第1話 4



「恭輔さん!」

 俺の褌を直そうとしていたシュウさんが手を止め、嬉しそうな声でバリトンボイスの主に輝く笑顔を向ける。

 何だかよく分からないけど、助かった。

 危機一髪のところで貞操を守ってくれた声の主に御礼を言おうと俺も振り向き。
 そして、凍りついて動けなくなった。

「久しぶりじゃねえっすか!」
「ああ、抱えていた仕事がやっと一段落したところだ」
「来るなら連絡して下さいよ、コウキの奴も誘ってやったのに」

 シュウさんと並んで和やかに話す男の、キッチリ後ろに流したオールバックの黒髪と、黒い褌。

 猛禽類を思わせる切れ長の鋭い瞳。
 隆起した胸筋と、引き締まった腹。
 全身から放たれる、成熟した雄の色気。

 ――まるで褌を締めるために生まれてきたかのような、男らしい男。

 フロア中の熱い視線が、恭輔さんという褌男に注がれているのがひしひしと伝わってきたが、俺が動けなくなった理由はもちろん、恭輔さんが格好良かったからではなかった。

「や……ヤクザ?」

 この鋭い目つき、徹底的に鍛えられた身体。全身を包み込む独特の空気感。
 明らかに、カタギのモノではない気がする。
 というか、任侠映画に出てくる幹部の人が、こんな感じだったような。

 思っていた事をつい口に出してしまった瞬間、“恭輔さん”のキリッと男らしい眉が微かに跳ね上がった。

「誰がヤクザだ。大体、何でお前がこんな所にいるんだ」

 褌姿で凄まれると、迫力があってとにかく怖い。

 一度そういう目で見てしまうともうヤクザにしか見えないその男の横で、シュウさんが思い切り吹き出したのが見えたけど、動揺しまくっている俺は何とかしてこの場から逃げ出す事しか考えられなかった。

「ごごごめんなさい、ここがヤクザ経営のぼったくりバーだなんて知らなかったんです! 俺、まだ勤め始めたばっかで全然金とか持ってないんスよ!」
「落ち着け、間宮」
「どうして俺の名前が分かったんですかっ」

 何故か、ヤクザに名前まで知られている。
 とんでもない大ピンチに、褌一丁の涼しげな格好にも関わらず、全身からジワジワと変な汗が染み出してきた。

 もしかして職場や家族構成まで調べ上げられていて、高額請求の強引な取り立てに追われてしまったりするんだろうか。

 視界が真っ暗になって青ざめる俺の前で、褌姿のヤクザは呆れたようにため息をついた。

「自分の上司の顔も忘れたか、お前は」
「上司!?」

 どこかの組に勤めた記憶は全くないし、身の回りにヤクザの知り合いは一人もいない。

 上司という言葉にあれこれ考えながら、目の前に立つ男の整った顔をじっと見つめて。

「あれ?」

 俺は、もしかしたらこの褌姿のヤクザの顔を知っているかもしれないと、ふと思った。

「んんん?」

 両手の人差し指と親指で輪を作り、眼鏡の形にくっつけて、恐る恐る男の顔に当ててみる。

「……橘、課長……?」

 男前の褌ヤクザと、自分の知っている上司の顔が一致する前に。
 大きな手が、俺の頭をペシッと叩いた。

「変な店で夜遊びするな、馬鹿モノ」

 そういえば、この魅惑のバリトンには聞き覚えがある。
 決裁書類に不備がある度に、俺の名前を呼ぶ声だ。

「えっ……、えぇええっ!?」

 この褌姿の男前が、直属の上司。

 あまりに衝撃的な出会いに、俺は思わず、店中に響き渡る大声で叫んでしまったのだった。



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