せっかく今日は七夕の日だったというのに、天気は生憎の雨だった。すっかり日も落ちたこの時間、灰色だった空は黒く澱んだ色に変わっている。その中を、一人歩く。湿度が高く、じめじめとした夜道を一人で歩くのはなんとなく心細かった。幽霊のひとつくらい出てきてもおかしくはないような静けさに、はやく家に帰りたい、そう思って歩むスピードは自然と速くなっていった。

「せめて星が出ていたら良かったんだけどなあ……」

 一人で夜道を歩く心細さに耐えきれなくて、ぼそりと呟く。普段は夜道を歩いていたってなんとも思わないのに、どうして今日に限ってこんなに心細く感じるのだろう。雨のせいで織姫と彦星が出会えないからであろうか。会えない悲しみを私におすそ分けをするのはやめてくれ。カップルからの迷惑を被るのはいつも独り身だ。こんな世の中間違っている。
 そんなくだらない事を思っていると、生ぬるい風とともに何かが首筋を掠める感触がしてぞわりと鳥肌が立った。指先でつう、と撫でられるような感触。いや、きっとそれは私の勘違いだ。羽音を聞き漏らしただけで、虫かなにかがぶつかったのだろう。だってさきほどまで人の気配などありはしなかったのだから。背後からの視線も、わずかな息遣いも、全部、全部気のせいだ。

「ああ、主……。またお会いできて嬉しいです」

 恍惚とした聞き覚えのある声も、きっと気のせいだ。私に誰かの「主」になった記憶など、ない。生まれてこのかた、平凡に学校へ通って、平凡に遊んで、ごくごく普通に生きてきた。そんな中で誰かの主になどなれるものか。あんなもの、私の心細さが生んだ幻聴だ。地面を踏みしめ、思わず走り出す。すると背後から「逃げないでください」なんて男の声が聞こえてくる。怖い、怖い、怖い! 幻聴なんかじゃない!

「ああ、こんな運命的な日に主と出会えて良かった! 牽牛と織姫は出会えずとも、天候ごときで俺と主の仲は阻めません! なんて運命的なのでしょう!」

 声はすぐ後ろから発せられていて、走り出してから数秒も経たずに男の腕に捕らえられてしまった。ひゅっと息が詰まる。恐々と振り返った先には、紫色のカソックを身に纏い、笑みを浮かべる男がひとり。思い出した、こいつは――。

「もう二度と離しはしませんから。ね、主」

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