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 伍代の名前が出た瞬間、この表情だ。

 その気になればどんな相手でも簡単に落とすことができそうに見える上司の、意外に不器用な素顔に、香田はもう一人の不器用な男の顔を思い浮かべて苦笑し、手元のボトルをそっと棚に戻した。



 香田と共に『KARES』のバータイムを担当している副店長の三上を、香田はこっそり『カフェの女王』と呼んでいる。

 決して女性的という訳ではないが、どこか日本人離れした気品のある華やかな目鼻立ちは、男女問わず訪れる客の視線を惹きつけ、本人は営業の基本だと言っている笑顔を浮かべるだけで、妻子ある中年男性までもが頬を染めてしまう。

 そんな美貌の副店長が『カフェの王子』ではなく『カフェの女王』なのは、三上の性格によるものだ。

 優しく、厳しく、常に仕事熱心なこの副店長は、気まぐれかつ意外に悪戯好きという厄介な性格で、入店当時から香田を翻弄し続けてきたのだった。

 三上の悪戯はいつも突然で、タチが悪い。

 一部の女性客が過剰に反応して喜ぶのが楽しいのか、妙に人懐っこく香田の側に寄ってきては客席に見せつけるようにぺたぺたとスキンシップをはかり、状況を把握できない香田が固まっていると、意味ありげに「続きは今夜、ね」などと囁き、何事もなかったかのように仕事に戻っていく……という悪戯が三上の中で大ブームになったことがある。

 その時は常連客の間で香田ホモ説が当然のように受け入れられ、どう頑張って弁解しても「大丈夫ですよ、そういう方たちに偏見はありませんから」などと流されてしまい、しばらくの間女の子にまったくモテないという悲しい時期が続いたのだった。

 店を訪れる女性客に恋愛感情は一切持たないことにしているとはいえ、リングに上がる前の時点で既にオスの対象から外され、カウンターに立つ三上とのやり取りを見守るような生温い視線を向けられてしまうのは切なすぎる。

 いつも静かに酒を飲んで帰っていく若い女性客から、そっと精力剤を手渡され「香田さんのこと、素敵だなと思ってたんですけど、副店長さんがお相手じゃ敵いませんね。お幸せに」と言われたときは、いたたまれなさのあまり全裸で夜の街を疾走したい気分になったものだ。

 当の三上はというと、そんな香田の反応も含めて楽しみ、十分満足したのか、ある日を境に香田との濃密な関係を匂わせる悪戯は三上の中でぱったりとブームが止んで、常連客の間には香田失恋説がまことしやかに囁かれたのだった。

 どうして当然のように自分が振られた設定になっているのかが納得できないところだが、どう弁解しても意味がないことは既にその時点で分かっていたので、香田は女王様の悪戯終了と同時に戻ってきた静かな日常を受け入れた。

 ――という出来事だけを思い出すと、三上という男が性悪にもほどがあるひどい上司のような気がしてくるが。
 毎日のように振り回されても、それをまったく嫌だと思わせないところが、この副店長の魅力なのだと香田は思っていた。

 常に客思いの熱心な仕事ぶりは、尊敬できる。
 副店長という立場でバータイムの『KARES』をしっかり取り仕切りながらも、香田の仕事には口を出さず、バーテンダーの専門領域としてその意思を尊重してくれている。

 更に顔立ちまで美しく、所作の上品な上司が、もし仏のように穏やかで慈悲深い性格だったら……完璧過ぎて、近付き難いだろう。

 実際、三上が店を訪れる客の前では猫を被って完璧な王子様っぷりを発揮しているため、その美貌に見惚れることはあっても、三上と特別に親しくなろうという下心を抱く客は少ない。
 要するに、完璧すぎる王子様は観賞用であって、気後れしてしまうため近付くことができないのだ。

 そう考えると、気まぐれな性格と厄介な悪戯趣味は、三上が心を許した者にだけ見せる甘えであって『カフェの女王』の可愛いと思えないこともない一面なのかもしれなかった。



 その、気まぐれ女王が。
 常連客である伍代が訪れる時にだけ、他の客や店のスタッフには見せない、妙に可愛らしい素顔を覗かせるのだ。

 普段から三上に振り回されっぱなしの香田にとって、そんな瞬間が、面白くないはずがない。



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