×××した日
本編設定。時間軸としては本編5年前くらい。『虚空の仮面』ネタが混じってますのでご注意ください。









その日、彼女の世界は変わった。


目の前が光に包まれたと思った次の瞬間、遺跡に瞬間移動した彼女はここが元の世界ではないことを悟ったのだ。目の前にいたのが、救いたいと思った人だったから。



そこで彼女は考えた。


この世界テルカ・リュミレースでは生きる術も力もない彼女だが、時間と知識ならいくらでも持ち得ていることに。



そして彼女は決意した。


【マイカ・スフェンライト】として生きていくことに。彼を救ってみせると誓った。
その為に彼女は自ら騎士への道を志願した。




彼女――マイカが現れた遺跡の碑文には古代文字でこのような記述があった。
『この場に光包まれ舞い降りた者、出会いし者の運命を変えるだろう』
アレクセイはマイカが自身の計画を成功に導く鍵になると考えたらしく、当初彼女を別邸にて保護しようとした。しかし、彼女が騎士を志願したので、少なくとも戦闘員として利用できると考えたアレクセイは、マイカを一時シュヴァーン隊へ配属。彼の【道具】であるシュヴァーンに保護観察を指示し、一般兵と混ざって基礎訓練や剣の稽古などをさせていた。


1年ほど経つと、シュヴァーンの部下であるルブランたちと時間を合わせて自主的に特訓を行うようになった。アレクセイも彼らなら問題ないだろう、と特訓に関して否定的な意見はなかった。むしろシュヴァーンと同様に時間が空いた時には顔を出して直接助言をしていたほどだ。彼女の身体能力が良かったのか、彼らの指導が良かったのか、きっとどちらもあったのだろう。入隊から2年でマイカの剣の腕は一般兵の平均より上になった。一度シュヴァーンに剣の相手を願い出たことがあったが、まだその腕はシュヴァーンにすら遠く及ばなかった。
(まだ、まだ力不足だ)
これじゃあまたあの人を失ってしまう。弾き飛ばされた己の剣を見つめながら、彼女の中には悔しさと恐怖でいっぱいだった。

シュヴァーンとの一戦を終えた翌日から、マイカは特訓の時間を増やした。ルブランたちは巡回などの任務があるため、顔を出す機会が減ったが、アレクセイの許しがない限り騎士団施設から出られない彼女にとって特に問題はなかった。その日も彼女は騎士団施設の裏手にある小さな庭で剣を振るっていた。ルブランやシュヴァーンたちがいるときは、施設中央にある中庭で訓練をしているのだが、周りにある通路は人通りも多く、1人の時は妙に周りの視線を気にしてしまって思うように特訓に集中できないのだ。たまたま見つけた庭は高い塀が側にあり、日陰で薄暗いためか普段誰も来ないらしい。来るとしたら羽を休めにやってきた小鳥ぐらいだ。マイカは誰もいないことを確認し、いつものように自主特訓を開始しようとした。

「マイカ・スフェンライトだな?」

彼女が振り向いた瞬間、強い力で口に布を当てられる。薬を吸わされていると気付いたときにはもう遅く、彼女の意識は深い闇の中に落ちたのであった。




その日、シュヴァーンは溜まっていた書類を片付けるべく、デスクワークをしていた。アレクセイの命で外に出ていることの多い彼にとって、その姿は珍しいものだった。暫くして西日が執務机に差込み始め、そろそろカーテンを締めようかと考えていたところに巡回帰りであろうルブランが部屋に入ってきた。その顔は少し焦りの表情が浮かんでいる。
「シュヴァーン隊長、マイカの姿を見てはいないですか?」
「……帰ってきてないのか?」
「いつもならば帰ってきているはずなのですが、誰も姿を見ておらんのです」
ルブランとマイカの年齢差を考えると、部下というよりは娘に近い感覚なのだろう。ルブランはとても心配そうに言った。シュヴァーンはしばらく考え込み、ルブラン含めほかの隊員にも本来の予定通りに動くように指示をした。
「もしかしたら訓練中に怪我でもしたのだろう。医務室の方を見てこよう」
「それでしたら私が……!」
「お前は巡回から帰ってきたばかりだろう。俺は今日一日種類と向き合っていたから多少なりとも体を動かしたいんだ、彼女にはルブランが心配していたと伝えておこう」
「わかりました……。では、失礼いたします」
「報告ご苦労」

カチャリと部屋の扉が閉じられる。書類を片付けたシュヴァーンは剣を手に取ると、待っているであろう主の元へと向かった。部屋の前にいた警備兵はシュヴァーンの姿を見た途端にもともときちんと正していた背筋を更に正し、敬礼をした。ご苦労、と一言声をかけ扉をノックする。暫くして入るようにとの声が聞こえた。彼の声音からして嫌な予感が的中したようだ。シュヴァーンが入ると、アレクセイは普段と変わらない様子で執務机の椅子に腰掛けていた。

「私の周りをうろちょろと嗅ぎまわっていた鼠が餌を捉えたと喜んでいるそうだ」
アレクセイの元へ足を進めると、彼が手にしていた紙を渡される。それに目を落とすと日付と時間が書かれたメモに、地面に転がされ眠っているマイカの写真が貼り付けられていた。アレクセイに視線を戻すと、その目には怒りの感情が映し出されている。

「行かれるのですか」
「向こうが私をご所望のようなのでな。お前には周りを飛び交う虫どもの始末を任せる」
淡々と指示を出し、アレクセイは自身の武器である剣を手に取る。
遺跡に突如現れた彼女の利用価値は今現在まだ何も見い出せてはいない。しかし、あの碑文の内容が真実であるならばここで彼女を失うわけにはいかない、誰にも奪われてはいけないのだ。そしてこの事実を知りうるのはここにいる2人だけである。むやみに兵を動かすことは出来なかった。それほどの非常事態であった。
(指定された時刻まで後数時間…最低限の用意ができれば良い方か)
シュヴァーンは小さく息を吐きつつ、執務室を後にした。



***

「う…、んん……?」
満月が空高く登りきった頃、マイカは意識を取り戻した。拘束もせず床に転がされていたようで、立ち上がろうとするが思うように動かない。まだ薬の効果が残っているようだ。両手を床につき、上半身を起こすことで精一杯でだった。

「ようやく目が覚めたようだな」
「!」

辺りを見回すと、部屋の入口に人が立っていた。そこでようやくマイカは時刻は夜を迎えていること、ここがどこかの1室であることを理解する。部屋に入ってきたのは白髪まじりの50代くらいの男性。来ている服を見ると評議会議員の1人だと推測できる。男はマイカが会話ができる状態まで薬の効果が薄まったことを確認すると、単刀直入に話を切り出した。
「お前はアレクセイの何の秘密を握っている?」
「…なんのことでしょうか」
「しらばっくれるな、小娘が」

どうやらこの男はアレクセイの弱みを握りたいらしい。人魔戦争後まもなく皇帝が崩御、帝国騎士団と評議会の対立が強まっているのが現状である。その為、議会での騎士団の予算が通らないなどということが度々発生し、その都度アレクセイは一部の議員の根回しすることで対処してきた。この男はアレクセイの裏の顔を暴きたいのだろう。
(シュヴァーンによるダングレスト潜入はまだだけど、そろそろ議員の不可解な死、……暗殺が始まっていてもおかしくはない)

マイカは遺跡のことに関してはアレクセイから知らされている。しかし、彼女に今ある知識はそれ以外にこの先起こるであろう出来事だけである。彼女自身が直接絡むような出来事に予測だけでは対処のしようがなかった。
(襲われた時間からして、私がいなくなってることは誰かが気づいているはず。大事になっていなければいいけど……。チッ、油断した……!)
「何をブツブツ言ってる」
「別に何も。私はただの一般兵、騎士団上層部の事など何も知り得ておりません」
嘘だけど、と心の中でこっそり付け加える。

「私も騎士団の事について少々調べさせて貰っていてね…。貴様が騎士団の入団試験のない時期に入団し、あの平民騎士の隊に配属されたことは把握している。それに彼が君のことを大切にしていることもね。…もしやアレクセイだけでなく君にも秘密があるのかね?」
評議会の人間が騎士団施設を訪れることも珍しくない。恐らく中庭で剣の指導をしている場面を目撃されたのだろう。気味の悪い笑みを浮かべながら男は続ける。
「万が一反撃でもされてはかなわないと傭兵を雇って潜らせたが魔導器を持っていないようで安心したよ。術を使われると厄介だからな」
ゆっくりを右手も持ち上げる。手にはマイカの剣が握られていた。男はマイカの喉元に剣先を突きつけた。
「私にも団長閣下にも秘密などある訳がないでしょう。兎に角それ、返して」
「まだ薬のせいでろくに体も動かせないくせに、ここで貴様を殺すことも容易い。秘密を打ち明けるならば無傷で逃がしてやるぞ?」
大抵、このようなことを言う輩は逃すと称して殺すのがオチだ。

「何も知らないし、それに団長閣下が私一人を大切にしているなど」
「きっとヤツなら君を取り返しにここへ来るだろうなぁ?」
「は…?」
「君を攫った際に騎士団長あてに招待状を出していてね。ここがその会場というわけだ」
「?!」
「しかしこのような事で隊を動かすようなことはしないだろう。下手をすれば一般の兵にまで裏の顔がバレてしまうからな。かと言って貴様を見捨てることもないだろう。あの男は必ずここへ訪れる、至るところに傭兵が隠れているこの屋敷にな!私の計算は完璧だ!!!」
いつからこの計画を練っていたのかは定かではないが、余程自信があるのか高笑いを浮かべている。

マイカは内心焦っていた。アレクセイが単身で乗り込むような真似はしないとも言い切れなかったからだ。彼は騎士団本部で発動した術式の中に閉じ込められた若い騎士たちを助けようと、爆弾と化した術式内に踏み入ろうとする人間だ。もしかすると本当に――

マイカはこれ以上ここにいてはいけないと、逃げ出すべく膝を立てようとした。先程よりは身体も自由が利くようになっているようだ。
「そう簡単に逃げられるとでも?」
「がッ……!!」
しかし、すぐに男に気づかれ思い切り蹴飛ばされる。再び地面に伏せるような体勢となってしまった。それだけならば良かったのだが男はマイカのすぐ側まで歩いてきたかと思うと、左腕を踏みつけ立ち上がれないようにした。
「ッ……!」
「最後にもう一度チャンスをあげようじゃないか。どうだ、ヤツの秘密を喋る気になったか?」
「……」
マイカは無言を貫く。

「そうか。ならば仕方ない」
「ああああああああッッ!!!!!」
男は低い声でボソリと呟くと、押さえつけている左腕の手の甲に思い切り剣を突き刺した。マイカは激痛で今までの人生の中で上げたことのないような声を上げる。赤く染まった手が痛い、熱い。彼女の血は手だけでなく、床にもじわじわと広がっていく。男は剣が床に刺さりきっていることを確認すると、マイカから足を離す。彼女は右手で左手首を強く握り締め、痛みに耐えていた。
「ぐっ……、ぁ、あぁっ!」
「いい気味だ!女のくせに騎士などと…!」




「――何をしているのですかな?レゲド議員」

「な、馬鹿な?!」
レゲドと呼ばれた男が部屋の入り口の方へ振り返ると、そこにはアレクセイが剣を片手に立っていた。男の背後にマイカがうずくまっている姿が見え、声を掛けようとするが。彼女の状況を見たアレクセイは一瞬言葉を詰まらせる。
「……どうしてそのようなことになっているのか、御説明いただけますかな?」
その声には明らかに先程とは違う覇気が宿っていた。

(アレクセイ様、本当に来たんだ…)
一方マイカは未だ痛みに耐えるのに必死でろくに声も出せない状態だったが、先程の空気を震わす声に漸くアレクセイが来たことを理解した。レゲドは音もなく現れたアレクセイに心底驚いているようだ。

「どうしてお前がここにいるんだ!」
「貴方が私をここに呼んだのでしょう」
「屋敷内に、外にいた傭兵どもはどうした!!」
「さぁ?私にはなんとも。ですが、ごろごろと床に寝転がっている輩は見かけましたよ」
「お前の部下がやったのだろう!」
「1人で来るように指定したのは貴方でしょう?このとおり、私は1人でここに参りました」
「くっ…!」
自分の計画が崩されたことにかなりイラついているようだ。苦虫を噛み潰したような表情で尚もレゲドはアレクセイに対抗しようとする。
「し、しかしだ!お前はこのただの女兵士の為に1人でやってきた!それはこの女に利用価値があるからじゃないのか?!!」
「勿論」
「やはり「帝国の未来を紡ぐ優秀な人材の1人だ。このようなくだらないお遊びで失う訳にはいかないでしょう」
「お遊びだと?!」
「えぇ、ですがそろそろその遊びも終わりに致しましょう」
その言葉にマイカはハッと顔を上げる。、アレクセイはマイカと一度目を合わせると静かに剣を構えた。

殺す気だ。マイカにも分かったのだ、対峙しているレゲドにもそれは伝わっているだろう。レゲドは己が死の間際にいる事に感づいたのか、急に声を高くしてアレクセイを説得しようとした。
「騎士団長殿!次の議会の予算案、私も賛成派として尽くそうじゃありませんか!」
「貴方の代わりになるものはいくらでもいる」
「ま、待ってくれ……!」

(駄目。あの人に殺させてはいけない!)
気づいたときには体が動いていた。左手首を離した右手が突き刺さっている剣の柄を掴む。
「んぐっ!」
一瞬、体中を駆け巡るような激痛が襲う。それにも構わずマイカは立ち上がると、レゲドの背中に向かって間合いを詰める。そして――


「がはっ……!」
「?!」

その行動に流石にアレクセイも驚いたらしい。心臓を一突きしたマイカは剣を引き抜くと、レゲドは糸が切れたマリオネットのようにドサリと床に転げた。男が絶命したことを確認すると、マイカはアレクセイの元に歩み寄る。しかし、安堵と失血による貧血で膝から崩れ落ちそうになり、咄嗟にアレクセイが彼女の身体を支えた。
「マイカ!」
「アレ、…セイ、さま」
「意識はあるな?」
「…には…い」
「何?」
「貴方が、手を汚す必要はありません……」
途切れそうになる意識中で、マイカは必死に言葉を伝えようと口を動かす。アレクセイは持っていたハンカチでマイカの左手を止血しながら一字一句聞き逃さないように耳を傾ける。
「……私、お役に立てるよう、もっと頑張りますから、だから」
「あぁ」

「閣下、ご無事ですか」
「シュヴァーンか」
その時廊下からシュヴァーンが現れた。先程のアレクセイとレゲドの会話を聞く限り、雇われていた傭兵を一掃したのは別働隊として動いていたシュヴァーンなのだろう。
「私は無事だが、彼女が怪我を負っている。シュヴァーン、後の始末を任せた」
「お望みのままに」
「アレクセイさま…」
「お前は休んでいろ」
「は、い…」
アレクセイはマイカを横抱きにすると、そのまま夜の闇に紛れるように屋敷を出て行った。




翌日、騎士団長専用の仮眠室で目を覚ましたマイカはアレクセイに看病を任されていたクロームからその場に治癒術の使用者がいなかったことから治療が遅れ、手に傷痕が残ってしまったことを告げられた。そのようなことは今のマイカにとって大した問題ではなかった。むしろこの傷は自分に対する罰の1つだと思っていた。それよりも。
(あの後、一体どうなったのだろうか……)



彼女は後日知る事になるが、あの晩、貴族街のとある屋敷が全焼したらしい。
出火元は屋敷の主の部屋からで、屋敷の住人の他に複数人の焼死体が発見されたそうだ。しかし、死体の身元も出火原因も不明であることから迷宮入りしたそうだ。







『はじめて人を殺した日』

2017/11/27


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