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「今日の係長会議の資料」
「ああ……どうも」
「二時に、第五会議室だ」
そんなことは、わざわざウチの課まで知らせに来てくれなくてもLANで確認出来るのに。
用件はそれだけだったのか、面白くなさそうな表情のまま自分のデスクに戻る同期の背中に、今朝の出来事がよみがえってきた。
「俺は、酒のせいにして忘れるつもりはないからな」
出社準備のために朝早く俺を一旦自宅へと送り届けてくれた梶木は、車を降りる間際にそんなことを言ってきたのだ。
「お前はムカつく奴だけど、落ち込んでるのを見るのはもっとムカつく。あんな顔、もう見たくねえんだ」
心配してくれているのかけなしているのかよく分からないその言葉が梶木らしい。
本当は「昨日のことは全部忘れろ」と言うつもりだった俺の口は、気付けば引き締まった男らしい唇を塞いで味わうように舌を舐めとっていた。
「そういうカッコイイことは、もう少しテクを磨いてから言うんだな」
「っ、失礼な! お前だって昨日は……」
「下手だけど、マズくはなかった。ご馳走さま」
「おい!」
坊やをあやすように、まだセットされていない髪をワシャワシャと撫でて車を降りた俺に、梶木がどんな言葉を投げてきたのかは知らない。
ドアは、降りてすぐに閉めてしまったから。
「仲良くしろよ、同期だろ」
相変わらずの仲の悪さに呆れたように安藤課長に言われて、曖昧に笑うしかなかった。
仲良くなり過ぎて昨日はケツが危ないところだった……なんて、この上司には口が裂けても言えない。今までの仕返しとばかりに散々からかわれるに決まっている。
「同期だからといって無理に仲良くする必要はないでしょう。お互いに仕事は割り切ってやっていますよ」
「今のが割り切った態度かよ、まったく……」
課長のため息を背に自分のデスクへと戻りながら、いつの間にか、昨日の下手くそなキスを思い出して。
口元には自然に笑みが浮かんでいた。
――参ったな。
無害なノンケの顔で、いきなり発情したオスっぷりを見せてくれた同期に、心が占領されている。
テクニックにはまだまだ改善の余地があるし、男相手の経験もないくせに俺を抱く側に回ろうというとんでもない男。
そんな『訳あり物件』が、どんな優良物件よりも魅力的に見えてしまう、こういう気持ちを何と呼ぶんだっただろう。
チラリと目をやった隣の課の係長席では、精悍な顔をキリッと引き締めて早速今日の仕事に取り掛かろうとしていた梶木が、同じタイミングで視線を寄越して。
可愛いと思えないこともない、照れたような表情に、俺まで恥ずかしくなってすぐに目を逸らしてしまった。
『訳あり物件紹介します』なんて、そんなコピーを堂々と店先に掲げたりはしないけれど。
住み始めてみれば、相性次第で他のどこより快適な暮らしをサポートしてくれる物件だってある。
梶木との関係がこれからどうなるのか今は分からなくても、とりあえず。
昨日酔っ払って迷惑を掛けた借りを返すだけだ、と自分に言い訳しながら。
仕事が終わったら、新人研修の時に聞き出して以来一度も使ったことのないアドレスに、食事のお誘いメールを送ってみようと思った。
end.
(2010.01.28)
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■TEA ROOM■