ふわり、と鴉の濡れ羽のような艶やかな黒髪が空中に煌めく。全身を見せつけるように一回転した彼の身体は、真っ赤なサテン生地のチャイナドレスを身に纏っている。

「どうだいマスター。イカしてるだろ?」

 ぴったりと身体のラインに沿ったそのドレスは彼の筋肉の形に合わせてボコボコと一部を盛り上げている。胸の辺りはそれが特に顕著で、今にもはちきれんばかりだった。太ももの付け根まで大胆に開いたスリットからは、絢爛な刺青の彫られた筋肉質な足が顔を出している。
 まさに雄(オトコ)と言った肉体を持つ彼が女性的なチャイナドレスを着ている。その倒錯的とも言える光景は、私の心をひどく昂らせた。

「あぁーッ! アサシンめちゃくちゃ可愛い……!!」

「はは、ありがとうマスター。褒められるのは素直に嬉しいよ。だがな、本当に男にこんなモン着させて楽しいのか俺は甚だ疑問なんだが――……」

「楽しいに決まっているでしょ!?」

 食い気味に答えた私に引いたのか、アサシンは「そ、そうか」とただその一言だけ言った。しかし、女装男子を眺める楽しさについて理解はできていないようで、「いやでもこーいうモンは女が着たほうが良いと思うんだけどなァ……」と小声で何やら言っていた。

「何言ってるの。好きな子が可愛い格好していたら誰でも楽しい気持ちになるでしょ? そういう事だよ」

「! す、好きな……って、俺の事?」

 切れ長の翡翠色の目を丸く見開いたアサシンはオウムのように聞き返し、それから一瞬のうちに顔を赤く染めた。それはドレスの赤とは違う、薄紅色の頬だった。

 女装をさせた時には見せなかったアサシンの照れ顔に思わず心臓が跳ねる。どうして女装姿を披露するのは照れないくせに、好きと言われただけで顔を真っ赤に染め上げるのか。アサシンのツボはよく分からなかったけれど、不意打ちで見せられたその表情の威力は凄まじかった。言葉を失ってしまうほどに、それは可愛かったのだ。

 お互いに黙ってしまったせいで、部屋に何とも言えない空気が流れる。気まずいと言うほどではないけれど、何となく気恥ずかしいような、甘いとも酸いとも言えない変な空気が流れてしまっていた。この空気の中ならちゅーの一つや二つ、してもおかしくはないのではないだろうか? いっそしてみるか。

 そんな事を思っていると、この何とも言えない空気を打ち破るように、部屋の扉がダァン、とひどく大きな音を立てて開かれた。機嫌の悪い男性が力任せに開いたようなその音に、自身の身体が1cmほど浮いたと錯覚するくらいに心臓が跳ねた。

「主、何をしているんですか?」

 ドクドクと脈打つ胸を抑え、音の発生源である背後の扉のほうへ視線を向ける。扉を力任せに開けたのは長谷部だった。そこへ立つ長谷部の服はいつものカソックとは違っていて、私は思わず目を見開く。震える私の唇は「は、長谷部……そ、その恰好なに……?」と紡ぐのが精いっぱいだった。

「何って、見て分からないのですか?」

 長谷部の着ているそれは、どこからどう見ても夏物のセーラー服。白を基調としたそれは、スカートと襟の部分は紺色で、スカーフは赤色というごく一般的なセーラー服だった。紺色の襟には、細い白のラインが二本入っている。
 短く詰められたスカートからは、パッツパツに広げられたハイソックスが可哀想に見えるくらいに、立派な筋肉の付いた男の足が飛び出している。女物の服から覗く筋肉質な足、最高。

「主の好みは分かっているんですよ。こういうのがお好みなのでしょう?」

「うん、めっちゃ好きぃ……」

 私がそう返せば、長谷部はフン、と鼻を鳴らして得意げな表情を浮かべた。勝気な顔の長谷部の視線は、チャイナドレスを着たアサシンに向けられている。

「勘違いする前に気付けて良かったな。主は俺が好みだそうだ」

「はぁあああ!? アンタちょっと自意識過剰すぎんじゃねぇの!?」

「ハッ、吼えるな。主の『 一 番 の 』家臣であり『 伴 侶 』である俺には誰も勝てん」

「聖杯も捧げられてねぇくせに!!」

「聖杯? ……ああ、極修行みたいなものか? 俺はまだその時期が来ていないだけだ」

「その時期とやらが来る前にマスターはアンタの事なんて忘れているだろうよ」

「は?」

「あぁ?」

 かち合った長谷部とアサシンの視線の間には、バチバチと火花が散っているように見える。不機嫌、不快、苛立ちを隠さない表情で彼らは睨み合っている。一目で怒っているのだと分かる顔をしていた。しかし、しかしだ。彼らの着ているものは女物の洋服。一触即発の恐ろしい空気が流れているのだが、彼らの女装姿のせいで私の緊張感は薄い。キャットファイトだ、なんて呑気に考えてしまうくらいだった。

「主が『女装萌え』に目覚めたのは俺が原因だ」

「はぁ? だから何だよ。俺のほうが似合ってんだろ」

「甘いな。主は『似合わない』ほうが萌えるタチだ」

「っぐ……!」

 アサシンが苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。それとは対照的に、長谷部は勝ち誇ったような表情でアサシンを見下ろしていた。そして、「俺のほうがお前よりずっと身長も高い」と追い打ちをかけるように言い放った。

「主に相応しいのは俺だ」

「――ッハ、身長で勝っているからってなんだよ。単純な筋肉量なら俺のほうが上だ」

「何?」

「マスターは筋肉ついてるほうが好きなんだよ。見たところアンタは俺と比べるとかなぁりスレンダーに見えンだけどぉ?」

「っぐぅ……!」

 先ほどとは打って変わって、今度は長谷部が苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。攻め手を手に入れたアサシンは反対に挑発するような笑顔を浮かべ、「胸元の『女装の似合わなさ』加減じゃ俺のほうが上じゃねぇ?」と言った。

 彼らはいつから「女装の似合わなさ」を競う事になったのだろう。言っていて虚しくならないのだろうか。似合うのと似合わないの、どちらが上かは私には分からない。本音を言うと女装が似合う線の細い男子やショタでも、中身がド攻めなら私は大好きだ。あと長谷部もアサシンもどちらも好きなので、このふたりならどんな格好でも可愛いし愛せる。推せる。

「な、ならばどちらの女装のほうが好きか主に決めてもらおうじゃないか」

「望むところだ。マスター、アンタはどっちのほうが好きだ?」

「えっ、どっちも好きですけど……」

「「今は『どっちも』って言うの禁止な(ですよ)」」






オチがない

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