まどかなる恋路

鴎暦841年 冷の月 1日

「トレイ、テメェついにユリヤに告白したのかよ! やるじゃねぇか、コラァ!」

 翌朝、トレイは0組の教室に入ると同時にそんな事を言われ、その場で卒倒するところであった。ナインはよりによって0組の中で一番知られたくなかった相手である。マキナとレムを除く0組の面々は幼少期から共に育った、云わば家族と同様の存在であり、決して憎むべき相手ではないのだが、例え家族でも知られたくない事はある。特にこの、自身の肩に腕を乗せながら大声で暴露するような男には。

「あの、ナイン。もう少し静かに喋って貰えませんか?」
「否定しねぇって事は、俺の見間違いじゃなかったって事だな! オイ、聞いただろ皆!」
「は?」

 まるで皆に訴えかけるようなナインの口調に、トレイは漸く教室内を見回し、今度こそ卒倒しかけた。
 普段のこの時間ならクイーン、デュース等、生真面目で害のない面子しかいないであろう教室に、この日は最悪にも全員揃っていたのだから。

「おお〜! ついに我慢できずにユリヤっちに告白したんだねぇ〜」
「シンク、まるで人を理性のない獣のように言わないでください。大体順序が逆です。告白したのはユリヤさんで、私はそれに応えたまでです」
「ええっ、普通そういう事言う〜!? ユリヤっちもなんでトレイの事が好きなのか、シンクちゃん全然分かんないよ〜」

 可愛らしい顔で毒を吐くシンクにトレイは反論しようとするも、女性陣がシンクに味方して非難の声を上げ、これ以上何かを言うのは得策ではないと判断し押し黙った。そんな時、味方にはならないであろう男がトレイと女性陣の間に立つ。トレイが教室に来るや否や告白の話を持ち掛けた張本人、ナインであった。

「つーか、告白したのがどっちだろうがどうでもいいだろうが」
「元はといえば、ナインの思い込みが原因ですよ。思うだけならまだしも大声で言い放つとは、まるで私がユリヤさんの事が好きで仕方ないみたいじゃないですか」
「あ? 違うのかよ」

 ナインの問いに、トレイはますます押し黙らざるを得なくなった。傍から見ればユリヤが己に憧れ慕っており、己もそれを無下にせず、友好的な関係だという認識でいるだろう。それに間違いはないと断言出来るが、では、逆に己がユリヤの事をどう思っているのか、周囲からはどう見えていたのか。ユリヤと出逢って半年近く経ったが、この半年間、この0組の面々は己のユリヤへの態度をどう見ていたのだろうか。

「今更訊く事ではないかも知れませんが……皆さん、私がユリヤさんの事をどう思っているとお考えなんですか?」

 正直、他人がどう思うと普段なら気にも留めないのだが、まるでナインの言い回しでは己のほうがユリヤに熱を上げているようではないか――そんなトレイの憶測は、0組の証言で見事に的中したのだった。

「どう思ってるって……どう見ても相思相愛なのにくっつかないな〜って思ってたけど?」
「寧ろ、ユリヤさんよりトレイさんの方が愛が重いように見えましたが……」
「任務の際、事前に根回ししてユリヤの班を前線から後方へ配置転換した事もあったな」
「そこまで!?」

 トレイはあくまで、ユリヤが立派にアギト候補生として立ち回れるようになるまでの間、無駄死にしないよう気を利かせていただけなのだが、さも『やり過ぎ』のような言い方をされて、さすがに反論しなければと0組の面々の間に割って入った。

「あの、何やら誤解されているようですが。まず大前提として、私とユリヤさんが出逢ったのは互いにこの魔導院に招聘されたばかりの頃です。マザーの元で戦闘訓練を受けていた我々はともかく、ユリヤさんはつい前までしがない民衆の一人に過ぎなかったわけです。そんな状態で白虎軍の襲撃があり、時間をかけて候補生を育てる状況ではなくなったのですから、戦場で無駄死にしないよう最大限配慮するのは当然の事であり、そもそも――」

 息継ぎをする余裕もなく喋り倒すトレイに皆がうんざりしかけた中、マキナが一歩前に出た。出来る限り穏便に、この長話を止める為だ。

「分かった分かった。トレイは決して下心があったわけじゃなくて、ユリヤの為を思って動いて、その結果ユリヤもますます君に惚れたって事だよな?」

 トレイの名誉を傷付けず、最大限配慮したであろうマキナの言葉。当然トレイは気を悪くするわけがなく、やっと己を分かってくれる者がいたかと瞳を輝かせた。

「マキナ、あなたという優秀な候補生がこの0組に加わった事を、これほどまでに喜ばしいと思ったことはありません」
「ははっ、ありがとう。俺もレムと一緒にユリヤの事をそれなりに見て来たからな。なんとなく分かるんだ」

 まさに物は言いようであり、0組の面々はほぼほぼ呆れ顔でトレイを見ていたが、レムだけはマキナを見つめながら普段よりも嬉しそうに頬を綻ばせていた。マキナが言ったように、レムもユリヤの想いを理解して、ずっと見守って来ただけに、二人が結ばれたのは純粋に嬉しい事であった。今この朱雀が絶望的な状況下であるゆえに。

「……こういう時だからこそ、想いが通じ合うって凄く大事な事だと思うんだ。特にユリヤは、突然一人で1組に入って何かと大変だと思うから……トレイが白虎戦線でまめに声を掛けていた事で、ユリヤも頑張れたと思うし」

 マキナに続き、レムも肯定的な言葉を掛けてくれた事で、トレイはやはり己が為してきた事は間違いではなかったのだと改めて認識出来た。可能なら、ユリヤもマキナやレムと共に0組に来てくれればトレイとしてもより干渉し易かったのだが、そこまで求めるのはさすがに身勝手だと理解していた。

「ったく、惚れただの告白だの言ってる場合かよ。この朱雀が滅亡しかねない時によ」

 突然、水を差すようにそんな事を言ってのけたのはサイスであった。一度ユリヤに喧嘩を吹っ掛けた(とトレイは認識している)事もあり、ユリヤ本人は何も言わないものの、二人の相性は悪いのかとトレイが察した瞬間、サイスは鋭い視線を向けて、思いも寄らない事を言ってみせた。

「いいか、トレイ。絶対にユリヤを守り切れよ」
「当然です。というか、まさかサイスからそんな言葉が出て来るとは……意外ですね」
「ユリヤをボコボコにしていいのはあたしだけだからな」
「……白虎や蒼龍より先に、サイスからユリヤさんを守らなければなりませんね」

 まさか己が見ていない間に、拳で語り合った結果ふたりの間に友情が芽生えたのだろうか。いや、あのユリヤがそんな野蛮な事をするわけがない筈だ。それとも、まだ己に見せていいない顔があるのだろうか。ユリヤと結ばれたは良いものの、まだまだ知らない事ばかりである。恋だの愛だの言っている場合ではないというサイスの言い分も尤もではあり、だからこそこの戦争を終わらせて、ユリヤと平和な日常を過ごしたい――トレイは初めて、そう強く思ったのだった。





 緊迫した状況ではあるものの、未だ朱雀政府からの命令はなく、アギト候補生たちは魔導院で待機、あるいは白虎・蒼龍軍の侵攻に備えて鍛錬に励んでいた。今頃八席議会が対抗策を練っているところであると皆理解しているが、未だ0組への情報共有はなく、皆苛立ちを覚えていた。
 最早授業を行う状況ではなく、0組も皆朝は教室に集まりはするものの、その後は各々自由行動を取っている。トレイは己だけでも常に冷静にいなければならないと、一先ずクリスタリウムへと足を運ぶ事にした。

「トレイ、ユリヤの所に行くのか?」

 教室を出たトレイに続くように、キングも教室を出て歩を進める。キングは朝のやり取りが頭に残っていたゆえの何気ない発言だったのだが、トレイはそこまで色惚けしていないとばかりに眉間に皺を寄せた。

「あの、自由行動とはいえ一応今は授業中ですからね。放課後になるまでクリスタリウムで時間を潰すつもりです」
「律儀というか、融通が利かないというか……まあ良いんだがな」

 キングは恐らく自身の武器である二丁拳銃の整備、または鍛錬に励むのだろう。確実に行き先が違う以上、途中までとはなるが共に歩いていたところ、トレイとキングの視線の先に見慣れた姿があった。

「噂をすれば……まさかユリヤさんをお見掛けするとは」
「ん? セブンも一緒だな。どういう繋がりだ?」

 0組の面々もトレイの影響でユリヤを知ってはいるものの、皆が皆友好的な態度を取るわけではない。彼女が害のない存在である以上敵対する事はないにしても、干渉する必要性もない。傍観、というのが一番相応しい表現であろう。今ユリヤと共にいるセブンも、まさに傍観者の立場であったとトレイは思っていたが、キングも同様であったらしく、互いに首を傾げた。
 彼女たちの話を盗み聞きするのは趣味が悪いと思いつつも、距離が近付くにつれ、自然と会話がトレイたちの耳に入る。

「まさか0組の皆さんに知られてしまうなんて……トレイさんに迷惑を掛けてしまいましたね」
「いや、マキナとレムが上手くフォローしたお陰で、トレイも気を良くしていたし皆祝福ムードだったから。大丈夫だ」
「あの二人がフォローを? 何かお礼を考えないと……」
「ふふっ、そんな堅苦しく考えなくても。友達だから自然とそうしただけに見えたけどな。ユリヤだって逆の立場ならそうすると私は思う。わざわざお礼をされたら、二人も恐縮するんじゃないか?」

 身長差やセブンの面倒見の良い性格も相まって、まるで気弱な妹を励ます姉のような光景に見え、微笑ましく感じたトレイであったが、偶然ユリヤがこちらを見て互いに視線が合った。

「ト、トレイさん!?」
「奇遇ですね、ユリヤさん」

 話を聞かれていたと思ったら気分を害するだろうと、トレイは取り敢えず今来たばかりのように振る舞って、ユリヤへ歩み寄った。キングもそれに続き、セブンへと声を掛ける。

「サイスに続いて、セブンもユリヤに決闘の申し込みでもしたのか?」
「あいにく可愛い女子に喧嘩を売る趣味はないな。偶々会って少し話していただけだ」

 キングの冗談めいた発言にセブンは苦笑を浮かべて返せば、ユリヤへと向き直った。

「ユリヤ、引き留めてしまってすまない」
「いえ! セブンさんとお話出来て嬉しかったです。今度是非、リフレッシュルームでゆっくりお茶でも出来ればと思います」
「了解。楽しみにしているよ」

 律儀な性格ゆえに、セブンは世辞で言ったわけではなく、この戦争が終わり平和が訪れれば本当にユリヤと優雅な一時を過ごすだろう。本当に、何としても朱雀滅亡の危機を脱しなければ。朱雀国民の為、そして己たちの未来の為にも。そう決意を新たにするトレイであったが、ふと視線に気付き我に返ると、ユリヤが己の傍に来て心配そうに見上げていた。

「失礼しました。少々考え事を……」
「政府も、白虎と蒼龍への対抗策もまだ立てられていないようですしね……トレイさんや0組の皆さんが悩まれるのも無理はないです」
「お気遣いありがとうございます。とはいえ、指示が出るまでひたすら待機というのも堪えますからね。例え無駄であっても、私なりに足掻いてみるつもりですよ」
「あ……もしかしてトレイさんもクリスタリウムに行かれますか?」

 その口振りから、ユリヤもクリスタリウムに向かおうとしていたのだと察するのは容易であった。昨日の今日で、この戦争における何らかの打開策が見つかるとは思えないが、ユリヤと一緒に過ごす事が出来るのならば、収穫がなくても無駄な時間にはならない。

「ええ。良ければユリヤさんとご一緒出来ればと思います」
「私、トレイさんの調べ物の邪魔にならないですか?」
「寧ろユリヤさんがいれば大助かりですよ」

 トレイがそう言った瞬間、ユリヤの表情が一気に明るくなる。恋人同士になったというのに、邪魔だと思うわけがないのだが、もしかするとユリヤは昨夜の出来事が夢だったのではないかと思っているのでは、とトレイは推察した。未だ戦況は予断を許さない状態ではあるが、政府から指示が下るまでの間、ユリヤと友好を深めるのは決して悪い事ではない。寧ろ、サイスが言うように彼女を守る為にも、信頼関係を確固たるものにしていかなくては。そう思い、トレイはユリヤの手を取った。

「では、行きましょうか」
「はい!」

 トレイの手を握り返し、ユリヤはセブンとキングに頭を下げる。トレイが手を引いてクリスタリウムへと歩を進める中、キングとセブンは微笑ましそうに見守っていた。

「こんな御時世じゃなければ、大体的に祝賀パーティーでもやるんだがな」
「キング、それじゃ結婚式みたいじゃないか」

 朱雀が滅亡の危機に瀕している時だからこそ、仲間のささやかな幸せを、キングとセブンだけでなく皆心から祝福していた。だが、朱雀政府が民衆の命を犠牲に秘匿大軍神を召喚しようとしているなど、アギト候補生はまだ誰も知る由もない事である。0組だけでなく、候補生全員が救世主としての決断を迫られる時は、本人達も与り知らぬまま、刻一刻と迫りつつあった。

2020/07/11

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