小説 | ナノ


▼ ウォロさんとわたしと知らないこと(pkmn)

・夢主=ゲーム内主人公
・クリア後ネタバレあり


緩やかな雨がわたしを濡らしていく。こんな日は、『あの時』のことを思い出した。ここに来たばかりのとある日ーーコトブキムラの端っこで、わたしはアルセウスフォンを握りしめてひとり泣いていた。この機械は、形ばっかり元の世界のことを思い出させるくせ、中身はといえば、電話もできなければメッセージのひとつも届けてくれないし、好きな音楽の一つでさえ聞くことができなかった。それが余計に現実を見せつけて、たまらない気持ちになっていた。

「何かあったんですね」

そんなとき、彼はいつも謀ったようにわたしのそばに現れる。その影を、腹の底が見えない笑顔を、わたしはいつしか待つようになっていたのだーーもう、それも、二度と訪れることはないのだろうけど。

腕にリボンを巻き付け、わたしを先導していたニンフィアが、困ったような声を出した。
先ほどまで弱いと思っていた雨は次第に勢いを増して、地面に風の道を作るほどになっている。先ほどまでいたポケモンたちも、今は影が少ない。

「風邪ひいちゃうね。どこか洞窟とか、雨を凌げるところを探そうか」

そう言うと、ニンフィアは任せろとばかりに胸を張って、先ほどよりも早足でわたしをリードしはじめた。そういえばこの子と出会ったのは、この付近であったことを思い出す。

ニンフィアのあとをついて行けば、そこには小さな洞窟があった。ニンフィアは得意げに鳴き、リボンをぐいと引っ張って身体を寄せる。艶やかな体毛もすっかり濡れてしまっていた。早く温めてあげなくては、と思い、洞窟へと入る。ーーそこに先客がいるなんて、思いも寄らずに。

「……ウォロ、さん」
「ーー、…………アナタ……」

グレーの瞳が大きく見開かれて、すぐに不愉快そうな色をありありを映し出した。その装いは、わたしがよく知る『イチョウ商会のウォロ』のものでーーあの時の戦いなど、まるでなかったかのような錯覚を覚えさせた。それでも、わたしを見るその非難めいた表情が、あの出来事は嘘ではないと教えてくれる。

「……もう会うことはないと、そう伝えておくように頼んだはずだったのですがね」
「ニンフィアが、ここに案内してくれたので……」
「それはそれは」

わたしの言い訳にもなっていない返答を、ウォロさんは対して聞いてなかったようだった。目の前の焚き火に向き直って、ぼんやりと火が揺れるのを見つめている。しばらくして、その様子をただ見ているわたしに一瞥をくれた。そんなところで突っ立ってないで、やるべきことをやったらどうですかーー。と。どうやら、火にあたってもいいということらしい。

ぱちぱち。小さな焚き火の音を聞きながら、ニンフィアは眠ってしまったようだ。わたしもある程度服が乾いてきて、ほうと息を吐く。何も言わないウォロさんにふと目をやると、切長の瞳はいつのまにか焚き火ではなくてわたしを見ていた。
遠くの雨音を聴きながら、それを見つめ返すと、やはりあの時のことを思い起こしてしまう。そう、いつもこんな日だった。こんな薄暗い洞穴ではなくて、どこかの空き家の軒下だったけれど。

「……『泣いてるんですか』?」
「はあ?」

間髪入れずに鋭い声が降ってくる。何度も言われた言葉をわたしは繰り返しただけだーーウォロさんも思い当たるところがあったようで、はあ、とわざとらしいため息を吐いた。

「ここに落ちてきた時と比べて、随分嫌味ったらしくなったものですね」
「嫌味じゃないですよ、冗談のつもりです。よくウォロさんに泣きついていたなって、懐かしく思ったので」

ーー泣いてるんですか?……何かあったんですね。

年甲斐もなく、アルセウスフォンを握りしめてさめざめと泣くわたしに対して、ウォロさんは側にいてくれた。わたしがぽろぽろ溢す本音を、ひたすらに相槌を打って、ただ微笑んでくれていたーーそんな彼に、わたしは、ああこの人の前では頑張らなくていいんだ、と本心から感じたのだ。
わたしは、『救世主』であらねばならないとそう思っていた。自分がみんなの役に立つと、怪しくないものだと証明しなければ、ここにいる価値はないと言われたから。いろんな人やポケモンと触れ合ううち、その考えは薄れてきたけど、物悲しい夜の思い出は、いつだってわたしに寂しさをつれてくる。特に、こんな雨の日には。

「……ワタクシは、救世主だなんだと持て囃されるアナタの化けの皮が剥がれていくのが、どうしようもなく面白いなあと、見ていただけなんですよ」

ウォロさんがぽつりと呟く。彼の瞳はなんだか少し揺らめいていた。それが悲しそうに見えたものだから、わたしは思わず手を伸ばす。白い頬に触れたとき、予想よりも随分高い体温が伝わってきた。それに、払いのけられるかと思ったのに、ウォロさんは小さく息を吐いただけだった。

「もしかして、熱、あるんじゃないですか」
「ーー、さあ。確認するすべもありませんので」
「もしかしてっていうか、絶対ありますよ。熱いです、なんとかしなくちゃ」

焦るわたしと対照的に、ウォロさんはゆっくりと瞬きをした。あんな別れ方をして、わたしと心穏やかに接してくれるなんておかしい。ちょっとそう思ったのだけれど、その予感は外れていなかったようだ。

まずは身体を温めなければ。そう思って腰のボールに手を伸ばす。そのとき、わたしの腕は、第三者によって掴まれ、阻止された。白くて大きな手。今は、異常な熱さを携えているその手。

「ウォロさ、」

顔に似合わず男性らしい腕が伸びてきて、そっと抱き込まれる。強い力だった。いや、高熱から脱力しているからかもしれない。全身に重みを感じながら、わたしはただ、ウォロさんからの抱擁を享受した。分厚い体に腕を回して、抱きしめかえす。わたしの短いそれでは、一周まわりきらなかった。

「…………ワタクシになにか、言うことがあるんじゃないですか」
「ーー。寒く、ないですか」
「ーー違うだろ、」

ウォロさんは一言だけ乱暴な言葉を吐いて押し黙る。ぐい、と、より一層重みがかかってきた。

彼は、わたしのことが嫌いなのだろう。そんなこと、あの場所でまざまざと見せつけられた。それでも、雨降る軒下でわたしに寄り添ってくれたあの時間が、泣き言を洩らすわたしの頭を撫でてくれたあの大きな手が、優しげに細められる薄墨の瞳がーーあの思い出の全てが、わたしを離してくれなかった。

小さな手で、広い背中を一生懸命にさする。熱い体温が、少しでもどこかへ飛んでいくように。彼の背負うものが、すこしでもわたしに伝わるように。あの日わたしに、彼が施してくれた優しさのように。

**

ーーどうしてこの人間は、こんな得体の知れない男の腕を振り払わないのだろう。

救世主だと持て囃されるこの女の、化けの皮を剥いでやる。そう思っていたのは紛れもない事実だった。この女が情けなくめそめそと涙をこぼすたび、そうだ、やはりこいつが選ばれたわけはない、と、自分の予測が事実であると証明されたような深い満足感が自分を襲った。それは、ある対象においての好奇心が満たされる感覚にも似ていた。

それでも、その隠されていたはずの思いが、自分以外の他者にも暴かれていると分かったとき。もうこの女は、涙など流さないと分かったとき。胸の奥は煮えくりかえって、笑ってしまうほど不愉快だった。それが独占欲だと気が付いたのは、別れを告げてからしばらく経ったときのことだった。

「…………ワタクシになにか、言うことがあるんじゃないですか」
「ーー。寒く、ないですか」
「ーー違うだろ」

乱れた言葉をぶつけても、女は離れるどころか、抵抗するそぶりさえみせない。本当に腹が立つ。いま、この胸を突っぱねてさえくれれば、腕を離してやる口実ができるのに。
ぱちぱちという焚き火の音が、まるで自分を笑っているようだった。素直になれないことを。いっそのこと、突き飛ばしてくれればいいと思うのに、それと同じくらい、このまま自分を受け入れてほしいと思うことを。

これも、薄汚れた独占欲のひとつに過ぎないのだろうか。きっと、そうではない。そんなものであって欲しくはないと、心のどこかが叫んでいる。

そっと目を閉じた。今はこの暖かさに、全てを任せていいと思った。例えそれが、『可哀想なウォロ』に対する、哀憐の情だったとしても。


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