ありふれた非日常

鴎暦841年 炎の月 15日

「ミユウ君。近頃、優秀な候補生が続々と、この魔導院に集まっているようですね」
「総代として喜ばしく思っております、カリヤ議長」

 朱雀の国家元首、カリヤ・シバル6世議長と面談を行うミユウは、真剣な面持ちの中に誇らしさを湛えながら語ってみせた。

「彼等は一人一人が、この朱雀の未来を背負う人材です。僕等の世代から、千年続く戦乱の時代を終わらせ、人々を導く救世主が生まれると信じております」
「実に頼もしいですね」

 カリヤ・シバル6世は朱雀政府の最高意思決定機関『八席議会』の議長であり、アギト養成機関である魔導院の長でもある。

「朱雀クリスタルが年若い者により多くの恩恵を与えるのも、君たちに期待しての事でしょう。だからこそ、我等八席議会も候補生たちに、政府に近い権限を与えているのです」

 朱雀クリスタルがもたらす魔法の力は、成人を境に落ちて行く。その理由も未だ解明されていないが、定められた世界のルールによって、この魔導院のアギト候補生はほぼ未成年である。子供を戦場へ行かせる事に対して批判的な声もあるが、朱雀とて白虎に領土を奪われないためにも手段は選んでいられないのだ。

「その事についても重々承知しております。僕等の行動こそが朱雀の未来を作るのだと。必ずや良い未来を築く事を、候補生を代表してお約束します」
「良き覚悟です。君たちの中からアギトが生まれる事、我等も国を挙げて応援してますよ」

 はっきりと答えるミユウに、カリヤは快く頷いた。
 自分たちが戦地に駆り出されることを、ミユウをはじめとするアギト候補生は誇りに思っていた。成人して魔力が衰えるまでの限られた数年間のあいだに、世界を救う『アギト』になれなかったとしても、候補生として戦果を上げれば将来は安泰である。クラサメのような教官も、かつてはアギト候補生として戦場を駆け巡っていたのだ。

 魔導院には本気でアギトを目指している者もいれば、己の将来の為と割り切る者もいる。どちらにせよ、弱き者は淘汰される世界であった。命を落とせば生者の記憶からはなくなる以上、死の恐怖を知る者は、実際に死に近い体験をした者以外はいないからだ。





「総代!」
「ユリヤか。調子はどうだ?」
「はい、お陰様で充実した日々を過ごしています。時間がいくらあっても足りないくらいです」
「それは何よりだ。だが、無理はしないように」

 廊下で偶然ミユウに出くわしたユリヤは、微笑を湛えて挨拶するも、少しだけ困惑した表情を浮かべてずっと思っていた疑問を口にした。

「でも、本当に私が3組に入ってしまって良かったんですか?」

 この魔導院はクラスが12組に分かれており、それぞれに役割分担がある。ユリヤがクラサメの言い渡した任務を全うした後、正式に配属されたクラスは3組――魔法攻撃に特化したクラスであり、6組の上位互換のようなものである。まさか入学したばかりの自分が、6組でも凄いというのにいきなり3組に配属されるなんて、嬉しいよりも恐れ多い気持ちが勝っていたユリヤであった。

「3組では不満か? 1、2組への配属を希望なら、任務をこなしていけば自然と結果は付いてくるだろう。目標は高いに越したことはない」
「いえ、そうではなく、一番良くて6組だと思っていたので……まだ信じられないんです」

 クラス分けは単純に戦場でのポジションだけで割り振られるわけではない。中には魔法の才能はあっても、性格的に戦うことに向かないなど、前線向きではない候補生もいる。そういう生徒は、戦場から帰還した候補生を魔導院内で回復する7組や、魔法の研究を行う11組などに割り振られる。中にはまぐれで入学出来た候補生が集う9組なんてクラスもあり、ユリヤは寧ろ9組になっても文句は言えまいと思っていたくらいだった。当然、ユリヤは9組の本当の存在理由については知る由もないのだが。

「そう自分を卑下するな。これは先日の任務と訓練の結果を踏まえての結論だ」
「訓練だけならまだ納得できますが、任務では私、死にかけたんですよ」
「大きな怪我もなく帰還しているというのに?」
「それは、助けてくださった方がいたからです。うっかり名前を聞きそびれてしまいましたが……」

 ユリヤはあの時、名前も知らない恩人が助けてくれなければ、自分は命を落としていたと思っている。だが、その肝心の相手はすぐにいなくなってしまい、その場にいた候補生全員に聞いても、彼の素性がまるで分からなかった。
 魔導院の制服を着ていたから、明らかに己たちと同じアギト候補生であることに間違いはない。しかし、彼がマントを身に付けていた記憶がない。候補生はクラスごとにマントの色が異なり、戦場に出ても各々の役割分担が分かりやすいようになっている。制服と同一化しやすい黒色――10組の可能性もあるが、10組の候補生に聞いても該当する人物はいなかった。

「誰に聞いてもその方の素性が分からなくて、未だお礼を言えずにいるんです」
「ユリヤを助けるくらいの手練れを、誰も知らないというのは不思議だな。その後命を落として、皆の記憶からその生徒の存在が抜け落ちているとしたら、ユリヤの記憶にもない筈だ」
「そうなんですよね、考えれば考える程不可解で……」

 もしかしたら自分は死者の事を忘れない能力を身に付けたのか、なんて有り得ないことを思ってしまったが、残念ながら自分は平々凡々たる人間であることは、ユリヤ自身が一番理解している。

「確か金髪で長身の生徒で、弓使いだと言ったな? 念のため僕の方でも調べておこう」
「い、いいんですか? 総代もご多忙だというのに……なんだか申し訳ないです……」
「君を助けるほどの優秀なアギト候補生が、このまま埋もれるわけにはいかない。それにユリヤ、君も命の恩人に直接お礼を言いたいだろう」
「はい、それはもう」
「それなら僕等の利害は一致している。問題ない」

 きっぱりとそう言い切って微笑を湛えるミユウに、ユリヤは安堵の溜息を吐いた。本当に総代は素敵な人だ。私も総代のようになるのは無理だし、考えることすら烏滸がましいけれど、いつか総代の隣で一緒に戦えたらどんなに光栄なことか。憧れ、目指すだけならタダだ。ユリヤは心の中でそう決意したのだった。





鴎暦841年 炎の月 27日

 魔導院での生活にも慣れて来て、昼休みに3組の候補生たちと一緒にテラスで呑気に雑談をしていた時。
 突如、魔導院内にサイレンが鳴り響いた。
 続いて、朱雀領内にモンスターの群れが出現し、民衆が被害に遭っていると、総代からのアナウンスがあった。任意だが、候補生は是非任務にあたって欲しいとの事だ。

「ユリヤ、どうする?」
「行く!」
「即答だね」
「やっぱり実戦で自分の力を試したいし、それに……」

 それに、戦場に出れば、もしかしたら彼と再会出来るかもしれない。

「それに?」
「……相手が皇国軍じゃなくてモンスターなら、少しは気も楽だし……」

 下心で戦場に向かうなんてあってはならないと、ユリヤは首を振って浅はかな考えを打ち消しつつ言い直した。
 相手の命が消えれば記憶も消える。つまり、皇国軍を殺しても記憶は消えるのだから、人を殺めた記憶も消える。自らの傍に、敵国の軍人の死体があるだけだ。
 だけど、その横たわる死体を見て、自分が殺めたのだと思うと、所謂『一般人』からはかけ離れた人間になってしまったのだと、自分のことなのにどこか他人事のように考えてしまったのも事実だった。

 罪の意識に苛まれないことは有り難い。きっとそれがクリスタルの恩恵なのだろう。でも、気分が良いかと問われたら頷くことは出来ない。綺麗事を抜かしていては、朱雀は瞬く間に白虎に領土を奪われ、朱雀の民は死に絶えてしまうだろう。そう頭では分かっていつつも、手放しに喜べないのもユリヤの本心であった。

『我々はモンスター討伐を敢行する。国境周辺のモンスターを駆逐し、住民の安全を確保するのだ。我等に、クリスタルの加護あれ!』

 憧れの総代、ミユウ・カギロヒのアナウンスが魔導院内に鳴り響くなか、ユリヤ達は顔を見合わせて頷き、任務へと向かった。



 無事、モンスターの討伐が終わるまでに要した日数は、移動時間も含めて約四日。一人では到底倒せないモンスター『ベヒーモス』が現れ、苦慮しつつも倒すことに成功した。
 ユリヤは田舎でクァール等を狩ることはあっても、ベヒーモスのような巨大モンスターには出くわしたことがなかった。万が一出くわした際は絶対に逃げるように、と村の言い伝えがあったが、こうして大人数の候補生でなければ倒せなかった事実を鑑みると、田舎にいた頃に出くわさなかったのは幸いだったとユリヤは安堵した。そして、皇国軍に比べたら気が楽、などと言っていた任務前の己に喝を入れたいくらいだった。

「ユリヤお疲れ〜!」
「本当疲れた……魔力も切れてるし、これ以上長引かなくて良かった」
「私も魔力切れ……早く魔導院に帰ってゆっくり休みたいねぇ」

 仲間たちと共にぐだぐだと話しながら、それでもこうして生き延びることが出来ただけでも大収穫だとユリヤは思い直した。一人では為し得ないことであり、皆で協力したからこそ任務を達成出来たのだ。
 この調子では、アギトを目指すどころかクラスの昇格も難しい気はするが、今は配属されたこの3組で頑張っていこう。ユリヤは純粋にそう思った。

 候補生としての収穫はあった。けれど、ユリヤを助けてくれた相手は、この任務の場にはいなかった。下心があると言うと語弊があるが、彼ほどの実力者であればこの任務にも参加している可能性が高いと思ったユリヤだったが、残念ながら顔を合わせることはなかった。
 任務に参加はしていても、たまたま別の場所にいるのかも知れないと思いつつも、彼が本当に存在するのか、ユリヤは徐々に自信がなくなって来ていた。

 己を助けてくれたあの時、離れた場所にいた候補生たちも、ほんの数人だがユリヤを助けた相手がいる事はその目で見ている。だからユリヤが幻覚を見たというわけではない。だが、彼が誰なのか知る候補生が一人もいないというのは不自然であった。もしかしたらあの場にいた全員、幻覚を見たのかも……などとユリヤは思い始めたが、その疑いは杞憂に終わり、数日後に彼と再会を果たすことが出来るなど、この時は夢にも思っていなかった。

2019/05/19

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