Mirage



 私がこの夏休みにやるべき事はプロデューサーとしての仕事、は勿論なのだけれど、それだけではない。
 私は曲がりなりにも生徒会にも携わるポジションだ。正式な役員ではないけれど、そういう風に見られているし、私自身も無関係だとは思っていない。
 そして、この生徒会は常に人員不足である。

 という訳で、私も合間を縫って生徒会室に来て、副会長の手伝いをしている。とある夏休みの一日、今日がまさにそうだ。



「すまんな、伏見、遠矢。夏休みまで貴様らに生徒会の仕事を手伝わせてしまうとは……」
「構いませんよ、副会長さま。ですが、樹里さんは無理なさらないでくださいね」

 冷房の利いた生徒会室にて。山積みになった書類に囲まれて、副会長と伏見は生徒会の業務に勤しんでいた。私は暇を見て自主的に休憩時間を取り、お茶を淹れに席を立って戻って来たところなのだけど、生徒会室に入ると同時に伏見がこちらを見て話を振って来た。業務に集中しながら気遣いの言葉を掛けるなんて、私はそこまで気が回らないかも……なんて改めて彼との頭の出来の違いを認識させられて、軽く溜め息を吐きたくなった。

「無理してないから。こうやって差し入れを口実にちょくちょくサボってるし」
「お茶出しはサボりとは言いませんよ。というか、ありがとうございます。本来はわたくしの仕事だというのに……」
「普段、私が淹れようとしても伏見に先越されてるし、私もたまにはこれくらいはね」

 軽口を叩きつつ、副会長の席に、続いて伏見の席に、最後に私の席に湯飲みを置いた。

「む? 緑茶とは珍しいな」
「紅茶党の会長が不在なので、たまには趣向を変えようと思いまして……あ、もしかして緑茶、苦手でしたか?」
「いや、構わん。遠矢が淹れたものに外れはないからな」
「さすがにそれは褒め過ぎですよ、副会長」

『紅月のリーダー』蓮巳敬人ではなく、『生徒会の鬼の副会長』といえば、エナジードリンクに囲まれて書類作業に追われる姿が真っ先に思い浮かんでしまうのだけれど、そればかりでは絶対に胃を悪くしそうだし、紅茶もいいけどたまには違うものも気分転換になるだろう。

「謙遜もいいが、俺の褒め言葉は素直に受け止めた方がいいぞ、遠矢。プロデューサーとして成長が見込めないようであれば、俺は厳しく当たるからな」
「ひっ」
「そう怯えるな、冗談だ」

 絶対冗談じゃなくて本気だった……と背筋が凍ったけれど、そんな私とは対照的に副会長は機嫌が良さそうに見えた。不敵な笑みを浮かべた後、お茶に口を付けて満足げに頷いた。多分、口に合ったのだと思う。

「ふふっ、副会長さまも樹里さん弄りの会の一員になられる日も近いですね」
「は!? ちょっと伏見、勝手に変な会作らないでよ!」
「冗談です」
「冗談に聞こえないから」

 伏見も伏見で、私にとって悪い意味で機嫌が良さそうだ。
 というか、この間桃李くんの家に行った時は、あんなに恋人みたいな雰囲気になって、恋人みたいな事もしたっていうのに、この落差は何なんだ。まあ、公私をここまで使い分けていれば、fineのファンの子たちに勘付かれることはまずなさそうだけど。多分伏見のことをそういう目で見てる子だっているだろうし。

 そう、彼は私だけのものではない。
 当然、彼にとって一番大切なのはきっと主人の桃李くんだと思うし、というかそもそも私は彼のご両親のことも知らないし、家族構成だって調べれば出て来るけどそういう詮索をするのもどうかと思うし……そうやって目的のない思考を巡らせれば巡らせるほど、私は彼のことを何も知らないし、私は彼のなにものにもなれないのだと、マイナス思考に陥ってしまうのだった。





 働き詰めだと皆参ってしまうから、という話になり、食堂で眠っていた頂き物の西瓜を切り分け、ちょうどグラウンドで練習に励んでいるTrickstarの面々とあんずに差し入れをすることになった。伏見が朝登校した際、あんずと衣更くんにばったり出くわして、彼らの予定を聞いたのだという。
 グラウンドに行ってみると、他にRa*bitsの天満くんと真白くんもいて、結構な大所帯になった。真夏の陽射しはうんざりするけれど、青空の下で冷えた果物を味わうのも悪くない。

「はあ……それにしても遠矢先輩がいてくれて良かった……」
「なんで? 真白くん」
「やっぱり、伏見先輩って『fine』ですし、妙に緊張するっていうか」

 しゃくしゃくと音を立てて西瓜を頬張る天満くんの横で、真白くんが安堵の表情で私を見て来たから、少しびっくりしてしまった。

「fineって言っても会長じゃないんだし、そこまで改まらなくてもいいのに。桃……姫宮くんに対してもそう思うの?」
「姫宮は同い年だし、そういう感じではないですけど」
「あ、ていうか真白くんって日々樹先輩と部活同じだよね? 日々樹先輩に対しても――」
「変態仮面の話題はやめてください」

 日々樹先輩の名前を口にした瞬間、真白くんが苦虫を噛み潰したような顔をした。確かに日々樹先輩に振り回されている姿をよく見掛けるけれど、それだけ真白くんが可愛い後輩だから、つい構いたくなるんじゃないかな、なんて最近は思うようになった。日々樹先輩に悪気はなく、意味があっての行動だと思うし。
 とはいえ、それを口にしたら真白くんの不快指数が上がりそうなので、違う話題を切り出した。

「でも、同い年の姫宮くんには自然と接することが出来るって、やっぱり同い年って特別なんだね」
「言われてみればそうですね。遠矢先輩と伏見先輩もそうですよね」
「え?」
「学年が違ったら、一緒に行動することもなかったかもしれませんし」

 真白くんの何気ない言葉に、改めて私と伏見の関係は奇跡がもたらしたようなものなんだと思うと、少しだけ胸が高鳴った。でも、それって……

「――あんずさんがお望みとなれば、後ろから抱っこしても構いませんよ」

 とんでもない台詞が耳をついて、思わず声の主の方へ顔を向けてしまった。

 この学院で彼と同い年の女子は、私だけじゃない。
 私だけが彼にとって特別な存在なわけじゃない。特別だと思っていたのは私のただの驕りだ。
 私はどんな表情で彼のことを見ていたんだろう。衣更くんが伏見とあんずの間に入って何か話していたけれど、全然頭に入って来なかった。

「遠矢さん、手汚れちゃってない? 一緒に洗いに行こうよ」

 遊木くんが愛想の良い笑みで私の顔を覗き込んで、声を掛けてくれるまで、自分が何をしていたのか記憶が飛んでいた。疲れているのか、それとも夏の暑さで参っているのか。何故かは分からないけれど、とにかく今の私はまるで頭が働いていなかった。





「遠矢さん、今日はプロデュースの仕事じゃなくて生徒会のお手伝いなんだ。大変だね」
「ううん、好きでやってる事だし。それに、副会長に気に入られているうちが花っていうか……」
「あはは、副会長は意地でも遠矢さんを手放さないと思うけど」

 西瓜の汁でべたつく手を水道で洗い流しつつ、遊木くんと雑談をしていたけれど、ふと、遊木くんと二人きりで話すのは初めてかもしれないと気付いた。いつもTrickstarは皆一緒に行動しているし。

「そういえば、遊木くん」
「ん?」
「DDDの時、校内SNSの事とか色々と教えてくれてありがとうね。あの後、私のパソコンを色々と改良してくれたり、本当お世話になっちゃって……」

 遊木くんには陰ながらお世話になっているというのに、Trickstarはあんずが専属プロデューサーのようなものと思うと、どこか遠慮している私がいた。故意に関わらないわけではないけれど、どこか一歩引いて彼らと向き合っていたような気がする。

「ううん、僕に出来ることはそれくらいしかないし、少しでも遠矢さんの役に立てたなら良かった」
「そんな、自分を卑下しないで。遊木くんはじゅうぶん、ちゃんと皆の役に立ってるんだから」

 別に媚びているわけではなく、純粋に思っていることを口にしただけなのだけれど、遊木くんは褒められ慣れていないのか、恥ずかしそうに頬を紅潮させて私から視線を逸らした。
 なんだか妙な雰囲気、というか気まずくなってしまった。別にどういう関係でもないのだし、ここは私が毅然としていないと。

「役に立ってないのは、むしろ私の方だからさ。サマーライブの時だって、会長に言われるがままに手を出さずにいたけれど、本当にそれで良かったのかって、今でも後悔してる」

 そう、夏休みといってもアイドル科およびプロデュース科に休みはない。授業のない長期休暇だからこそ、校外でのライブを皆積極的にしていた。冬の『SS』への予行練習も兼ねて、夢ノ咲も他校と合同ライブを行った。ライブに出たのは勿論『SS』への出演が決まっているTrickstarだ。
 そこで、ちょっと色々とあって――私は会長に「君はTrickstarの専属プロデューサーではないのだから、手出しはしないように」と事前に言われていて、何も手伝うことが出来なかったのだ。でも、それは会長を盾にした言い訳にしかすぎない。例え結果は変わらなくても、私にも何かが出来たはずだ。そう思うと、無力な自分が情けなくなってしまうのだった。

「これは僕の意見だけど……そこまで遠矢さんに求めるのは酷かなって思うな」
「そうかな、これでも一応プロデューサーだし……」
「でも遠矢さんって、fine専属……ってわけじゃないけど、fineにとって特別な存在だと思うんだ。云わば僕たちはfineのSS出場を奪った立場だから、生徒会長が釘を刺すのも分かるよ」

 私が遊木くんの立場なら、きっと同じことを言うだろう。でも、私にしてみたらそれは違う。サマーライブであんずがTrickstarの力になれなかったことを悔やんでいるのと同じように、私だって、会長に見えないよう、何か違った形で協力出来たに違いなかった。
 とはいえ、悔やんでいても先には進めない。あんずはきっともう前を向いているはずだ。それなら私も、次の機会は出来る限り後悔しないよう動こう。

「遊木くん、なんか愚痴っちゃってごめんね。次また他校とライブをやる時は、私も裏で動けるよう力になるから」
「遠矢さん……ありがとう」
「Trickstarの為っていうより、あんずの為っていうか、そもそも私が卒業する頃には進学なり就職なり有利に働くよう、夢ノ咲にはもっと大きくなって貰わないと」
「ははっ、遠矢さんって素直じゃないよね」

 何が素直じゃないのか分からないけど。別に良い子ぶる気もないし、相手を見て本音を漏らしてるだけなんだけど。

「遠矢さんにとって有利に働くようになれば、あんずちゃんにとっても、僕たちにとっても、皆にとって有利に働くことになるよね」
「ああ……まあ、そういう事になるけど」
「やっぱり遠矢さんは平和主義者っていうか、皆が幸せになる事を望んでるんじゃないかな」

 遊木くん、それはさすがに買い被りすぎ。そう言おうと思ったけど、遊木くんが先に口を開いた。

「少しはすっきりしたかな?」
「え?」
「僕の気のせいかもしれないけど、さっき、遠矢さん元気なさそうに見えたから。それで気分転換に連れ出してみたんだけど」

 まさか見抜かれていたなんて。
 遊木くんやTrickstarの面々だけならまだしも、一年生の真白くんや天満くんにもそう思われていたら最悪だ。なんて頼りないプロデューサーなんだろう。

「遊木くんごめん、気を遣わせて」
「いやいや、謝らないで! 余計な事しちゃったとしたら、僕こそ本当にごめん」
「遊木くんこそ謝らないでよ」

 このままだとお互いに謝罪合戦になりそうで、ふと顔を見合わせて二人して笑ってしまった。

「僕たち、ちょっと似てるかもしれないね」
「それ、遊木くんのファンの子に聞かれたらただじゃすまないよ」
「ええっ!? いや、それを言うなら僕こそ遠矢さんのファンに夜道で刺されそうだよ!」
「私のファンなんていないから、大丈夫大丈夫」

 私の心の中ももやもやが顔に出ていたのは反省するとして、とりあえず今はだいぶ元気が出た。どうにもマイナス思考がぶり返してしまっているのは、暑さと疲れのせいだと思っておくことにしよう。



 遊木くんと共に皆の元へ戻ると、真っ先に伏見と目が合った。相も変わらず余裕綽々な微笑をこちらに向けてくるものだから、伏見とあんずが仲良さそうにしているだけでこんなに落ち込んでいる自分が、ますます子供染みているように思えた。もう少し精神的に大人にならないと、彼の隣に立つ資格はない――そんな風に思ってしまった。いつか、彼の隣に立つに相応しい女性に、私はなれるのだろうか。そんな自分が、まるで想像できなかった。

2019/05/23


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