にゃあと鳴いて蝶を捕る | ナノ


▼ 03

数日後。

「よう市子さん」
「…尾形…さん?」

また今度会おう、と言った尾形の言葉が現実となった。店でフクと二人で仕込みをしていた市子の元に尾形がやって来たのだ。

「おや、市子ちゃんの友人かい?」
「いえ」
「ああそうだ」

市子を訪ねてやって来たのだからフクは尾形は市子の友人と思ったのだろう。しかし友人どころか知り合いと言うにも尾形の事を知らなさすぎるからいえ違いますと市子が否定しようとすれば尾形はハッキリと言いきって開店前の店の中にやって来る。

「あの、どうしたんですか」
「少し話をしようぜ」
「駄目です、お店の準備があります」

尾形は市子と話がしたくてわざわざ時間を見つけここまで来たのかもしれないが市子的には話す事など何もないし話したいとも思わない。仕事を理由に断ろうとすれば、

「ばあさん、市子さんを借りてもいいか」
「えぇえぇ構いませんよ」
「フクさん、まだ仕込みは終わってませんよ」
「あとは私一人でも出来るよ、市子ちゃんはいつも頑張ってくれているからお店の時間まで休んでおいで」

フクは市子が友人と話すのを遠慮していると思ったのだろうか、それとも良く働いてくれる市子を少しでも休ませたかったのだろうか。店の店主がほら行っておいでと優しく言ったものだから市子は断りづらくなって少しだけならと尾形と話す事にした。

「じゃあ、行ってきます。すぐに帰りますね」
「いってらっしゃい、ゆっくりでいいからね」

市子が店の奥から出てくると尾形はフクにペコリと相づち程度に頭を下げてさぁ行こうと言って市子を店の外に連れ出した。

「あの、尾形さん」
「ん?」
「私に何か用事ですか」
「言っただろう、話をしようと」
「話って…それだけ?」
「ああそうだ」

通りに出ると尾形に付いていくように一歩後ろを歩く市子。市子はてっきり尾形から初めて会った日に尾形に八つ当たりしてしまった事を改めて謝罪させられると思っていた。再会した時は謝って欲しいわけではないと言っていたがわざわざ店に来た理由はそれ以外に思い当たらなかったからだ。しかし尾形の目的は本当に市子と話したいだけで、尾形にそう言われ市子は可笑しそうに首をかしげる。尾形は立ち止まって市子の方を向いた。

「俺は市子の事が知りたくてな」
「私の事…」
「あのばぁさんは市子の家族か?」
「いいえ」
「旦那のか」
「違いますよ」
「ならばどういう関係だ」

尾形に言われ市子は動き出した。それに尾形も続くから二人は今並んで歩いている。

「フクさんは赤の他人です。この地にやって来た私たちを助けてくれたのよ」
「助けた?」
「身寄りも無く、…お金もない私達に住むところをくれたの」
「ほう、市子はどこから来たんだ?」
「東京から来ました、ここに来るまでの間転々としていましたが」

市子は年増の女が言っていたように関東から来た女だった。転々としていたと言うのは事情があってついには北海道まで来た、という噂話の通りの事だろうか。という事は。

「市子は旦那と駆け落ちしてここまで来たのか?」

この、噂話も真実だろうか。

「…それは誰から聞いたの?」
「さぁな。噂でそう言われていると俺は聞いたぞ」
「そう」

その話を聞いた市子の顔はショックを受けている、と言うよりやはり皆知っていたんだな、と言う風な表情であった。

「その話は本当よ」

あっさりと、駆け落ちしてきたと言う事実を認めた市子。自分の知らないところでそんな話を回されているのだから今さら尾形に否定したところで何になるのかと思ったのだろう。

「駆け落ちまでするって事はそうまでして一緒になりたかった相手なんだな」
「ええそうよ、じゃなきゃ家を捨ててこんな遠くの地に来たりなんかしない」
「その割りにはこの前はあんなにも怒鳴り合っていたじゃないか」
「…あれは、私が一方的に怒っていただけよ」
「人前で怒鳴り付けたくなるぐらい酷い事をあの男からされたって事だろう?」
「違うわ」
「本当か?」

尾形が言えば市子は考えるように視線を足元に落とした。

「家族や故郷を捨てて駆け落ちまでして一緒になったってのに、市子の亭主は市子を幸せにしてやれなかった大馬鹿者だな」

これもあの噂好きの年増の女から聞いた話だ。

「市子さんの旦那さんは優しそうな人でねぇ、時々近所の子供達と遊んでくれたりして良い人なんだよ。でも人当たりは良いんだけどねぇ、持病があるらしくて働きに出てないみたいだよ。稼ぎはみんな市子さん任せさ。働き手の男が働いてないなんて、市子さんは苦労してるだろうねぇ」

前に聞いた市子は良家の娘で夫は百姓だったという話が本当ならば恵まれた生活を全て捨てて愛する人を選らんだのは市子だろう。なのにいざ二人で生きていこうとすればこの仕打ち。あまりにも哀れ過ぎると尾形は思った。

「馬鹿だけど…悪い人じゃないの」
「悪い人じゃないだと?十分に悪い男じゃないか」

悪い人ではないと思うからこそ市子もまだ夫と一緒にいるのだろう。しかし尾形からすれば惚れた女を幸せに出来ない男のどこが悪い人じゃないんだと言いたい。

「市子にだけ働かせ、自分は病を理由に毎日ごろごろと寝て過ごしているだけの男なんだろう」
「…それも噂で聞いたの?」
「ああそうさ」

余所から来たこの地には縁も所縁もない若い夫婦…噂好きの人々にとってそういう二人はかっこうの話のネタなのだろう。夫婦の事情を直接関係のない人々に囁かれて、何故か出会ったばかりの男にまで追求されて。一部の人の間では市子と夫の関係がこうもお見通しなのかと市子は嫌になりハァとため息をついた。

「なぁ市子」

そんな市子の様子を見て尾形は嬉しくなった。市子には夫が居るというがそれは居てもなんの役にも立たない男。居ても市子を不幸にしかしない男だ。

「そんな男ならば捨てるのは簡単だな」
「え?」

それならば遠慮はしない。尾形の言葉に市子は驚く。

「また会いに行ってもいいだろう?」
「…お店に来てくれるって事ですよね?」

市子はまだ初対面に近い会ったばかりの男が何故そんな事を言ってくるのか理解が出来ない。この男はなにか目的があるのだろうと市子は思っているのだろう。

「ああそういう事にしておこう」

こうして、尾形と市子の関係が始まっていく。


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