隣に立ってくれようとしている。
不謹慎にもたまらなく愛しいと思った。この小さい体で傷を負っても必死に立って前を向くその姿が。俺と一緒に在ろうとしてくれるその心が。
力無く項垂れる手をきゅっと掴む。その温かさに***は弾かれたように顔を上げた。

「お前はやっぱりそのまんまがいい」
「なんで、そういうこと言うの?」
「悪い方に受け取んな。お前の悪い癖」

充分すぎるくらいに、俺を満たす。

「夜兎族3人相手に駆け引きする女が弱いとか思ってんなら頭おかしいぞお前」
「それは運が良かっただけ、鳳仙は」
「俺がつくまで持っただけでも充分だろうが。そもそも、俺も袋叩きにしたようなもんだし、太陽がなかったらヤバかった。なぁ、だから自分が弱いって感じる時は周り見てみ。お前を背負うためじゃない、お前が晴太にしたように、その手を取って支えてくれるから」

握った手を***の目線まで上げる。

「俺も、そうするから」

俺もお前の隣に立ちたい。
弱くてもいい、怖くて認められなくてもいい。
今度こそ、

「俺がいるから」

過去とは違う形で***を、存在だけではない、その心ごと守りたいと思った。

「今はいいよ、何言ってんだって思ってくれて。でもな、お前が笑えるようになったら思い出してくんね?俺がいる事」

寄せられた眉が、引き結ばれていた口元が、重ねる言葉に解かれるように緩む。
***は困ったように笑うと、握った手が優しく握り返された。


とても優しく響く。銀時の声は、言葉は直ぐには理解できなかった。でも、「俺も、そうするから」そう言われて握られた手の意味がふわりと分かる。
俺も傍にいたい。俺もお前の隣に立ちたい。そう込められている気がした。
追いかけられて問い詰められた時の恐怖も、自分の勝手な思い込みかもしれないなんていう気持ちも、今はなかった。言葉を探して、選んで伝えてきてくれている。
柔らかく包み込んでくれるような態度に心は温かくなって、でもやっぱり弱い自分は嫌で。***は困ったように笑ってしまう。
いつか、名前を呼んであなたの隣で笑えたらいい。ミツバさんと晴太くんとの約束を守れたらいい。
そう思って、銀時の手を握り返した。


「あの、さ」

家の前まで来るとすごく言いにくそうに口ごもる銀時に***は玄関の鍵を開ける手が止まる。

「あ、お茶、飲んでく?」

そんなふうに笑って返せば大きな溜め息をつかれる。

「っ、だーかーらー!おめーバカなの?」

迫った大きな体に思わず後ずさる。
とん、と指が胸元を叩く。

「食われてェ?こないだの続きしてもいい?」

指が胸元の襟に引っ掛けられて、くいと軽く数度引かれた。

「……するの、?」
「するかっ!お前そういうの良くないよ!期待持たせるような言い方!気がついたらなんか奥までずっぽしハメられてたとかいうやつだかんな!」

ああ、懐かしい。銀ちゃんが私を怒ってる。
そう思うと笑ってしまっていた。

「何笑ってんの」
「いや、坂田さんって本当に煩悩で生きてるなって。別にね、怒ってないよ」

弱い自分を引きずり出される感覚が怖かっただけ。触れられること自体は嫌じゃない。ただそこに気持ちがあるのかないのか。定かでは無いのが不安なだけ。
銀時の目が不機嫌そうに細められる。

「お前さ、ほんと俺が調子に乗るようなことばっかし言わないで貰えます。そう言うなら遠慮しねーよ、いい?」
「お、お手柔らかに?」
「柔いもなにもねーよ、認める認めないはお前の好きにしていい。でも俺が待つかどうかは別の話な」

え、なんて言った?
そう思っている間に後ろ頭と着物の襟に銀時の手が伸びると引き寄せられて襟がずり下げられる。ぐっと何かが襟の隙間から胸元に押し込まれた。

「ちょっと…!」

それを確認する余裕がなかった。ふわふわの髪の毛が顔に当たる。首筋を温かい口唇が触れた後ちりっとした痛みが走る。

「…っ、」

痛みのあった場所を舐められると直ぐに離された。
目の前の顔が食事後のように満足そうにぺろりと舌を出して唇を舐めた。思わず銀時の触れたところを手で覆う。こないだと同じことをされたのに、今は頭を過ぎる過去も不安もなかった。たくさん言葉を重ねてくれたから。

「少しは抵抗してくんね?ほんとに良いって思っちまうよ。あと痣なんてねーから安心しろ。じゃーな」

何事も無かったかのように銀時はくるりと背を向けると手を振って去っていった。
しばらくその場を動けなかったが、その背中が見えなくなると家の鍵を開けて神楽によって散らかされた部屋を見ることも無く洗面所に駆け込む。鏡を前に首を押さえていた手をそっと外せば赤く鬱血した痕。
顔に熱が集中してくる。鏡に映る自分があまりにも赤くて見ていられなくて手で覆った。でもつい怖々と指の隙間から見てしまい、やっぱり赤い痕に堪らなくなって座り込んでしまう。
10日ほど前に同じように銀時の唇が触れた項部分にそっと手を伸ばす。自分では見ることは出来ない場所だが、きっと同じようなものなのだろう。
痣があると思い込んでいたのに、それはもう消えようとしているはず。
ばくばくと鳴る心臓に手を伸ばす。胸元がもこりと膨らんでいることに気がついた。そういえば何かを着物の襟に押し込まれた。見れば白いハンカチみたいなもの。引っ張りだせはそれが真選組の制服のスカーフだと分かる。
返した方…、すごい雑。と思うも拾ってくれていたことに感謝した。
神楽の散らした部屋を何とかしなければと思うも、しばらくこの場所から動けそうになかった。




♭23/10/10(火)

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