小説 | ナノ


▼ 彼氏のデュースと14歳のデュースと@(TWST)


(監督生=夢主)

「僕は、絶っ対に飲みません。効果を確かめたいなら、監督生さん、あなたが飲むべきだ」

ーー甘い匂いに、完璧な無彩色。掬い上げた時のとろみも見本の通りです。試飲なんてしなくても、この『追懐薬』は完全に成功だ。なにを疑うことがあるんです?

アズール先輩は一息で、まくしたてるように口にした。灰色の薬液が鎮座する鍋と、そこから体の向きごと顔を背けている先輩を見比べて、わたしはただ困惑した。この人は、何をムキになっているんだろう。

「アズールは、この薬の効果が出てしまうのが恥ずかしいんですよ。かわいそうに」
「ジェイド!!」

そこへ、材料を手に持ったジェイド先輩が通りかかって、そんなことを言う。アズール先輩がぐわっと叫ぶようにしたそのとき、わたしは、ああ、と勘づいた。

ーー追懐薬。それが今日の魔法薬学で与えられた課題である。
文字通り、その薬を飲んだものは、自分の過去を思い起こすのだという。頭の中にではなく、物理的に起こる体の変化として。短時間、頭の中身はそのままに、外見が昔に戻ってしまう薬。
この課題は、クルーウェル先生がホリデー後に必ず出す恒例のものらしい。毎年、1.2年生が合同で行うために、いまこの教室にいる2年生は、全員この薬を体験済みだという。

「そしたら、アズール先輩は去年これを飲んで……」
「それが残念なことに、去年はあの手この手で先輩に飲ませていたんです。ああ、僕は今年こそ、あのまる……チャーミングなアズールを観れると思ったんですが、しくしく」
「うるさい!いいから、早く自分の鍋に戻れ!」

アズール先輩の怒号にもジェイド先輩は臆することなく、材料の入ったカゴを持っていない方で、こちらにひらひらを手を振って自分の鍋の方へ帰っていく。アズール先輩は大きなため息をついて、器具の片付けを始めてしまった。

「はやく片付けて、クルーウェル先生のところへ指示を仰ぎに行きましょう。あなたが飲んでもしょうがないものだ」
「そうなんですか?ちょっと興味あるんですけど」
「魔力がないものが飲んだところで、効果はありませんよ。残念ですね」

ちっとも残念ではないといった様子で、先輩は淡々と片付けを続ける。わたしもあわてて、器具を洗い場に入れて蛇口を捻った。

周りの生徒たちは、まだ調合を続けているようだ。運悪くフロイド先輩とペアになってしまったエースが、顔色悪く鍋に向かい合っているのが見える。フロイド先輩は目に見えてイラついているようだ。五体満足のまま、この授業を終えられるといいのだが。
そしてわたしは、そっと辺りに視線を巡らす。教室の真ん中の、少し前の方の机で、青みがかった黒髪の人が、真剣な表情で鍋と向き合っているのが見えた。
ーーデュース、うまくいってるみたいでよかった。心の中でそう呟いて、自分の洗い物に意識を戻す。好きな人ーーそれも恋人が、熱心に頑張っているところを見るのはとても幸せで、また自慢げな気持ちになる。わたしの彼氏は、あんなに真面目で、魅力的なんだと。

結局、片付けを終えたころも、薬を完成させたグループはちらほらといるくらいだった。完全にやることがなくなってしまったわたしとアズール先輩は、教室内を長い脚でゆっくりと歩いているクルーウェル先生に声をかける。

「先生。追懐薬を提出します。片付けも終わりました」
「アーシェングロットに監督生か。グッド、文句なしの調合だ。さすがだな」
「ありがとうございます」

先生が微笑を浮かべて言った言葉に、教室が少しざわめく。そのふたつを、アズール先輩は当たり前であるといったふうに笑顔で受け止めていた。本当にこのひとは、すごいひとだ。

「それでは僕は、困っている班に声かけをして回っていてよいでしょうか」
「そうだな、頼む」
「はい」

いい返事をして、先輩は踵を返した。にっこり笑顔のその裏に、何か企み事を感じる。きっと、助言をするのと引き換えに、なにか対価をもらう予定なのだろうーーさすがの商売上手だ、わたしは感嘆のため息をついた。

ーーさて。かくいうわたしには、今やることが何もない。
魔法も使えない、さして頭がいいわけでもない。今日も、アズール先輩のアドバイスと教科書を見比べて、ただ言う通りに鍋をかき混ぜていただけである。そんなわたしが、他者に助言できることなんてあるものか。いや、絶対にない。
クルーウェル先生も、その考えに行き着いたのか、わたしをじっと見つめてなにやら考え事をしている。それが10数秒、先生は、ああ、と小さく声を上げた。

「すまないが、北校舎の魔法薬学準備室から、備品を取って来てくれないか。ここに書き出しておくから」

そして、そんなわたしに与えられた役割は、結局のところパシリである。やる気のない返事をして、わたしは、甘い匂いの篭った実験室を出た。



授業中の廊下は、誰ひとりとして歩いていない。それをなんとなく奇妙に感じながら、わたしはゆっくりと実験室に向かって歩いていた。がしゃりがしゃりと、ガラスの触れ合う音を響かせながら。
ビーカーに、試験管。何に使うか分からない、大きい鍋。トカゲのような生き物が浮かんだホルマリン。メモに書いてあったものを探すうちに、授業の時間は残り15分を切っていた。案外時間が掛かってしまったな、と、気持ちが急く。

そして、廊下の向こうに、目的地を見つけた。がしゃり。両腕で持ったカゴの中に積んだガラスが、またもう一度大きい音を鳴らす。もう少しだ、と抱え直したとき、廊下の奥の部屋のドアが大きな音を立てて開いた。

小さな影がそこから飛び出してくる。動物か?一瞬考えて、その影がこちらに近づくにつれてその考えは打ち消された。人間だ。金髪の、少し小柄な男の子。
がむしゃらに走ってくる様子に、思わず足を止める。金髪の男の子は、下を向いて走っていてーーそのとき、ぱっと顔を上げる。わたしたちの視線が交わった。
顔の造形、瞳の色、見覚えがある。脱色された髪こそ見覚えがないものの、それ以外は、わたしの記憶の中の「ある人」によく似ていた。廊下のど真ん中で足を止めたまま、わたしは思わず呟く。

「デュース?」

男の子は、ぽかんと口を開けた。そして、そのままーー小柄な体躯が、結構な勢いでわたしの身体に突っ込んでくる。当然のことで、わたしはそのまま床にみっともなく尻餅をついた。手に持っていた鍋やら、試験管やら、トカゲやらが宙に舞う。そして、それらも遅れて地面に叩きつけられた。

ーー大きな、大きな音が鳴る。がしゃん、ばりん。身体中に痛みを感じて、わたしは思わず呻いた。反射的に上を見上げて、わたしにぶつかってきた人影を見る。目が合った。

「…………」

金髪の子は、何も言わない。日が暮れたばかりの夜空のような瞳を大きく見開いて、何が起こったか分からないと言った表情でこちらを見ている。思わず声をかけようとしたとき、廊下の向こうから、一際大きな声がした。

「おい!てめえ、待て!!」

その怒号に、金髪の子は小さく舌打ちをして、わたしにぶつかったときのようにすごい速さで廊下を駆けていった。それを追いかける元気は、いまのわたしにはない。足元や手に目を落とすと、割れたガラスの破片が刺さって、なんとも痛ましいことになっていた。

「なまえ!?」

小さな破片を左手から抜いていると、さっきの怒号の主が近寄ってきて、わたしの名前を呼んだ。近寄ってきた人物の革靴が割れたガラスを踏んで、ぱきりと音を立てる。顔を上げる。

「大丈夫か?立てるか」

差し出された手を掴もうとして、ガラスの破片がところどころ刺さったままなことに気がついて首を振る。手を差し出してきたデュースは、わたしを見て、ひどく傷ついた顔をした。

「今のやつにぶつかられたのか」
「うん、そうなの。……どうしよう、器具とか、トカゲも……」
「ちょ、ちょっと待っててくれ。先生を呼んでくるから。……先生!クルーウェル先生っ!」

わたしの周りにガラスの破片が散乱している以上、無闇に動くこともできない。それに目の前には、ホルマリンに満たされた瓶から解き放たれた、丸々太ったトカゲが、力なく床に横たわっている。身体中痛いし、なんだか、動く気力もなかった。




「本当に、本っ当に、すまない!!」

がばり、音を立てるような勢いで、デュースが90度腰を折る。どうして彼がここまで謝るのかは少し分からないが、責任感のある彼のことだ、あの少年を止められていればわたしが怪我をしなかったとか、そういうことなのだろうか。

あれから一時間ほど経って、わたしとデュース、そして流れで着いてきたエースは、学園長の部屋でクルーウェル先生と学園長と向き合っていた。

「大丈夫だよ、怪我は全部直してもらったし。それより先生、トカゲ」
「生徒の怪我より備品を心配する教師がいるわけないだろう。心配しなくても、修復魔法で全て治るさ」

そう言ってクルーウェル先生は、少し疲れた顔で自身の眉間をぐっぐっと親指で押す。言葉こそ優しいものの、やはり心労をかけてしまったようでいたたまれない。
そしてそれは、学園長も同じらしい。顔の上半分を覆い隠す仮面で、表情はよく見えないが、なんだか唇の血色が悪いみたいだ。学園長は大きくため息をついて、いつもよりもだいぶ小さな声で話し始めた。

「ええ、ええ、いいんです。備品のことは。監督生さんの怪我も、我が校の先生たちの力で無事治るでしょう。問題はそれよりも」
「問題?」
「なんだよ、監督生も見ただろ?」

わたしが聞き返すと、エースがニヤつきながら肩を叩いてくる。それに首を傾げれば、こっそりと耳打ちをされる。あれ見て、その言葉通りに示された方へ視線を向ける。

「デュース?どうしたの」
「…………ん、ああ、なんでも。……なんでもない」

煮え切らない返事をして、彼は下を向いたまま目をパシパシ瞬きを繰り返している。その仕草はバツが悪いときにするもので、デュースは何かしら考え事をしているらしい。
どうしたの、と声をかけようとしたそのときーー

「入ります」

ゆるりとした声とともに、重たいドアが音を立てて開いた。ぱっとそちらに目を向けると、大きい体躯の双子が一組、頭ひとつ低い紳士然とした先輩が1人。そしてーーそれらに、文字通り引き摺られている少年が1人。

「おや!思ったより早かったですねえ。ありがとうございました」
「いいえ、お褒めいただくようなことではありません」

アズール先輩がにっこりと笑う。フロイド先輩は、引きずっていた少年の首根っこを持ったまま、前方ーーわたしたちの目の前に放り投げる。ピカピカの金髪の隙間から、意志の強そうな深い青の瞳がこちらを睨みつけていた。さっきぶつかってきた子だ。やっぱり、この子はーー

「デュースに似てる」
「……似てるんじゃないんだ。こいつは……僕なんだよ」
「えっ?」
「ちげえよッ!!」

デュースが、よく分からない言葉を口にした。それを聞き返そうとしたとき、小柄な体躯が吠える。爛々と輝く瞳は、やっぱりデュースに似ているーーいや、彼の持つ色そのもののように感じた。

「オレがこんなガリ勉野郎と同じだって!?ふざけたこと言ってんなよ、アァ!?」
「っ誰がガリ勉野郎だ!舐めてんのはてめーだろ、アン!?」
「うわあ、これは一緒だろ」
「まごうことなき同一人物ですね」

まさに売り言葉に買い言葉。怒鳴り声の応酬に、わたしたちは確実にこの2人が同一人物であると確信した。自身を縛っているロープを引きちぎらんばかりの勢いでデュースに噛み付いている少年と、それに負けじと吠えるデュース。一気に騒がしくなった学園長室に、クルーウェル先生による魔法の粉が散った。

「Be quiet!しばらくそのままでいろ、駄犬共!」

魔法で無理やり口を塞がれたふたりは、しばらく唸り声を上げて、やがて静かになった。それを見た先生はため息をついて、なぜかわたしとグリムの方へ向き直って話し出す。

「今日の調合は、追懐薬ーー過去の姿に短時間だけ戻ることのできる薬だ。手順を大きく間違えなければ大体は正しく完成する。いくらお利口ではない貴様らでも、問題は起こさないと踏んでいたんだがな。ーーなあ、グリム?」
「グリム……?待って、まさか」
「ふ……ふな……」

クルーウェル先生の言葉に、グリムのご自慢の耳と尻尾がへにゃりと萎れた。確か今回の調合のペアは、グリムとデュース、そしてジェイド先輩で組んでいたはず。ぱっとジェイド先輩に目をやると、先輩はわざとらしくため息をつき、気に病んでいますと言ったふうに片手を頬に当てた。

「僕もまさか、少し目を離しただけで、こんな面白ーー失礼、本来の効力と違うものができるなんて思いもよらなかったんです。とても責任を感じています、今日は眠れそうにありませんねえ。いくらグリムさんが、関係ないものをひとつふたつみっつよっつ、鍋に放り込んでいたとしても」
「ふな、知、知ってたなら声かけてくれれば……」
「よそを見ていたんです。あえて声をかけなかったように言われてしまうのは悲しいですね、ああ、しくしく」

思わず口からため息が漏れた。結局は、グリムが全然関係のないものを鍋にぽんぽん放り込んで、そこから得体の知れない魔法薬が出来上がってしまったというわけだ。それを何食わぬ顔でデュースに飲ませるジェイド先輩も大概と言えばそうだが、事の発端がこの魔獣である以上、わたしには何も文句は言えない。
そしてその効力不明の薬、それによってデュースはーー「過去の姿」と「現在の姿」に分離してしまった、というのである。

「それで、スペードくん。ちょっとここで、軽めの魔法を使っていただけますか」
「ーーぷはっ!……えっ?」
「いいから、はやく」

そこまで整理したところで、学園長が口を開いた。クルーウェル先生に魔法を解いてもらったデュースは、首を傾げながら胸ポケットからマジカルペンを取り出す。
学園長に急かされて、デュースは、いつものように「いでよ、大釜!」と叫びペンを振った。ーーしかし。

「……あれっ?」

いつものように、大きな鉄の塊が出現するーーはずだった。その場にいた数人が目をぱちぱちさせるも、その空間に何かが召喚された様子はない。デュースはもう一度マジカルペンを振る。ーー出でよ。何もない。もう一度、もう一度ーー

「もういいだろう」

クルーウェル先生が、マジカルペンを持ったままのデュースの手を掴んで止めた。これを見ろ、と、デュースの拳から引き抜いたマジカルペンーーもとい、魔法石をわたしたちに見せる。そこには、あるはずのものがなかった。

「どんな魔法でも、魔法士でも、短時間で魔法を連発すればブロットが少なからず蓄積する。魔法石に、黒いシミとなってな」

きらきら輝く魔法石。そこにはシミどころか、一点の曇りさえもなかった。クルーウェル先生が言いたいことはきっとこうだろう、デュースは今、魔法がーー

その部屋の空気は一気に重たくなり、グリムでさえもものを言いたげに口をもごつかせるだけになる。そのなかで、このトラブルのど真ん中にいるデュースだけが、何も分かっていない様子で目をぱちぱちさせていたのである。




ーー過去の自分が実態を持って現れたこと、そして魔法が使えないこと。この二つは何らかの関連性があると見ていいだろう。

「つまりさ、あのパツキンデュースがいる限り、あいつ全く魔法使えないんだよ」
「うーん、なんとなくわかった。仕組みはよくわかんないけど」

デュースが2人に分裂した。時系列的には、金髪のデュースは齢14ということらしい。そんな頓珍漢な出来事が起きた次の日にも関わらず、学校生活はいつも通り進んでいる。今は体育の授業で、いくつかのグループに分かれてマジフトの試合を行っていた。休憩中のわたしとエースは、グラウンドの隅に並んで座って話をしていた。

「意味不明だよな、マジで。昨日も寮に帰ってからさ……あ、こけた」
「うわっ、痛そう」

デュースは今現在、魔法が全く使えない状況だ。箒にも乗れなければ、炎や風のひとつも出せない。しかしそれをものともせず、デュースは元気にマジフトに参加している。クラスメイトがひらりひらりと箒で飛んでいる中、地面を俊敏に走り回って。その様子はこちらから見ていると不安にしかならないが、バルガス先生は随分お気に召したようで、半分怒鳴り声に近いようなエールを送っている。転んでもすぐに立ち上がってディスクを追いかけていく様子は、不安や心配が勝るといえど、やっぱりかっこよかった。

「寮に帰ってからさ、あいつら暴れたんだよ。取っ組み合いの大喧嘩。寮長が魔法ぶつけても止まらないもんだからさ、もう大騒ぎ」
「喧嘩?どうして?」
「さあねー。ま、でも、同族嫌悪ってやつじゃないの」

そんな話をしていたところで、ぴい、と試合終了のホイッスルが鳴る。バルガス先生が次の大戦チームを大きな声で呼んだ。エースはげえ、と言いながら重たげに立ち上がり、コートの真ん中に向かって走り出した。
入れ替わるようにこっちに向かってきたのはデュースだった。汗をタオルで拭いながら、わたしに向けてさわやかに笑う。おつかれさま。ああ、監督生もな、とやりとりを交わして、彼が隣に座ったとき、すねのあたりから血が出ているのに気がついた。

「デュース、怪我ひどいよ。保健室行く?」
「えっ?……ああ、気が付かなかった。夢中だったからかな……。そんなに痛くないし、気にするな」

そう言って彼はやや雑にわたしの頭を撫でた。汗をかいているからか、デュース自身の香りがほわりと鼻をくすぐる。それに思わず微笑むと、どこかから視線を感じた。ふとあたりを見渡す。

(……あれって)
「どうした?」

グラウンドの反対側の、さらに向こう。渡り廊下のところに、遠くから見ても分かる明るい髪がいた。小柄な体躯、服装はここの制服じゃない。昨日会った、過去のデュースだ。
わたしがじっと彼を見つめていると、隣にいたデュースもそれに気がついて、あいつ、と小さく呟いた。
わたしたちと目があったことに気が付いたのか、その子は身を翻して、校舎の方へ駆けて行ってしまう。……あんなところで、何をしているんだろう。なんだか心配だなあ。

「なまえ」
「デュース?」

そのとき、デュースが鋭い目をして、わたしの手首を急に掴んだ。そして名前を呼ぶ。付き合っていると言っても、学校の、それも授業中に、彼はわたしの名前を呼ぶことはなかなかしない。それは二人きりの時だけだった。
思わず首を傾げると、デュースはハッとしたように、掴んだ手を急いで離す。すまない、そう呟いて、そろそろともう一度わたしのーー今度は手のひらの上に手を置いた。

「やっぱり、絆創膏くらい貼ろうかな。一緒に保健室、行ってくれるか」
「あ、うん。もちろん」

そう答えると、デュースは嬉しそうに笑って立ち上がる。体操服についた砂を払ってから、わたしたちは並んで保健室に向かって歩き出した。

**

「ウチの寮のキッチンだからな。迷うなよ?」
「はやく来ないと、おれさまがぜーんぶ食っちまうんだゾ!」

そして、その日の放課後。トレイ先輩がケーキをご馳走してくれるということで、お言葉に甘えてハーツラビュル寮にお邪魔することにした。さあ行こう、と決めたところで、教室にスマホを置いてきてしまったことに気がついたのである。

「監督生、僕も行こうか?」
「いいよ、すぐそこだし。先行って待ってて!」
「……ああ。じゃあ、チョコレートケーキを取り分けておくな」 

デュースの言葉に笑顔で頷く。わたしはどのケーキよりも一番チョコレートケーキが好きで、グリムもそれが好きだから、取り合いになることが多いのだ。トレイ先輩の手作りケーキとなれば、争いは必須である。

エースとデュース、グリムに手を振って、人が少なくなってきた廊下を進む。

教室は、もう電気が落とされていた。照明をつけるのもなんだか億劫で、暗いまま中に入り、自分の机をまさぐった。あれ、無い。てっきり机の中に忘れたと思っていたのに、いったいどこに置いてきてしまったのだろうか。体育の時はあったのに。

ーーそのとき、入り口のドアががらりと音を立てて空いた。ぱっと顔を上げる。誰か帰ってきたのだろうか。そうして視線をやった先で目が合ったのは、予想外の人だった。

「あ、デュース……『くん』?」
「っ!」

体育の時にちらりと見た金髪。もう一人のデュースは、わたしと目が合った瞬間バツが悪そうに眉を顰め、すこし逡巡したのち、教室の中にズカズカ入ってきた。突然のことに動揺するわたしの目の前までやってきて、彼は、何も言わずにぐっと右手を突き出した。

「えっ!?」
「これ!!……あんたらのなかの、誰かのだろ」
「……あ!スマホ!!」

半ば押し付けられるようにして手渡されたそれは、紛れもなく行方不明になっていたわたしのスマホだった。その無事を確認して、ありがとう、とお礼を言う。デュースはやっぱり不機嫌そうな顔のままだった。

「わざわざ渡しに来てくれたの?ありがとう」
「…………ねえのかよ」
「ん?」
「……盗んだ、とか、考えねえのかよ」

ぱちくり。その言葉に少しだけ呆気に取られて、思わないけど、と返した。彼はそれに少しだけ意外そうな顔をして、またすぐに眉間に皺を寄せてしまった。

「でも、どうしてわたしのって分かったの?」
「……ロック画面」
「あ、そっか」

なるほど。スマホのロック画面には、デュースとわたし、エースとグリムがニコニコ笑顔で写っている。わたしはともかく、デュースは自分自身の顔だし、グリムは目立つし。あいつらのうちの誰かのスマホだな、と考えてもおかしくないだろう。

ありがとうね、ともう一度お礼を言う。デュースは目を伏せて、また口の中になにか言葉を閉じ込めた。思わず首を傾げると、デュースは小さく早口で、投げつけるように喋った。

「怪我、ひどいのか」
「え?」
「……オレがぶつかって、怪我、させただろ」

だから今日も、保健室ーーそう言葉を続けるデュースの瞳は、不安そうに揺れていた。それを見ているとたまらなくなって、治ってるよ!と大きな声で口にする。呆気に取られているデュースの手を思わず握って、今日のアレは付き添いだから、わたしの怪我はもう全部治してもらったから、とまくしたてた。

「優しいね!デュースくんは!」
「…………ハア!?んな、そんなことねーよッ!」
「だってそうじゃん、わざわざスマホ届けてくれて、怪我の心配も」
「そんなの当然だろ!物拾ったら届けるし、怪我だって、お前は何も悪くない!!」

……悪いのは、全部、オレの方で。
薄い唇から漏れた小さな呟きを、わたしの耳は逃さなかった。
いつも見ている彼よりも少しだけ華奢で白い肌には、生傷の跡がいくつか覗いていた。エースが話していた、昨晩の喧嘩のためだろう。青い瞳は潤んでいるように見えて、今にも消えてしまいそうなくらい、儚げな影を纏っていた。
ーーこの子は、ここにいるのだ。魔法薬で突然現れた、恋人の姿をした蜃気楼ーーそんなふうに思っていたけれど、彼は人間で、まだ一人で歩くこともままならない14歳の男の子。そして、この子もまた、デュース・スペードなのだ。ひとりでこんなところに落とされて、不安でいっぱいの……わたしと同じ。

「わたしの怪我は偶然だし、あなたがここに来たのも、魔法薬のせいだよ。誰のせいなんてことはないんだよ」
「…………」
「……ねえ、もし良かったら、これから一緒にケーキ食べない?」
「は?」
「行こうよ。ね、行こう。決めた」
「はあ!?オレは行くなんて言ってねえよ、おい!」

きゃんきゃん吠えるデュースくんの手を引っ張って、駆け足で教室から出る。廊下を一生懸命走る間も、彼はなにやら後ろで喚いていたけれど、乱暴に手を振り解く事はしなかった。
何も知らないところに一人で連れてこられて、そして『未来の自分』を名乗る人物が、我が物顔で自分の名前を語り歩いている。それがどれだけ奇妙で、心細くて、消えてしまいたいことか、わたしには想像もつかない。けれど、きっとわたしと彼は、似ているところがある。寂しさを分かち合って、心の器に空いた穴を両手で覆って、そこに水を注ぎ入れることができる。ほんの気休めにしかならないとしても。わたしがかつて、みんなにーー大好きなデュースに、してもらったように。

「わたしね、なまえっていうの。変なこと言うようだけど、ちょっと前に異世界から来て、知り合いすら少ないんだ。だから、友達になってくれない?」

彼の手をひいて走りながら、わたしは振り返ってそう笑いかけた。金色の前髪の隙間から、驚きと困惑が入り混じった青い瞳が見える。そこには、ここに来てからずっと携えていた鋭い色は消えていた。
そうだ、そうなったらいい。周りを威圧するばかりの色をひそめて、彼のその碧い目を、他の感情で満たせたらいい。もしそれが、喜びや楽しさだったら、もっともっといい。


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