小説 | ナノ


▼ 彼氏のデュースと14歳のデュースとA(TWST)


わたしと彼が友だちになってから、あっという間に一週間が過ぎた。わたしが彼の手をひいたままお茶会に突っ込んできたときは、エースもデュースもグリムも、もちろん先輩たちも目を丸くしていたけれど、何事もないように受け入れてくれて、彼自身もなんとか打ち解けることができたようだった。
初日の大喧嘩が凄まじいものだったらしく、みんなとっつきにくさを感じていたらしいが、今はもう、年下らしくたくさんの生徒に構われている。末っ子気質のエースとも気が合うようだ。

「スペ、おはよう」
「……はよ」

デュース・スペードが二人、ではだいぶ呼びにくい。そこから、ケイト先輩がスペちゃん、と呼びだして、その呼び名もあっという間に浸透した。目立つ金髪ということもあってか、昇降口で会って、教室に入るまでに、ハーツラビュルの先輩たちに何度も声をかけられていた。
それに、寮でひとりぼっちなのも可哀想だ、ということで、スペが私たちと一緒に授業を受けることを、クルーウェル先生が特別に許可をしてくれたのである。彼は、その目立つ外見とは裏腹に、ごくごく真面目に授業に日々取り組んでいた。

「よ、スペ。監督生、宿題見せてよ。オレ今日たぶん当てられるんだよ」
「オレには聞かないのかよ」
「えー、やってないだろ。スペだし」
「言ったな!」

今日も、教室に入るなりエースが絡んでくる。スペがエースとじゃれ合う様子を見ながら、わたしはもうすでに席に座っていたデュースの隣に腰掛けた。

「おはよう、デュース」
「おはよう、監督生。あいつら、今日も朝から元気だな」
「そうだね。そろそろグリムも来るよ、そしたらまたうるさくなるね」

そんな話をしていたら、さっそくドアを蹴破るような勢いでグリムが教室に入ってきた。何度起こしても起きないものだからオンボロ寮に置いてきたが、なんとか起きられたようだ。ひげに寝癖がついている。

「なまえ!お前は知ってるだろ、オレはちゃんと宿題もやってる!」
「あはは、そうだね」
「スペおまえ、宿題分からないのか?僕が教えるぞ」
「何の話を聞いてんだ!同じ脳みそなんだから意味ねえよ、オレなんだから!」
「そんなことはないぞ!僕だってここに入学してから頑張ってるんだから、教えられることのひとつやふたつーー」

結局、クルーウェル先生が教室に来るまで、このおふざけ半分のくだらないじゃれあいは続く。4人と1匹、わたしたちはずっと一緒にいた。この空間が心地よくて、そして何より、楽しかった。ずっとこの時間が続けばいいと、そう思ってしまうほどに。

「っ、う……」
「デュース?どうしたの?」
「寝不足かな。ちょっと頭痛がしただけなんだ、気にしないでくれ」


**


「なまえ、もう昼休み終わるぞ。何してんだ」
「あ、スペ。もうそんな時間?」

その日の昼休み、植物園の花壇の前でぼうっとしていたわたしに声をかけてきたのはスペだった。どうやら、お昼を食べてから、午後の実験用の薬草を取りに行ったまま帰らないわたしを心配して、探してくれていたらしい。
制服さえ学校では準備できなかったものの、スペはわたしたちとほとんど同じようなズボンとワイシャツを身に纏っている。こうして一緒にいると、本当に学友のようだった。

「何を見てたんだよ」
「何をって……えーと、花?」
「花?」

わたしがしゃがみこんで見ていた花壇を、スペも横にしゃがんでしげしげと眺める。そこにあったのは、誰かが育てているであろう、色とりどりのチューリップだった。季節外れのそれは魔法がかかっているに違いないと、ぼうっと見つめてしまっていたのである。綺麗だなあ。やっぱり、花を見ると、すっきりとした気分になるのだ。

「好きなのか、花」
「人並みにね。あ、でも、寮に飾りたいとは最近思うんだけどね。どうにも生活が困窮してるから……」
「大変なんだな、おまえも」
「スペほどじゃないよ。……たぶんね」

冗談まじりに言うと、スペも年相応の笑顔で笑った。もう五限が始まるぞ、行こう、と声をかけられて、彼の後ろをついて植物園を出る。きらきら揺れる金糸の下の瞳では、出会ったばかりのときの鋭さはなりを潜めていた。

「花、いいと思う」
「え?」
「お前に似合うんじゃないか、オレにはよく分かんねーけど」

何その大雑把な言い方。思わず笑ってしまって、駆け足で彼の背を追い抜かした。待て、と声が上がるのに笑いが抑えきれなくて、わたしたちはバカみたいに笑い合いながら昇降口へ駆け込んだ。



周りのもの、人。それらが全て、自分と違うように感じていた。いや、そうじゃない。違うのは自分だ。周りが普通で、自分が異質。
そうでなきゃ、周りの人がーー母さんが、オレのせいで泣いているはずがない。
自分がどれだけ、周りに迷惑をかけているか分かっている。しかし、それと同じくらい、足が今この場所にくっ付いたまま動かない。変わるのが怖い。どこに進んだらいいのか分からない。

そんなときーー突然、オレの生活は変わった。突然ぐにゃりと視界が歪んだと思えば、見知らぬ人間に取り囲まれていた。そこは、誰でも名前を知っているような名門校で、なんでも2年先の世界だという。そんな効果の魔法は聞いたことがなかったが、オレ自身が魔法を使えるせいか、そこに疑問は生まれなかった。なぜオレが巻き込まれたのか、と感じたくらいで。
正直なところ、問題はそこではない。そんなことより何より、そこにいた人物がーー未来の自分であったこと。それがどこまでも自分を追い詰めて、たまらない気持ちにさせる。やっぱり自分の足には根が生えているようだ。ここから動けない。どう手を伸ばしたって、目の前にいる、『デュース・スペード』にはなれないのではないかと。

「おい、僕。せっかく良くしてくれているんだから、寮長たちに迷惑かけるなよ」

ーーうるさい。自分は違うみたいな顔をしやがって。オレもお前も、結局は同じじゃないか。

「聞いてるのか!返事くらいしたらどうなんだ!」
「やめとけって。そういう時期があったの、お前が一番分かってるんじゃね?デュースくん」
「エース、うるさいぞ」

ーーやめろ。

「……分かってても、改めて見ると信じられないな。本当に僕なのか?」
「ーー、うるせえ!!」

終わったことのように言いやがって。今のオレを、自分の過去を、向き合うことさえできない何かだと思っているのか。

そう思ったら体の奥からぐつぐつした想いが湧き上がって、飛びかかるようして未来の自分に殴りかかっていた。途端に騒ぎになって、周りが止めに入ったのも分かった。それでも止まらなくて、オレはしばらくオレ自身と殴り合った。

ーー分かるさ。恥ずかしいんだろう、惨めで、格好悪くて、今のオレは。そんなことは誰よりも一番分かってる。でも、動けないんだよ。そんなの、『お前』が一番分かるだろう、なあ。他のなんでもない、オレ自身なんだから。
ああ、それともーーこの未来のオレは、オレが歩む先とは違うところにいるのかもしれない。だってそうじゃなきゃ、オレとこいつは
違い過ぎるもんな。

激しい喧嘩をした次の日。居所もなくふらふら校内を歩いていたオレは、運動場で未来のオレとーーここに来た昨日、通された部屋にいたやつを見つけた。たぶん女ーーだと思う。制服は男子生徒のものだけど、雰囲気とか、そういうのが。ここは男子校のはずだが、どうしてひとりだけ紛れているのだろうか。
そして、ふと思い出した。ここに来たとき、廊下で誰かにぶつかったはずだ。男にしては軽くすっ飛んだと思っていたが、あれはきっとあの女の子だったのだろう。……怪我をさせてしまった。

謝らなければ。そう思って、運動場のそばをうろうろしていたが、結局話しかける事はできないまま、集団は授業を終えて校舎内に帰っていった。なんだかいたたまれなくて、小さくため息をついて運動場へ出る。先ほどと違って、誰もいなくなったただっぴろいそこは、ひとつの寂しさだけをまとっていた。

そしてそこで、誰のものとも知らないスマートフォンを拾ったのだった。飾り気のない、シンプルなもの。そのあたりに置いておけば、持ち主が拾いに来るだろうーーそうと思ったが、ロック画面がふと目に入って、まじまじと見つめてしまった。それに、大き過ぎる心当たりがあったからだ。

クラスが1-Aだということは、昨日教えられたおかげでなんとなく知っていた。しかし、結局迷って、ようやく辿り着いたときには教室の明かりは落とされていた。ああ、失敗した。こんなもの、運動場に置きっぱなしにしておけばよかったんだ。そう思って、教室に入ったとき。

「デュースくん?」

薄暗い夕暮れの教室の中でもわかる、黒曜石みたいな目。あのときぶつかった女の人が、目をぱちくりさせてこちらを見ていた。
ーーどうしよう。きまずい。一旦この場を離れようか。でも今まさに目が合っていて、オレがいま持っているのは、この人か、この人の友達のスマホ。面倒くさいことになってしまったーーもうなるようになれ、と、ずんずん中へ入っていった。

それはこのひとのものだったようで、渡しに来てくれてありがとう、とへらへら笑う顔を見ていると、なんだか気が抜けてしまいそうだった。

「優しいね、デュースくん」

ーーそして、極め付けはこれだった。
優しい、だって?なにを言ってるんだ。たかが拾った落とし物を偶然届けて、社交辞令とも言えるような謝罪だけで。そんなの、優しさでもなんでもないだろう。この人にぶつかって、怪我をさせたのはオレだ。
昨晩の喧嘩でつけた傷がぴりと痛む。そうだ。結局、オレは他人に迷惑をかけながら生きている。未来のオレにも、この学校の人も、この女の人にも、ーー母さんにも。

「わたしの怪我は偶然だし、あなたがここに来たのも、魔法薬のせいだよ。誰のせいなんてことはないんだよ」

その言葉に、はじめて真正面からこの人の顔を見た。目の中の黒色は揺れて、しかし瞳は真っ直ぐに、オレを見ている。至極当然のことのように、オレが1番ーー欲しかった言葉を口にして。

オレの手を引っ張って、軽々と前を走っていく。あの人はーーなまえは、他の世界から来たと言っていた。それなら、家族も友達もいない、そのうえ全く知らない世界でひとりぼっちじゃないか。オレなんかよりも、もっともっと重たいものを背負って、それでもなお、彼女は、なんでもないことのように先に進むのだ。
ーー進めるような気がした。彼女とならば、地面に埋まったように重たい足も、軽く動くような気がする。
未来のオレと一緒になって、ナイトレイブンナレッジの授業を受けることもできた。オレは学校をフケてばかりで、全然勉強なんてしていなかったから、授業の内容はこれぽっちも分からない。でもそれが、苦痛ではなかった。この教科書に書いてあることは本当なのか。どうして、こういう反応が出るのか。知りたい、と、純粋に思った。学ぶのが楽しい。今まで、不安しか感じ得なかった、未知の世界がーーこんなにも魅力的に、自分の世界に映る。

「小鬼ちゃん、いらっしゃい!何をお探し?」
「ノートと消しゴム。以上で……、あ、」
「どうかした?」
「…………あの、花って……ありますか」
「もちろんさ!」

勢いで買ってしまった、ピンク色の花。花びらがたくさんついて、ぐっと上を見据えるように咲いている。サムさんは気を利かせて下の方にリボンを巻いてくれたけれど、3本ぽっちじゃ花束にもなりやしない。それでも、部屋の彩りくらいにはなる。
突然持っていったら、きっとなまえは驚くだろう。しばらく呆けた顔をしてから、ありがとうって、へらへら笑うんだ。そうだったらいいな。それで、もし、喜んでくれたらーーそうだな、もっといい。


**


「なまえ、遅くなってすまない」
「デュース。部活、お疲れさま」

夕方ーーといっても、もう日もほとんど沈んで、夜を間近に迎えるころ。グリムがマジフトの練習に行ってしまってひとりぼっちのオンボロ寮に、デュースが来てくれた。今日の放課後に会いたい、とわたしがお願いをしたからだ。部活があるのに迷惑だったかな、と思ったけれど、僕もふたりで過ごしたかったから気にするな、と言ってくれたから、お菓子を用意して待っていたのだ。

「何かあったのか?」
「うーん、デュースのことかな」
「僕か!?心当たりなんてないぞ!?」

デュースは顔色を青くさせたり赤くさせたりして、ぶつぶつ何か呟いている。あのう、と声をかけると、「プリンを食べたのは悪かったと思ってる!新しいのを買ってくるから!」とすごい勢いで言われた。そんなこと聞いてないんだけど。色んな意味で。

「……なんだか損をした気分だ……」
「わたしもー。言われなきゃ気付かなかったのに」
「う」

そんなやりとりをして、しばらく二人で笑い合った。たわいのない話をして、彼が来た時に淹れた紅茶が冷めてきたとき、わたしは話を切り出した。ーーデュース、何か悩んでない?

「え」
「……悩み……っていうか、大変なことは色々あると思うんだけどね。なんか最近、元気ないなって思って」
「……はは、やっぱりなまえには敵わないな」

わたしの言葉に、デュースはそう言って笑った。ひとしきり笑って、ふう、と小さなため息をつく。そして、なんだか体が重い気がするんだ、と呟いた。

「ちゃんと寝て、しっかり食べてる。それなのに、体調が良くないんだよ。そしたらなんだか失敗も多くて、ちょっとへこんでたんだ」
「体調?……週末、島の病院に一緒に行こうか?」
「ありがとう。……そうだな、あと、その……お願いがあるんだ」
「なに?」
「だ。……抱きしめさせて欲しい!!」

勢いよく立ち上がったのちの宣言。大声で。わたしが一瞬呆気に取られると、デュースの顔がぷすぷすと次第に赤くなっていった。あ、えっと、待ってくれ。口をもごつかせるデュースに、わたしも立ち上がって近くへ行く。

「やっぱり、ナシだ!今のはなんていうか、調子に乗っーー」

目をがっちり瞑って、こっちを見ようともしないデュース。それを良いことに、わたしはそばまで近づいて、ぐっと距離を詰めた。そして少し背伸びをしてーー頬にキス。
デュースがいきなり目を開ける。至近距離で目が合ったのが恥ずかしくて、ご要望通り、背中に手を回して抱きしめた。彼の胸に顔を押し付けて、隠したともいう。

「……もう一度してくれ」
「…………おかわりはないですね」

そう言うと、デュースは暫し逡巡して、わたしの頬に手を添えた。そのまま顔をちょっとだけ上に向けられて、彼の唇が降ってくる。今度は頬じゃなくて、唇の方に。さっきまで食べていたクッキーのせいか、久しぶりのキスは甘い味がした。しばらく碧い瞳と見つめ合って、そのまま抱きしめ合う。

「僕からお返しだ。あと……、ありがとう」
「……うん」

何度しても、この瞬間は慣れない。幸せだと思うのと同じくらい、毎回ドキドキしてしまってしょうがないのだ。この人のことが好きだなあ、と、いつも実感する。

ーーそのとき。大きな音を立ててドアが空いた。ただいまなんだゾ、と、気の抜けた声も聞こえる。グリムが帰ってきたみたいだ。

「おかえり、グリム!」

抱きしめ合っていた身体をぱっと離して、玄関の方へ彼を迎えに行く。この広間と、廊下を隔てるドアを開けると、下に何かが落ちていた。
……ガーベラの花だ。
お花屋さんで売っているような、切り花になったものが三つ。そのうち一本には、花の色と同じ、ピンク色のリボンが引っかかっていた。

どうしてこんなところに、お花が落ちているのだろう。全く心当たりのないそれを拾い上げて、首を傾げる。廊下を歩いてきたグリムに、ねえ、これ知ってる?と問いかけるも、そんなものは知らないと言われてしまった。

「それよりも、さっきスペのやつに会ったんだゾ。ここの門から急いで出てきて。おれさまを無視するなんて、ほんと〜に生意気なヤツ!なんだゾ!!」
「スペが?」

デュースと顔を見合わせる。彼がここに来ていたなんて、気が付かなかった。
さっき拾い上げたガーベラの花弁は、少しだけほつれて、何枚か取れてしまっている。わたしはもう一回廊下にしゃがみこんで、落ちた花弁を探しはじめた。




あの夜のことをスペに聞こう。そう思って話しかけようとしても、なんだか時間が合わない。それよりも、悉く、あからさまに、避けられているような気がする。それが続くこと3日。

「なんか嫌われるようなことでもしたんじゃん?」
「してないよ!たぶん……」
「どうだか」

エースに相談したって、そんなかんじの可愛くない対応をされる。でも、もうわたしは決めたのだ。必ず今日、スペと話をする。
そう決意したわたしは、クルーウェル先生の挨拶でクラスが解散になるや否や、スペに噛み付かんばかりの勢いで話しかけた。

「スペ!!ちょっと話がーーあっ、待ってよ!」

スペは誰よりも先に、すごい速さで教室から出ていってしまう。わたしもそれを追いかけて走り出そうとしたとき、クルーウェル先生に声をかけられた。

「監督生、ちょっといいか」
「え、今、今ですか!?」

急がなければ彼を見失ってしまう、その一心で、先生の言葉にやや反抗的な返しをしてしまう。先生の綺麗な顔が不機嫌そうに歪むのが分かった。これはまずい、かもしれない。

「先生、僕が聞きます。それでもいいですか?」
「ああ。それでも構わないが……仔犬、お前顔色が悪いな」
「ちょっと前から……でも大丈夫です。ほら、監督生。行っていいぞ」
「ありがとう!!」

デュースがそう言ってくれたおかげで、教室を出ることができた。廊下に飛び出すも、スペの姿は見当たらない。カバンを肩にかけ直して、わたしは怒られない程度に廊下を駆け出した。

それから、わたしはこの広い敷地内を、30分くらい駆け回った。もう諦めようかと思ったそのときーーやわらかい金髪が揺れているのが視界の端に入る。反射的にそちらに目をやった。スペだ。ようやく見つけた。木の影に、幹にもたれるようにして、一人腰を下ろしている。

その陰に、そっと忍び寄った。スペは、ぼうっと遠くを見つめている。ゆっくり近づいて、大きな声で名前を呼んだ。

「ーースペ!」
「うわっ!?」
「やっと捕まえた!」

また逃げようとしたのか、びくりと飛び上がるように彼の身体が跳ねた。きょときょと目を動かして、観念したのか、じとりとした目でこちらを見る。初めて二人で話した、あの放課後の教室の時の彼と仕草が同じで、少し面白かった。

「ねえ、あのね。この前、オンボロ寮に来てくれた?」
「…………」
「廊下にさ、ガーベラが落ちてたの。グリムが門のところでスペを見たって言ってたから、スペが持ってきてくれたのかと思って」
「いいだろ、別に。捨ててくれ」
「そんなことしないよ。挨拶できなくてごめんね。あれ、花瓶に生けておいたらすごい元気で、今日もーー」
「オレに、優しくするなよ!!」

突然、獣が吠えるようにスペが叫ぶ。眉間には深い皺、白い頬は僅かに紅潮していて、彼が怒っていることを如実に示していた。

「オレはオレだ!あいつじゃない!!」
「待って、スペ、何言ってーー」

スペの目が、じわじわと潤んでいく。びっくりしたのも束の間、それはあっという間に膜を張って、ぼろぼろと決壊した。
喉の奥をくっくっと鳴らして泣くスペに、どうしたらいいかわからなくなって、震える背中に手を当てる。すぐにはたき落とされてしまった。もう一度、背に手を当てる。……今度は、そのままだった。

「……わたしが、スペとデュースを、同じに見てるってこと?」
「あの『デュース』が大切だから、オレに良くしてたんだろ。やめろよ。オレはあいつじゃない、そんなんされても、何も返せるものなんて」
「バカ!!何言ってるの!!」

わたしの大きな声に、今度はスペが目を丸くする番だった。鼻を真っ赤にしたちょっと間抜けな顔でわたしを見ている。迷子になった子どもみたいな顔で。

「スペとデュースは別の人でしょ!過去でも未来でも、一秒だって同じ人のまま居続けられる訳ないんだから!!」
「そういうんじゃねえ!好きなんだろ、未来のオレのことが!それなら、それがあるから、こんなオレにも優しく、」
「だから、違うよ!デュースとか、過去とか未来とかは関係ないの!スペだから助けたいと思ったし、仲良くしたいと思うの!!」

ーーわたしと似ていると、そう思った。そこから、彼を助けたい、支えになりたい気持ちがむくむく湧いてきて、一緒にいたいと思った。毎日を過ごすうち、スペにしかないところがたくさん見えて、それがとても素敵だと思った。それってさ、こういうんじゃないの。

「わたしたち、友達でしょ」

スペの涙は止まっていた。でもその瞳はまだ水気を含んでいて、夕暮れの日差しに照らされてきらきら輝いた。口の端を釣り上げて、思わずといった様子でスペは笑った。

「オレが、『オレ』だったらいいのにって思うんだ」

ーーでも同じくらい、オレはあいつと違うって思う。違くありたい。なまえが、オレとあいつを一緒にしてるって考えたら、たまらなく嫌なんだ。この気持ちっていったい何なんだろうな、オレ、もう分かんないよ。

彼の言葉を、わたしはただ聞くことしかできなかった。なんて言葉をかけたらいいのかわからない。彼のデュースに対する思いを、わたしはこれっぽっちも知らなかった。
どうしよう、どうしよう、と考えて、ふと、自分の真横に置いたままの鞄に気がついた。中を漁る。取り出したのは、

「スペ、これ食べよう」
「なんだよ、これ」
「飴玉。いいから食べてみて」
「ん………え?なにこれ、何味?」
「たこ焼き味」

わたしも袋を漁って、中に残っていた飴玉を取り出し、口に放り込む。スペは何とも微妙な顔をしていた。

「どうこれ、おいしくないでしょ」
「いや……まずくはないけど……何とも言えない味がする」
「そうだよね。でもわたし、これ、結構好きなんだあ」

身体ひとつでこっちにきちゃったから、本気で無一文でね。毎月、学園長からのお小遣い制なの。カツカツだから、おやつも考えて買わなきゃいけないんだけどーーこれ、ミステリーショップの中で1番安くて量入ってるんだよね。飴玉のバラティパック。
グリムと分け合って食べるから、やっぱり最後に微妙な味が残っちゃってさ。捨てるのももったいないし、別に不味いわけでもないし、なんとなく食べてたら、なんか癖になっちゃって。

「なんだそれ。変だな」
「変でしょ。でもこれ、デュースには言ってないんだよ。ふたりだけの共有事項。ね」
「……。マジで変だよ。なまえも、この飴も」

そう言って、スペは笑った。眉をへにゃりと下げて、困ったように。しかし嬉しそうに。

「他は?キョーユージコー」
「他かあ。……基本米派なんだけど、朝だけはパンじゃないとダメなんだよね。とか?」
「オレは逆だな。朝は米がいい。あとはパンでも何でも」

木陰に並んで腰掛けて、ふたり。部活動に励む生徒たちの声を遠くに聞きながら、わたしたちは、ふたりだけの話をたくさんした。早起きと遅くまで起きてることだったらどっちが得意か、絶叫系のアトラクションはどこまでいけるか。靴下はどっちから履くか。そんな変な話ばかりをして、ずっと笑い合っていた。

スペはデュースとは違う。そのわたしの感覚が、彼にとって良いものなのか、悪いものなのか分からない。でも分かっていることはひとつあるーーわたしと彼は、友達だということだ。何の代わりも効くわけがない。ここにいるわたしと、ここにいるスペだから、この関係はあるのだ。そのひとつの事実が、スペの心をあたたかく照らしてくれればいいと思った。

そうやって語り合って、夕日がまさに沈もうとしている時間。もう帰ろうか、と二人揃って腰を上げると、校舎の方から、エースが手をぶんぶん振りながら駆け寄ってくることに気がついた。

「監督生!スペ!!」
「エース?そんなに急いで、なにかーー」

「デュースが倒れたんだよ!もう限界かもしれないって、早く行くぞ!」

ーー手遅れになる前に。
そう言葉を続けるエースは、いつものおちゃらけた調子なんて何も無くて、わたしの心にざわりと鳥肌に似た感覚をもたらした。

**

3人で保健室に駆け込んだ。中にはクルーウェル先生と、学園長。そして、白いベッドに横たわるデュース。彼の腕には、点滴が何本か刺さっていた。
……本当に、すごく顔色が悪い。心臓がばくばく嫌な音を立てる。

「スペードが、魔法が使えなくなった原因。俺の仮説では、過去の自分と、現在の自分自身。ふたつの姿を保つことに魔力を割いているのではないかと考えている。それが仮にもし正しければ、スペードは常に、膨大な魔力を消費していたことになるな」

その結果がこれなのだろう。スペは真剣な顔で、ベッドに寝たまま目を開けないデュースの顔を見ていた。クルーウェル先生はひとつ小さなため息をついて、言葉を続ける。

「名誉のために言っておくが、俺はこのことをスペードに伝えていたし、スペード自身も俺が言わなくても気がついていたよ。自分の魔力がいつか尽きることがわかっていて、黙っていてくれと言ってきたんだ。生意気にもな」
「なんだよ、それ」

ぽつり、震えたスペの声が空気に溶けた。オレが帰れば済む話だ。それをどうしてーー小さな声で呟く彼の背中を、エースが強く叩いた。

「分かるだろ!デュースにとって、お前が、大事だからだよ!!」

スペの瞳に、また水の膜が張っていく。それがこぼれ落ちる前に、スペは自分の頬を勢いよく両手で叩いた。ばちん。いい音が鳴ってから、スペは少し赤くなった頬のまま、クルーウェル先生に向き直った。真っ直ぐな目で。

「先生。オレ、帰ります」
「そうだな。例の解除薬はもうとっくに完成してる。スペードには今、点滴で投与しているところだーーあとはお前が飲めば、それで全てが終わる」

そう言って、クルーウェル先生はポケットの中から薬の入った瓶を取り出して、スペに渡した。スペは躊躇することもなく、その瓶の蓋をすぐに開けた。

「お前の入学を待っている」
「…………、はい」

それはちょっとだけ涙声のように聞こえた。そして、ゆっくりとわたしたちの方へ振り返る。やっぱりその目は潤んでいて、わたしとエースは、顔を見合わせて笑った。

「待っててくれ。2年経って、今よりももっとすごくなって、強くなってーーそれで必ず、お前らに会いにいく」
「おー。忘れんなよ」
「うん。……うん。それで、なまえ」
「なに?」

さっきの話、全部、絶対忘れないからな。忘れないから、オレは。だからーー

「だから絶対、待ってろよ!絶対、この世界に来てくれ。オレも待ってるから!」

思わず笑いが漏れた。泣き出してしまいそうな目にグッと力を入れて、最大限の笑顔を作る。
この世界に来てくれ、かあ。そうやって、きみは、『わたし』の居場所を作ってくれるんだね。一人で放り出されたこの世界で、寂しくないように、あたたかいように。それなら、きっと、あなたと出会うわたしは安心だ。
そうだね。待ってるよ。それじゃあーー

「またね。『デュース』」
「ああ、また、だ!」

その挨拶を最後に、スペは手の中の薬を一思いにあおる。そしてそのまま、蜃気楼のように、彼の姿はかすんで、そしてーー消えた。




「デュース、体調どう?」
「ああ、だいぶ戻ってきたよ。明日には普通に授業に戻れそうだ。心配かけたな」

結局あのあと、デュースは三日間もすやすや眠り続けた。保健室が、彼へのお見舞いの品で溢れてきたとき、彼はようやく目覚めて、第一声ーースペは?と聞いたのだ。いったいどれだけお人好しなのか、その場に居合わせたエースは呆れていた。

「まあ、変な体験だったな」
「そうだね」
「僕は、昔の僕のことをーー正直、恥の塊みたいに思っていたところがあった。でも違ったんだ、あいつもあいつなりにいいところがあって、別の人間でーーそれで、僕自身なんだ。それが分かって、なんだか成長した気がするよ」

そう言って、デュースはお見舞いの品の中から、ひとつの袋を手に取った。そしてそれに手を突っ込んで、何かを探すような仕草をする。あ、あった、その言葉と共に、彼は、わたしに何かを差し出した。

「なまえ、これ食べるか」
「これ……」
「好きだっただろ。…………あれ、そうだったよな?そう聞いたような気がするんだ」

彼の手の中に乗っていたのは、飴玉だった。それも、たこ焼き味の。
お礼を言ってそれを受け取り、口に含む。ソースの風味と、いやに目立っている鰹節の味。そうだね、やっぱりまずくはない。まずくはないけど。

「変な飴、だね」

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