小説 | ナノ


▼ 狗巻くんと青春の1ページ(呪術)




東京在住、それだけ言えば聞こえはいいが、わたしが住んでいるここは東京の中でも辺鄙を極める場所だった。回覧板を回すのに15分は歩くし、電車は1時間に一本2両編成が来るだけ。遅刻しても多少電車が待っててくれるのは、田舎である証拠らしい。
せめて高校だけはおしゃれなところに通いたくて、わたしは渋谷にある制服のおしゃれな女子高を受験した。
黒が基調の可愛いセーラー服は、膝丈のスカートに白いソックス、茶色のローファーがベストマッチだった。わざわざ髪も伸ばして、ハーフアップは赤いリボンのバレッタで留める。ぱっつん前髪とちょっとだけ出した後毛で、もうテンションは爆上がりだった。どこからどう見ても可愛い高校生だ。

しかし、入学して数ヶ月、早々にそれは意味がないことをわたしは身を以て知った。だって、そもそもが限界集落、いくらわたしが可愛い格好をしたところで、褒めてくれるのは運がよければすれ違うお年寄りたちだ。あとは近所のネコ。電車だってがらんとして、わざわざ平日の早朝に乗り合わせる人はいない。毎日車両は貸切状態だった。
渋谷を歩いて声を掛けられることはあったが、自分が田舎者すぎて、口を開いた瞬間浮いているのが分かるのだ。そしてそもそも、自分はチャラついた人が苦手らしい。頑張って作り上げた"かわいい"は、誰にも消費されることなく、まさしく自己満足になってしまったのだった。

そんな状況でも、自棄になって可愛いを演出しつづけていたわたしは2年生になった。17歳。1番ブランドがある時期だ。ど田舎だけど。
今日も、運転がやや荒い朝の電車に揺られて、読みかけの本を開く。あまりにも電車の時間が長いので、スマホを弄っているとすぐに電源が切れてしまうのだ。
ーー電車が、わたしの最寄りの二つ隣の駅に止まる。ぷしゅ、とドアが開く音がした。珍しい、田舎の電車は、乗る人がボタンを押さないと開かないのだ。誰かが乗ってくるなんてーーわたしは顔を上げた。

……男の子だ。学ランを着た、同い年くらいの男の子。ぼうっと顔を見てしまう。……かっこいい。
髪の毛は色素が薄くて、ちょっとマッシュっぽい。ちょっとだけ眠そうな目は大きくて、チャックが上まで上げられているから口元は見えないけど、それでもとてもかっこいい人だ。
じっと見ていたら、ばちりと目が合ってしまった。苦し紛れに笑ってみせて、慌てて視線を下げる。男の子は、私の向かい側に腰をかけた。
……どこに住んでいるんだろう。見ない制服だ。この駅の近くに高校生が住んでいるなんて知らなかったけど、電車の時間を変えたってことなのかな。手元の本の活字なんて入ってこない、もう一度顔を見たくてそっと顔を上げると、その子も私を見ているのがわかって挙動不審になってしまう。そりゃそうだよね、この電車、わたししかいないし。見るものなんて広告か、外か、怪しい動きをしているわたししかない。
ーーなんだかドキドキする。自分が、こんなに単純な女なんて知らなかった。


**


その男の子は、それから毎日電車で乗り合わせるようになった。わたしたちが座る席はいつも一緒、ただ向かい合って1時間とちょっと、電車に揺られる。わたしたちの間には、わたしたちしかいない空間がゆったり流れていた。生暖かくて、ちょっぴり気恥ずかしいそれがわたしは大好きで、電車が止まればいいのにって何度も思った。向こうはそんなこと、思ってもいないだろうけれど。

その子のことを、わたしは勝手に"タカシくん"と呼んでいた。わたしが気に入っているバンドのベース担当のTAKASHIに似ていたからだ。いつか本当の名前を聞きたいなあーーでも田舎っぺのわたしには、そんな勇気なんてあるはずもなかった。

私が電車に乗って数十分後、ぷしゅと音が鳴ってドアが開く。今日もタカシくんが乗ってきて、いつもの席に座った。
ねえ、なんて、声を掛けられたら、タカシくんはそのチャックを下ろして答えてくれるのだろうか。丸い目をちょっと見開いて、それで、笑ってくれたりするのだろうか。どんな声をしているんだろう。好きなものは?……名前は?
そんなことを考えていたら、眠くなってきてしまった。文庫本を閉じてカバンに入れるのも億劫で、そのまま目を閉じる。いつもと同じく荒い運転が、そのままわたしを眠りに誘った。





……ゆっくり意識が浮上する。寝てしまっていた、モヤがかかったような思考回路のなか目を開く。膝の上に置いていた、黒いカバーの文庫本がない。首の痛みを感じながら顔を上げた。

ーータカシくん。

いつも1mとちょっと、離れて見ていた彼の姿が、どうしてだか目の前にあった。思わず声にならない音が口から漏れたような気がする。タカシくんは腰を屈めていて、ばちりと目と目が合ってしまった。彼の目は、紫と、あとなにか綺麗な色が混ざった複雑な瞳だった。それが、あ、まずい、という表情をしたものだから、わたしはなんだか気恥ずかしかった。

タカシくんは無言のまま、なにかをわたしに差し出す。それは本だった。黒いブックカバーの掛かった本。わたしのだ。

「……拾ってくれた?」

わたしの声はなんだか震えていて、低いんだか高いんだかよく分からない可愛くない声だった。タカシくんはこくりと頷く。寝ている間に、落としてしまっていたらしい。

「ありがとう」

お礼を言うと、タカシくんは緩く笑って、自分の席に戻っていく。……これはチャンスだ。これを逃したら、タカシくんがわたしに近づいてくれる機会なんてない。心臓がバクバク鳴ってたまらない。震える唇を無理やり開いた。

「ーーっ、タカシくんっ!!」

ただっぴろい車両に、わたしの声が響く。席に戻ろうとしていた彼は、わたしの顔を驚いたような、不審そうな顔で見た。そうだ。ーー名前、タカシじゃないじゃん。それを認識した途端、顔がガッと熱くなった。

タカシくんは自分の席のバッグを漁る。そして小さなメモ帳とペンを持って、さらさらと何かを書いた。わたしはもうあまりの恥ずかしさに消えてしまいたかったから、それを真っ直ぐ見ることもできなかった。

電車は激しく揺れる。それに構いもせず、タカシくんはまたわたしの近くに寄ってきた。そして、メモ帳をわたしに差し出した。

[タカシじゃないよ]

男の子にしては少しだけ丸い、でも読みやすくて綺麗な字。彼は、こんな字を書くんだ。そうしてくれたことが嬉しくて、わたしは思わず吃った。ーーあ、えっと、な、名前……タカシくんがふっと小さく笑う音がして、メモ帳がまた目の前から消えた。

[とげ]

否定の言葉の下に、それが新しく書き足されて、ペンでとんとんとそれを突く。そしてそのペン先を、今度は自分に向けた。

「……とげくん?」

どうしてわたしの声は、もっと可愛くないんだろう。こんな、電車が走る音しか聞こえない空間で、わたしの声だけが響くには、あまりにみっともない気がした。それでも、とげくんは笑ってくれたーーような気がした。口元は見えないけれど、淡い色の瞳が、わたしの言葉を肯定してくれたような、気がした。

「とげくん。……あのね、勝手に、タカシくんとか呼んでて……好きなバンドの人に似てたから」
[何のバンド?]
「えっと、ーーっていう、ちょっとマイナーなんだけど」
[おれも知ってるよ]
「えっ!ほんと?」

思わず大きな声が出て、あわてて口を塞ぐ。とげくんは頷いて、右手でOKのサインをした。かわいい。
とげくんはわたしの隣の席を指で示して、首を傾げる。座ってもいい?ということかなーーうん、と頷くと、とげくんはそこに一度座って、何か気付いた様子で向かい側の席に戻りカバンを取ってきた。

「わたし、なまえっていうの」

名前を言うと、とげくんはなにかをメモに書こうとして、そして少し止まった。やがてペン先が軽やかに動いて、ーー漢字は?と書かれたメモとペンがこちらに差し出された。少しドキドキしながらそれを受け取って、ノートに自分の名前の漢字を書く。もう少し綺麗な字を練習しておくんだった。


**


あれから、わたしは渋谷に着くまでのあいだ、とげくんと色々な話をしてーー彼とは、すっかり仲良しになった。向かい合っていた席は、今は隣。
この一週間、登校のあの電車の中で、とげくんといろいろお喋りをしてたくさん分かったことがある。
まず、とげくんは棘くんと書くらしい。狗巻棘くん。
高校2年生で、東京のはじっこにある宗教系の高校に通っている。家はこの辺りなのか、と聞いたら、しばらく悩んだ末に[学外実習]と答えた。こんな朝からど田舎に行くなんて、大変な実習だ。
棘くんは、わたしの名前を呼ぶーーいや、書くとき、わざわざ漢字で書いてくれる。画数も多いし面倒臭いだろうに、きっと彼はとても優しい人なんだなあと思った。
そして、棘くんは喋ることができないらしい。触れられなくない話かもしれないと思って、話題には出してないけれど。だから喋るのは専らわたしで、つまらないだろうに、棘くんは何度も頷きながらわたしの話を聞いてくれる。

ただ、一つ引っかかることがあるのだ。
わたしが飼っている犬の話、この前見た映画の話、学校の友だちの話ーーそんな取り止めもないことを話して、電車を降りたそのとき、毎日棘くんは決まって同じことを尋ねる。ーーなにかおかしいことはないか?と。
ないよ、と返すと、棘くんは少しだけ表情を曇らせて、ひらひらと手を振って人混みに消えていくのだった。


そして、今日も同じ電車に乗る。棘くんとおしゃべりができるから、本を持っていくことは無くなった。彼がこの電車に乗り始めてしばらく経つけど、そろそろ実習は終わりなんだろうか。さびしいなあ。

ドアのボタンを押して、今日も今日とて誰もいない電車に乗り込んだ。床板がぎしりと軋んで、あまりの古さにちょっと笑いそうになったーーそのときだった。


虫?
なんだか耳元でブーン、という音がする。耳をぽんぽん叩いて見ても、その微かな音は止まない。耳鳴り?
嫌だなあ、疲れてるのかな。そう思いながらいつもの座席に腰掛けた。今日は、何の話をしようかな。
ーーでもどうしてか、その日、棘くんは電車に乗ってこなかった。

電車の時間変えたのかな。実習が終わっちゃった?でも、昨日は何も言ってなかったし。……嫌われちゃったとかかな。
嫌な考えが頭を巡る。ぶん、ぶーん。耳鳴りもずっとわたしの頭を微かに揺らしていた。気を紛らわすためにイヤホンを付けて、あのTAKASHIのバンドの歌を流した。音量を上げたら、変な耳鳴りは気にならなくなって、わたしは音楽を流したまま眠りに落ちた。


ーー浅い眠りだ。ずっととろとろと微睡んでいるような感覚のなかで、意識が自然に浮上していく。目を開けた。電車はちょうど止まるところで、周りの景色を見回すと、そこは終点だった。よく気が付いたなあ、立ち上がって伸びをする。鞄を持って、イヤホンを外した。ーーそのとき。



……ぶーーーーーーーーーん。



**


「あれ、棘。最近朝行ってる任務はどうした?サボりかよ」
「……おかか」
「なんだよ、機嫌悪いな」
「なんか緊急の任務を優先しろって言われて、突然予定変えられたらしいぞ」
「へえ」

呪術高専。朝の9時、一年生は今日は早朝から3人揃っての任務らしく校内に姿はなかった。パンダ、真希、そして朝から一仕事を終えてきた棘の三人は、いつもよりもちょっと静かなグラウンドで、ベンチに腰掛けていた。

ーー狗巻棘に任せられた任務、それは決まった時間、決まった電車の中に出現する呪霊を祓うことだった。しかし蓋を開けてみれば、電車の中には呪霊どころか人もまともにいない。それでも、任務に託けて、朝5時45分発のあの電車に、棘は乗り続けているのだった。

「諸々条件が揃わないと駄目なパターンか?それにしたってやりようがあるだろ。毎朝無駄足だ」
「それがなあ。無駄足じゃないんだよな。な!」
「おかか!……しゃけっ!」
「どっちだよ」

呆れたような真希の言葉に、パンダはにんまりと笑う。事の当人である棘はぐぐっと眉間に皺を寄せた。

ーー狗巻棘は、朝の電車で乗り合わせる少女に、恋をしてしまっていた。

白い肌と綺麗に伸ばされた黒髪、街で見る同年代の子よりも長めのスカートから伸びる細い脚。手元に視線を落として本を読むその姿は、背後の窓から差し込む朝日も相まって、まるでひとつの絵のように思った。あんまり自分が見るものだから、時折彼女からも見つめられてしまうたびに、棘は内心ドギマギしてしょうがなかったのだった。

「めちゃ可愛いんだってよ。恋だなあ〜……」
「はあ?あ〜……、なるほどな……」
「ツナマヨ。こんぶ……」

目元を赤らめて己の指先を弄っている棘を、パンダと真希は生暖かい目で見た。なるほど、友人には春が来ているらしい。

「連絡先は交換したか?任務終わったら会えなくなっちゃうぞ」
「女はなにか貰えるのに弱いだろ。プレゼントしろ、なんか」
「分かった、ヨンドビーだ」
「ばか、それ評判悪いぞ」

飛んできたのは、的を得ているような、何となく得ていないようなアドバイス。でもそれが嬉しくて、棘はうんうんと頷いた。
……あの子は、もし自分から何かを貰ったら、喜んでくれるだろうか。気味悪がられたりしないだろうか。
この口であの子を呼ぶこともできない。声に乗せて言葉を交わすことも難しい。そんな自分でも、彼女はいつも楽しそうに笑ってくれるからーー

ちょっとだけ、期待なんかしても、いいのだろうか。


**

ーー息が荒い。心臓が今にも体から飛び出しそうだ。奥歯は凍るような音を立てて、身体は跳ねるように震えている。止まれ。止まれ!

「ーーさん。だーーうぶ?」

耳の奥でガサガサとノイズの音が鳴り響いている。今日電車に乗ったあのときから、ずっと響いている。そのおかげで、周りの音なんて聞こえやしない。顔を上げた。
国語の先生が、わたしの顔を覗き込んでいる。先生だけじゃない。先生の後ろにのしかかっている、見た事のない"なにか"も、ぎょろぎょろといくつもある目を動かして、わたしの顔を覗き込んでいる。

「だ、……だいじょうぶ、です」

バレちゃいけない。この世界の至る所にいる、この化け物たちに、おまえを認識していると伝えてはいけない。
先生は不審そうな顔をした。その背後の目玉はにたりと笑った。わたしは俯くことしかできなくて、机の木目をただ見つめた。冷や汗が、ノートの上にぽとりと垂れる。
ーーどうして、こんなことに。昨日までは、何もなかったのに。これが見えているのは、わたしだけなの?

「……、棘くん」

棘くん。棘くん。
ーーたすけて。


ぶうん。
わたしを取り巻くノイズ音が、もっと大きく膨らんだ気がした。




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