愛情が先か、支配が先か

どうにも上手くいかない日はあるもので、今日は言葉の通りそんな日だった。主役ではないけれどそこそこ出番のあるドラマの撮影が入っていたのだが、軽いベッドシーンの撮影が終わった辺りから細かいミスが目立ってしまい、塵も積もれば…というように撮影は少しずつ押していった。結局撮影が終わったのは闇も深くなった深夜。私は明日の仕事が午後からだから良かったものの、ほかの出演者やスタッフさんに迷惑をかけてしまったのは確か。申し訳ないとは思いつつも考えてる事は撮影でのこと。好きでもない人に触られた場所を念入りに拭いたのだけれど、まだ何となく汚い気がして気持ちが悪い。女優という仕事が向いていないのかもしれない、と自暴自棄になるくらいには落ち込んだ。

帰りに拾ったタクシーのなかで携帯を確認すると、瑛一から連絡が入っていて“家にいる”とのこと。その連絡が入っていたのが一時間前。撮影で携帯が見れなかったとはいえ返事が遅くなってしまってごめんなさいという気持ちが大きくなる。窓の外を流れる色とりどりの風景に視線を預けながら自宅に着くのを待った。

自宅の前に着くと当たり前のように鍵は開いていた。もう遅いから寝ているかも、という思いとは裏腹にカタカタとキーボードを叩く音が玄関まで聞こえて、沈んだ心に明かりを灯す。履き慣れたパンプスを脱いでリビングにいくと、ヘッドホンをしてパソコンに向き合う大好きな彼氏様がこちらを見た。

「遅かったな、お疲れさま」
「ありがと、ごめんね遅くなって」
「いや、名前が無事ならなんでもいい。俺が勝手に来ただけだからな」

肩に掛けていたバッグと軽く羽織っていた上着を脱いで、私はゆっくりと瑛一の元に足を進めた。彼、瑛一を目の前にすると、先程の撮影で触られていた腹部や頬、腕などが疼きはじめる。瑛一はなにかを感じとったのか、首にかけたヘッドホンを外してパコソンを閉じた。

「…こっちに来い」

ソファに座ったまま膝の上を軽く叩く。彼の表情はいつも柔らかくて、私はそれに甘えてしまう。少しずつ足を進めて、瑛一に跨るように座ると彼の腕が腰に回って引き寄せられる。

「何があったんだ?」
「今日はあのシーンの撮影だったの。やっぱり調子がよくなくて…」
「あぁ、そうだったのか。女優としてはよくないが、彼氏としては少し嬉しいな」

彼には事前に話してあったのだ。軽いベッドシーンがあると。彼氏がいるのに嬉々として撮影する人はなかなかいないと思うが、私は瑛一に対しての罪悪感が尋常じゃなくて不安だということも。だからといって断ることは絶対出来ないし、瑛一と出会うことができた女優という仕事も蔑ろにしたくはない。腹は括ったつもりだったのだが、身体は言うことを聞かなかった。

「嬉しいって言われても…。こっちはもうメンタルぼろぼろよ」

触られたところがまだ変な感じするし、と呟けば腰に置かれていた暖かい瑛一の手が頬に触れ軽く唇を重ねられる。

「とりあえず、シャワー浴びてこい」

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ぽたぽたと髪の毛から滴る水滴すら気にならない。念入りに何回か身体を洗ったのだが、それでも気が晴れなくて、どこか気に入らなくて、汚い気がして、洗ってどうにかしようとすることを諦めた。お風呂から出て、脱衣所でバスタオルを頭から被って心を落ち着かせようと大きく深呼吸をする。

「風邪引くぞ」

ガチャ、と扉が開かれれば瑛一が呆れたような顔でバスタオルを掴みぽんぽんと身体を拭いてくれる。その手があまりにも優しくて、恋しくて、待ち望んだものだったから、捕まえて自分の頬に当てた。冷たくて心地がよく、柔らかくてすべすべな肌が気持ちいい。

「あとで沢山触らせてやるから、今は髪を拭け」
「…はーい」

そういわれて渋々離し、ゆったりとバスタオルを巻いてタオルを持ちぺたぺたと寝室に向かう。歩きながらもわしゃわしゃとタオルで髪の水分を奪っていく。瑛一と付き合ってから買い換えたクイーンサイズのベッドに腰を掛け、彼にタオルを渡すと私と同じように少し雑な乾かし方をしてくれる。

「風呂上がりにバスタオル一枚で歩くなと何度言えばわかるんだ」
「誰も見てないんだしいいじゃない」
「俺が見てる」
「それは問題ない」

せめて下着くらい…、と瑛一が言ったところで私は彼の方を振り向き大きなふかふかなベッドに押し倒した。癖の強い彼の髪がシーツにばら撒かれる。

「っ、」
「だって、“拭って”くれるでしょ?」

私は今、どんな顔をしているだろう。きっと瑛一を困らせるようなことをしているのかも知れないけれど、それでも心のどこかでは瑛一ならどうにかしてくれると勝手に思っていて、強欲な私自身に嫌気がさした。紫色の瞳と視線が混じりあう。身体に巻いていたバスタオルが緩くなり瑛一の身体の上に落ちたと同時に、彼の逞しい両腕が私の身体を抱いた。

「もちろんだ。俺がお前の望むものすべてを与えてやる」

すべてを包み込むような声は私の耳から直接脳に届き、まるで支配されたかのような感覚まで覚えた。でもそれが心地いい。ぎゅっと、苦しいくらいに抱き締められれば心臓がどくどくと脈を打つ。あぁ、好きだ。

「名前」

名前を呼ばれて顔をあげれば瑛一が酷く愉快そうな顔をしていて、私もなんだかそれが嬉しかった。優しく唇を重ねれば、あとはもう流されるだけ。



愛情が先か、支配が先か
(貴方が私を離さなければどちらでも良い)




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