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初めて三上裕紀と出会ったときのことを、伍代隼人は今でも鮮明に記憶している。
忘れられるはずがない。
それは、極道社会に生き、それなりに異性との経験だけは積んでいたものの、色恋を苦手としていた伍代が……遅すぎる初恋に落ちた瞬間だった。
○●○
腕の時計が午後七時を告げたら『KARES』に向かう。
雰囲気の良い店で美味いコーヒーを飲めるこの仕事は、伍代にとって月に何度か訪れる癒しの時間だった。
若い頃からコーヒー党で、本当は色々な店を回ってそれぞれの味を比べ、第二の自宅と呼べるような落ち着ける行き着けの店を開拓したい伍代だったが、自分の容貌がそれを許さないことは十分に理解していた。
日本人の成人男性の平均身長を大幅に超えた屈強な身体つきと、初対面の相手を青ざめさせる厳つい顔は、自覚済みだ。
ヤクザ丸出しのこんな男が頻繁に店に通いつめたのでは、店に悪い評判が立ち、店主はヤクザ風の男の無言のプレッシャーに負けて数ヶ月ももたずに店を閉めてしまうかもしれない。
実際、本職のヤクザではないとはいえ、トイチの金貸しの片腕を務めている自分が堅気の人間と言えるのかどうか、伍代には疑問だった。
その点、『KARES』ではそういった気を使う必要がないので、気は楽である。
店長の高田は伍代の上司である佐竹和鷹の高校時代の後輩で、金貸しを始めるまではまっとうな堅気の人生を歩んでいたとは思えないほど極道な顔立ちの佐竹に懐いており、伍代を見ても怖がることはない。
顎ヒゲの生えた顔にまったく似合っていないオカマ口調と、若干激しいボディタッチが気になるが、高田の淹れるコーヒーは文句なしの味で、閉店後の『KARES』を訪れて他の客の目を気にすることなく高田の淹れるコーヒーを味わえるのは、日々の疲れを癒す幸せなひとときだった。
そんな事情もあって、その日も車を降りて店へと向かう足取りも自然と軽いものとなっていたのだが。
「……?」
角を曲がって、繁華街の外れにひっそりと佇むカフェ『KARES』が目に入ったところで、伍代は一瞬その足を止めて注意深く店の様子を窺った。
店の前の通りを、高田ではない誰かが掃除している。
白いシャツに黒いベスト、そして黒いカフェエプロンという姿から、その男がカフェのスタッフなのだろうと想像はできたが、高田がスタッフを雇う予定だとは聞いていなかった。
――随分と綺麗な男を雇ったものだ。
そんなことをぼんやりと考えながら、伍代は閉店作業を続ける男の観察を続け、店へと近付いていった。
年は二十代前半だろうか。
スラリと手足の長い細身の身体が、カフェの制服によって更に魅力を引き立てられている。
熱心に店周りの清掃を続けている男の顔はよく見えないが、全体的に上品な雰囲気をまとった、まさに『KARES』の雰囲気に相応しいスタッフを雇ったようだと感心して、伍代はイーゼルを片付けようとドアの前に戻った男の前に立った。
「申し訳ありません。当店の営業は十九時までとなっておりまし、て……」
伍代を閉店時間を知らずに訪れた客だと思ったのか、申し訳なさそうに切り出して顔を上げた新米スタッフは、危うく口から零れそうになった声を押し殺し、その場に凍りついた。
無理もない。
明らかに、普通に平穏な生活を送っていれば出会う機会のない種類の人間が、突然自分の目の前に現れたのだ。
むしろ、出そうになった声を抑えることができただけでも、接客業スタッフの鑑と言えるだろう。
その極道顔の男・伍代はというと、引きつった顔で固まる男を見下ろして、やはり同じようにその場で固まって立ち尽くしていた。
――綺麗だ。
男を見てそんな風に思ったことは今まで一度もなかったはずなのに、顔を強張らせて自分を見上げるそのカフェスタッフの顔立ちに、伍代は見惚れてしまっていた。
決して女性的な顔という訳ではない。
ただ、きめの細かさを感じさせる肌や、綺麗に通った鼻筋、どこか他人を惑わせるような小悪魔的な輝きを放つアーモンド型の目が、絶妙なバランスで組み合わされて、男の顔立ちを上品で華やかなものに見せているのだ。
こんな男がいるのかと、声を掛けるのも忘れて立ち尽くす伍代を見上げて、強張っていた顔を引き締めた男は静かに息を吸って口を開いた。
「申し訳ありませんが」
どこから見てもヤクザとしか思えないであろう伍代の姿に恐怖心を感じているはずなのに、毅然とした態度で目の前の巨漢を睨み上げる気の強さと凛々しさに、何故かじわりと胸の奥が熱くなる。
今までに知らなかった、くすぐったさだ。
「本日の営業は終了させていただきました」
凛とした声で男にそう告げられた瞬間。伍代は、自分の鼓動が恐ろしく速く、うるさく鳴っていることに気付いた。
もちろん、伍代自身、このときはまだその理由に気付いていなかったのだが……。
その後間も無く、伍代の反応を面白がる三上の誘惑めいた悪戯によって、原因不明の動機の正体が男相手の遅すぎる“初恋”なのだと気付くことになったのであった。
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