候補生たちの道

鴎暦841年 冷の月 3日

 ニンブスの攻撃により大打撃を受けた朱雀正規軍は 白虎の侵攻を押し留めることができず、敗北は濃厚になりつつあった。
 朱雀で進行中の『秘匿大軍神召喚作戦』は、状況を打開する切り札となるはずだった。
 だが、あまりにも非人道的な作戦であるがゆえに、アギト候補生は誰もが狼狽し、魔導院は瞬く間に混乱に陥った。

「戦う力を持たないたくさんの民衆の命を犠牲にするなんて……そんな事許されていいのかよ……」
「でも、そうしないと民衆も、正規軍も、私たち候補生も、全員白虎と蒼龍に殺される」
「いくら白虎でも、さすがに民間人は殺さないだろ」
「玄武がアルテマ弾で国ごと消滅させられたのを忘れたのか!?」

 一体己たちは何のためにアギト候補生になったのか。候補生が為すべき事は第一に民を守る事ではないのか。武器を持たない民衆を救えずして、誰がアギトになれるというのか。
 様々な意見が飛び交う中、1組の候補生のひとりがユリヤに声を掛けた。

「ねえ、ユリヤって0組の人と仲良いよね? 0組もこの作戦に賛成なの?」
「秘匿大軍神の召喚に代わる作戦が思い付かない以上、反対も出来ない状態みたい。0組もいくら強いといっても、朱雀政府より権力があるわけじゃないし……」

 朝、ジャックは言い難い事をはっきり言っていたけれど、あれが本心というわけではないとユリヤは考えていた。きっと0組は、長い間魔導院の頂点にいた1組の候補生よりも難易度の高い任務をこれまでに幾度もこなしてして、それは決して口外出来る内容ばかりではない。
 戦争というものは綺麗事だけで語れるわけではないと、ユリヤも日々の授業やクリスタリウムの書籍で得た知識で理解している。それでも、いくらなんでも戦争の為に多くの民間人の命を犠牲にしても良いなどと、0組の皆は考えていないと思いたかった。

「……総代は、本当にこれでいいと思ってるのか?」
「総代はそんな人じゃない! でも、ユリヤが言ったように、代替案がない限り、政府に従うしかないんだと思う」
「政府というより、朱雀クリスタルの命令だしな……」
「これじゃまるで、俺たちはクリスタルの奴隷みたいだな」
「おい、言葉が過ぎるぞ!」

 普段は常に冷静沈着で纏まりのある1組も、この日ばかりは皆感情を露にし、議論が絶えなかった。こんな作戦、己たちだけではなく総代も、0組も、そしてきっと朱雀政府も――誰もが避けたいはずだ。
 クリスタルの意思。ただそれだけで、多くの罪のない民衆の命が一瞬にして奪われる。
 オリエンスとはそういう世界だ。クリスタルの意思が絶対であり、各国のクリスタルは常に国の為に最善の指示を、ルシを通して伝える。この世はクリスタルによって動かされているのなら、人間とは一体何のために存在するのか。己たちは、各国のクリスタルが争い合う為の道具に過ぎないのか。ユリヤだけでなく、多くの候補生が自分たちの存在意義について考え始めていた。

 このまま皆で混乱したまま話し合っていても、事態が好転する事はない。秘匿大軍神の召喚を待つ事しか出来ず、大軍神によって朱雀の民の命が奪われ、白虎・蒼龍軍を撃退した後の事後処理にあたるだけだ。
 ただひたすら待つ事しか出来ない事を分かってはいつつも、ユリヤは居ても立ってもいられなくなった。

「……私、もう一度0組に接触してみます。もしかしたら今、打開策を練っているところかも知れませんし。いえ、きっとそうです」

 ユリヤは1組の候補生たちにそう告げて、教室を後にしようとした。その背中に、クラスメイトの心配する声が投げ掛けられる。

「ユリヤ、大丈夫? 結局打開策がなければ、余計落ち込む事になるよ?」

 その気遣いに、ユリヤは無言で深く頷いてみせた。

「大丈夫。きっと……0組も総代も私たちと同じ気持ちだと確かめるだけでも、無駄じゃないはずだから」





 ユリヤは勇み足で0組の教室まで来たものの、自分が来て何になるのか、意味がないどころか0組内で議論をしていたら明らかに邪魔になってしまうではないか、と自らの浅はかな行動を今頃になって悔いた。とはいえ、何もしないで1組の教室に戻るわけにもいかず、少々趣味は悪いが教室内の声を外から盗み聞きする事にした。

「トレイ、大見得を切るのはいいけどよ、総代が納得するような作戦はあるのかよ?」
「ですからそれを今から皆さんと相談して――」
「何も思い浮かばないんじゃ話になんねぇだろ。ユリヤも口で言うのは簡単だけどよ、考えるこっちの身にもなれっての」
「サイス。ユリヤさんを否定するのは些かどうかと思いますよ。我々しか頼れる相手がいないからこその言葉なのですから」
「ったく、それでもアギト候補生かよ」

 教室の中では何やらトレイとサイスが言い争いをしていて、ユリヤは血の気が引いてしまった。今の会話から、自分が余計な事を言ったせいだと察するのは容易だからだ。
 ユリヤは自分が悪く言われるのは構わないが、トレイが己を庇う事で立ち位置が悪くなってしまうのは心苦しかった。ましてやトレイは最早単なる想い人ではなく、正式な恋人となったのだから、ここで黙っているのは何よりユリヤの心が許さなかった。
 自分の真意さえ把握すれば、行動に移すのは容易い。ユリヤは意を決して、0組の扉をノックもせずに開け放った。

「すみません! 私が考えなしに余計な事を言ったばかりに……!」

 扉を開けると同時にユリヤは仰々しく頭を下げ、教室中に響き渡るほどの声で謝罪の意を述べた。
 誰かが遠くで舌打ちをする音が聞こえた。間違いなくサイスであろう事は見なくても分かる。ただ、教室は既に緊迫した空気ではなく、寧ろユリヤが押し掛けた事で少しばかり和みつつあった。

「ユリヤ! トレイの事を心配して来てくれたんだね」
「レム、0組じゃないのに突然押し掛けてごめんね」
「ううん。私たちもこのままでいいのかなって思っていたから……ユリヤも同じ気持ちだって分かってほっとしちゃった」

 ほんの数日しか会っていないだけなのに、レムの顔を見てユリヤは妙に安堵した。勿論不安は隠せないものの、互いに笑みを向け合って、ユリヤは改めてレムと当たり前のように何気ない会話をしていた日々を思い出した。一緒にお茶会をした事、レムとマキナの0組昇格、そして己の1組昇格を祝い合った事など、ここまで戦況が悪化する前の出来事が遠い昔の事のようで、懐かしく、恋しく思った。
 だが、そんな日常を過去のものと諦めず、また平和な日々を取り戻す為にも、このまま諦めて秘匿大軍神召喚作戦を受け容れてはならない――改めて強くそう感じた。

 そしてトレイはというと、突然ユリヤが現れた事でサイスの追及からは逃れられたものの、情けない場面を見られてしまったと内心落ち込んでいた。とはいえ、このまま黙っているわけにはいかず、罰の悪そうな顔でユリヤに声を掛けた。

「ユリヤさん、申し訳ありません。ユリヤさんの言葉を聞いて、なんとか打開策を練ろうとしてはいるのですが……」
「いえ! 私こそ、0組に責任を押し付けるような真似をしてしまって、本当にすみません。皆で考えないといけない事なのに」
「皆で……確かにそうですね。正直我々も煮詰まってしまっているんです。寧ろ他の候補生から意見を募る事で、別の見方が可視化され思わぬ打開策が見つかるかも知れません」

 0組で解決できない事を、他のクラスの候補生の意見で解決の糸口を見つける事が出来るとは考え難いが、何もしないより一縷の望みに賭けるという事だろう。トレイの案は今出来る唯一の事であるとユリヤは同意しようとしたが、ナインが横槍を入れた。

「そんな悠長な時間ねぇだろうが! 総代が作戦を発令したって事は、ルシ・セツナはもう詠唱の準備にでも入ってるんじゃねぇのかよ、クソッ」
「落ち着いてください、ナインさん! 今からでも行動を起こせばまだ間に合うかも知れません……!」

 間にデュースが入って何とか落ち着いたものの、明らかに0組の面々も何も出来ない状況に苛立っているのが見て取れた。自分がここに来てしまった事で、ますます皆を混乱させてしまっているとユリヤは後悔したが、ふと視線を感じて顔を上げた。辺りを見回すと、こちらへ視線を向けているのが誰か分かった。口数が少ないゆえにあまり会話した事はないが、紛れもなく0組の一員であるエイトであった。

「……エイトさん、もしかして何か良い策が?」
「いや、今トレイの言った『別の見方』……もしかしたらオレ達0組ではなく、ユリヤのようなつい前まで候補生ではなかった子こそ、違った着眼点で考えられるんじゃないかと」
「そ、そんな! 大役すぎて私には……」

 エイトの言い分は理解出来るものの、まさか自分に振られるとは思わず、ユリヤは恐縮して後ずさりしてしまった。まさにサイスの言う通り、お前はそれでもアギト候補生か、と自分で自分に喝を入れたくなる程情けない有様であった。
 だが、そんなユリヤに思わぬ人物から助け舟が出された。いつも明るく振る舞っているケイトである。ケイトはユリヤの傍まで駆け寄れば、愛想の良い笑顔で語り掛けた。

「ねえ、こういう時は難しく考えないで、適当に言ってみればいいんじゃない?」
「適当、と言われても……その適当な意見すら思い浮かばなくて」
「うーん、じゃあ、ユリヤは今回の作戦で、多くの国民の命が犠牲になるのが嫌なんだよね?」
「それは勿論です。私だけでなく、他の候補生たちも同じ気持ちです。ただ、秘匿大軍神の召喚に代わる案がなく……」
「じゃあさ、代替案は抜きにして、単純にこの作戦を中止したらどうなると思う?」

 ケイトの質問に、ユリヤははっとした。今までユリヤも、他の候補生たちも、秘匿大軍神召喚作戦を止める為には、白虎・蒼龍軍の侵略を阻止する為の代替案がなければならないと思っていた。否、思い込んでいたのだ。
 単純に作戦を止めるだけならどうなるか。ユリヤは考えながら、ケイトの質問にたどたどしく答えた。

「まず、召喚による民間人の犠牲は確実に防ぐことが出来ます。ただ、白虎・蒼龍両軍の侵略を阻止する事は出来ない為、結局は多くの命が犠牲になるかと」
「ユリヤは、なんで白虎と蒼龍が朱雀の民間人に手を掛けるって思うの?」
「え? だって、朱雀は白虎と戦争していて、蒼龍も白虎の味方に付いて、それこそ秘匿大軍神に頼らない限り朱雀が対抗できる方法はなくて……――あ」

 ユリヤは漸く、ケイトの質問の真の意図に気付いて声を上げた。何故白虎と蒼龍が民間人に手を掛けると思ったのか。戦争をしているからだ。つまり、戦争を止めれば――。

「戦争を止めれば、民間人が虐殺される事はない……という事でしょうか」
「うん。ただ、それって朱雀が白虎に降伏するって事だけどね」

 ケイトはあっけらかんとして答えたものの、ユリヤだけでなく他の0組の面々にとっても思わぬ盲点であった。朱雀という国家を維持する事よりも、民間人の命を優先する場合、つまり敵国に降伏すればこの戦争は朱雀の敗北として終わりを告げるのだ。
 それは、クリスタルの意思に反する事であるがゆえに、これまで誰も口にしないどころか頭にも浮かばなかった事であったが、己たち人間は、アギト候補生は何を優先すべきか。この事に関して意見を募り、議論する価値はある。
 この瞬間0組の、そしてユリヤの気持ちはひとつになったのだった。





 0組を代表して、エースはミユウの元を訪れた。本当に朱雀の民衆が犠牲になるのは仕方がないと諦めているのか、その真意を確かめる為に。

「総代……あんたもクリスタルの意思を、受け入れるつもりか?」
「……勝利のためには、受け入れるべきなのだろう。だが……」

 エースの問いに、ミユウは戸惑いと憤りを隠せずにいた。アギト候補生総代として、誇りを持って魔導院を導いてきたミユウにとって、こんな作戦がまかり通って良い訳がないのだ。例え代替案がないとしても。

「僕はあれからずっと、迷い続けている。民衆を犠牲にして、白虎を倒して……それが本当に正しい道といえるのかと……!」
「そう思うなら、なぜ声を上げない!? 一人で抱え込んでいれば、いずれ迷いは晴れるのか!?」
「……っ!」

 エースの怒りの声に、ミユウは思わず息を呑んだ。彼の言う通り、悩んだところで答えは出ない。押し黙るミユウに、エースは真っ直ぐな瞳で言葉を紡ぐ。

「総代、僕等は『アギト候補生』だ。人々を救う救世主になるため、この魔導院に集まった。どうすればアギトになれるかなんて、僕にはわからない。だけどそれに少しでも近づくため、今日まで戦ってきた。それはきっと、他の皆も同じはずだ」

 己たち0組だけではない。ユリヤを始めとする、これまで共に戦って来た他のクラスの候補生たちも、任務中命を落とした者たちも、そして、目の前にいる総代、ミユウ・カギロヒも。皆、想いは同じはずだ。だから――。

「――だから、共に考えよう。僕等が歩むべき道を」

 エースはそう言い切って、ミユウの返答を待った。暫しの間互いに見つめ合い、そして、ミユウは静かに頷き、漸く口を開いた。

「……そうか……そうだったな。僕等はそうして、ここまで歩んできた」

 ミユウは自身がこの魔導院に招聘された時の事を思い返し、今日までの様々な想い出を噛み締めながら呟いた。つい半年近く前にこの魔導院に来たばかりのユリヤに、己は何と言っただろうか。

 ――この戦乱の時代に終止符を打ち、輝かしい未来へと人々を導く存在――それが神話に語られし救世主、『アギト』だ。君もオリエンスの救世主を目指そう。僕たちと共に。

 この時の自分が、今の自分を見たらどれほど落胆するだろうか。このままではいけない。いくらクリスタルの意思だからといって、武器を持たない民衆を犠牲にするのは、どう考えても間違っている。例えそうしないと国が亡ぶとしても、民あっての国である。そんな事も分からずに、アギトになれるわけがない。
 ミユウはまるで人が変わったかのように――と称すよりも、かつての輝きを取り戻したかのように、改めてエースを見つめれば、迷いのない瞳できっぱりと言い放った。

「僕等の道を決めるのは、僕個人の意思ではない。この魔導院にいる、すべての候補生だ」
「総代……!」

 例え秘匿大軍神召喚に代わる作戦がなくとも、それを止める事は出来る。朱雀クリスタルの目的は、『朱雀』という国の存続だ。その為ならば、いかなる犠牲も厭わない。だが、己たちアギト候補生の目的は違う。最優先すべき事は、朱雀の『民』を護る事だ。

「――9組、全候補生に極秘に伝達せよ。これより『決断』を採る」

 ミユウはすぐさまCOMMで連絡を取った。『9組』――彼らは表向きには落ちこぼれのクラスと言われているが、実は汚れ仕事を引き受ける『諜報部』を担っている。その事を知っているのは、朱雀政府、ミユウ、そして、9組の任務に時折協力している0組だけである。

「僕等には二つの道が用意されている。一つはクリスタルの意思に従い、勝利を目指す道。もう一つは、犠牲となる民を救うため……クリスタルの意思に抗う道だ。そうすれば恐らく、勝利への道は閉ざされるだろう。しかし多くの命を救うことはできる」

 今回は9組に汚れ仕事を押し付けるわけではない。この魔導院の、アギト候補生全員の運命を決める為に暗躍して貰う。
 人間の運命を決めるのは、クリスタルではない。己たち人間だ。

「僕等の進むべき道はどちらか――それを、選ぶのだ」

2020/08/16

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