白飛びの世界


 カルルスタイン機関への入隊を許可され、集落へと来た少女を待ち構えていたのは、過酷な入隊試験であった。
 機関へ正式に入隊するには、試験をクリアしなければならないと予めカインから聞いていたものの、その内容については一切教わっておらず、所謂体力テストのようなものだろうと少女は考えていた。基準に満たないようであれば入隊は認められず、孤児院へ強制送還されるのだろう、と。

 だが、実際はそんな甘いものではなく、非人道的な試験であった。
 少女と同じくカルルスタイン機関への入隊を志した少年少女が、一堂に会する。
 軍人として多忙を極めるカインの代行を務める男から、ひとりひとり拳銃を渡される。
 そして告げられた試験の内容は、この場にいる入隊候補生のうち誰か一人を殺せ、というものであった。
 まだ訓練兵として何も教わっていない、今はまだただの民間人でしかない少年少女たちに、同士討ちをしろと言うのだ。

 無理だ。少女は真っ先にそう思い周囲を見回した。きっと皆、己と同じ考えだろう。罪のない人間を殺めてまで軍人になりたいとは思わない。最早少女の頭からここに来た目的は抜け落ちており、逃げたい気持ちでいっぱいであった。

 だが、少女が傍にいる子に「逃げよう」と声を掛けようとした瞬間。
 銃声が響いた。
 それは大人の軍人が発したものではなく、紛れもなく、己たちと同じ齢の子どもから放たれたものであった。銃口の先にいる子どもの胸に紅い鮮血が染み、やがてその子は地面に倒れ、そのまま動かなくなった。その様子は、『わけもわからないまま殺された』と称するのが正しいであろう。

 わけがわからないのは少女も同じであった。敵でもない相手を理由もなく殺すなど、倫理的に有り得ない。だが、このカルルスタイン機関に倫理など存在しないのだと、少女は瞬時に察した。何故同士討ちをさせるのか、その理由はわかるわけがないが、それが出来ないものは入隊出来ないのではない。
 この場で殺されるのだ。

 その解に辿り着けたのは少女だけではなかった。勘の良い子どもたちは、ここで誰かを犠牲にしなければ自分が殺される、そう判断して、未だわけのわからない様子でいる無抵抗の子どもたちを、次々に殺め始めた。
 その光景は、少女にとって一生忘れられないほどの地獄絵図であった。

 当然、少女も無抵抗でいれば誰かの標的にされる。
 じっとしていては無残に殺されるだけだ。そう思って少女が動いた瞬間、銃弾が少女の腕を掠めた。

 少女が顔を向けるとそこには、怯えた様子の少年がこちらへ銃口を向けていた。
「死にたくない」、そう少年は何度も繰り返していた。
 死にたくないのは少女も同じである。
 ここで先に仕留めなければ、殺されるのは自分だ。
 相手の少年もそう思っているであろう事は、少女にとっても想像に容易かった。

 互いに銃口を向け、睨み合う。
 少女はカインとのやり取りを思い返した。己を助けてくれたカインは孤児院で暮らすよう勧めたのに、軍人になりたいと覚悟を決めてここに来たのは、紛れもなく己の意思である。
 甘く考えていた自分が悪い。
 きっとこれも、立派な軍人になる為に必要な事なのだ。
 カインのような、弱き者を救える軍人になるためには。

 少女は、対面する少年よりも先に引き金を引いた。
 銃弾は少年の心臓を貫き、血飛沫が宙を舞った。
 僅か数秒にも満たないというのに、その様子はスローモーションのように感じ、少女の記憶に強く焼き付いた。まるで、呪いのように。



 カインの代行を務める男が銃口を空に掲げ、弾丸を放った。入隊試験終了の合図である。その銃声で少女が我に返った時には、全てが終わっていた。
 周囲には、己と同じ齢であろう子どもたちが血に塗れて地面に倒れており、己を含む一部の子どもたちが銃を構えたまま立ち尽くしていた。

 生き残る為に必死だったとはいえ、自分は何という事をしてしまったのか。これでは、己の村を滅ぼしたテロリストとやっている事は同じではないか。少女はそう認識すると、血の気が引き、手が震えて銃を落としそうになった。
 その瞬間、誰かに肩を叩かれ、少女はびくりと身体を震わせた。
 見上げると、試験官であるカインの代理の男が少女を見据えていた。

「君のことはカイン大佐から窺っている。迷いのない射撃だった。上手く育てれば立派な兵士に育つだろうと大佐に報告しておくよ」

 男の口からカインの名が出た瞬間、少女は感極まって涙を溢れさせた。男から褒められたことが嬉しいのではない。己を救ってくれたカインがこの入隊試験を良しとしているのであれば、己はそれに従うしかない。これは己が決めた道なのだから。誰のせいにしてもいけない。こうしなければ、自分は何も出来ず、誰も救えずに死ぬだけだったのだから。
 自分のした事は間違っていない。例え倫理から外れていようと、カインがそれを許容してるのであれば、カルルスタイン機関への入隊を希望した以上、少女も許容しなければならないのだ。

 男に入隊許可を認められた生存者の子どもたちは、それぞれコードネームを与えられた。このカルルスタイン機関に入隊する者は皆、例外なく本名を奪われ、アルファベットと数字で構成されたコードネームで呼ばれることになる。正式に軍人となった後も、カルルスタイン機関出身者としてコードネームの使用は続く。だから、本名を奪われることと同義なのだ。

 少女には『エールゼクス』というコードネームが与えられた。どう考えても人の名前とは思えない呼名に唖然としかけたが、これがこの世界のルールなのだから仕方がない。エールゼクスという名前を与えられた少女は、最早考えるのを止めて新しい名前を受け容れた。

 エールゼクスは、これから仲間となる訓練兵たちを把握しようと周囲を見回した。達観した表情でいる者、まだどこか怯えた様子の者など、皆それぞれであった。皆が皆機械のように躊躇いなく人を殺めているわけではない事を察し、エールゼクスは少しだけ安堵した。

 訓練兵の中に、エールゼクスの目を引く存在がいた。髪の毛の一部を三つ編みで結っている、男か女かよく分からない美しい子どもであった。
 特に話し掛ける用事もない、と言うよりもあんな殺戮を犯した後では呑気に雑談する気にもなれず、エールゼクスは再び視線を宙へ移した。



 カルルスタイン機関に入隊した訓練兵は、少人数で構成される班に分かれ、数年に渡って日々訓練に励むこととなる。
 優秀な兵士だと判断されれば、機関を卒業し、晴れて正式なドルシアの軍人となる。
 エールゼクスは、絶対に軍人になるのだと固く心に誓った。まるで自分が犯した罪から目を逸らすかのように。

2019/08/17

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