決死の作戦

鴎暦841年 熱の月 30日

 ついに白虎・蒼龍同盟軍が魔導院への大々的進撃を開始し、その時に向けて準備を進めていた候補生たちは、決死の作戦を敢行する事となった。

 ユリヤがレムと別れた後、暫くして全候補生に通達された作戦は、全候補生と朱雀ルシ・シュユ卿の力で、白虎ルシ・ニンブスを倒せという内容であった。いくらシュユが戦場に出るとはいえ、蒼龍戦線の朱雀正規軍をたった一人で全滅させる程の強大な力を持つ相手を倒すことなど出来るのか。他に選択肢はないにせよ、ユリヤ達の間にも不安が押し寄せていた。
 とはいえ、他に道はない。このまま白虎に降伏するか、朱雀の為に最後まで、自らの命を犠牲にしてでも立ち向かうか――アギト候補生たる己たちに逃げる選択肢などなかった。



「……ユリヤ、怖くない? 大丈夫?」

 1組の候補生に声を掛けられ、ユリヤはぎこちなく頷いた。ルシを相手に戦うなど、怖くないと言えば嘘になる。けれど、それを認めるわけにはいかない。朱雀正規軍が命を落としている中、アギト候補生が怯むなど以ての外である。尤も、ユリヤの場合器用に不安を隠せる性分ではないのだが。

「強がらなくていいよ、1組に入って二ヶ月経ったとはいえ……こんな事、早々無いからね」
「……ありがとうございます」
「こんな状況で淡々としていられるのは0組ぐらいだから」

『0組』。その言葉を聞いて、きっとトレイならこの状況下でも冷静沈着でいるだろうとユリヤは真っ先に思った。少しでも彼と話せたらこの不安な気持ちも払拭できる――そう願ったものの、0組は此度の作戦で再び『アンチ・クリスタルジャマー』を発動する重要な役割を担う事になっている。自分の我儘でトレイに干渉するわけにはいかなかった。
 ユリヤは気を取り直して、1組の候補生に向かって笑顔を作ってみせた。

「0組がいれば、きっと勝機は見出せるはずです」
「……そうだね、ユリヤの言う通りだ。悲観せず、一縷の望みに賭けよう」
「はい!」

 白虎戦線のガブリエル戦でもそうだった筈だ。0組がいれば、ほんの僅かでも勝機はある。
 命を落とす事で、自分という存在が皆の記憶から失われてしまう。この世界から、ユリヤ・アキヒメという存在が跡形もなく抹消される。この有事では、ノーウィングタグの回収も困難になるだろう。つまり、白虎ルシに呆気なく殺されれば、皆の記憶から、そして大好きな人の記憶から、自分という存在が消え失せてしまうのだ。

 ユリヤは強がってはいたものの、どうしても不安を拭う事が出来ず、魔導院の敷地内にある墓地へと向かった。行って何が解決するわけでもないが、無性にそうしたかったのだ。



 ずっと白虎戦線で戦っていた為、ユリヤがこの墓地に来たのは実に二ヶ月ぶりであった。尤も、作戦決行の合図があればまた戦場に赴かなければならない為、ゆっくりはしていられない。限られた時間の中、ユリヤは友人の墓標の前に歩を進めれば、静かに祈りを捧げた。
 そんな中、土を踏みしめる音がした。こんな時にこんな場所に来るのは、自分と同様かつての仲間に祈りを捧げに来た者か、あるいは――

「……ユリヤ。こんな時に来るなんて物好きね」

 この墓地の管理者かは定かではないが、きっと誰よりも多い時間この場所に佇む候補生。トオノ・マホロハであった。

「トオノさん……自分でも不思議です。こんな時に来るなんて……でも、もし戦場で命を落としたら、もう二度とここに来れない。そう思ったからかも知れません」

 戦争によって、日常はいとも簡単に崩れてしまう。友人と何気ない会話をする事も、皆で一緒にリフレッシュルームで昼食を取る事も、クリスタリウムの本を読み耽る事も、片想いしている相手から教えを乞う事も、そして、喪った友人に祈りを捧げる事も、何もかもが当たり前の事ではなくなってしまう。命を落とせばユリヤ・アキヒメという人間は消失し、戦闘が長引けばそれだけ魔導院への帰還――即ち日常に戻れる日も遠くなる。

 トオノは何も言わず、ただユリヤを見守っていた。それが今のユリヤにとってはかえって有り難かった。顔も名前も覚えていない、記録で友人だと把握している候補生へ祈りを捧げる行為は、崇高なものとは言い難いものの、ユリヤの心を落ち着かせるには充分であった。

 そして間もなく、作戦開始の合図が魔導院に響いたのだった。





 朱雀ルシ・シュユ、そして全候補生が朱雀・白虎の国境線に向かう中、総代であるミユウが0組に問い掛ける。

「……いよいよ、決戦の時だ。用意はいいか、0組」
「ああ、いつでも出られる。アンチ・クリスタルジャマーも、詠唱準備済みだ」

 ミユウの問いに、迷いのない瞳でそう返すエースに、シュユも感情のない淡々とした口調で続く。

「いいだろう。ならば我がニンブスを抑えているうちに、ジャマーとやらをすべて破壊せよ。それまでの時は、我が稼ぐ。それが我が使命だ」
「……はい。ならば僕等の使命は、朱雀を救うことです。ジャマーを破壊し、ニンブスをも倒し――その使命を、果たしてみせます」

 こうするしか道はない。後戻りも許されない中、ミユウは候補生総代としての役割を全うすべく、きっぱりとそう答えた。



 その頃、朱雀候補生の進軍に気付いた白虎では――。

「……なるほどね。朱雀は総力を上げて、ニンブスを討つ作戦か。だったら、ここがお互い正念場だ。お前らが勝つか、俺たちが勝つか……それを決めようじゃないか」

 白虎の科学者でありシドの息子でもあるリーン・ハンペルマンが、覚悟を決めるように呟いた。後に引けないのは朱雀も白虎も同じであり、この戦争に勝利しなければ、国は衰退しやがて滅亡する。既に消耗戦に突入しており、戦力が限られているのは白虎も同じであった。

「さぁ来い候補生、俺たちはここだ!」

 そして、朱雀・白虎両国のルシの戦いが幕を開けた。





 白虎ルシ・ニンブスと朱雀ルシ・シュユが対峙し、そして0組の面々がアンチ・クリスタルジャマーの詠唱を始めている頃。ユリヤ達はジャマーの破壊を見計らって討伐に当たる段取りとなっており、今は戦闘区域外で待機している状態であった。
 ユリヤは一秒、また一秒と時が経つにつれ、心拍数が上がっていくような錯覚を覚えていた。何もせず待機のまま終わるという事は有り得ない。必ず0組はジャマーを発動し、シュユが自らの命を犠牲にして道を切り開くだろう。

 元々、ルシが戦場に出て来る事は過去の歴史を振り返っても早々ない事であり、ユリヤはシュユの事を深く知っているわけでは当然なかった。それでも、いくら人間としての心を失った『ルシ』とはいえ、死ぬ事が分かっていて朱雀の未来の為にその身を賭して戦うという事実にユリヤは恐ろしさと同時に崇高さを感じた。
 魔導院に帰還した時は恐怖を拭えずにいたが、こうして戦場に立てば、そんな甘い事を考えている余裕はないのだ。朱雀の為に、己たちの未来の為に、なんとしてもこの作戦を成功させる――ユリヤだけでなく、ここにいる候補生全員が同じ心持ちであった。

『アテンション! クリスタルジャマー全機の破壊に成功! 同時にシュユ卿は使命を果たして昇華された!』

 突如、ミユウから全候補生に通信が入る。

『なおニンブスはシュユ卿との交戦により、現在負傷している! ニンブスを倒せる、唯一の好機だ! 総員、討伐に当たれ!』

 ユリヤ達1組を筆頭に、候補生たちは一斉に戦場へと駆け出した。最早何かを考える余裕すらなく、ニンブスと戦闘を繰り広げる0組の姿が視界に入った瞬間、候補生たちは全ての魔力を出し切って攻撃を開始した。

 衛生兵――回復担当の4組だけでなく、それに次ぐ7組も前線にいる万全の状態ではあったものの、生身の人間がルシの攻撃を受ければ、回復魔法も間に合わず即死してしまうのは明白だ。攻撃を与えながら、ニンブスの反撃を何としても躱さなければならない。

「ユリヤ、来るよ!!」

 すぐ近くで1組の候補生が叫ぶ。ユリヤが咄嗟に上を見上げると、宙に浮くニンブスが虚空に魔法陣を描き、そこから光の矢が容赦なくこちらへと降り注ぐ。
 ウォールやアボイドで防げるレベルではない事を本能で察し、ユリヤは瞬時に攻撃範囲外の場所まで駆け抜ける。
 だが一歩遅く、光の矢の端が走るユリヤの足を容赦なく貫こうとした。
 間もなく矢が届きそうな瞬間――。

 ユリヤの身体が宙に浮いた。魔法で浮遊したのではなく、ユリヤの矮躯を朱いマントを靡かせる候補生が抱きかかえ、安全圏へと移動したのだった。

「怪我はありませんか、ユリヤさん」
「トレイさん!?」
「助けに行って正解でした。私が手を出さなければ、今頃ユリヤさんの足が失われていたでしょう」
「ひっ……」

 逃げる事に必死で、まさか自分がそんな危険な状態だったと思わず、ユリヤは声を失って顔を青褪めさせた。そんな情けないユリヤの様子をトレイは決して貶すことはなく、寧ろ安心させるように微笑を浮かべてみせた。

「私が付いていますから、ご安心を」
「でも、トレイさんは0組の皆と一緒に戦わないと……」
「ユリヤさんも一緒ですよ。そもそも、当初はマキナやレムと一緒にユリヤさんも0組に入れる話があったそうですし、理に適っています」
「でもそれは、私が早々に断って話は流れました」

 自分が一緒にいては、トレイの足を引っ張るだけだ。彼だけならまだしも、0組全員に影響を及ぼす可能性があり、そうなれば戦況に響き、最悪朱雀の敗北を招いてしまうかも知れない。そんな考えに囚われて必死に共闘を拒否するユリヤに、トレイは珍しく苛立ちを露わにした。

「ユリヤさん。そんなに私が頼りないですか?」
「いえ、そのような事は決して!」
「では、どうか私を信じてくださいね。私がユリヤさん一人を庇ったところで、戦況に変化はありません」

 ユリヤの考えを完璧に見抜いていたトレイに、ユリヤは何も言い返せなくなってしまった。トレイが己を庇う事で朱雀が負けるなど、トレイないしは0組を信用していない事でもある。そんなつもりはなかったものの、ユリヤは申し訳なく思い謝罪の意を告げた。

「ごめんなさい、トレイさん。私、足を引っ張らないように頑張ります」

 その前向きな言葉が聞ければ充分だ――そう言いたげにトレイは頷いて、ニンブスの攻撃が届かない場所まで来ればユリヤを地へと降ろした。

「ガブリエル戦と同様ですが、ジャマーを破壊した今、ひたすら攻撃を繰り返すのみです。幸い私とユリヤさんは遠距離攻撃に長けていますので、ここで力を合わせましょう」
「いいんですか? トレイさんなら0組の皆と一緒に戦える筈なのに……」
「戦況を俯瞰して正確な状況把握を行い、前線で戦う仲間を援護するというのも立派な戦術ですよ」

 きっぱりと自信満々にそう言い切るトレイに、ユリヤも漸く心から前向きになる事が出来た。1組の皆と一緒に戦えないのは心苦しいが、トレイの言う通り、自分に出来る事をしよう。0組以外の候補生たちが狙われた時は、こちらに意識を向けさせるよう挑発の攻撃をする。それによってニンブスの攻撃がこちらに来たとしても、トレイと一緒なら乗り越えられる。頼り切りで申し訳ないとは思うものの、きっとこれが、今の自分に出来る最善の戦い方だとユリヤは思う事にした。

「ありがとうございます、トレイさん。私、もっと早く様々な戦術を学んでいれば、助けられる仲間の命もあったかも知れないです」
「学ぶのに遅い事はありませんよ。戦いが終わったら一緒にクリスタリウムに籠りましょうか」
「……はい、是非!」

 決して恋愛の意図はない。そう理解してはいつつも、ユリヤは嬉しさのあまり気分が高揚し、この戦いが終われば自分たちには未来がある――そう信じてやまなかった。





 シュユの犠牲と、候補生の奮闘の甲斐もあり、白虎ルシ・ニンブスはついに討ち果たされた。
 しかしニンブスが与えた被害は甚大であり、朱雀正規軍は兵力の半数以上を損耗していた。戦況は決して好転したわけではなく、ユリヤたち候補生の行く末は未だ光の見えない、暗闇の中にあった。

2020/06/12

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