幸せの延長線

待ちに待った金曜日。なんとか仕事を定時で終わらせて花の金曜日を満喫しようと会社を出た。まだ日が出ている時間に退社できることに感謝して、初夏のじっとりとした熱気の中をくぐり抜ける。どこへ行こうか、何をしようか、そんなことを考えながら居酒屋街に向かう道を歩きながら携帯をいじる。イヤホンから流れる曲は相変わらず“HE★VENS”。

「“縛られない生き様を”…」

まるであの日のことを言われているような気がして、それでも真相はわからないまま時間だけが過ぎていく。連絡を取ることは出来るのだけど、敢えてそれをしないのは心が弱いから。きっとまた連絡をとってしまえば、私は赤の他人なんだってことを実感させれることなる。ただ虚しい思いをするのなんてごめんだった。

背中に汗が伝う。早くどこかに入りたい。目の前に見えた行きつけの居酒屋に入ろうとヒールを鳴らしたときだった。

「名前」

音楽を聴いていたのにやけにはっきりと聞こえた声は聞き慣れたものだった。目深に被った帽子の端から見える髪の毛はイエローグリーン。私よりもはるかに大きな身長はすっぽりと私を覆いつくす。

「よ、く気づいたね、久しぶり」

公共の場だから名前を呼ぶのを躊躇った結果、言葉に詰まってしまってしまった。そんな私を見て吹き出して笑う彼は最後に会ったときと変わらない。

「何年もお前のこと見てたんだ、わからねぇわけねぇよ」
「女の子なんて見慣れたでしょ?」
「嫉妬か?」
「そんなんじゃないわよ」

普通に喋れてる自分に驚く。思っていたより吹っ切れているのかもしれない。彼がHE★VENSとしてデビューすると決まったあの日、彼から持ち出された別れ話。…大和らしいと思った。何事も中途半端にできない彼だから至極当然なことだと思ったし、私も素直に彼を応援したいと思った。

「あの店、入ろうとしてたんだろ?」
「うん、今日は久しぶりに定時上がりだから飲もうと思って」
「同席していいか?」
「もちろん」

あの店は私と大和の行きつけだった。個室があり、お酒もご飯も美味しい。彼はまた帽子を深く被り歩き出した。

「大和は飲む?」
「あー、最初の1杯だけにしとく。明日の仕事に支障出ちまったらあいつに何言われるかわかんねぇからな」

席についてビールを頼む。久しぶりにみた大和の顔はアイドル雑誌に載っているものと同じものでファンの人に罪悪感さえ覚える。それでも彼の本質は変わっていなかった。

あれからどれくらいの月日が経っているのだろう、新しい彼氏も作らないままこんなところまで来てしまって元彼と酒を飲む。やっぱり引きずってるのかなぁと大和の顔を見てやっぱりかっこいいなぁと、そんなことを何回も繰り返す。1度こんなに素敵な人と付き合ってしまったら、次に踏み出せないのはごく自然なことなのかもしれない。すべての責任を大和に擦り付けたところで私はこの先数年の男運を諦めた。

「今日はよく呑むな、お前そんなに強かったっけ」
「いや、なんかお酒がすすむんだよね」
「潰れんなよ?」
「潰れるまで飲んだことないでしょ」

潰れるまで飲んだことないけれど今回は潰れないとは言ってない、なんて思いながら確かに飲みすぎかもなと烏龍茶を頼むと大和に笑われた。

締めのアイスクリームを平らげたところで帰るかと席を立つ。いつの間にか伝票を奪われ、これぐらい払うって言われてしまいアイドルになるってすごいなと謎の関心をしていたのに、「あー、小銭あるか?」なんて聞いてくるあたりは全然変わらなくてつい笑ってしまった。

そのあとすぐ解散するのかと思ったのだが家まで送ると言われ、その厚意に甘えさせてもらった。夕方ほどの暑さではないが生暖かい風が吹く道を歩く。私の家は大和と付き合ってた頃と変わってなくて、居酒屋から歩いて帰れる程の距離にあった。

「彼氏、作らないのか?」

居酒屋では一言もそんな話しなかったのに、帰り道に話すなんて少しずるいなぁと思いながら彼の顔を見た。少し恐怖を含んだような、眉尻をさげてこちらを見ている。

「作らないよ、あと数年くらいは。いい感じになった人もいるんだけどね、結局貴方ばっかり思い出しちゃうもの。喧嘩別れでもすればよかったわ」

そう言えば彼はふーんとつまらなそうに返事をした。なんだ、そう言って欲しかったんじゃないのか。そう思いながらもう一度彼を見上げると少し考えているようだった。彼自身いまは恋愛なんてうつつを抜かしてる暇じゃない、そう分かっていながら気にかけて欲しそうに言った言葉は彼にどう刺さるのだろう。きっと私は酔ってる。

「おれはよ、名前のこと離さなきゃよかったって思ってる」

外なのに手を掴まれて、引っ張られるように家までの道のりを進んだ。沢山の街灯が私たちを照らすけど、それはただ足元を照らすものに過ぎなくて、いつもの道なのに妖しく輝いてるような気がした。

「んっ…、ふ……」

家の鍵を開けて中に入れば壁に背をつけられて唇を奪われた。頭を強く固定されて、深く舌を絡め取られるようなキスに私は呼吸をする暇も与えられない。早歩きをしたせいなのかお酒のせいなのかはわからないけれど、少し火照った身体はさらに熱くなる。ようやく唇が離されたと思えば、今度はがぶがぶと首筋を噛んでくる。

「っ、跡は、だめ…!」
「つけねぇよ、……多分な」

本当に齧られちゃうんじゃないかって思うくらい。それでも歯の間から出てきた舌がベロンと筋を舐めあげ電流が走ったかのように反応してしまう。彼のごつごつとした手が私のシャツを捲って下着に触れたとき、あぁもう戻れないなとやけに冷静に思った。

「…ベッドいくぞ」

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.
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そのあとのことはあまり覚えていない。見慣れた自室で背徳感を抱きながらも、優しく触れてくれる彼に何度好きと言ったか。そんな私に対してたくさんの愛を言葉にしてくれる彼は本当にいとおしくて、なんで離ればなれになってしまったのかわからなくなる。目尻に残る涙の跡は、嬉しいものか悲しいものかなんて答えも出せずに朝を迎えてしまった。

彼の体温が残らないベッドは、私の心に穴を開けたように孤独感を植え付ける。いつもよりぐしゃぐしゃになったシーツを体に巻き付けて、ずるずるとリビングに向かえば時計の針はお昼を差していた。とりあえず今はなにもやる気が出ないから、とそのままソファに倒れ込めばテーブルの上に紙が置いてあることに気づく。

「…べつに、携帯で連絡してくれればいいのに」

なんて思ったものの、別れてから1度も連絡をとっていないこの状況でそんな勇気はないか、と理解した。紙には“起きたら電話しろ”とだけ。仕事中だったら出ないじゃない。そう思いつつも昨日の記憶を頼りにバッグを探し出し携帯を取り出した。見慣れた電話番号を探し出せば躊躇することなく通話ボタンを押す。

「……あ、大和?」
『よぉ、遅いお目覚めだな』
「久しぶりで疲れたのよ。で、なんで電話?」

どうせ出ないだろうという思いとは裏腹に大和は数コールで電話に出た。暇なの?と思ったが、遠くの方でスタッフさんたちの話し声が沢山聞える。そんな場所で堂々と元カノと電話してていいのか。

『本当は面と向かって言いたかったんだけどよ、起こすのも可哀想だと思って』

歩き出したのか後ろに聞こえていた他人の声がどんどん遠くなる。それと比例するかのように私の心臓はドクドクと大きな音を鳴らした。

『やっぱ名前のことが好きだ。まだ仕事と両立できる自信がねぇからたくさん迷惑かけるかもしれねぇけど、それでも俺を好きでいてくれてるならまたやり直したい』

時間が止まった気がした。知らないうちに手に力が入っていたみたいで、しわくちゃのシーツにさらに皺を作る。

『返事は今日の夜聞く。家行くから、準備しておけよ』

じゃ、仕事戻るわ、とこちらの返事を待たずに彼は電話を切る。ツー、ツー、と通信の切れた音だけが部屋の中に響き、さっきまで感じていた孤独感が幸福感に変わった。

「好きに決まってるわよ、バカ」

自分以外誰もいない部屋で、私は頬を濡らしながら愛しい人へ返事を返した。



幸せの延長線
(不器用だけど、素直な愛)




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