小説 | ナノ


▼ 幼馴染のシーザーちゃんと仮面カップルすることになって@(JOJO)

(大学生パロ)

「シーザーちゃん……。ねえ、振られちゃった」
「急に押しかけてきてまたそれか?いい加減にしろよ」

綺麗な顔を見るからに不機嫌ですといったように歪めて、シーザーは吐き捨てるように言う。
でもだって、わたしだって別れたかったんじゃあない。今度こそは好きになれるって、そんな気がしたからーーそんな言い訳を喉の奥に飲み込んで、わたしはただ俯いた。

「今度は誰だ?あの法学部のやつか」
「それは先月の人だよ。今日のは商学部の人」
「誰のことだよ。顔すら分からない」

シーザーはソファーに体を深く沈めなおして、逞しい腕を胸の前で組んだ。緑色の目が自分を非難しているのが分かって、一度上げかけた視線をまた下に逸らしてしまう。

「だって急なの。まだ付き合って2週間なのに、いきなりキスしようとしてきて、それも何回も。びっくりしたからやめてって言ってたら、いい加減にしろって振られちゃった」
「世間一般的には急でも何でもないぜ。そもそも、キスもしたくないような男とどうして付き合うのか理解できん」
「告白されたら、この人のこと好きになれるかもって思うんだよ」

わたしの言い分に、シーザーは大きくため息をついた。

シーザーとわたしは幼馴染だった。二つ年上のシーザーはかっこよくて憧れで、おまけに面倒見が良かった。小さい頃のわたしは文字通り後ろをついて回っていた。中学生になったあたりでシーザーは少しやんちゃをしたけれど、それは差したる問題ではないと思っていたので、彼のそばから離れようとは微塵も思わなかった。
高校こそ別々のところに進学したものの、大学ではまた同じ学校、同じ学部になることができた。シーザーもわたしも、親元を離れて一人暮らしを始めたこともあって、彼は前よりも面倒見の良さを発揮している気がする。

「……それに、誰かと付き合ってたほうが、色々絡まれなくて済むって、ジョセフが」
「あいつか……。じゃあなくてだな、なんだ、絡まれてるのか?」

履修の組み方も、おいしい学食も、大学付近にあるおしゃれなお店もシーザーは教えてくれる。どれだけ頼っても嫌な顔ひとつしないのだーー基本的には。

「うーん、まあ、LINEとかたくさん来たり。最寄りで待ち伏せされてたりとか」
「なに?」

シーザーが唯一わたしを睨みつけるように見るとき、それは、わたしの異性関係についての話のときだ。
自分がだらしないのは分かっている。いろいろな男の子が声をかけてくるのも、きっとわたしが軽い女のように見えるからだろう。
そんなことを言っても、わたしも年頃の女の子だ、恋人は欲しい。もっと言ってしまえば、優しくて落ち着いていて、わたしもその人も、心の底からお互いを愛しているような。

「告白されたとき、自分もこの人を好きになれるかもしれないって思うんだよ。それは本当だよ」
「……だが、触るのも嫌なんだろう。おまけに他の男避けにするなんて、まるで置物じゃないか。犬でも連れてた方がマシだ」
「キャンパス内はペットの持ち込み禁止だよ」
「そういう意味じゃあねえ」

でも、だめなのだ。普通に話しているときはいい、手を繋ぐのも。でもそれ以上はどうしても生々しく感じてしまって、拒否反応が出てしまう。概念として存在していたものが、急に現実味を持って自身に迫ってくる感覚。それがどうにも恐ろしくて、もう18歳なのにキスすらできない。そんなわたしと長く付き合ってくれる人なんているわけなく、告白されて振られて、をこの春から何回も繰り返しているわけである。

「なんでお付き合いするんだろう。わたしも誰かを好きになれるときがくるのかなァ、ねえ、シーザーちゃん、どう思う?恋愛プロフェッサー」
「まあ、今のままじゃあ厳しいな。って、なんだ、プロフェッサーって」
「だって、よくいろんな女の子と一緒にいるから。何人と付き合ってるの?」
「何言ってんだ、このスカタン。彼女はいないよ」
「えっ」

思わず大きな声を上げると、シーザーは何を驚いているんだ、とでも言いたげな顔でこっちを見る。ーー何その感じ、わたしがおかしいの?
シーザーはモテる。それはもう、たいそうおモテになる。まずは何よりイケメンだ。ひろい二重幅、宝石みたいな緑色の目。そして金髪。男の人にしては色白で、でも体格もスタイルもすごくいい。おまけに、女の子に優しいときている。きっと幼馴染じゃあなかったら、わたしとシーザーは一回だって話したことはないだろう。
だからーーと繋げるのはおかしいかもしれないが、シーザーが学内やその近くでいろんな女の子と2人で歩いているのをよく見る。1年生の中でも、誰々がシーザーに告白した、なんて噂が時々流れてくるほどだった。

「馬鹿だな。おまえがいて、他に彼女を作れるわけないだろうが」

シーザーはそう言って、ちょっとはにかんだ。その言葉になんだか心臓がむず痒くなる。ごまかすように、その辺にあったクッションに顔を埋めた。あ、せっけんの匂い。

「でも、シーザーに好きな人ができたら、わたしはきっと邪魔になるでしょ。だからそのときは、バッサリ切っちゃっていいんだからね」
「それは……いや、そうだな。その予定があればな」
「うん」

自分で口に出したことではあるけれど、何だか頭の隅に引っかかってしまう。シーザーに、本当に彼女ができたら。きっとこうやって、好きな時に彼の家に来ることもできなくなるのだ。急にくるな、とか言いはすれど、シーザーは本気でわたしを邪険にしたことはない。いくら女の子に優しいと言っても、シーザーは、自分が嫌なことは嫌だとはっきり伝えるからだ。わたしが女としてみられているかは別として。

シーザーの家のドアを開いたら、彼が心底嫌そうな顔で「帰ってくれないか。彼女が来てるんだ」とドアを無理矢理閉めてしまう未来を想像した。そんなの、耐えられるのだろうか。わたしはやっぱり、シーザーちゃんに頼りすぎている。もっと自立しなければ。

「どうした?」
「なにが?」
「悲しい顔をしているから。何を考えていたんだ?」

でも、ほら、こういうところだよ。ちょっとわたしが黙り込んだだけで、彼は優しい言葉をかけてくれる。何だか泣きそうになった。
今まで付き合ってきた男の子たちも、優しくなかったわけじゃあない。でもどうしてだろう、シーザーのやさしさは、他のどんなものよりも暖かく感じるのだ。

「シーザーに彼女ができたら……もう会えなくなるのかなと思って」
「嫌なのか?」
「うん」
「ーーそうか」

わたしの言葉に、シーザーは何回か頷いた。そして、一つの提案をするのだ。わたしからしたら思いもつかない、ひとつの案を。

**

「いやそれ、付き合ってるって言えんの?」
「うーーん、うん……。たぶん?いや、言えないかも」
「どっちだっちゅーの」

そんな話を一通り聞いていたジョセフは、この前のシーザーと負けず劣らずの怪訝な顔をした。講義中だというのに、お菓子を口に運びながら。
と言っても、大講堂で行われるこの講義、世間一般でいう楽単というやつだった。毎週一時間半動画を見るだけの時間である。教授はお年を召したおじいちゃんで、1番前の席に座り動画が始まってすぐ船を漕ぎ始める。テストもないし、ただ出席カードさえ出せば単位がもらえるのだ。だからカードを出して帰ってしまう人もいるけれど、わたしはなんだかんだ動画を見ている。教授の趣味なのか、毎週古い洋画が流れていて、それが結局は面白い。そんななか、わたしとジョセフは小声でこそこそ話をしていた。

議題は専ら、この前の、わたしが彼氏に振られたとシーザーに泣きついたときの話である。あのあと、どうしてだかーーわたしとシーザーが、お付き合いするという流れになったのだ。

「ほぼ仮面夫婦だろ、それ」
「やっぱりそうなのかな。でもおかしいよね、なんでわたしのためにそこまでするんだろう」
「そりゃ、おまえ……いや、やっぱいいわ」
「え?なに?」
「なんでもねーよッ!」

ジョセフは食べ終わったお菓子の袋を握りつぶす。映画はもうラストシーンだった。モノクロの画面の中で、男女がロマンティックなキスを交わしている。

ーーそれなら、おれと付き合えばいいだろ。

なんでもないことのように、そう言ってのけたシーザーは、いつもの雰囲気と全く変わらなかった。例えば、宿題が分からなくて泣きついた小学生のころのように、しょうがないなあ、とでも言いたげな表情で。
シーザーも、女の子絡みで少し不便に感じることがあるのだという。彼女がいると知れれば、多少は関係を整理できそうだと呟いていた。わたしのためだけじゃないのか、きっとシーザーにも、わたしと付き合うことで得られるメリットがあるのかなあ。

それでも、やっぱり頭の片隅に引っかかってしまう。シーザーが、わたしにそこまでする理由。彼がそれで満足なら、別にいいんだけれど。

「ま、いいんじゃあねーの。あッ、シーザー伝いに過去問流してくれるの待ってるぜ!」
「えー、今度何か奢ってよね」
「よっしゃ」

そんなやりとりをしていたとき、わたしのスマホに通知が来る。メッセージだーーシーザーからの。

「にゃにぃ〜?」

それを横目で見ていたジョセフが、わたしのスマホを勝手に手に取った。そしてそのままメッセージを読み上げてしまう。ーーこの授業が終わったら、何か食べに行かないか。

「よし、『焼肉じゃないとヤダ』っと」
「ちょっと勝手に何送ってるの」
「焼肉でいいってよ」
「やだもう、返して!」

ジョセフの大きな手からスマホを奪い返す。こいつ、本当に焼肉がいいってメッセージ送ってる、もう。しかも語尾にハートマークまで付けていた。
そんな厚かましい文章にも動じず、シーザーは、「分かった。どの教室にいる?」なんて返事を寄越している。後で会った時に訂正すればいい、と思って、大講堂にいる旨を送った。
映画はもうエンドロールだ。前方に座っている学生が、すやすや眠っている教授を起こしにかかった。
まだ講義の終わりまでには時間があるが、この感じだったら規定の時間よりも早く終わるだろう。続け様に、もうそろそろ終わりそうだよ、とメッセージを送っておいた。

ようやく教授が起きて、後ろの席から出席カードを回収し始める。わたしたちもそれを提出して、机の上を片付けた。専ら、ジョセフが食べたお菓子のゴミしかないが。

正式な挨拶もなしに、さらりと講義が終わった。わたしは今日はこの時間で終わりだが、ジョセフは次の講義も取っているらしい。帰っちゃおうかなァ、なんて横で呻いているのを聞き流していたら、入り口の方でささやかな黄色い声が上がるのを聞いた。

「なまえ。……と、JOJO。お前もいたのか」
「よー、シーザーちゃん」

階段を登って、シーザーがわたしたちの方へ近づいてくる。女の子たちが彼を見ているのが嫌でも分かった。先程の黄色い声は、やっぱりシーザーに向けられたものだったらしい。席に座ったまま、ぼけっとシーザーを見ていると、彼は眉を下げて笑って、こっちに手を差し出してきた。

「ほら、鞄」
「え?いいよそんなの」
「いいから。おれがしたいんだ」

そう言って、机の上に置いていたわたしのトートバッグをひょいと持っていってしまう。隣でジョセフがケッ、と言ったのが聞こえた。そのままに歩き出したシーザーのあとを慌ててついて行く。ジョセフにまた明日、と手を振ると、さっきの忘れんなよ、と手を振り返された。

「今の、何の話だ?」
「テスト協力し合おうねって話してたの。そろそろだから」
「そういえばそうだな。いくつか過去問持ってるはずだから、後で探してやるよ」

シーザーは当然のことのように、わたしのトートバッグを持って隣を歩く。その横顔を見つめていたら、ばちりと目があった。彼は何を考えたのか、少し口角を上げたあとに、バッグを持っていない方の手でわたしの手を握った。

「え、ちょ、シーザーちゃん」
「どうした?」
「いや……ううん、なんでもないよ」
「変なやつだな」

周りの視線がびしびしと突き刺さってくる。そんなことは気付いていないのか、シーザーは終始ご機嫌な様子だった。
何となくわたしは落ち着かなくて、曲がり角を通る際、偶然を装ってスッと手を抜こうと試みる。触られたくないとかそういうことではなくーーちょっと反抗してみよう、といったようないたずら心だった。
しかしシーザーは視線を上げることなく、ただしっかりとわたしの手を繋ぎ直した。全く落ち着かない。こんなにソワソワしているのがわたしだけなんて、何だか癪なくらいだ。

「授業はどうしたの?」
「電車の中で休講になったことに気付いたんだ。そっちの講義も早く終わって運がいいな」

口をもごつかせながら、なんとか喋る。そういえば、大学に入学してから、こうして校舎内を2人で歩くのはあまりなかったかもしれない。やっぱり周りの視線が気になって、どうしても目を彷徨わせてしまった。

「なんだなまえ、今日はずいぶん静かだな。JOJOに何か言われたか」

揶揄うような言葉に、違うし、と反射的に返すと、シーザーが繋いでいた手を一瞬離して、わたしの頭をぽんぽん叩くように撫ぜた。
どうしようもない年下に対するようなその仕草が、いつもだったら嬉しくてたまらないのに、今日だけはむず痒さを持って胸の奥を締め付けてくる。でもそれを受け入れてから、もう一度手を繋ぎ直して隣を歩くわたしは、従順以外のなにものでもなくてーーなんだか悔しい、と、唇を軽く噛むことしかできなかった。




シーザーちゃんと『お付き合い』を始めてから、なんだかんだ一ヶ月が経った。わたしが遅くまで授業を取っているときは、必ずシーザーが教室まで迎えに来てくれるし、学内だろうと堂々と手を繋ぐ。
わたしが、というより、シーザーに彼女ができたことは、あっという間に大学中に知れ渡った。一回も話したこともない同期の女の子たちが、教室の隅に集まってわたしを見ながらコソコソ話している光景をよく見かける。

代わりに、あんなに毎日メッセージを送ってきていた男の子たちはがたんとその頻度を減らした。部活動終わりに、部室の前で待ち伏せされることもない。それは本当に嬉しいことで、望んでいたことだったのだけれどーー

本当にこれでいいのかな、この考えが首をもたげてしまって縮こまらない。
だって、今のこの関係は、シーザーのきもちがどうこうっていうんじゃあないから。ジョセフが言った通り、仮面なのだ。嘘っぱちの関係。そんなのってーー

「それ、恋よ」
「こい」
「そうよ!間違いないわ、それ以外ないもの。気付かないなんて、なまえもちょっとおバカさんね」

にこにこ笑顔のスージーに、わたしはといえば顔を青くさせた。まさか、そんなことってない。スージーは、甘いものの飲み過ぎで脳内もあまあまになっちゃったんじゃあないだろうか。今もミルクティーを飲んでるし……何て考えていたら、スージーは手を忙しなく動かしながら熱弁し始めた。

「いい?なまえ。あなたってば、この前まで酷かったのよ。側から見たら、男の子を弄んでポイ!だもの」
「ちょ、弄んではないよ!たぶん……」
「でも、すぐに別れて付き合っての繰り返しだったじゃあないの。そんななまえが、男の子のこと気遣えるようになったなんて」

ここはカフェだというのに、スージーの声は随分と大きい。周りの目がちらちらこっちに向いているのが分かって、もうちょっと静かに、と宥めると、彼女は小さく咳をしてごめんなさいね、とお茶目に謝った。
暫し考えてみる。わたし、シーザー、恋。確かに思い当たる節がないわけでもなく、というか何個も頭の中に浮かんできてーー頬にどんどん血が集まっているような気がした。

「ちょっと、やだ。なまえあなた、すっごく可愛い」
「からかわないで!」

スージーから見たら、わたしの顔は茹で蛸のごとく真っ赤らしい。耳まで熱くなってきてしまって、わたしはグラスに汗のかいたアイスコーヒーを飲み干した。
だって、まさか、そんな。いや、でもあんなのは、好きにならない方がおかしいよ。

わたしとシーザーは幼馴染という言葉通り、飾り気のない関係だった。彼がわたしを女の子として見ているのかだって定かではない。だから一ヶ月前のわたしは、彼の提案を抵抗もなく受け入れたのだ。ビジネスのようなものだ、と。
だが、蓋を開けてみればどうだろう。
口の端を歪めて皮肉げに笑うか、もしくは大口を開けて大笑いするかの二択だった彼の笑顔は、心から愛おしいものを見つめるときのようなあたたかい空気を纏いはじめた。
ガラス玉のような緑色の目は、いつも優しげに細められて、そうして見つめられてしまうと、心臓が忙しなく動いて困ってしまう。本当に、今までこんなことはなかったのに。

「でもねなまえ、わたしと付き合ってていいのかなあなんて、それは違うわよ。シーザーが他の子と付き合いだしたら嫌でしょう?それでもいいの?」
「それはいや!」
「うふふ、そうでしょ!」

シーザーが気を遣っているかもなんて、もし本当にそう感じるんだったら、彼に好きになってもらえるようがんばらなきゃ。
スージーの言葉に、わたしは自分に言い聞かせる意味も含めて何度も頷いた。
彼がもし、わたしを幼馴染としてしか見ていなくて、今の関係も彼の優しさから来るものだとしたら。もしそうだとしても、身を引くんじゃあなくて、異性として彼の隣にいれるように努力したい。

「スージー!わたし、頑張るよ!シーザーちゃんに好きになってもらえるように」
「素敵よ!あたしも協力するわ。じゃあまずだけど、今日は彼、何してるの?」
「え?えっと今日は、レストランでバイトって言ってたかな……」
「閉店まで?」
「ううん、8時って言ってたから多分違う」

そう言うと、スージーは意味ありげな笑みを浮かべた。その表情、どことなくジョセフに似てるんだよなあーーそれを言おうものなら、彼女は必ず怒るから、そっと胸の中にしまっておく。
今の時間は17時。念のため、シーザーの働いているレストランの閉店時間を調べたが、営業は21時までだった。それを伝えると、スージーはさらに笑みを深くした。

「シーザーのお店に行きましょ!それで一緒に帰るの。あなたが待っててくれたら、きっと彼喜ぶわよ」
「え!でもそんな、突然なんて迷惑じゃあないかな……」
「女の子はちょっと頼るくらいがかわいいんだから。それにもし大繁盛だったら、そのままあたしと2人で帰ればいいのよ。ね、そうしましょ」

その提案のとおり、わたしの彼女は連れ立ってシーザーの働いている店へ向かった。場所こそ知っているものの、彼が働いているところに顔を出したことはない。なんだか少し緊張しながら、髪型や化粧を直しつつそこへ向かう。
お店につく頃には、時間は18時を半ば過ぎたあたりだった。あたりは暗く、お店自体もひっそりとした雰囲気であった。openの看板は出ているから、やってはいるらしい。窓からこっそり中を覗き込んだ。お客さんはいないみたいだ。

「なあに、入りましょうよ」
「待ってスージー、なんか緊張してるかも」

実は彼と付き合いだしてから、わたしから会いに行くことってなかったーーような気がするんだよね。
そう言うとスージーは声をあげて笑い出した。わからない、わたしもどうしてそうなっちゃったのか。普通に幼馴染をやってた一ヶ月前のころ、わたしどうやって彼に話しかけていたのかな。突然家に押しかけるだなんて、今からしたら考えられない。どうしよう!

そうしてドアの前で右往左往していると、ちりん、と涼しいベルの音が鳴った。「あの、」控えめに声をかけられる。ぱっと顔を上げると、そこには、黒いエプロンをつけた女の人がいた。

「いらっしゃいませ。よかったらどうぞ」

朗らかに笑う女性は同い年くらいで、この店の店員さんらしい。ドアを開けて、こちらが入るのを待っていてくれていた。わたしが何か言うより先に、スージーが大きな声で「ふたりです!」なんて言うものだから、わたしはちょっと笑った。

「入りにくいですよね。営業しているのが分かりにくいってよく言われるんです」
「確かに。でもおしゃれです!」

お店の中は、白で統一されていた。白い天井、白い板の床。机も椅子も戸棚も。飾ってあるインテリアを見るに、イタリアンのお店だろうか。さっきのカフェではコーヒーしか飲まなかったから、何だかお腹が空いてきた。

席についてから、スージーはこそこそと周りに目をやる。店員さんどころか、お客さんさえわたしたち以外にはいなかった。先程の女性も、わたしたちにメニューを渡してから奥へ引っ込んでいってしまう。わたしの心臓は、どきどき鳴りっぱなしだった。

「本当にここよね?」
「うん、そうだよ……」
「じゃあそのうちホールに出てくるわよ。何か食べましょ、あたしお腹すいちゃったの」

スージーってば、当初の目的忘れてるんじゃあないの。そんなことを一瞬考えるも、わたしもお腹が空いていたので素直にメニューに目を通した。今日はパスタの気分、しかしどれも美味しそうだ。前菜も頼まない?と彼女に聞こうと顔を上げたとき、視界の端に、眩しい金髪がちらりと映る。
ーーあ、もしかして。心臓がぼんと音を鳴らした。

「ーー失礼します」

床を革靴が叩く音。そののちに、お決まりの挨拶とともに机にお水が二つ置かれた。ちらりと顔を上げると、緑色の瞳とぱちりと視線が交わる。さきほどの女性と同じ、黒いエプロンを身につけたシーザーは、ぽかんと口を開けていた。

「え?なまえ、スージーQ」
「来ちゃったの!頑張ってるかなァって思って!」

ね!と同意を求められて、うん、と小さく頷く。何となく反応が怖くて、そわそわしていると、シーザーは眉を下げて笑った。

「何だ、先に言ってくれればよかったのに」
「迷惑だった?」
「迷惑なんかじゃあないさ。ちょっと気恥ずかしいが、来てくれて嬉しいよ」

見ての通り、他に客もいないしな、とシーザーは続ける。細身のパンツに黒いスニーカー、白いシャツの上には黒の無地のエプロン。シンプルな格好も随分様になっていてかっこいい。じっと見ていたらばっちり目が合ってしまって、誤魔化しついでにメニューに目を落とした。

「全部おいしそうで迷っちゃうね」
「ああ。おれが言うのも何だが、どれもうまいぞ。日替わりパスタはアーリオ・オーリオだ」
「なまえのは、シーザーに作ってもらいたいわ。ね、なまえ」
「スージー!」

スージーの冗談に思わず大きな声をあげると、シーザーはきょとんとした顔をして、すまないがおれはホール担当なんだ、と真面目に返した。当の彼女は声をあげて笑う。わたしは振り回されっぱなしで、照れで赤くなる頬を両手で覆った。

「まあ、おれの料理なんていつでも食べられるだろう。そんな顔するな」
「…………今日、終わってからでも?」
「もちろん」

わたしのちょっと意地悪な質問にも、シーザーはさらりと返した。そのまま注文を取って、奥のキッチンへと消えていく。思わず胸に手を当てるわたしに、スージーはにこにこしながら囁いた。

「仲良しじゃない。あたしが心配しなくてもよさそうね」
「そ、そうかな……。でもなんか恥ずかしいよ」
「照れちゃって!」

そんなたわいもない話をしていると、ふと視線を感じる。その方向へすっと視線を向けると、店に迎え入れてくれた女性と目が合った。数秒見つめあって、女性はにっこりと微笑んで水の入ったピッチャーを持ってこちらにやってきた。気を使わせてしまった、と、慌てて視線を下げる。

しばらく経って、シーザーが料理を両手に持ってキッチンから出てくる。お待たせしました、とそれをわたしたちの前に置き、そのまま彼もわたしの隣の席に腰掛けた。首を傾げると、シーザーは眉を下げて笑う。

「おれもそのまま上がっていいと言われたんだ。食べ終わったら一緒に帰ろう」
「優しいね、店長さん」
「恋人が来てくれたって話したら、目の色を変えてきたよ。ほら、そこから見てる」

シーザーがちょっと顎で示した先、キッチンからこっそり覗くように恰幅のいいおじさんがこちらを見ていた。目が合うと、小さく手を振って奥へ引っ込む。おちゃめな店長さんだ。

そのあと、わたしたちは美味しい食事を楽しんだ。20時を前にしたころ、そろそろ帰ろうか、ということになって、わたしたちは店を出た。駅まで一緒に行こうと提案したけれど、スージーは、すぐ目の前の停留所からバスに乗って帰るから大丈夫だと言い張った。彼女は終始笑顔で、スキップしそうな調子でバス停まで向かっていった。その後ろ姿を見届けて、シーザーは、「帰ろうか」と微笑む。

空はもう真っ暗で、足元をほのかに街灯が照らすだけだった。人気もない閑静な住宅街を、駅へ向かって並んで歩く。繋いでいない手は、ふとした瞬間に甲同士が時々ぶつかった。  

「なまえ」

シーザーがぽつりと呟く。

「今日は会いに来てくれてありがとう。嬉しかった」
「そんなの……いいの、えっと」

思わず言葉を止めてしまう。でも、言わなければ。スージーQとのやりとりを思い出した。シーザーに、好きになってもらえるようにーー

「あのね、わたしが、シーザーちゃんに会いたかったの」

その場のノリとか、スージーに言われてしょうがなく、とかそんなんじゃあない。他の誰でもなくわたしが、シーザーに会いたいと思った。そしてそれを、素直に言葉に出して伝えたいと思ったのだ。
すぐに何らかの答えが返ってくると思ったのに、シーザーは黙ったままだった。お互いの足音だけが、静かな住宅街に響く。ーーちょっと、なにか言ってよ。震える声でつぶやいた。

「い、いやーーすまない。驚いたんだ。うん、嬉しいよ」
「……もしかして引いてる?」
「まさか!そのままの意味だよ。……ここ最近、おまえが我儘を言わなくなった気がしてたんだ」
「我儘?」

じとりとした目で見ると、シーザーはやや言い淀みながら言葉を続けた。
最近わたしが、家に押しかけたりしなくなり、自分からメールをしてくることが稀になったと。それだけではなく、自分の要望さえもあまり言わなくなった。それがシーザーからしたらーーさびしい、と感じるものだったらしい。

「情けないと思わないでくれよ。まあ、その、なんだ。おまえの我儘をきいてやるのが日常だったというか、な」
「……じゃあ、いまちょっと、我儘言ってもいい?」
「ああ、どうぞ」

「もう少しお喋りしたいの。だから、歩いて家に帰りたい。電車じゃなくて」

わたしの言葉に、シーザーは笑った。そんなの、我儘のうちにも入らないな、と。
彼の手がするりと伸びてきて、わたしの手のひらを握る。硬い感触に、少し体が強張った。ーードキドキする。
静かな路地に、わたしたちの小さな話し声と、歩幅の小さな足音だけが響いている。わざとゆっくり歩いているのを、彼は気付いているだろうか。

「なまえ」

そうして、一時間ほどをかけて、わたしの住むアパートの前に来たとき。シーザーは穏やかな声で、わたしの名前を呼んだ。
時間の流れる速さが緩やかになったように感じる。わたしとシーザーを包む雰囲気が変わったのが分かった。しっとりとした空気。仄かな街頭の灯りの下で、彼の彫りの深い顔には薄く影がかかっていた。

「先に言っておくが、これは軽い気持ちじゃあないぜ。だが、難しく考えるな」

いやだったら、避けてくれ。

その言葉とともに、シーザーの片腕が腰のあたりにそっと回る。ーーあ、これって。
分かる。他のひとと、何度もこの空気になったことがあった。その度に、拒否感と気味の悪さが心から湧き出して、自分より大きな体を突っぱねた。
でも、今回はどうだろう。どこか違うーー気がする。胸の奥から生まれてくる感情は、拒否とは少し違う。このままだと、戻れなくなるような気がする。離して欲しいーー離してほしくない。この先を、教えてほしい。

「シーザー」

ぽつり、名前を呼ぶ。その音ごと、彼の唇に吸い込まれた。
心臓が止まったような、そんな気さえした。唇に感じる感触は淡白で、ちょっとかさついているな、とか、グミと同じくらいの柔らかさかな、なんて呑気なことが頭に浮かぶ。
でも、そんなことは置き去りにして、胸はどくどく大きな音を立てて存在を示している。身体が熱い。

唇がそっと離れていく。初めてーー初めてのキスだ。伏目がちの緑色の瞳が、わたしだけを映している。
好きだ。たまらなく好き。この人に、わたしは恋をしている。






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