『0組』の登場

鴎暦841年 氷の月 2日

「諸君等の奮闘の結果、強敵ベヒーモスは討伐された。これに対し、救出された住民から感謝状が届いたほか、朱雀全土からも多くの称賛が寄せられている」

 ユリヤ達が任務から戻って数日後。魔導院の候補生たちは皆エントランスや噴水広場に集まり、ミユウの演説に耳を傾けていた。

「諸君等の働き、正にアギトを目指す者にふさわしい。候補生の総代表として、誇りに思う」

 大勢の候補生の前で堂々と演説するミユウを、ユリヤは遠くから尊敬の眼差しでうっとりと見ていた。寧ろ誇りに思っているのは己のほうだ。そんな事を考えていたら、同じクラスの候補生が腕を軽く小突いてきて、我に返った。顔を向けると、クラスメイトは怪訝な顔でミユウを見ている。

「ただの任務達成でこんな風に大々的に演説するなんて、一体何なんだろう」
「え? これが普通じゃなくて?」
「あ、ユリヤはまだ日が浅いから知らないか。初めてだよ、こんなの」
「じゃあ他に何か重要な話があるのかな……」

 クラスメイトが嘘を言っているとは思えない、というか嘘を吐く理由がない。きっと本題は別にあるのだとユリヤは思った。その推測が正しいことは、ミユウの発言によってすぐに証明された。

「さらに、諸君等に喜ばしい報告がある」

 ユリヤは思わずクラスメイトと顔を見合わせて、そして、再びミユウへと顔を向けた。

「長年空席だった魔導院の最上クラス『0組』に、100年ぶりの所属者が誕生した! その候補生達がここに来ている。彼らを称えよう!」

 ユリヤが0組って何?とクラスメイトに聞こうとした瞬間。
 ミユウの傍に、一人ずつ候補生が現れた。己たちと同じ制服を纏ってはいるが、ひとつだけ明確に異なることがあった。彼らが纏うマントは深紅。既存のクラスでは存在しない色である。

「えっ、何人いるわけ?」
「私たちと同い年ぐらいの女の子もいるね」

 クラスメイトの驚きの声につられて、ユリヤも『0組』と呼ばれる面々を凝視した。本当に何人いるんだろう、と思いつつ彼らの姿を眺めていたユリヤだったが、とある一人の顔を見た瞬間、反射的に声を上げた。

「あっ!!」
「えっ、ユリヤどうしたの?」

 見紛うことなどなかった。あの肩にかかる程の長さの金髪、周りの女生徒よりも頭ひとつ高い身長。彼が己たちへ顔を向けた瞬間、ユリヤは間違いないと確信した。

「あの人! 私の……命の恩人!」

 そう叫んだ瞬間、一気に周囲の目がユリヤへと向いた。集っていた候補生たち、そして、ミユウや『0組』の候補生たちが一斉に顔を向ける。辺りはしんと静まり返り、ユリヤは言葉を失った。頭が真っ白になり、そして、羞恥のあまり頬が赤く染まった。どうしよう、と今にも泣きそうになっていると、ミユウが助け舟を出した。

「ユリヤ、君を助けたのは0組の候補生なのか?」
「は、はい!」

 ユリヤが頷くと、ミユウは改めて0組の面々へ視線を移した。

「半月ほど前、朱雀と白虎の国境線沿であの少女を助けた覚えのある者はいるか?」

『0組』としてこの場に姿を現した12人の少年少女が、互いに顔を見遣る。そして、その中から一人の少年が片手を上げた。

「彼女を助けたのは私です。……と言っても、手を貸すまでもなかったとは思いますが」

 言いながら、少年はユリヤに顔を向けて微笑んでみせた。ユリヤは今何が起こっているのか瞬時に理解出来なかった。ただでさえ皆に注目されて恥ずかしさで今にも逃げ出したいというのに、更に己を助けてくれた相手とこんな形で再会するなんて、嬉しいという気持ちよりも、どうしていいか分からずただただ呆然と0組の面々を見上げるばかりであった。

「トレイ、どういう事だ?」

 先頭を切って0組として最初にこの場に現れた少年が、ユリヤを助けた少年に向かって怪訝な顔で訊ねる。

「魔導院に来る前に、社会勉強も兼ねてクイーンと共に戦場を視察しに行っただけです」
「オイ! 俺たちに黙って抜け駆けしてんじゃねぇぞコラ!」
「抜け駆けではありません、現に積極的な戦闘行為はしていませんから。ただ、危機に瀕していた女生徒を助けただけですよ」

 トレイと呼ばれた少年は、いきなりヤンキー風情の少年に喧嘩を売られても、横目で一瞥すればさらりと流し、ユリヤの元へ歩を進めた。候補生たちは道を開け、トレイは難なくユリヤの目の前で足を止めた。

「あの時、お怪我はありませんでしたか?」
「は、はい! あなたに助けて頂かなければ、私はきっとあの時、命を落としていました。本当に、ありがとうございました」

 ユリヤはトレイの顔を見る心の余裕すらなく、ただただ思い切り頭を下げて礼を述べた。すると、またこちらへ歩を進める足音が聞こえて、ユリヤは恐る恐る顔を上げた。美しいロングの黒髪の、眼鏡を掛けた少女の姿が視界に入る。彼女は微笑すらない凛とした表情で、眼鏡を片手でくいと上げればユリヤに向かってきっぱりと告げた。

「わたくしの見立てでは、トレイが助けに入らなくても、あなたのウォール発動は間に合っていました。ですから、命を落とす事はありませんでしたよ」
「そ、そうですか? 私、あの時頭が真っ白で、絶対に間に合わないって思ってて……」
「クイーン、余計な事を言わないでください」

 トレイは眉間に皺を寄せて、クイーンという名の少女を牽制するように小声で呟くも、当の少女はまるで気にも留めず、毅然とした態度で言い放った。

「トレイはわたくしの見立てが間違っているとでも言うのですか?」
「いえ、そうは言っていません。ですがクイーンの言い方では、まるで私が無意味な事をしたようではないですか」

 ユリヤは0組の候補生たちの事をまだ何も知らないが、彼らは皆優秀で、対等だ――そんな風に感じた。とはいえ、この場にいるのは己たちだけではなく、先日の任務とは関係ない候補生ばかりである。この会話によって、己を助けてくれた恩人の名誉に傷が付くのは、ユリヤとしても避けたいところであった。

「あの! どちらにしても、あの時助けて頂かなければ、私は大きな怪我を負っていたかもしれません。ですから、本当に感謝しています」

 ユリヤはそう言って再び頭を下げると、何やら「ここは彼女に免じて引き分けに致します」「いつの間に勝ち負けの話になってたんですか?」なんて言い合いが聞こえた。ゆっくりと顔を上げると、そこには己に微笑を向けるトレイとクイーンが、そして後方に、己たちの様子を窺っている0組の面々の姿があった。クイーンと呼ばれた少女は、先程まで冷たい表情をしていたから、こうして少しでも微笑を見せてくれて、ユリヤは無性に嬉しくなった。

 ひとまず、思いがけない形で命の恩人と再会でき、ユリヤは徐々に平常心を取り戻しつつあった。それと同時に、自分がこの0組の舞台を邪魔しているのだと気付き、慌てて他の0組の面々とミユウに顔を向けた。

「折角の『0組』のお披露目だというのに、邪魔して申し訳ありませんでした……」

 しゅんと項垂れるユリヤだったが、ミユウは0組の面々と目配せをした後、ユリヤに向かって微笑んだ。

「いや、構わない。君を助けた候補生が判明して何よりだ。良かったな、ユリヤ」
「は、はい!」

 再会の挨拶は終わり、トレイとクイーンはユリヤに背を向けて皆の元に戻っていった。深紅のマントが靡く後姿を見送りつつ、ユリヤは隣で行く末を見守っていたクラスメイトのマントを摘まんだ。

「はあ、緊張した……」
「ユリヤ良かったね、運命の人と再会出来て」
「運命って……私にとっては命の恩人だけど、向こうにしてみたら私なんてその他大勢だよ」
「そうかなあ」
「そうだよ」

 雑談もほどほどにして、ユリヤ達は再び0組へと視線を向けた。12人の少年少女たちは皆、堂々たる佇まいで毅然としている。100年ぶりの『0組』の復活。まだ魔導院に来て日が浅いユリヤでも、それがどれだけ凄いことなのかは理解出来た。1組に昇格することですら夢のまた夢、それどころか不可能だと思っているのに、更にその上を行く0組だなんて、彼らは自分とは住む世界が違い過ぎる。ユリヤは無意識にそう察したのだった。





「ご一緒してもよろしいでしょうか?」

『0組』は他の候補生たちとは住む世界が違い、ユリヤなど彼らにとってはその他大勢に過ぎない……筈だった。
 昼休み、食事もほどほどに友人たちとリフレッシュルームで雑談しているユリヤの元に、0組の面々が現れて、室内は騒然となった。

「か、構いませんが……」

 己の命の恩人が相手であれば断る理由など何もないが、ユリヤは何が起こっているのか分からず、ただただ混乱するばかりであった。気付いたらユリヤ達の周りには0組の面々が空いた場所に腰を下ろしていた。

「ねえねえ、ユリヤっちは魔導院に来てどれくらい経つの?」
「えっ、あの、どうして私の名前を……」
「さっき総代がそう呼んでたからだよ〜」

 なんとも気の抜けた話し方の可愛らしい少女に話し掛けられ、ユリヤは困惑しつつも納得した。その他大勢に過ぎない私の名前を覚えてくださったなんて、さすが0組の候補生はしっかりしている、と斜め上の方向で肯定的な捉え方をし、質問に答えた。

「私はまだ日が浅いんです。ちょうど、その……トレイさんに助けて頂いた頃に入学して、やっと半月過ぎました」
「えっ、入学早々戦地に送り出されたんですか!?」

 今度は、髪の短い穏やかな雰囲気の少女が、目を見開いて驚いてみせた。

「教官いわく、学力テスト、みたいなものだそうですが……」
「だからってフツー入学初日に女の子を戦地にやる〜?」

 続いて軟派そうな男子が話し掛けてきて、ユリヤは何とも言えず黙り込んでしまった。確かに入学初日に戦場に駆り出されたのは驚いたけれど、この魔導院はそれが日常なのだと思っていた。

「ジャック。あたし達は戦争しにここに来てんだ。遊びじゃない。男も女も関係ないだろ」
「サイスはシビアだねぇ〜」

 サイスと呼ばれたポニーテールの少女が、下らなさそうに溜息を吐きながらきっぱりと言い放ったが、ユリヤは寧ろ彼女の意見に同意だった。正直、予告もなしに突然戦場へ送られたことで、余計な事を考えたり悩んだりせずに済んだ気もしている。

「ところで、ユリヤさん」
「は、はい!」

 突然トレイに話し掛けられて、ユリヤは肩を震わせた。

「こうして再会出来たのも何かの縁です。良ければ次の授業が始まるまでの間、私にお付き合い頂けますか?」
「…………」

 一体何を言っているのか瞬時に脳内で処理出来ず、ユリヤは暫しの間硬直していたが、両隣に座っている友人たちに肘で突かれて、平常心を取り戻した。

「はい、是非!」

 ユリヤの耳元で小さく「頑張れ」と囁く友人たちとは真逆に、トレイを除く0組の面々は顔を引き攣らせて、あるいは同情するように悲しそうな表情でユリヤを見ていた。そんな視線を向けられている事に全く気付いていないユリヤは、わずかに頬を紅潮させて頷くのであった。



 昼下がり、あたたかな陽射しが優しく降り注ぐテラスのベンチにて。

「そもそもアギトとは、オリエンスの統一を為し得た者であり、『無名の書』によれば――」
「…………」
「クリスタルは平和をもたらす等と言われていますが、実際のところは単なる魔力供給であり――」
「…………」
「ユリヤさん?」

 トレイが話し続けること十数分。その内容はユリヤの友人たちが想像していたような甘い内容とはまるでかけ離れた、云わば『授業』であった。これから教官たちによる本当の授業が控えているというのに、食後の昼下がりにこんな話を聞かされては、余程の勉強好きでない限り気が滅入るだろう。それが分かっていた0組の皆はユリヤを憐れんでいたのだが、当のユリヤはというと。

「ユリヤさん。起きてください」
「――え?」
「おはようございます」
「おはよ……え?」

 トレイの肩に体重を預けて居眠りをしていたユリヤは、完全に寝惚けた状態で目を覚まし、今自分がどこで何をしていたのかすら把握出来ずにいたが、数秒して明確な意識を取り戻した瞬間、一気に頬を紅潮させて、うっすらと涙を浮かべた。

「ごめんなさい!! 私、大変失礼なことを……」
「いえ、構いませんよ。ユリヤさんにとっては退屈な話だったようで、申し訳ない限りです」
「違うんです! その、あまりに素敵な声だったので……」

 羞恥のあまり頭がまともに働かず、一体何を言っているのかとユリヤは心の中で自分自身に対して嘆いたが、当のトレイはあまり気にしていないようであった。尤も、こういう事は今に始まった事ではないからなのだが。

「次こそは、ユリヤさんを退屈させない話を用意しておきますので」
「次……は、はい! 是非、お願いします!」
「あ〜駄目だよユリヤっち! 安請け合いしたら〜!」

 突然聞こえて来た声に顔を向けると、テラスの入口でこちらの様子を窺っていたらしい0組の皆の姿がユリヤの目に入った。

「え、どういう事ですか?」
「シンク、人聞きの悪い事を言わないでください」
「な、なんでもない〜!」

 ユリヤの友人たち含め、この一部始終を見ていた者は全員、トレイは話が冗長であり、捕まったが最後、とことん付き合わされる事を把握しているのだが、当の本人はすっかり眠りの世界に落ちてしまった為、幸か不幸かまだ真実を知らず、また話せる日が来ることを嬉しく思っていたのであった。

2019/05/29

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