Lamp Reason



 春が近づいているとはいえ、未だ朝晩は冷え込むというのに、校内にある噴水では今日も深海先輩が実に気持ち良さそうに水浴びをしていた。

「深海先輩、おはようございます」
「はい、おはようございます〜」

 朝、偶々噴水の近くを通り掛かったので挨拶すると、深海先輩はいつもと変わらない、のほほんとした口調で挨拶を返してくれた。慌ただしい朝でも、深海先輩といるとそのペースに飲まれてつい時間を忘れてしまいそうになる。

「風邪引かないよう、気を付けてくださいね。返礼祭も控えてますし」
「はい〜。『へんれいさい』のまえに、『ふぃーね』との『どりふぇす』もありますしね」
「fineと? ああ、三年生抜きで流星隊と対決する事になったんですよね。深海先輩や守沢先輩はステージに上がらないにしても、体調不良で応援するのはしんどいですしね」

 桃李くんが主催するドリフェスの対戦相手に流星隊が選ばれたのは、あんずから共有を受けている。ちなみに、S3の主催はリーダーの申請が必須となる為、英智さま抜きで行う今回はB1で申請されている。更に、会場設営は姫宮家のほうで全て手配するから、私は協力出来ない状況に陥ってしまった。せめて、当日の運営ぐらいは手伝わせて貰いたいけれど……私が聞いている情報はそれだけだ。
 本当はそれだけではなかったのだと、私は目の前の深海先輩が首を傾げている事で察した。

「深海先輩、私、何かおかしなことを言いましたか?」
「あのう、ちあきとぼくも、いっしょにどりふぇすにでますよ〜?」
「……はい?」

 呆けた声を出す私に、深海先輩は満面の笑みを浮かべてみせた。

「とうりの『せんせんふこく』をきいて、ちあきがすごくやるきになったんです〜。ここは『ふるめんばあ』で、『ぜんりょく』でおあいてするべきだと」
「いや! ちょっと! それじゃさすがにfineに勝ち目が……」
「? ようせいさんは、ふぃーねがまけるとおもってるんですか?」
「う……」

 恐らく深海先輩は、私が桃李くんの怒りを買って今回のドリフェスから外されている事は知らないだろう。でも、あの時の桃李くんの、私に対してがっかりするような、突き放す眼差しを思い出してしまい、それ以上何も言えなくなった。

「どうしてもしんぱいでしたら、わたるに『そうだん』してみたらどうでしょう? ようせいさんが『なきおとし』をすれば、もしかしたらわたるも『どりふぇす』にでてくれるかもしれないですよ」
「日々樹先輩に私の泣き落としが通用するわけないじゃないですか……」

 深海先輩の提案に、私は肩を落とす素振りをして否定の意を露わにした。ただ、日々樹先輩がステージに立ってくれるかどうかは別として、相談の余地はある。英智さまと日々樹先輩を欠いたfine二人に対し流星隊が五人で挑むのは、あまりにもハンデがあり過ぎる。それこそ日々樹先輩が桃李くんと弓弦に特別指導をするなど、ハンデを少しでも減らす方法はある筈だ。

「……駄目元ですが、日々樹先輩に相談してみたいと思います。ありがとうございます、深海先輩」
「いえいえ〜。それでも5たい3ですし、『はんで』がありますね。いっそのこと、ようせいさんもいっしょにでたらどうでしょう〜?」
「私はfineのメンバーじゃないから無理ですよ」

 本気か冗談か分からない深海先輩の言葉を苦笑しながら流したけれど、そういえばDDDの時、Trickstarが明星くん一人になってしまった時に覆面を被った謎の生徒がステージに立った事がある。あれはどう考えてもあんずなのだけれど、そもそもDDDはSS出場権を得るための大規模なドリフェスであり、Trickstarは全員ばらばらになっていたという前提がある。今回はそうではない以上、私がfineの一員としてステージに立つのは無理だ。それに、桃李くんが誰よりもそれを許さないだろう。





 昼休みが訪れ、私は日々樹先輩に会いに真っ先に3-Bの教室へと向かった。元々3-Bの奇人組は神出鬼没で、出席日数も足りているのか危うい程この教室には現れないと聞いている。いたらラッキーぐらいの気持ちで教室の扉を開けると、案の定日々樹先輩の姿はなかった。

「おっ、樹里ちん! 誰か探してるのか〜?」
「仁兎先輩! 日々樹先輩を探してるんですが……無駄足でしたね」
「あはは、渉ちんは午前の授業もいなかったしな。演劇部の部室にいるかもしれないぞ?」

 窓際を陣取る仁兎先輩が声を掛けてくれて、アドバイスをくれたけれど、その瞬間私のお腹が情けない音を奏でた。……今は食事を優先しよう。

「うーん……まあ、そこまで急ぎではないので。放課後出直して来ます」
「そっか。渉ちんと会ったら樹里ちんが探してたって伝えておくよ」
「ありがとうございます!」
「ところで樹里ちん、もし用事がないなら一緒にお昼食べないか?」

 仁兎先輩は笑顔で私に向かって手招きをしている。断る理由はないし、それにきっと何か話したい事があるのだろう。もしかしたら、スタフェス前に忠告してくれた事かも知れない。ならば、今後の進退について仁兎先輩にもはっきり報告した方が良い。

「はい、是非!」

 そうして、私は3-Bの生徒に紛れて仁兎先輩と共に昼食を取る事になった。



「樹里ちんのお弁当、彩りが綺麗だな〜。やっぱり女の子は違うな」
「いや、それがつい前まで茶色でしたよ……仁兎先輩こそ可愛いお弁当じゃないですか。この学院、料理の上手い男子が多くて凹みます……」
「まあ、人それぞれ得意不得意があるからな。つまり樹里ちんは努力でお弁当作りを学んだって事だな? 偉いぞ〜」

 仁兎先輩はよしよしと私の頭を撫でて来て、やめて欲しいと言おうにも愛らしい笑顔に負けて甘んじてしまった。この場面を弓弦が見たら絶対にお小言が炸裂しそうだ。ちなみに、お弁当の彩りがだいぶマシになったのは、弓弦が色々と教えてくれたお陰でもある。

「あ、ごめんな。撫でたりして」
「いえ! 嫌というより、誰かに見られたら何かしら言われそうだなあと……」
「そこまで気にしなくてもいいだろ〜? 春からはこういう事も出来なくなるしな」

 その言葉に、私は息を呑んだ。春からは――私はアイドルとしての道を進み、仁兎先輩は夢ノ咲を卒業する。卒業後の進路は……アイドルとは無関係の大学に進学すると伺っている。

「――樹里ちん。アイドル復帰、おめでとう」
「ありがとうございます! ただ……仁兎先輩の忠告を活かす事が出来ず、申し訳ありません……」
「うにゅっ!? あ、謝るなりょ〜! おれ、別に樹里ちんを責めたいわけじゃ……」

 仁兎先輩はパニックになると噛んでしまう癖がある。今、そうさせてしまったのは私だ。ますます申し訳ないと思いつつも、きちんと説明しなければと言葉を続けた。

「どうしたら良いか分からなくて、悩んだのですが……会長がこれから起こそうとしている事業に私の父も関わっていて、それに……」
「無理に説明しなくても大丈夫だ。樹里ちんが悩みに悩んで、それで決めた結論なんだろ? お父さんの事情もあるけど、何より樹里ちん自身がアイドルに戻りたいと願った。おれは樹里ちんの選択を否定はしない。ただ、あいつには気を付けて欲しいだけだ」

 その優しさに、私は深く頷いた。英智さまの事を嫌いになれないから、なんて言ったら間違いなく仁兎先輩は傷付く。逆に何も言わなくて良いと言って貰えて、私が救われた形になってしまった。

 仁兎先輩が普通の大学に進学する――つまりアイドル業界からは距離を置く事になる。才能がある人なのに勿体ないと思うけれど、もう絶対にアイドルには戻らないというわけではないだろう。仁兎先輩が一般人に戻る普通の生活を送り、またアイドルの世界で輝きたいと願えば、手を差し伸べる人たちは絶対にいる。今は密かにその時が来るのを願おう。





 放課後、既に先約のあるユニットのレッスンやS3の企画の手伝いを消化しつつ、一段落して再び日々樹先輩を探しに行こうと廊下を闊歩していると、突然身体が宙に浮いた。

「へ?」
「樹里さんが何やら私を探していると小耳に挟みまして。折角ですし午後のティータイムと致しましょう!」
「日々樹先輩、ありがとうございます。それは構わないんですが……」

 私を担ぎ上げた日々樹先輩は、そのまま廊下を駆け出してしまった。当然私だって普通に走れるので降ろして欲しいものの、多分目的地に到達するまでこのままだろう。

「日々樹先輩! 降ろしてください!」
「いえいえ、すぐ傍ですから遠慮は無用ですよ! 私と樹里さんの仲ですからねえ〜」
「どういう仲ですか〜っ!!」

 目的地――演劇部の部室に連行されるまでの間、多くの生徒にこの滑稽な様子を目撃されたのは言うまでもない。





「遠矢、すまん。俺たちがアホな部長を卒業までに矯正出来なかったばかりに……結局最後までおまえにも迷惑が掛かりっぱなしだな」
「いや、氷鷹くんが謝る事じゃないからさ。私に比べたら部員二人の苦労の方が圧倒的だろうし……」
「遠矢先輩、この変態仮面が卒業する前に一発ビンタかましてやって構わないですからね! 万が一それが問題になったら、アイドル科全員で遠矢先輩を擁護しますから」
「いや、私はそこまで鬱憤溜まってないから大丈夫かな……」

 出された紅茶に口を付けつつ、半ば氷鷹くんと真白くんの愚痴を聞いている状態だ。私も演劇部に入っていたら、この二人と同じ感情を日々樹先輩に抱いていたに違いない。そういえば、転入したばかりの頃にこの部室に迷い込んで、こうしてもてなされた事を思い出した。あの時はちょうどfineがこの部室を練習拠点として使っていたから、氷鷹くんと真白くんではなく、弓弦と桃李くんがいたけれど。

「樹里さんも我が演劇部に入って頂ければ、ちょうど2対2で私も可愛い後輩ふたりに虐められる事もなかったんですがねえ」
「えっ、私は日々樹先輩の味方で確定なんですか? 私の意思は?」
「えっ、樹里さんこの流れで私の味方になってくださらないんですか!?」

 真顔で返す私に、日々樹先輩は目を大きく見開けばその場に力なく倒れ込む、舞台さながらのオーバーリアクションを披露した。ここが舞台で私が観客なら日々樹先輩の演技に引き込まれるところだけれど、残念ながらそうではないので呆然としつつ紅茶を嗜んだ。
 ……って、本来の目的を忘れるところだった。私は気を取り直せば、足下で倒れ込む日々樹先輩に向かって声を掛けた。

「――それで、本題なんですが」

 私の声に反応し、日々樹先輩は顔を上げ、次いで勢いよく起き上がって私の隣に腰掛けた。ちょうど私の向かいにいる氷鷹くんと真白くんも、真剣な面持ちへと変わった。無関係の私がわざわざ接触しに来るなど滅多に無いから、余程の事だと察したのだろう。

「恐らく日々樹先輩の耳には入っていないと思いますが……実は、桃李くんと弓弦が二人だけで、流星隊に勝負を挑もうとしているんです」

 私の言葉に日々樹先輩より先に、氷鷹くんと真白くんが驚きの声を上げた。

「姫宮と伏見が二人だけで? 一体何を考えているんだ、あの二人は」
「流星隊も二人だけ、って話ではないですよね? 遠矢先輩が相談しに来るという事は……」

 氷鷹くんと真白くんの前で、あまり具体的な話をするのもどうかと思い、私は一先ず桃李くんの目的については敢えて口にしなかった。日々樹先輩は特に驚いた様子ではなく、余裕のある笑みを浮かべて私を見ている。もしかしたら、何らかのきっかけで察していたか、日々樹先輩が桃李くんに直接聞いたのかも知れない。取り敢えず、私は話を続けた。

「真白くんの言う通り、流星隊はフルメンバーで出ます。決して桃李くんとゆづ――伏見の実力が劣っているとは言いませんが、2対5はかなりのハンデがあります。そこで、日々樹先輩にこっそり何かしらの協力を得られればと……」
「そうは言われましても、姫君から直接頼まれたわけではないですからねえ」
「……ステージに立てとは言いません。個人レッスン等、何か陰ながら出来る事を……」
「それは私ではなく、樹里さんの役目ではないでしょうか?」

 日々樹先輩の鋭い指摘に、一瞬固まってしまった。私の様子に即座に気付いたのか、私が答えるより先に日々樹先輩が口を開いた。

「私に相談しに来るという事は、樹里さんが介入出来ない状況に陥っていると推察しますが……だとしたら、尚更協力する事は出来ませんねえ。私が干渉する事は、姫君の意思ではありませんよね?」

 日々樹先輩の言う事は尤もだ。反論も否定も何も出来ず、私は静かに頷いた。桃李くんが主催するのだから、手や口を出すにしても『桃李くんが本当にそれを望んでいるのか』という前提を無視してはならない。深海先輩は、桃李くんが私の介入を拒否した事を知らないからこそ、日々樹先輩への相談を薦めたのだ。事情を知っていればそんな事は言わなかっただろう。
 結局私は何も解決出来ず、ただお茶を飲みに来ただけになってしまった。あまりにも情けない。





「遠矢」

 まだS3関連の仕事が詰まっているから、早々に演劇部の部室を出た私の背中に、氷鷹くんの声が投げ掛けられた。話が長引く事はないだろうし、一先ず振り返って内容を伺おうとした。

「氷鷹くん、何?」
「さっきの話だが……俺からもあんずに相談してみようと思う」
「いやいや、日々樹先輩も言ってたけど、桃李くんが望まない事はしない方が良いと思うんだ……」
「だが、俺には部長も手をあぐねているように見えてな。きっと部長も遠矢も同じ気持ちじゃないのか?」

 氷鷹くんの言葉に、私は息を呑んだ。私は今の今まで、日々樹先輩が本当はどう思っているのか考えもしなかった。単なるプロデューサーである私が悩んでいるのだから、同じfineの一員である日々樹先輩は、私以上にどうしたものかと思い悩んでいるかも知れない。悩んでいるかは別としても、氷鷹くんの言う通り、手をあぐねているのは想像出来る。

「……私、日々樹先輩の気持ちを何も考えてなかった。そうだよね、fineとしてこの一年一緒にやって来たんだから、自分に相談してくれれば良いのに……って思うかも」
「まあ、遠矢のように思い悩むというより、『こんな面白そうなドリフェスに関われないのは辛い』とかいう、子供染みた欲求を持て余しているように思うがな」
「確かにそれは有り得るね」

 日々樹先輩がこの一年fineとして桃李くんや弓弦と一緒にアイドル活動に勤しんだのは勿論のこと、氷鷹くんとも演劇部でそれ以上にずっと一緒にいるのだ。私より遥かに日々樹先輩を理解している氷鷹くんがきっぱりとそう言うなら、疑わない理由はない。

「氷鷹くん、ありがとう。ただ、あんずに負担が掛かるようであれば、下手な事はしなくて良いから」
「逆だぞ、あんずはお前と一緒に行動出来ない事に落ち込んでいるからな。すぐには無理でも、せめて当日……遠矢が何らかの形で関わる事が出来れば、あんずは心から喜ぶ。あいつはそういうヤツだ」

 氷鷹くんは優しい微笑を讃えながら、そうはっきりと言い切ってみせた。思わず胸にこみ上げるものがあって、嬉し涙が出そうになったけれど、この涙は今流したら駄目だ。私は氷鷹くんに向かって、笑顔を返した。

「本当にありがとう。本当に何か出来るかどうかは置いといて、当日は何でも出来るよう、身軽にしておくから」
「頼もしい。絶対に成功させよう、姫宮たちの為……それにあんずの為にも」

 お互いに頷き合って、私はその場を後にした。けれど、このやり取りがきっかけで、まさか当日あんな事になるなんて――言動には日頃から注意しないといけないと、この時の私はまだ思いもしなかったのだった。

2020/07/26


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