666を超えて


 エールゼクス達の最重要任務は、ジオールの切り札であるヴァルヴレイヴを確保し、出撃させない事であった。しかしその機体は今、学園の敷地内で起動している。すなわち、任務が失敗したのだと悟ったドルシア軍が、次々と学園へバッフェを向かわせ、攻撃を繰り広げた。
 機体ははじめは棒立ちになっていたが、暫く経って突然動き出し、反撃を始めた。そして複数のバッフェをいとも簡単に薙ぎ倒せば、ゆっくりと夜の空を浮遊し、咲森学園の近くの海辺へと降り立った。
 ヴァルヴレイヴは無人で動く機体ではない。そして、ドルシア軍を迎撃した。すなわち、乗っているパイロットはジオールの人間ということになる。
 ――手遅れになる前に始末しなければならない。エールゼクス達は任務を失敗させたまま帰るつもりなど端から無い。先行してエルエルフが、ヴァルヴレイヴの降り立った海辺へと向かった。

 その間、ヴァルヴレイヴのパイロットのなったことで『カミツキ』と呼ばれる存在になった咲森学園の生徒、時縞ハルトが、その能力を使ってエルエルフの身体を乗っ取るなど、誰ひとりとして予想できるわけがなかった。





「エルエルフ、また単独行動……」

 先行したエルエルフを除く五人で、ヴァルヴレイヴの降り立った海辺へと向かうなか、不満そうに独り言つエールゼクスにアードライが声を掛けた。

「そう言うな、エールゼクス。ヴァルヴレイヴを取り逃したまま、帰還するわけにはいかない。エルエルフは責任を感じたからこそ率先して向かったのだろう」
「確かにそうだけど……うん、アードライの言う通りだね。でも、あれを逃したのは私達のミスで連帯責任なんだから、一人で抱えなくても……」
「エールゼクスは優しいな」
「そ、そういうのじゃないから」

 エールゼクスの文句を優しい言葉で強制終了させるアードライの手腕に、ハーノインとイクスアインは後を追いながら目配せをした。

「役得だよなあ、王子様は」
「だから、出自は関係ないと言っているだろう。エルゼが素直じゃないのは、ハーノの日頃の行いが悪いせいだ」
「二人とも、そんな話どうでもいいから早くエルエルフに追い付こうよ〜」

 尤も、クーフィアにとっては他人の色恋沙汰などどうでもよく、『王子様』に現を抜かしているからいつまで経っても己やエルエルフに馬鹿にされるのだと、エールゼクスに対して呆れるばかりであった。





 海辺に佇む機体が視界に入り、エールゼクス達は走る速度を上げて徐々に距離を詰めていくと、機体の傍に人がいるのを確認することが出来た。
 普通に考えればエルエルフとヴァルヴレイヴのパイロットの二人しかいないはずなのだが、最初に目に入ったのは咲森学園の制服を纏った男女三人の姿だった。次に、砂浜に倒れる男子二人。うち一人は、夜闇の中でも銀髪が映え、その人物はエルエルフに相違なかった。
 ただ、不可解なことにエルエルフは横たわっている。まさかこんな所で命を落とすわけはないと、エールゼクスは確信していたが、気を失っているにせよ何にせよ、あまりにも不可解過ぎる光景だった。

「エルエルフ、一体何が……」
「あの学生達邪魔だね〜、殺しちゃう?」
「待て、クーフィア」

 アードライはエルエルフの非常事態を見ても取り乱さず、至って冷静であった。それは、エルエルフがこんな所で失態を晒す人間ではないという確固たる信頼からくるものであると、エールゼクスも理解出来た。この状態が不可解ではあるが、答えの出ない疑問について考えるのは、今でもなくても良い。

 まずは周囲の生徒をエルエルフから引き剥がさなくてはならない。アードライは銃を空に掲げれば、上空に向かって撃ち放った。

 突然の銃声音に、学生三人が驚愕してエールゼクス達へと顔を向ける。間髪入れず、アードライは学生達に言い放った。

「ヴァルヴレイヴから離れてもらおう」
「ヴァル……ヴ……?」

 困惑する学生に、クーフィアが小馬鹿にするような態度で答える。

「その笑っちゃうロボットの名前だよ。君達ジオール人が名づけたんだろ?」
「ジオール人……? 咲森学園の生徒じゃないの?」
「ドルシアの軍人だっての」

 戦争が始まった今、敵国の学生に情けを掛ける意味はない。クーフィアが女生徒に銃を向け、弾丸を放った、その瞬間。
 エールゼクス達ではない誰かから放たれた弾丸によって、クーフィアの銃は弾き飛ばされた。
 弾丸は女生徒に当たることはなかった。
 クーフィアの銃を撃ったのは誰か。銃だけに狙いを定めて撃つなんて、素人に出来ることではない。エールゼクス達だけでなく、学生達も、誰もが弾丸が放たれた先を見て、驚愕した。

「エルエルフ……!?」

 最初に口を開いたのはアードライだ。エルエルフがクーフィアを撃ったことに、エールゼクス達だけでなく、学生達も、誰もが目を疑った。学生三人のうち男女二人は、咲森学園に潜入した際にハーノインとイクスアインが道を尋ねた生徒である。つまり、二人ともエールゼクス達とは面識がある。すなわち、エルエルフが彼らにとって敵であることも、この状況下から理解できるはずだ。
 それなのに、当のエルエルフは、まるで学生達を庇うような態度を見せている。

 そして、その予感は現実となった。

「向こうに換気口があります」

 エルエルフは、エールゼクス達に銃を向けながら、学生達に向かってそう告げた。すると、ロングヘアの女子生徒がもうひとりの女子生徒の手を引いて、すぐに指示通りに換気口に向かって走り出し、それを見た男子生徒もふたりを追い掛けた。

「どういうつもりだ、エルエルフ! なぜ銃を向ける!」

 全員が困惑する中、真っ先に叫ぶアードライ。しかし、エルエルフはそれを無視して、容赦なく銃を撃ち放った。
 アードライは反射的に身を翻して躱そうとするも、完全には避け切れず、その銃弾は左眼の眼球を掠めた。

「ぐぁぁぁぁぁっ!」
「アードライ! くそっ!」

 はじめはただ困惑していたものの、仲間を撃たれたとなれば、最早考える余地などない。今この瞬間、エルエルフは己達の『敵』だと判断したハーノインとクーフィアは、迷わずエルエルフに銃を向け、連射する。しかし銃弾はエルエルフの肩を掠めたが致命傷にはならず、先程逃がしたジオールの学生達が逃げた換気口に向かい、中へと飛び込んだ。

 エールゼクスにとっては正直エルエルフどころではなく、たとえ軍人失格と言われようと、もう二度と共に戦うことのない裏切り者よりも、傷付いた仲間の方が大事であった。
 イクスアインと共にアードライを介抱しながら、エールゼクスは今頃になって怖ろしさが込み上げて来た。

 エルエルフとアードライは、傍から見ても信頼関係が成立していて、自分には立ち入れないような絆で結ばれている。エールゼクスはそう思い、そう信じていた。
 だからこそ、エルエルフの裏切りが信じられない――というよりも、こんなにもあっさり仲間を裏切れるものなのかと、ただただ得体の知れない恐怖を覚えた。
 自分はまだいい。けれど、アードライがもしこうなる事を全く予測していなかったとしたら。
 エルエルフのことは絶対に許せない。自らの手で復讐したいと思うだろう。

 まずはアードライの傷の治療が終わらなければ先には進めない。今後のことは考えたくなかった。考えたら絶対に気が滅入るからだ。
 一体どうしてこんな事になってしまったのか。エルエルフにそんな素振りは一切なかった筈だ。エールゼクスはただただ、アードライの事が心配でならなかった。銃弾で受けた傷だけでなく、心の傷も。





『ジオール政府は無条件降伏に応じたよ』

 ドルシア軍の宇宙重巡洋艦『ランメルスベルグ』からの通信で、ドルシア軍特務機関長であり、エールゼクス達の上官でもあるカイン・ドレッセルが、そう告げた。
 今回の侵攻は地球のジオール本国にも及び、つい先程降伏文書に調印が為されたのだという。

『ジオール併合、まずは成功というところだ。そうだな?』
「はい。モジュール77においても敵戦力の無力化を完了。現在、ジオール人達を搬送作業中。特一級戦略目標は、ほぼ無傷で確保出来ました。パイロットは未だ意識不明。ネットに出ていた、あの学生です」

 イクスアインが淡々と報告する。エルエルフの事はあったにしても、ヴァルヴレイヴの鹵獲という任務は達成出来ている。ヴァルヴレイヴの搭乗者だった咲森学園の生徒、時縞ハルトの身柄もドルシア軍が拘束している。だが――

「エルエルフはどうした」

 本来この任務結果の報告はエルエルフが行うものであった為、当然の質問が投げ掛けられた。
 イクスアインは押し黙る。裏切った、と報告するにはあまりにも不可解な出来事であった。この事態は、誰しもが困惑し、理解出来ないことである。ただ一人を除いては。

「エルエルフは裏切りましたー」

 クーフィアが、全く動じてない様子であっさりと言い放った。
 言われてしまっては仕方がない。イクスアインは溜息を吐きたいのを堪えながら、至って冷静に報告を続けた。

「エルエルフは……アードライを負傷させ、現在逃走中。理由は不明です」





 アードライの負傷の治療が終わる頃には、戦況は急変していた。ドルシア軍で確保していたヴァルヴレイヴとそのパイロットが、裏切ったエルエルフによって奪われたのだ。エルエルフが何故裏切り、何故ジオールに協力しているのかは、エールゼクスの知るところではないが、この行為は完全に己たちと敵対関係になった証である。
 この事をアードライが知ったらと考えるだけで、エールゼクスは眩暈がした。尤も、その心配はこの後すぐに現実となるのだった。

「アードライ、大丈夫? 無理しないで」

 治療を終え、左眼に包帯が巻かれているアードライの姿を見るなり、エールゼクスは心配そうに駆け寄るも、取りつくしまもなかった。アードライはエールゼクスを無視し、今にもエルエルフを殺さんとばかりに殺気を漂わせながら医務室を出て行った。

 まるで捨てられた猫のようにアードライの背中を目で追うエールゼクスに、近くで見ていたイクスアインが声を掛ける。

「エルゼ、そう落ち込むな」
「別に落ち込んでない」
「あれはさすがに時間が必要だ。全く、一体どうしてあんな事が……」

 誰もが理解出来ない、納得も出来ない事態だった。だが、一番そう思っているのは紛れもなくアードライであろうことは、エールゼクスもイクスアインも何も言わずとも分かっていた。





 当然、戦況はアードライの耳に入り、エールゼクスの心配も虚しく、彼が戦場に繰り出すことを止めることは出来なかった。
 ドルシア艦隊のブリッジで待機するイクスアインとエールゼクスは、重戦術兵器『イデアール』のコクピットに乗り込んだアードライに通信で話し掛ける。

「アードライ、まだ休んでいた方が……」
「無理するなよアードライ。まだ傷が」
『だから、私が行くのだ』

 アードライはそう言うと、一方的に通信を遮断した。

「はあ、どうしよう……アードライにもしもの事があったら……私にもっと力があれば、代わりに出撃出来たのに」
「言っても仕方ない。それとエルゼが今回ここで待機なのは、別に力の有無の問題ではないからな」
「そうは言っても……うん、ごめん、もうやめる」

 エールゼクスは自身の力不足を責めているようで、愚痴を言い掛けた後、それを飲み込んで口を噤んだ。
 こういう時にエルエルフがいれば――とイクスアインは思ったが、己たちを裏切った人間のことを考えても仕方がない。エルエルフはエールゼクスに対して厳しくはあったが、今回の配置については順当であることを幾多もの言葉で、彼女が納得するように完膚なきまでに説明出来たに違いない。

 尤も今回は単に戦闘狂のクーフィアが我先にと出撃を志願したからなのだが、彼女の今の精神状態を鑑みると――逆にエルエルフがいたら、「好きな男の負傷を引きずり、戦場で足を引っ張られては迷惑だ」と言いかねない。そう思うと、今の彼女に掛ける言葉がイクスアインも思い付かず、慰めることを躊躇われたのであった。同情は相手を下に見ていることと同義であるからだ。





 嫌な予感は的中するものである。
 エールゼクスが独りごちた「アードライにもしもの事があったら」という言葉が現実になりかけたのだ。尤も、クーフィアがアードライの窮地を救った為、大事には至らなかったのだが、ドルシア軍にとっては大きな痛手であり、敗北でもあった。

「なんだ、今のは……」

 いつもは冷静沈着なイクスアインも、ただただ呆然とするしかなかった。
 ジオールが秘匿していたヴァルヴレイヴという機体。それはすべてが謎に包まれていることもあり、ドルシア軍はその能力を甘く見ていた。アードライが機体を追い詰め、あと一歩のところで、ヴァルヴレイヴは全身から光を溢れさせ、光の刃を大きく振りかぶった。軍はみな難を逃れたが、その衝撃たるや、エールゼクスだけでなく、誰もが見たことのない威力であった。

「残存兵力を集めろ! 集中して……うわあああっ!」

 エールゼクスたちが搭乗する艦隊の艦長が言い掛けた瞬間、今度は別方向からビーム砲が飛ぶ。

「ARUS艦隊です!」

 オペレーターの声が艦内に響く。
 ドルシアの宿敵、環太平洋合衆国『ARUS』。宿敵と思っているのは向こうも同じであり、ドルシア軍によるジオールへの侵略を易々と許すわけもなく、こうして攻撃してきたという事だ。

「もう現れるなんて……」
「後退だ! ここは退くんだ!」
「クーフィア!」
『はぁ〜い』

 イクスアインたちの声に、ヴァルヴレイヴの攻撃で大破したアードライの機体を抱えたクーフィアが、通信で嫌々応答した。戦闘狂のクーフィアの事だ、アードライを機体ごと放置して、ヴァルヴレイヴとARUS艦隊を相手に戦闘を続行しかねなかった。

「エルゼ、大丈夫か」
「……あまり」

 沈着冷静なイクスアインでさえも驚愕したのだ、エールゼクスであれば尚更この光景に衝撃を受けているに違いなかった。ヴァルヴレイヴのとてつもない力、アードライがなんとか無事であること、エルエルフが裏切ったことに間違いはなかったこと、もしあの場に自分もいたら――ヴァルヴレイヴの攻撃で命を落としていた可能性もあること。今のエールゼクスは様々な感情に支配され、心ここに在らずといった様子であることはイクスアインも手に取るように分かった。

「……私も、もっと強くならないと。いざという時に、大切な人を守れるように」

 ぽつりと呟いたエールゼクスの言葉は、今まで彼女の口から出たことがない類のものであった。少なくともイクスアインが知る範囲では、弱音や不安を吐露する言葉が多く、それをエルエルフが窘め、己とハーノインが慰める構図が成立していた。己たちが守ってやらなければならない存在だと思っていた少女は、己たちと同様、仲間の裏切りという最悪の過程を経て、少しずつ大人に近付いているのかも知れなかった。

2018/08/21

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