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盲者の妄執
※このネタからひろわれっこな忠犬主人公とサカズキ大将(ネタ前半くらい)



 ナマエという男を助けたのは、サカズキのその正義を執行するうえでの偶然の産物だった。
 相変わらず海を我が物顔で渡るならず者共をその存在にふさわしく海の藻屑とすることこそがサカズキが掲げる正義の信条であり、民間船を襲ったと言う海賊がその正義の下に海へと沈められるのは当然のことだ。
 己のマグマで船を焦がして沈めるよりも、サカズキはその手で敵の首領を焼き殺すことを選んだ。
 だからこそ己らの親玉を見捨てて海へ飛び込んでいく屑どもを放置して侵入した船の中で、縋り付いてきた哀れな被害者を発見したのだ。
 背中を焼け爛れさせ、どうやら右肩を壊しているのか右腕をだらりと垂れさがらせて、両足を輪のついた鎖にとらわれたその男は、虐げられることで海賊達の憂さ晴らしの道具にされていたようだった。

『たすけて、ください』

 叫びすぎて声も枯れたのか、かさついてひび割れた唇の狭間から出たその声はかすれてしゃがれていたが、それでも確かに、彼はサカズキに懇願した。
 海賊と名のつく悪を根絶やしにすることこそが、サカズキの掲げる『正義』だ。
 しかしそれでも、哀れな民間人をわざわざ見捨てることなど、その背中に文字を背負う海兵が出来るはずもない。
 だからこそサカズキは、その日、どう見ても虐げられていた被害者であるナマエを拾ったのだ。







 ゆっくりと足を動かして、海軍本部の通路を歩く。
 いつも通りの道を行くサカズキの足がふと止まったのは、その目の端にちらりと青いシャツが見えたからだった。
 眉間に皺を寄せ、その顔がそちらを見やる。

「……クザン」

「あーららら、見つかっちまった」

 そうして名前を呼びながら窓から顔を出したサカズキに、どうでもよさそうな声を出しながらもしゃがみ込んだ格好の同僚がひらりと軽く手を振った。
 隠れようとした様子の彼に舌打ちをして、サカズキがその姿を見下ろす。

「報告書は出したんか」

「出した出した。だから、そう怖い顔しなさんな」

 お前に怒られると面倒だもん、と年齢に見合わない口調を零して、隠れることを辞めたらしいクザンが膝を伸ばして立ち上がる。
 身を寄せて来たクザンに気付いてサカズキが足を引けば、外から窓にもたれるような格好になった大将青雉が、額にだらしなくアイマスクを乗せたままでサカズキを見上げた。

「昨日まで遠征だったらしいじゃない。そっちこそ報告書は?」

「今出してきたところじゃァ」

 おどれと同じに見るなとサカズキが唸れば、そりゃ偉いこって、とクザンが肩を竦める。
 いつも通りのひょうひょうとしたその様子に、サカズキはわずかにその目を眇めた。
 肩を並べて共に訓練を受けていた頃のクザンの『正義』は、サカズキと同じように燃え上がり湧き立つようなものだった。
 サカズキはそれを勝手に自分と同じようなものだと思っていて、だからこそその信念を変えたのだと知った時にはどうしようもなく裏切られた気になったものだ。

『まァまァ、仕方ないじゃないかァ〜……そう落ち込みなさんなってェ』

 わっしもいるじゃない、ともう一人の海軍大将に軽い調子で慰められたのは、いつだったろうか。
 サカズキとは対照的にも思える正義を掲げて海軍大将となった彼の後輩は、サカズキとは相容れない青をその名に秘めたまま、真下からサカズキの顔を見上げていた。
 その口が、あー、と軽く声を漏らす。

「……何じゃ」

「いや、あれだほら、サカズキんとこの……何だっけ、ナマエ?」

 そんな名前の部下がいたよねと確認されて、いるがどうした、とサカズキは返事をした。
 クザンが呼んだその名前は、あの日サカズキが海賊の下から結果的に救出し、そして今や海軍本部でサカズキの部隊に配属となった青年の名前だった。
 海賊によって恐ろしい目に遭わされたかの青年は、それらを根絶やしにすることを信条とするサカズキに感銘を受けた様子で、強く希望してサカズキの元へとやってきた。
 サカズキの目の前に現れた時はか弱く頼りなかったが、今ではそれなりに戦えるようにもなっている。さすがにサカズキほどの腕前とは言わないが、賞金額の少ない雑魚の相手程度なら申し分ない。
 いつだってサカズキを見上げて、サカズキの言葉に頷き喜んで、サカズキが海軍本部にいる間は殆ど毎日顔を合わせているあの部下の名前を目の前の海軍大将が呼んだことに、サカズキは少しだけの違和感を抱いた。
 あちこちをふらふらと出歩いて最低限の仕事しかしないクザンは、海軍本部にいる時間がとても短い。
 そしてナマエは基本的にサカズキの近くを離れないし、他の海軍大将や将校達に近付く暇があれば鍛練を行っている筈だと言うのに、一体どこで交流を持ったと言うのだろうか。
 サカズキのその疑問を感じたように、ちらっと町中で見かけたわけよ、とクザンが言葉を落とした。

「こないだ、お前が行ってた島におれもたまたま寄っててさァ」

「……またふらふらと出歩いとったんか」

「あららら、そう怒るなって」

 こうやって戻ってきてんでしょうと言って笑う目の前の男に、サカズキは再び舌打ちした。
 いっそその頭に拳骨の一つでもくれてやりたいところだが、わざわざそんなことでもめ事を起こしても目の前の相手が反省しないことは、サカズキも重々承知している。
 だから苛立ち交じりのため息を一つ落として、それで、とクザンの言葉の先を促した。

「ナマエがどうした」

 この間、というのは恐らく、今回の遠征で立ち寄った補給先のうちのどれかだろう。
 少し長期の遠征となっていて、当然数日の休息をとった島もあり、サカズキの傍を離れず空いた時間は鍛練をして過ごそうとしたナマエをサカズキが港町へ追い出した日も何度かあった。
 クザンが記憶するほど何か特別な騒ぎを起こしたと聞いた覚えはないが、報告を受けていなかっただけだろうか。
 そう考えてのサカズキの問いに、んん、とクザンが小さく声を漏らす。
 その目が少しだけ考えるように揺れて、それから、あー、とその手が軽く頭を撫でた。

「悪い、忘れた」

「………………」

 ふざけているのだろうかと、サカズキは目の前の男を睨み付ける。
 しかし悪びれた様子もなくそんな言葉を零したクザンは、サカズキの睨みを受けても動じない。
 やはり一、二発殴った方がいいのだろうかと考えて、元帥の執務室から近いそんな場所で暴力沙汰を起こしても仕方ない、とサカズキは諦めた。
 大体、クザンのこれは元からだ。サカズキが殴った程度で矯正されるのであれば、すでにクザンは真面目が取り柄の真人間になっているはずだった。
 だから怒鳴る代わりに『ならさっさと働け』と言葉を落とすと、はいよ、と応えたクザンが窓からそっと体を離す。
 少し汚れていたらしい窓枠に触れていた手を払う様子に、話は終わったかと判断して、サカズキはふいとそちらから顔を逸らした。
 『忘れた』と嘯いたと言うことは、恐らくそれほど重要なことでも無かったのだろう。何となく口から出した程度に違いない。
 何の実りもない世間話を交わしてしまったが、真面目に働くサカズキの執務室には、同じく真面目に働いている部下がサカズキの仕事を用意している筈だ。
 クザンが大人しく執務室へ戻るかどうかは知らないが、わざわざ部屋まで連行してやる義理もない。
 背中に感じる視線を無視してサカズキが足を動かし、角を曲がって執務室へとたどり着くと、サカズキのその手が扉に触れる前にそれが開かれた。

「お帰りなさい、サカズキ大将」

 いつものようにサカズキを出迎えて、笑ったナマエがサカズキを室内へと招き入れる。
 サカズキを先に入れて扉を閉ざし、お茶を淹れますね、と言葉を置いて備え付けの簡易休憩室へと向かったナマエの背中を見送ってから、サカズキは一時間ほど前までは座っていた己の椅子へと腰を落ち着けた。
 机の上はある程度綺麗に片付いていて、サカズキが部屋を出る前には無かった決裁待ちの書類が、丁寧に整えられて置かれている。
 それをしただろうナマエがいる方を、サカズキはちらりと見やった。
 海軍本部にいる間は文官として働くことの多いナマエが、サカズキがやってきたときに扉を開けたりするのはいつものことだった。
 サカズキは声一つも掛けていないと言うのに、ナマエは必ず扉を開く。
 面白がったボルサリーノが試したところによると、それもサカズキに対してだけであるらしい。
 不思議に思ったサカズキが訊ねると『足音でわかります』と返事があったが、厚みのある執務室のドアの向こうの物音が、そうも鮮明に耳へ届くものだろうか。
 まるで懐いた犬のようなナマエを『忠犬』と裏で揶揄する輩がいることもサカズキは把握しているが、そう言われていると知ったナマエがどうしてか少し嬉しそうな顔をしていたので、制裁は行っていない。
 同じようにサカズキのことを『犬』と揶揄した人間は、サカズキが何かをする前にナマエによって詰め寄られ脅かされ部隊を離れていったのだから、その揶揄がいい意味ではないと分かっている筈だと思うのだが、ナマエは不可解な男だ。
 そんなことを考えている間に、サカズキの為に茶を淹れたナマエが姿を現し、サカズキの執務机の端にそれを置いた。

「サカズキ大将、どうかなさいましたか?」

 書類に何か不備がありましたか、と少々不安そうな顔をして問いかけられて、何でもありゃァせん、と返事をしたサカズキの手が書類を掴まえる。
 かさりと小さく音を立てたそのうちの一枚を眺めて、記された字面を確認しながら、もう片方の手が湯呑を掴まえて、その中身を口へと運んだ。
 サカズキのマグマほどでない温度のそれが、サカズキの口を湿らせる。
 広がったその渋みは、サカズキが好む濃度のそれだった。
 それを味わい、中身を空にした湯呑を戻してからちらりと見やれば、ナマエがどことなく真剣な顔でサカズキの様子を窺っている。

「……うまい」

 問われる前にサカズキがそう言うと、すぐに目の前の青年の顔に笑みが浮かんだ。
 頭を撫でられた犬のように喜びをあらわにするナマエを相手に、ふ、とサカズキの口元にも笑みが浮かぶ。
 命の恩人であるからだろうか。ナマエはサカズキに忠実な男だった。
 サカズキがやれと言えば、何だってやる。一般人でしかないその体にはサカズキの課した鍛練はつらかっただろうに、ナマエは弱音の一つも吐かず、強くなりサカズキの役に立つことを己に求めている。
 そうしてまっすぐ真摯に向けられるその双眸を受け止めることは、サカズキにとっても不快ではない。

「もう一杯お淹れしますね」

「ああ」

 いつまでだって、そうやってナマエは嬉しそうな顔でサカズキの近くにいるのだと、信じて疑ってもいなかった。
 それが間違っていたと知ったのは、それからしばらく後、大罪人である罪深き海賊王の息子を処刑する筈だったその場所でのことだ。



end


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