小説 | ナノ


▼ フロイド先輩と喧嘩した(TWST)


(夢主=監督生)

とてつもなく気が重い。先程から幾度となく漏れ出る溜息も、なんだか重量を増して私の足元に積み重なっていくようだ。そんな状況で課題なんて進むはずもなく、わたしはとうとうペンを机に投げ出した。からんと涼しい音が鳴る。机を挟んで、向かい側で作業をしていたアズール先輩が顔を上げた。

「もう終わりですか?」
「捗らなくて。今日はもうだめですね」
「馬鹿言わないでください。ラウンジの開店はまだですよ」

今日の最終コマはクルーウェル先生の授業だった。実験がスムーズに進みご機嫌なクルーウェル先生は早く授業を切り上げ、加えて帰りのHRは短縮されたのだ。しかしながら、夕方からモストロ・ラウンジのシフトを入れていたわたしは、寮に戻るに戻れず、空き時間を有効に使おうとラウンジのバックヤードで課題に勤しんでいたわけである。なにやら書類整理をしていたアズール先輩も、快く(とは言い難いかもしれない)迎えてくれた。

「あなたたち、まだ口を聞いていないんですか」
「……先輩、知ってるんですか」
「知っているもなにも。僕はてっきり、フロイドのアレな部分は、あなたには恋の力で見えていないのかと思っていましたよ」

ちくちくと言葉が刺さる。わたしがまた溜息をつくと、アズール先輩はにんまり笑った。

わたしと、フロイド先輩がお付き合いを始めたのは、三ヶ月前のことだ。
フロイド先輩は分かりやすい。わたしに興味を持ってくれているのは伝わってきたが、かと言ってそれが恋愛的な意味の興味であるとは思いも寄らなかった。告白をされて、正直言うと彼を憎からず思っていたわたしは、驚きつつもそのままOKしてしまったのである。
ーーフロイド先輩と付き合いはじめた、それを報告した時のエースとデュースの顔と言ったら。矢継ぎ早に繰り出される質問に、わたしは全てこう答えた。"わたし、面食いなんだよね"と。

「顔から入ったのは本当ですけど、ちゃんと彼を見て、それで好きになったんですよ。でも、というかだから、というか、……気が緩んでしまって」
「なにが気に障ったんです?」
「すっごくつまらない事ですよ」

喧嘩したのはいつだったか。ああ確か、二週間前の土曜日だったような。
あの日はわたしも課題に追われていて、誰とも会わずオンボロ寮でただ作業に励んでいた。やっと終わりが見えてきた頃、無遠慮に部屋のドアが開けられたのだった。

「小エビちゃんっ、遊びに来たよ
「フロイド先輩」

ラフな私服姿で登場したフロイド先輩は、その日は大層ご機嫌なようだった。課題やってるんですよ、もう少しで終わるので座っててください、と伝えて、先輩にお茶を出そうと席を立てば、優しく肩を押されて椅子に座らせられた。

「勝手に来たのオレだから、自分で持ってくる。終わるの待っててあげんね」

どうやら、機嫌がいいどころの話ではないようだ。整った顔をふにゃりと和らげて、フロイド先輩は下の階へ自分でお茶を取りに行く。そんな態度にきゅんとしながら、できるだけ早く終わらせよう、と意気込んで、わたしはさらに課題に注力した。
ーーここまでは良かったのだ。

課題も佳境。そんな中、我慢ができなくなってきた先輩がわたしにちょっかいを掛け始めた。声をかけるに始まり、背中をつんつんと突くだけでは飽き足らず、仕舞いにはのしかかってみたり。わたしは目の前のことにしか集中できないタイプだと分かっているので、きっとその時は、先輩をとてもなおざりに扱ってしまったのだろう。しばらくして、先輩は何も言わずに離れて行った。

やっと課題が終わった。静かになったなあ、と思ってフロイド先輩がいる方を見ると、先輩はソファーに寝転がって寝息を立てている。長い脚がソファーの肘置きから大胆に飛び出していた。申し訳ないことをしたと思って、そっと近寄る。先輩、終わりましたよ、肩を軽く叩きながら声をかければ、長い睫毛で縁取られた目が気怠そうに開いた。

「先輩」
「………帰る」
「え!?」

一言呟いて、フロイド先輩は上半身を上げる。大きく伸びをして、ソファーから立ち上がってしまった。慌てて追いかけ、細い腰を掴むと、先輩がこちらをようやく見た。

「何。オレ飽きたんだけど。今日はもう帰るから」
「せ、せんぱい」
「いーから帰る。追っかけてこないで」

ぎろりと高い位置から睨まれる。迫力に押されて、わたしは言われた通り腰を離した。先輩はわたしの顔を見て、ふんと鼻を鳴らして部屋から出て行ってしまう。オンボロ寮のドアに取り付けていたベルがからん、と鳴り、先輩が帰ってしまったことをわたしに伝えた。

「子分?何してんだゾ、起きちまったんだゾ……」

隣の部屋から出てきたグリムが、目を擦りながらふよふよ近寄ってくる。わたしはわなわなと唇を震わせ、グリムの柔らかなお腹を両手で捕まえた。

「ふな!?」
「グリム、グリムどうしよう、わたし!」

ーー先輩と喧嘩しちゃった!



「いや、それは明らかにフロイドが悪いですね」

一通り話し切ると、アズール先輩は真顔でそう断言した。わたしは乾いた笑いを漏らす。

「そんなこと言っても、わたしも素直に謝ったりしてないので。おあいこかなって」
「そのうち、フロイドの方から何事もなかったかのように話しかけてきますよ。そんなものです」
「ええ、でも二週間ですよ。結構危機じゃないですか?」

そう、わたしたちは、二週間何も話してないのだ。全く持って無視していたとかそういうことではない。ただ、なぜか廊下ですれ違うこともなく、バイトのシフトが被ることもなかった。いつか話せるだろう、そう思っていたら時間はすぐ過ぎていき、あっという間に二週間という時間が経ってしまったのだ。話を切り出すには遅すぎる気さえする。

「くれぐれも、ホールで痴話喧嘩をするなんてことは無いようにしてくださいよ」

アズール先輩はそう言って、書類をファイルに閉じてからソファーから腰を上げた。もう話は終わりだということらしい。
アズール先輩の言葉から察するに、やっぱり今日はフロイド先輩とシフトが被っているのだろう。わたしはまたもう一度深いため息をついて、机に広げたままの全く捗らない課題を鞄にしまった。

**

今日のラウンジは、なんだかお客さんが少ないようだ。これ幸いとばかりに、何人かは水槽の掃除に精を出している。

そして、やっぱりフロイド先輩は今日のシフトに入っていた。今日はホール担当で、お客さんのいない客席をつまらなそうに壁にもたれながら眺めている。ぼうっと見ていたら、視線が合いそうになってしまって、ぱっと目を逸らした。

床の掃き掃除もそろそろ終わってしまう。どうしたものか、と思ってフロアを見渡していると、アズール先輩が奥から出てくる。かつかつ、革靴を鳴らしながらこちらに近寄ってきた。

「監督生さん、少し頼みたいことが」
「わたしですか?」
「ええ。人手は足りているようですし、あなたには奥に入ってこれをやっていただきたい」

ぺらりと何枚かの紙を手渡される。見てみれば、メニューの目録だ。いくつか見覚えのない品名も混ざっているが。

「メニューですか?」
「ええ。新しいものも入ったので、この際メニュー表のレイアウトを一新しようかと。特にこの辺りですが」

アズール先輩がわたしの隣に立ち、紙を指差して説明してくれる。分かりやすいそれに相槌を打ちながら、軽く先輩と打ち合わせをした。

「ご理解いただけたようですね。奥にパソコンがありますから、それで」
「分かりました」

必然的に近い距離にいたアズール先輩が離れていく。何かあるのか、水槽掃除をしている人に話しかけに行く背中を眺めてから、わたしも言われた通り奥に戻ろうと足を進めた。その時。

ーーフロアの隅に佇んでいた、フロイド先輩と目が合う。色違いの瞳。それが複雑な色を滲ませて、わたしを見ていた。ばちりと目があって、声を掛けようとしてーーすいと視線を逸らされた。

やっぱり、まだ怒っているのかな。せっかく遊びに来てくれたのに、放置してしまうなんて、フロイド先輩じゃなくても怒るのは当然だ。勝手に来たとか、約束はしてないとかそういうことは置いておいて。
今日バイトを上がったら、すぐに捕まえて謝罪をしよう。もし先輩がまだ怒っているとしても、話がしたい。

そう決めると、早く仕事を終わらせてしまおうと思えて、わたしは足早にバックヤードへ入った。



かちかちと鳴るマウスの音、キーボードを叩く音だけが静かな部屋に響いている。いつもだったらバックヤードでも、フロアの声が漏れてくるものだけど、あそこまでお客さんが少ないとやっぱり静かだ。半分くらいまで打ち終わって、ふうと息を吐いた。身体が柔らかいソファーに沈んでいく。
もう少しやってしまおう、と意気込んで、再びキーボードに指を置いた時、バックヤードのドアが開く音がした。きっとアズール先輩だろう、と思って、パソコンから顔を上げないまま言う。

「アズール先輩、もう少しで出来るんですけど、ここーー」

言葉が止まる。入ってきたその人に、ソファーの背もたれ越しに後ろから柔く抱きしめられたからだ。ふわりと嗅ぎ慣れたコロンが香る。

「……小エビちゃん」

ーーフロイド先輩だ。

「怒ってる?」

その声は、いつもよりずっと弱々しく、覇気がない。肩を通りお腹に回された腕にも力は入っていない、形だけの拘束だ。先輩の顔が首筋に寄せられる。

「オレ、もうそろそろ枯れちゃうよ」

フロイド先輩のおでこが肩に乗っけられる。怒ってませんよ、努めて穏やかに言って、お腹の前で繋がれた彼の大きな手に自分のそれを添えた。

「ごめんなさい。フロイド先輩がせっかく来てくれたのに」
「オレも、飽きたって言ったけど、そうじゃなくて。つまんなかったっていうか」
「……寂しかった?」
「…………うん」

消え入るような声に、愛おしさが募る。
一旦フロイド先輩の腕を解いて椅子から立ち上がった。なんだか不安そうな顔をしている彼を正面から見る。瞳は複雑な色に揺れていた。

「小エビちゃん、ほんとにもう怒ってない?」
「怒ってないです。フロイド先輩は?」
「怒ってないよ。……ね、」

ーーぎゅうってしていい?
自信なさげな声音が、囁くように響く。らしくないそれに我慢できず笑ってしまった。誤魔化すように両手を広げると、フロイド先輩は少しムッとした顔をしながらも遠慮なしに抱きついてくる。

「でも小エビちゃんも悪いんだかんね。せっかく待ったのに」
「そうですよね。ごめんなさい」
「そうだよ。ずーっとオレと話してないのに、アズールとはあんなくっついて喋るし、……何なの」
「アズール先輩?」

思わず聞き返すと、自身の胸と腹の境目に押し付けてきたわたしの顔をちょっと離して、不満げな顔で見下ろしてきた。
アズール先輩とは、あのメニュー表の仕事を任されたくだりのことだろう。確かに距離おもわは近かったのかもしれない。

「だめ。呼ばないで」
「ええ」
「今だけ。やっと小エビちゃん摂取してるんだから、今はオレのことだけ呼んで」

ーーとんだワガママ放題だ。
力を入れて抱き締められて、思わず声を出して笑った。
こんなワガママなことを言われても、なんだか幸せだと思ってしまうのだから、きっとわたしもどうかしている。

アズール先輩の言葉を、さっきは否定したけれどーーきっとわたしも例に漏れず、恋に盲目なのだろう。

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