第一訓



 
 
 
 遠くから爆発音が響く。
 続いて聞こえてくるのは人々の怒号。周りで男達が部隊がああだの、負傷者がこうだのと、騒ぎ立てている。
 山の麓にあった地元では名のある寺は今や夜戦病院と言わんばかりに負傷した男どもで溢れていた。
 建物全体を覆うようなピリピリとした殺気が肌を突き刺しているような感覚に陥り、思わず顔を顰めた。
 
 世は戦の最中だった。
 攘夷戦争。それはかつて幕府、天人、侍、それぞれがそれぞれの思惑と信念の為に戦った、この国の命運を賭けた戦い。
 
 一室からそれを見上げる自身も一人の【侍】として己の信念の為に戦っていた。そのはずだった。
 戦場で部隊の指揮を取っていたのに、いつの間にか負傷者の手当て役に回されていた。手当てをする仲間には「これだから女は」「その腰の物は飾りか」などと陰口を言われているのにはとっくの昔に気付いていた。
 チクチクチクチク。
 心を針で突かれるような感覚。常に襲う感覚だが、彼女は耐えられた。大切な仲間がいたから。
 でも、痛いなぁ。
 
 
 そんな日々を続けていたある日。
 空は未だ晴れないこの国の未来を映すような曇天が広がっていた。
「なァ」
 負傷者の手当てに一区切りがついたので、空き部屋の隅で休息を取っていると外から声を掛けられた。
 縁側にはいつの間にそこへいたのだろうか。銀髪の侍が縁側に腰掛けていた。
 彼の帰還に安堵しながらも、戦況の確認の為に彼に近づく。
「……もう、お前は戦に出んな」
 今なんと言ったのだろうか。思わず歩みが止まる。
 侍が此方に振り向いて言った言葉に思わず思考が停止する。
「……」
「もう、いいから」
 無言に耐えられなかったのか、男は念を押しながら言うと、此方の返答を聞く事なくのっそりと疲弊している身体を持ち上げ、寺の入り口へと歩き出す。

 私は負傷しているわけではない。
 刀だって折れているわけではない。
 寧ろ目の前の男の方が、戦装束はボロボロ、自身のものか敵のものか分からぬ血に塗れていた。
「ここでお別れだ。じゃあな」
 別れの言葉を告げた男は、音の鳴る方へと駆け出す。他の仲間がまだ戦っている。夜叉として、彼はあの地獄の中へと戻って行くのだろう。

「待って!!」
 
 咄嗟に手を伸ばす。
 私はまだ戦える。戦えるんだ。
 これまでだって一緒に戦っていたじゃないか。
 どうして置いて行くの。
 約束したじゃないか。
 私がーー
 
 
 
 
 
 カンカンカンカン!
 直後、耳をつん裂くようなアラート音が彼女の意識を現実に引き戻した。
 
 
 目が覚めた場所は真選組屯所内にある一室。
 手書きで書かれた『執務室』の札が貼られている部屋だ。
 中は和室で、他の隊室と造りは同じだが部屋に置かれたゲーミングデスクとチェア、その机上には三枚のモニターが並んでおり、部屋の隅にはモニターに繋がれた大きなパソコン本体が一際異質な存在感を放っていた。部屋の主はそんな瑣末なことなど全く気にしていないのだが。

『参謀、三河参謀?応答願います』
「……すまん。反応が遅れた。報告を頼む」
 部屋の主は気持ちを切り替えるとすぐさまモニターの操作に移る。
『こちら五番隊、大通りの喫茶店にて桂を発見しました!本日から発売の新作デザートを食べている模様!』
 即座にモニターでパトカーに付けているGPSを確認しながら現場と近隣の状況を確認する。
「ん、連絡ご苦労。近隣をパトロールしている隊員を応援に向かわせる。……佐藤と田中のパトは大通り方面へ向かってくれ」
 いつものようにキーボードを操作して、発見箇所と今日の見回り担当の一覧を確認しながら指示を出しているのは真選組参謀の三河清音。
 真選組結成時からのメンバーである彼女は、一番隊隊長である沖田総悟の昼寝スポットであった空き部屋を参謀の執務室として掌握した後、面倒な見回りを回避すべく日々、この部屋で事件や見回りの管理を行なっている。
 
『桂を発見!追いかけます』
「町に被害は出すなよ」
『了解!』
 モニターで指示を送った者達が揃って北へと移動を始める。その先に別のパトカーが停車していたのに気付き、手短に用件を伝える。
「副長、一分後に目の前を桂が通過するので指揮お願いします」
『は?!待て、いきなりな』
「各隊、以降の指揮は副長に従うように。以上」
 
 あとは副長達がなんとかしてくれるだろう。
 通信を切ると脱力するようにゲーミングチェアに背を預けた。
 
「……嫌な気分だ」
 先程まで見ていた夢が、当時の記憶を鮮明に脳裏に焼き付けていく。
 
 理由も何も語ることなく私を置いて行った男。
 何がいけなかったんだろう。
 前線に立てなくなったのにもきっと何が理由があったのだろう。
 未だに見つけられない理由に悩まされる事も度々あった。
 それなのに私は、流れ流れて再び大勢の仲間に囲まれて日々を送っている。
 またあの時のように、突き放される怖さを抱えながら。
 
 私はまだ、戦える。
 己の力を証明し続ける為に。

 


 それから数週間。
 まるで夢を皮切りにしたかの様に屯所内では銀髪の侍の噂が蔓延っていた。
「なぁ、聞いたか?」
「局長を負かした銀髪の侍を副長が見つけて殺りあったらしい」
「沖田隊長が次は自分の番だとウキウキしてるらしいぜ」
「そりゃかなりの腕があるって事か。だが、浪士手配書にそんなヤツいたか?」
「しかもこの前の幽霊騒ぎの時に霊媒師のフリして屯所に来ていたらしいぞ」
「俺あの時寝込んでたからなぁ。一体何者なんだ……?」
 近藤が惚れたキャバ嬢を賭けて件の侍と行った決闘以来、屯所中何処にいても聞こえてくる銀髪の侍の噂。しかしその素性を知るものは誰もいなかった。
 銀髪の侍。
 幽霊騒ぎの際は、寝込む隊士達の穴埋めに駆け回っていた為、直接会うことはなかった。だが、清音には一人だけ心当たりがあった。
 しかし攘夷戦争から十年も経っている。かつての仲間が偶然同じ街に住まう事などあるのだろうか?
「……」
「どーしたんですかィ?眉間に皺寄ってますぜ」
 食堂で隣の席に座っていた沖田総悟が顔を覗き込んでくる。箸が止まっていた事を不思議がっているのかと思えば、ニヤリと意地悪い笑みを浮かべる沖田。清音は首を横へ振ると不快感を示すように一層眉間に皺を寄せる。
「参謀殿は例の侍のことが気になるようで」
「別に」
「姐さんも銀髪の侍と一発どうですかィ?」
「その表現はやめなさい沖田隊長。それに私は暫く屯所から出る予定はありませんので」
 セクハラとも取れる表現を指摘すると沖田は目を丸くした。何に驚いたというのだろうか。
「あら、聞いてないんですかィ?今晩、松平のとっつぁんが近藤さん達を夜の街に連れ回すって聞きましたが。勿論姐さんも含まれてまさァ」
「チッ……」
「姐さんも舌打ちはどうかと思いますぜ」
 驚くよりも先にスケベ親父に振り回される未来に対して苛立ってしまう。
 どうにか回避する方法を絞り出そうとするが、タイミングを狙ったかのように真選組局長である近藤勲が清音を探しに食堂へ入ってきた。
「ほら、お呼びが掛かりやしたぜ」
 沖田の言葉に清音はガックリと肩を落とすのであった。
 
 
 その日の夜。
 かぶき町はカラフルなネオンで光り輝く夜の街へと姿を変えていた。
 近藤、土方、清音の三人は松平が待つスナックすまいるへと見回りがてら向かっていた。
「キャバクラ遊びになんで私が呼ばれるんですか」
「とっつぁんのご指名だ。仕方ねえだろ」
「指名するなら私ではなく、キャバ嬢にして貰えませんか」
 土方の回答に正論で返す清音。しかし、あの上司にそんな言葉は通じないと無言で首を横に振られた。納得がいかない。
「まぁまぁ!清音もここ最近屯所に篭りきりだったし、気分転換を兼ねて今夜は飲もう!な?」
 近藤は出不精な清音が心配で、時たまこのように清音を連れ出すことがあった。部下を心配して松平に入れ知恵したのもきっと近藤だろう。ただ、連れ出すにしても他にもっとマシな用があったのではないだろうか。
 変に不器用な上司の優しさに渋々了承するしかなかった。
「……分かりましたよ」
「良かったらお妙さんにさりげなく欲しいものを聞いて欲しいなんつって!」
 ……先程の一文を訂正したい。ストーカーしている女性に近づく為に部下をダシにするゴリラであった。
「あっ!お妙さーーーーん!」
 そうこうしているうちに目的地へと着いたらしい。ゴリラは店の前で客を見送っているキャバ嬢、『お妙さん』こと志村妙の姿を見つけるや否や嬉しそうにスキップで駆け寄っていく。。
「お店の前で会えるなんてなんて幸運……」
 何かに気づいた近藤は怪訝な面持ちで突然立ち止まる。
 その様子に土方と清音もお妙がいる前方へと視線を向ける。突如近藤は大声をあげた。
「あぁ、お前は!」
「ん?」
 彼女が見送っていた客はなんと渦中の銀髪の侍であった。
 土方は目を丸くし、清音は体が強張る。
 侍が近藤の声につられてこちらを見る。
 不運な事に目が遭ったのは近藤でも土方でもなく、清音であった。
 刹那の邂逅。
 互いが互いを認識するにはそれで十分だった。
「ぎ、」
「てめぇはあの時の侍!」
 清音を言葉を遮ぎる土方の怒号。しかし銀髪の侍は土方を一瞥する事なく清音から視線を外さなかった。

 男がゆっくりと近づいてくる。
 ふわふわと揺れる銀髪の天然パーマ。
 先程迄の気怠そうな表情。
 此方を射抜くような赤い瞳、どれも昔から何一つ変わりない。
 その様子に清音は嬉しくもあり、複雑でもあった。
 彼の名は坂田銀時。
 三河清音にとって嘗ての仲間、同じ村塾へ通っていた幼馴染であり、攘夷戦争の最中、彼女を突き放した張本人でもあった。
 
「お前、清音か……?」

 低い声音とあの夢とが混ざり合う。ビクリと肩を震わせた清音は咄嗟に目を逸らしてしまう。
「おい、……んだよ大串くん」
「うちのモンに何の用だ。つか俺は大串じゃねえ」
 清音に更に一歩踏みよろうとする銀時の前に土方が歩み出る。
「お前には関係ねえ話だ。ソコどいてくんない?」
「断る」
「ンだとコラ」
 土方と銀時がメンチを切っているのをちょうどいい事に、清音は横からこっそり近藤に手招きをして呼び寄せる。
「局長、申し訳ありませんが体調が優れないので屯所へ戻ります。松平公には宜しくお伝えください。すみません」
「ちょ、清音っ?!」
 早口で要件を伝えると屯所へ向かって全力疾走で走りだす。
「待て、清……」
 逃げ出した清音に気付き、銀時も後を追おうとするが、首根っこを土方に掴まれ、反動で後ろへよろける。
「何すんだよ!」
「それはこっちの台詞だ。しょっ引かれたくなけりゃ大人しくして貰おうか」
 手錠をチラつかせると銀時は舌打ちをしながらも、渋々追走を諦める。
 近藤は初めて見た参謀の動揺する姿に呆然とするしかなった。
 
 
「……っ。はぁ、はぁっ……」
 清音は屯所前まで一休みする事なく只々走り続けた。がむしゃらに走ってきたので肺がとても息苦しい。
 
 なんで?
 
 どうして?
 
 疑問符が脳内を埋め尽くす。その次に浮かんだのは恐怖だった。
 あの時の銀時の声音があの時とまんま同じで。また同じ事を言われるのではないか、そう思った時には既に近藤を呼んでいた。
 あの二人が足止めしている事を切に願いながら屯所の門に駆け込む。
 
 息を整えながら中へ入ると,幸いな事に玄関付近に人はいなかった。このまま誰とも会う事なく自室に迎えますように。
 そう簡単にはいかないのが人生である。
「あれ、姐さん」
 今一番会いたくない人物にどうして合わせるんですか神様。
 これがフラグというものなのでしょうか。
 山崎辺りなら適当にはぐらかす事も出来たろうに。
「おかえりですかィ。近藤さん達は?」
「……松平公の、お相手をしている。すまん、今は、一人にしてほしい」
 これ以上誰かの相手をしている余裕など、今の清音に持ち得なかった。目も合わせず去っていく上司に沖田は興味が失せたようで何食わぬ顔で夜間の巡回へ出ていくのであった。
 自室に戻ると、女中が用意していた布団に崩れるように倒れ込んだ。手探りで腰にあった刀を部屋の隅へ放る。
(もう何も考えたくない)
 早く夢の世界に逃げてしまいたいと、意識を飛ばす事を祈るが、かえって更に目が冴えていく。
 結局、一睡も出来ずに翌朝を迎える事になったのだった。
 
 
 
「大丈夫か?」
「……だいじょうぶです」
「いやいや、全然大丈夫そうに見えないけど?!漢字の変換出来てないし,目の下凄いことになってるよ!?」
「本人が大丈夫っつってんなら大丈夫だろ」
「トシ!」
 翌日、副長に呼び出された清音は眼の下にくっきりと隈を作っていた。昨日の一部始終を見ていた近藤も同席しており、心配そうにしていた。対照的に土方はいつも通りの素気ない対応でタバコを蒸している。
 局長には申し訳ないが、今はそれがとても有難かった。
「昨日のヤツについて調べさせた。山崎ィ!」
「ハイィっ!」
 廊下に控えていたらしい監察方の山崎退は、声を裏返しながら副長に一晩で纏め上げたのであろう報告書を手渡した。
 
「銀髪野郎……、えーとですね。名は坂田銀時、経歴不詳。かぶき町にて万事屋を営む流れ者ってところか」
 報告書に一通り目を通すと、鋭い眼光が清音を見つめる。
「三河清音。お前さん、奴と面識があるな」
「え?!」
 尋問じみた質疑が始まり、昨晩の出来事を知らない山崎が素っ頓狂な声を上げる。そのせいで注目を集めた山崎は土方に睨みつけられ、気まずそうに部屋の隅へと逃げる。
 対して清音はどういう形であれ、彼との関係を聞かれる覚悟はしていたので、改まって土方に返答した。
「……アイツとは幼少の頃、学び舎が同じだっただけです」
「その割には只ならぬ関係っつう感じだったがな」
「……」
 言葉が詰まる。
 間違ったことは言っていない。だが、清音自身だってどうして銀時が冷たい態度を取るのか理由がわからないのだ。こっちが原因を知りたいくらいだ。
 それにこれ以上語ってしまうと、この十年で登りつめた自身の立場も危うくなる。迂闊にぺらぺらと話すわけにはいかなかった。
「……黙秘します」
「……」
 重い沈黙が流れる。
 
 その沈黙を破ったのは一瞬、弛んでいた糸がピンと張ったように感じ取った殺気だった。
「ッ!」
 部屋の中央に座っていた清音は咄嗟に山崎のいる部屋の隅へ受け身で転がると、前方にいた土方目掛けてバズーカの弾が飛んでくる。
 爆発の衝撃で山崎はひっくり返り、清音は頭を抱えて防御体勢をとる。
 犯人は副長の座を狙うあの男だった。
「あれ、皆さん取り込み中でしたかィ」
 破壊された障子の先、庭先にバズーカを肩に担いで立っていたのは勿論、沖田総悟だった。
 山崎と清音は間一髪爆発に巻き込まれることはなかったが、土方の隣にいた近藤は見事に巻き添えとなり,煤まみれになっていた。
「すみません、近藤さんもいるとは露知らず」
「ゲホゲホッ、総悟ォォォォォ!!」
 
 土方は部屋から飛び出し、逃げ出す沖田を追いかけていく。
「トシ!総悟!ったくアイツらは……」
 態とらしく溜息を吐きつつも仲間に甘いのは局長の良いところでもあり、悪いところでもある。
 すまんな、と近藤は眉尻を下げながら笑う。
「清音も山崎も下がっていいぞ」
 
「……本当に良いんですか」
 多分、土方が清音を呼び出したのは攘夷浪士と繋がりを考えての行動だろう。それなのに上司とはいえあっさり解放していいのか。
「俺は仲間内で揉め事なんざ起こしたくねえ。それに誰だって言いたくない事の一つや二つあるだろう?だから構わないさ。……だがもし、いつか話さなければならない場面が来ればその時話してくれりゃあいい」
「本当、甘ちゃんですね局長」
「何か言ったか?」
「いいえ、何も」
 これだからこの人の周りにはいろんな人が集まってくるのだろう。清音もその中の一人に他ならない。
「それでは」と、部屋だった場所から出て行こうとした時、山崎が「あっ」と声を上げる。
「この後の見回り、副長と沖田隊長だったんですが、どうしましょう……?」
 近藤と清音はまたもや溜息をつく羽目になったのだった。
 
 
 昼のかぶき町は夜とまた違う活気を見せている。
 他の街と違うところを挙げるとすればいろんな意味でヤバそうな人達の比率が高いというくらいだ。
 そのような輩を対処する為に清音の所属する真選組があるのだから、それなりの治安であるのは仕方がない。しかし、その治安の悪さに手を貸してしまっているのも真選組である。
 先月末だって攘夷浪士の大捕物で占拠した建物をバズーカで(沖田が)破壊して所有者にブチギレられるし、数週間前の例の夢を見た日だって桂を追っている途中に逃げ込んだ喫茶店に(沖田が)バズーカを打ち込んでマスコミに叩かれる始末だ。
 アレ?よく考えたら原因全部沖田隊長じゃない?
 なんて事を考えていると例の修復途中の喫茶店が見えてきたので清音は見回りルートを変更する事にした。
 規定のルートを迂回する形にはなるが、問題ないだろう。ぶっちゃけ今あの前を通るのは気まず過ぎる。当事者ではないが、真選組の隊員というだけで白い目で見られるのは明らかだ。
 
(へぇ、この辺りは飲み屋街なんだ)
 普段から出不精な清音は見回り地域以外の立地に疎かった。
 一本道をずらすだけで初めて見る景色が多い。街を守るものとしてどうなのかと思われるだろうが、基本的に屯所から指示を出すのが仕事なので気にしない事にする。(それでもたまに副長からどやされる事もある)
 
「……あ」
 頬に何か当たった。
 それが雨粒だと気付く頃には、地面はまだら模様に変化していた。
 咄嗟に近くの屋根の下へと避難する。街をゆく人は荷物から折り畳みの傘を取り出している人もいれば、カップルがあいあい傘をしながら歩いてゆく。
 皆が事前に対策しているのに気付き、そういえば今朝は天気予報を見ていなかった気がすると今朝起きてからの事をぼんやりと思い出していた。
 その時、誰かが清音に声をかけた。最初は他の隊員が私を見つけて声をかけてきたのだと思った。そうだったら良かったのに。
「よォ」
 そう気怠そうに声をかけたのは坂田銀時であった。
 銀時は一人分スペースを空けて清音の隣に立つ。清音は昨晩の事もあり,視界の端に見える銀髪の男にどう話しかけるべきかと焦る。
 
 此方を見向きもせず、雑踏に目を向けていた銀時が独り言のように呟いた。
「ねーのか、傘」
「……忘れた」
「だったら……寄ってくか?ウチ」
「え?」
 提案に声が裏返ってしまう。
 そんな事を気にもせずに銀時は上を指差した。
「俺んち、この上」
 
 断る理由を見つけられなかった清音は、雨宿りという名目で彼の家にお邪魔することになった。
 銀時に付いて二階の家に上がらせて貰う。中は思ったより広く、玄関から真っ直ぐに続く廊下の先には事務所兼居間らしい部屋があった。
 応対用であろうソファに通される。銀時も向かい合うようにどすんとソファに腰を落とした。
 
「……」
「……」
 
 気まずい沈黙が続く。
 昨夜のことを謝るべきか、そもそも無かったことにして世間話をすべきか、悩んでいる間に会話のタイミングを失ってしまった。
 外からは強くなった雨が窓を叩く音が聞こえてくる。
 
「お前、あのチンピラ警察の一員なのか」
「チンピラじゃなくて真選組。まぁ、確かに強面の奴らが多いけど」
「お前は周りのことよく見てる奴だったし。うまく世間ともやっていけると思うんだがね」
「何が言いたいの」
 表情を変えない銀時。
 まただ。あの時みたいだ。
 続きを聞くのが,怖い。
「お前は無理して刀なんざ持たなくて良かったのにっつってんの」
 わざとらしく溜息をつく銀時に、清音が抱いた感情は苛立ちだった。
 この十年、何があったか知らない癖に。
 私を突き放したのはお前じゃないか。
 あの時と違って今回は対峙して逃げられる理由もない。
 心の奥底にヘドロのように溜まっていたものが喉へと浮き上がってくるような感覚がした。
「別に私が何をしようが銀には関係ないでしょ?」
「……だがな」
「そもそもあの時、なんで理由も言わず私を戦線から離脱させたの?あんなので私が納得してたと思った?」
「……ったく」
 わしゃわしゃと髪を掻きむしる銀時。ピリピリとした空気で彼も苛立ち始めたのが分かった。
「話す気がないなら別に良い。私だってこれからも剣を手放すつもりもないし、それにもう銀の前には極力現れない様にするから」
「は?」
 素っ頓狂な声を上げる銀時を横目に清音は立ち上がり、隣に立てかけていた刀を手に取ると玄関へと向かう。扉の外からは変わらず雨の音が響いている。
「待てよ。まだ雨止んでねーだろ、オイ」
 引き止めようと手首を掴む銀の手を思い切り振り払う。
「もういいから……。嫌いな奴無理して引き止めなくて良いって。最後に忠告だけど,局長たちと決闘だかなんだかしたようだけどこれ以上面倒事起こさないようにね。それじゃ」
「何言ってんだよお前」
 銀時が清音に手を伸ばす。

「さよな「オイ天然パーマ!良い加減溜まった家賃払いやが……」
 清音の背後でガラガラと扉が開く音がする。
 そこにいたのは鼠色の着物を着た、六十代ぐらいの女性。
 銀時の家の大家であり、下の階でスナックお登勢を営むかぶき町四天王の一人である。
 
「ありゃ、取り込み中だったようだねェ」
「そーだよババア、出直して来「いえ、用は済んでいますので」
 銀時の声を遮る。
「失礼しました」
 お登勢軽く会釈をして足早に万事屋を立ち去った。
 
「アンタさぁ」
「……うっせ」
 お登勢が銀時を見る目には哀れみが含まれていた。銀時はその場にしゃがみ込むと今日一盛大な溜息をついたのだった。
 
 
 一方、清音はというと。
 先日同様、全力ダッシュで屯所に戻ると執務室へと閉じこもっていた。
 前回と違うのは沖田隊長と遭遇しなかった事ぐらいだろうか。
(いやー、アレはないだろ私。面倒くさいメンヘラ女みたいだったじゃん)
 己の言動を思い返しては黒歴史を抉り出された中二のごとく、部屋で一人悶えていた。
「三河参謀、見回りの報告がまだと……」
 部屋の襖を開けた山崎は悶絶している清音と目が合うと、何事もなかったかのようにそっと戸を閉める。
「失礼しました俺は何も見てません!!!」
「山崎、逃げんでいい!見回りの報告は後で行くと伝えておけ!!」
 足早に逃げ去ろうとする山崎を間一髪で捕まえ、早口に伝えた。山崎は気まずそうに「わ、分かりましたぁ……」とだけ返事をすると駆け足で逃げていった。
 遠くの方で土方の怒声が聞こえる。沖田隊長かな、もしかしたら山崎かもしれない。
 クヨクヨしていたって何も変わらない。銀の事は忘れて仕事に集中してしまおう。
 喝を入れるために両の頬をペチンと叩く。
「よし!まずは見回りの報告!」
 それから一週間、清音はほぼほぼ室から出てくる事はなかった。
 
 
 




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