エールゼクス達が流木野サキを捕え、漸く軍と合流するまでの間、あまりにも多くの事が起こっていた。
ドルシア軍が新生ジオールの学生たちを捕える事は結局出来ず、エルエルフ共々モジュール77への帰還を許してしまい、その結果、世界中からドルシアという国が批判される事になってしまったのだ。
特に、ヴァルヴレイヴのパイロットではない女生徒が戦火に巻き込まれ、犠牲になった事で、更に世論が新生ジオールを支持するようになり、ドルシアに対しての反発が強まりつつあった。
そして、反発は国外からだけではなく、国内も同様であった。云わば恐怖政治で軍が国を統治していたが、旧王族の生き残りであり、幽閉されていたリーゼロッテ姫も巻き込まれて命を落とした事がきっかけで、王党派のレジスタンス活動が活発化したのだった。
「ドルシア全土でレジスタンス活動が活発化しています。ヴァルヴレイヴがきっかけとなり、我が軍に対する恐怖心が崩れているようです」
「大人しかった連中が、急に騒ぎ出した印象があるが……リーゼロッテ姫の死が、王党派の殉教者気分に繋がっているのか?」
「分かりません」
クリムヒルトの報告に対しても、カインは狼狽える事なく悠々たる態度で逆に問いを投げ掛ける。それに対し、クリムヒルトは落ち着いた態度で答えつつも、話を逸らすように別の話題を切り出した。
「それより、捕獲したヴァルヴレイヴのパイロットは如何なさいますか?」
「流木野サキ、か……」
流木野サキは、身動きひとつ取れないよう徹底的に拘束され、収容部屋に捕らえられていた。アードライもエールゼクスも個人的に尋問する権利はなく、共に不可解な現象を体験したというのに、当の本人に問い質す事すら出来ずにいた。
だが、今のエールゼクスは、そんな事がどうでも良くなるほど傷付き、悲嘆に暮れていた。
仲間のハーノインが、王党派に協力していたと判明し、エールゼクスがアードライと共に行動していた時に処刑された事を聞かされたからだ。
エールゼクスは帰還して、ハーノインの死を聞かされてからというもの、憔悴して部屋から一歩も出て来ず、食事すら取らない状態であった。
軍人たるもの、常に死と隣り合わせであり、いかなる理由でも仲間が命を落とす事は普通に有り得る話である。それを皆覚悟していたつもりではいたが、アードライもイクスアインもエールゼクスを嗜める気にはなれなかった。己たちの与り知らぬところで王党派と繋がっていた事に動揺を隠せるはずもなく、クーフィア以外は皆悲嘆と同時に困惑していたからだ。
そんな中、イクスアインがアードライとクーフィアを呼び、其々にピアスを差し出した。
「ハーノインの遺品だ」
クーフィアが赤色のピアス、そして、アードライが薄紫色のピアスを手に取る。
「いいのかなあ、裏切者の遺品なんて。これ、僕等の髪の色だったんだ」
「ここまでした男が、どうして裏切りなんて……」
アードライはそう呟きながら、残された残り三つのピアスのうち、銀色のものに手を伸ばした。
「あ、それ!」
「これは私のだ」
「……まあいいけど」
銀色――エルエルフを指すピアスを手に取ったアードライに、クーフィアは不満げに頬を膨らませたが、渋々了承してみせた。
残されたのは、イクスアインの髪の色を指す青色と、エールゼクスの髪の色のピアス。イクスアインは真っ先にアードライへ目配せした。
「……私がエールゼクスへ渡しておこう」
「ああ。ついでに栄養補給はしっかりするよう伝えてくれ。エルゼもアードライの言う事なら素直に聞くだろう」
「ほんっと皆エールゼクスには甘いよね〜。こんな事で引きこもるなんて軍人失格でしょ。裏切られてショックなのはエールゼクスだけじゃないのにさ」
クーフィアも平気なように見えて、ハーノインの裏切りに憤りを覚えていた。死を悲しむというよりも、どうして裏切ったのかという怒りの方が強いのだろう。涙を流さずとも、誰もがハーノインの死に衝撃を受けているのは紛れもない事実であった。
部屋に引き籠り、ただただ涙を零していたエールゼクスであったが、部屋の外から扉が叩かれ、恐る恐る顔を上げた。正直、今は誰とも対面したくなかったのだが、ここで無視してはそれこそ軍人失格である。緊急事態で出撃するよう呼ばれたのかも知れない。エールゼクスは漸く冷静な心を取り戻し、扉を開けた。
「すまない。今は一人で居たいかもしれないが……」
「ううん、いいよ。大丈夫」
エールゼクスが扉を開けると、少し気まずそうに視線を落とすアードライがいて、驚きつつも素直に部屋に招き入れる事にした。己が一人でいたいと分かっていつつも来るという事は、急用、あるいは重要な話があると察したからである。
「用件は?」
「ハーノインの遺品を届けに来た」
その名前を聞いた瞬間、漸く止まった涙がまた溢れそうになったが、エールゼクスはこれ以上仲間の前で醜態は晒したくないと、必死で涙を堪えた。その様子にアードライは心を痛めつつも、エールゼクスの手を取り、遺品であるピアスを握らせた。
エールゼクスがゆっくりと手を開くと、そこには己の髪と同じ色のピアスがあった。
「ハーノ……」
エールゼクスはハーノインの遺体を直接見たわけではない為、心のどこかで実は生きているのではないかと思いたかったが、こうして遺品を渡されては希望など捨てるしかなかった。
「……エールゼクス。せめて食事だけは取るように。それと……私に何か出来る事があれば遠慮なく言ってくれ」
「出来る事……?」
下手な慰めは、対等な仲間として無礼であると判断したゆえの言葉であった。クーフィアが言ったように、仲間を喪って辛いのはエールゼクスだけではない。女性だからといって優しくするのは不適切である。だが、アードライにとってエールゼクスは共に戦う仲間であると同時に無条件で守りたい存在でもあった。
過剰な優しさは軍人としてのエールゼクスの尊厳を傷付ける事もある。だが、このまま放っておいて平気でいられる心境でもない。だからこそ、アードライは彼女の望む事をしてやりたいと考えたのだった。
エールゼクスはアードライの意図を理解しつつも、答えようがなかった。アードライが己に出来る事。優しい言葉を掛け、髪を撫で、抱き締めてやる事――そんな事をされて何になるというのか。仲間の死を利用して想い人に優しくして貰うなど最低だ。軍人としてだけでなく、人として。
申し訳ないが、何もしてもらう事はない。そう言おうとした瞬間、ふとハーノインの言葉を思い出した。
――何かあったらクリムねーさんを頼れ。
――あの人にはこれまでの事を全て共有してる。身の危険を感じたり、異変があればすぐに姐さんと合流しろ。
様々な事があり過ぎて、今の今まですっかり頭から抜け落ちていた。もしかしたら、ハーノインはこうなる事を想定して、己にメッセージを残していたのかも知れない。
ハーノインは己が一人で抱え込まないよう、逃げ道を作ってくれていたのだ。
それに気付いたエールゼクスは、鼻の奥が熱くなって、我慢していた涙が一気に溢れ出した。
エールゼクスの言葉を待たずに、アードライが涙を拭おうと手を伸ばした瞬間。
「アードライ、お願いがあるの。……クリムヒルト少佐に、今すぐ会いたい」
その訴えに、アードライは思わず伸ばした手を止めた。想定外の返答に一瞬戸惑いを覚えたが、彼女の願いを叶えると言ったのは紛れもなくアードライ本人である。すぐに頷いてみせた。
「分かった。すぐに連絡を取ろう」
「ありがとう、ごめんね」
アードライはどこか名残惜しそうに手を下ろせば、早々に部屋を後にし、クリムヒルトに連絡を取った。きっと、少佐は女性だからこそエールゼクスも心を開けるのだろうと解釈したアードライであったが、エールゼクスの目的は別にあった。
ハーノインの言っている事が真実であれば、クリムヒルトも己がこれまで見て来た不可解な現象を全て把握し、理解を得ているという事だ。以前話した時縞ハルトが生き返った事だけでなく、カインの人ならざる姿の事も。
クリムヒルトが駆け付けた頃には、既にエールゼクスの涙も止まっていた。そう簡単に立ち直れるわけがないが、今はハーノインの死を無駄にしない為に、己に道標を与えてくれたハーノインの為に、為すべき事を為さねばならない。もう、エールゼクスに迷いはなかった。
「エールゼクス。入っていい?」
ノックの音に、エールゼクスはすぐに扉を開けた。久々に対面するクリムヒルトの顔を見た瞬間、エールゼクスは心から安堵した。ハーノインが信頼したのだから絶対に大丈夫だと言い切れる。
エールゼクスはクリムヒルトの手を取って部屋へ引き入れた。この部屋に監視カメラや盗聴器がない事は確認済みである。だが、万が一の事があり、入念に言葉を選ばなければならない。
「クリムヒルト少佐。ハーノインから、何かあればあなたを頼るよう言われています。……まさか、これがハーノの遺言になるとは思いませんでしたが……」
その言葉に、クリムヒルトは大きく目を見開いた後、全てを察したように頷き、エールゼクスの身体を優しく抱き締めた。
「ハーノインから全て聞いているから、安心して。一人で全てを抱えないで。そして、私を信用してくれて……ありがとう」
今まで聞いたことのない、クリムヒルトの優しい声色に、エールゼクスは何もかもから救われたような気がした。だが、秘密を分かち合うためだけにクリムヒルトを呼んだのではない。
まずは共有しなければならない。己とアードライと共に行動した、流木野サキの事を。
エールゼクスは念には念をと、顔を上げれば背伸びをして、クリムヒルトの耳元で呟いた。
「少佐なら分かって頂けると信じて打ち明けます。私、見たんです。ヴァルヴレイヴのパイロット、流木野サキが他人の身体を乗っ取るところを」
「……乗っ取る?」
「陸軍との作戦中に遭難した際、カルルスタイン機関の少年兵と一緒に行動していたんです。ですが、ジオールが奪った輸送艦を探索していた際、その少年が流木野サキの首筋に噛み付いて、そうしたらまるで入れ替わったように……いえ、入れ替わったんです」
自分でも何を言っているのかとエールゼクスは思いつつも、そうとしか考えられないのだから仕方がない。普通なら気でも触れたかと言われそうだが、クリムヒルトは真剣な面持ちでエールゼクスの説明を聞いていた。
「『それ』を他に見た者は?」
「アードライも見ていると思います。ハーノインの事があって、その件についてはまだ話し合えていませんが……ですが、以前時縞ハルトが生き返ったのもアードライは見ています。きっと、私と同じ答えに辿り着いているはずです」
その事について話し合ったわけではない。だが、お互い奇妙な光景を目にし、体感している。証拠もなく、その超常現象を証明することが出来ない以上、口を閉ざしているだけに過ぎない。
きっぱりと言い切るエールゼクスのまっすぐな瞳に、クリムヒルトは意を決するように息を呑めば、抱いていた腕を解き、エールゼクスの両手を取った。
「エールゼクス。あなたの言う事を信じるわ」
「ありがとうございます。尤も、だからと言って何が分かるわけでも、私に何が出来るわけでもないですが……」
「いいえ、あなたにも出来る事はある」
秘密を共有したところで、己には何も出来ないと決めつけていたエールゼクスであったが、クリムヒルトはそれをすぐさま否定する。嘘や上辺だけの世辞ではなかった。
「あなたが分からないと思うのも、だから何も出来ないと思い込んでしまうのも無理はないわ。でも、エールゼクス。あなたはハーノインの意思を継いで私を頼って、打ち明けてくれた。その勇気を無駄にはさせない」
何かが一気に動き出そうとしていた。全ての謎が解け、真に守るべきは何なのか、戦うべき相手は誰なのか。
そして、エルエルフの不可解な行動原理も、ハーノインが本当は何故殺されたのかも、何もかもが分かる時が来たのだと、エールゼクスは直感でそう感じた。
「少佐。私、ハーノインの死を絶対に無駄にしたくないんです。私に出来る事があれば、なんでもさせてください」
はっきりとそう告げるエールゼクスに、クリムヒルトは耳元に唇を寄せて、小さく囁いた。
「私は王党派のレジスタンス組織として動いている。新生ジオール――エルエルフとも協力関係にあるわ」
今度はエールゼクスが驚愕する番であった。ハーノインが王党派であったという理由で処刑された事を鑑みれば、頼れと命じたクリムヒルトもまた王党派である事は察しが付いていた。だが、まさかここでエルエルフの名前を耳にするとは思わなかったからだ。
「エールゼクス。ハーノインの死を無駄にしたくないと思うのなら、私達に協力して」
これは願出ではない。断れば殺されるだろう。
ハーノインだけの事を考えるならエールゼクスとしては迷うことなく即答した。だが、エールゼクスは、イクスアインが「王党派が元王族のアードライを利用する可能性がある」と釘を刺していた事を思い出し、返答に躊躇した。
「……どうしたの?」
「いえ……一つだけ条件があります」
てっきり即答すると思っていたクリムヒルトは、眉を顰めた。返答によっては秘密が漏れる前にエールゼクスを始末しなければならない。クリムヒルトとて、優しい姉のような存在で居続ける必要がなければ冷徹にならなければならない。ハーノインだけでなく、クリムヒルトのレジスタンス活動に裏で協力を続けていたリーゼロッテを喪ったのだから。
「……私が頷ける条件である事を願うわ」
「アードライを利用しないで欲しいんです」
「アードライを?」
「ご存知だと思いますが……アードライも元王族です。リーゼロッテ王女を喪った今、王党派には新たな象徴が必要なのではないですか?」
エールゼクスの声はか細く、今にも泣きそうにも聞こえた。これは演技ではなく心からの願いだろうとクリムヒルトは捉え、優しく微笑んで頷いてみせた。
「善処しよう」
「善処ではなく、利用しないと断言してください」
「分かった。私からは何もしないと約束しよう。でも、アードライもあなたと同じ気持ちでいるなら、彼も巻き込まれる……いえ、彼も王党派に協力する可能性はある事は覚悟しておいて」
エールゼクスはうやむやにされたように感じたが、頷くしかなかった。己と志が同じなら、王党派として動く事になる。エルエルフと共にこの国を革命する事を夢見ていたアードライにとっては、寧ろ喜ばしい事なのかも知れない。だが、それはエルエルフがジオールに亡命する際、アードライを撃っていなければの話である。
この時のエールゼクスはまだ、エルエルフが時縞ハルトに身体を乗っ取られていた真相に辿り着いていないゆえに、言いようのない不安が押し寄せていた。更に、イクスアインがカインの事を崇拝し、かつ王党派を気に掛けていた事を鑑みると、ハーノインが王党派に協力していた事は許しがたいと思うだろう。
本当にこれで良かったのか、私は間違っていないのか――エールゼクスはもうこの世にはいないハーノインへ、心の中で問い掛けた。
2020/02/29