薄明と体温

私が専属モデルをしている雑誌の大きな特集に出ることになった。なんでも大型ショッピングモールが建設されて、その中に入るブティック系のショップ特集だそうで、男性モデルと恋人という設定で写真を撮るようだ。

早朝からの撮影で、昨夜遅くまで仕事していた私としてはもう少し寝ていたいと思いながら家を出たのがさっき。最低限の化粧をして、長い髪の毛もひとつに結んで終わり。なるべくひとに会わずにメイク室まで行きたいものだ。

そう思っている時に限って人と出会ってしまうのが人の性というもので、私は携帯で今日の撮影相手の“桐生院ヴァン”さんのことを少しでも知ろうとネット記事や写真を見ながらモールまでの道のりを歩いていた時だった。

「名前ちゃん?」

声をかけられて振り返ると、今まさに携帯の画面に映っていた“桐生院ヴァン”さんが居た。モデル友達やメイクさんから聞いていた彼はとても評判が良くて、私は逆に偽善者かと疑ってしまうほどだった。少し警戒しつつ彼を観察する。

やはり彼も早朝からの撮影ということもあってなのか、写真の中の彼とは違い髪の毛を降ろしたままだった。それだけなのになんだか印象がガラリと変わる。なんというか、幼い?

「はじめましてやな、いやぁテレビや雑誌でみるより可愛いなぁ」

これのどこが可愛いというのだろうか。ナチュラルメイクにも程があるようなメイクと、ただひとつに纏めた髪。素直に目が腐ってると思った。

「はじめまして、桐生院さん。今日はよろしくお願いします」
「そんなかしこまらんといて、桐生院さんやなくてヴァンでええで!これから一緒に撮影なんやから、自然体でいよや」

人懐っこい笑顔が眩しい。アイドルというのは裏でもこんなに眩しいものなのか、ただ単にこの人がそうなだけなのか。少なくとも警戒するような、というか警戒しても無駄な人だということは分かる。

「…ヴァンさん、来るのお早いんですね。いつもと違ってセットしてない髪型も素敵です」

そう言ってみれば彼は素直に照れていた。ネットや雑誌の中の写真は男前でセクシーなものが目につくけれど、今みたいな柔らかい表情の方が好みかもしれない。



「よろしくお願いします」

メイクと衣装の着替えが終わり、一番最初に撮影を行うブティックまで来た。親しいカメラマンさんやプロデューサーさん達に挨拶をしてまわっていると、ヴァンさんの姿が見える。朝とは違って、メイクも髪の毛もセットしてあって衣装も私のものと似たものになっていた。

「あ、名前ちゃん!さっきとは随分雰囲気変わったなぁ、女の子はほんますごいわ。普段の姿もええけど、こっちもええなぁ」

私を見つけてはニコニコと駆け寄ってきて“可愛いと言うよりは美人さんって感じやな”、“ワイに彼女がおったらこんな子やろうなぁ”等とつらつらと褒め言葉を並べる。HE★VENSのファンや女優やモデル、裏方の人間までみんなから人気な理由がわかる気がした。お世辞で言ってるわけじゃなく、本気でそんなこと思ってるんだって思わせてくれるような雰囲気は私的にも心地がよかった。

「ありがとうございます。あの、ヴァンさんもとてもかっこいいです」

私にはこの程度のことしか言えなくて申し訳なく感じるが、素直にかっこいいと思ったのだ。

「ありがとうな。今日は彼女として、よろしく頼んます」

そう笑って私たちは撮影に挑んだ。ブティックが変わる事にメイクも衣装も変わる。それだけ時間がかかる撮影だったのだが、滞りなく進んでいた。

今回の設定は恋人同士。距離は近めに、けれど友達のようなウケのいい恋人を狙ってくれとの要望通り、いい写真が撮れていると思った。それはほとんどがヴァンさんのおかげで、私はただついてまわっただけだった。表情をわざわざ作る必要が無いくらい、そのお店に合った話題や行動をしてくれる彼が凄いと思ったし、慣れてるとも思った。

「ヴァンくん、名前ちゃんの表情を引き出すのが上手いねー!彼女のこんな表情みたことないよ!」

と、仲のいいカメラマンさんが言った言葉が脳裏から離れなくて明らかに彼を意識してしまう自分がいた。でもまぁそんなこといくらでもあるし、撮影が終わってしまえば元に戻る。なんて思いながらすべての撮影を終えた。

ほぼ1日かけての撮影だっから、この後ご飯でもどう?とスタッフさん達に誘われたのだが、昨晩の寝不足がたたって体がだるい。すみません、用事があるので…と断って現場を出た。ずっと室内にいたからなのか、外の空気が気持ちいい。

「あれ、名前ちゃんはご飯いかないんか?」

先程まで一緒に撮影をしていたヴァンさんも裏口から出てきた。彼もご飯には行かないのだろうか。なんとなく騒ぎたい人って印象だったから勝手に行くと思っていたのだが。

「えぇ、寝不足で今日はもう…」
「なんや彼氏か?」
「いませんよ」

そう言って笑うと彼は鉄砲玉をくらったような顔で私を見た。彼氏がいない事がそんなに驚くことなのだろうか。私変なこと言いました?って聞き返すとちゃうちゃう、って笑った。

「彼氏が居ないことに対して驚いたんやなくて、そんな綺麗に笑うんやなーって。今日の撮影でめっちゃ心開いてくれたんやな、嬉しいわ」

まぁ、確かにそう言われてみれば気を許した感はあると思う。実際撮影も楽しかったから“確かにそうかもしれないです”と言えば“素直やな”と頭を撫でられた。こんなことされてキュンとしないほど女を捨ててなくて、でも顔に出せるほど純情ではなかった。

「あの、手…」
「あ、嫌やったか?」
「いえ、そういうわけでは…」

パッと頭から離された手が名残惜しくて、つい目で追ってしまう。彼は柔らかく笑うとゆっくりと私の左手を掴んだ。どういうことかわからず脳内にハテナが浮かび上がっては消えた。

「今日1日名前ちゃんと過ごして思ったんやけど、君に惹かれてるワイがおるんや」

彼の手に私の手を重ねるように掴まれてまるで気分はお姫様。自分のものでは無い温度が、やけに暖かく感じて意識がそこに集中した。沈みかけの太陽の光が空を宇宙色に染める。

「君が欲しい」

こんなに早く恋に落ちるなんて、今日の私はどうかしてる。



薄明と体温
(次に顔を上げた時、私はきっと)




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