Minamo



 DDDで我等がfineが敗北を喫したことは、取り立てて驚くことではなかった。当然、己たちがTrickstarを下回っているなどと卑下するわけではないが、立て続けに複数ユニットとライブを行い、かつ通常のドリフェスと同様延長戦に流れ込むこともあるというDDDのルール適用が、fineのリーダーであり生徒会長、天祥院英智の身体を蝕むことは想像に容易かった。

 そして、敗北とはいえ、完膚なきまでに叩きのめされたわけではない。得票数はfineが僅かに上回っていたことは紛れもない事実である。天祥院英智の体調次第だが、まだ我等は終わってはいないのだと誇示することは容易だ。主はさすがに敗北が相当屈辱だったらしく、屋敷に戻った後も泣き腫らしていたが、人は失敗を経験して成長していくものだ。主もいずれ、その事に気付く時が訪れるだろう。今はひたすら耐える時であり、そんな主を支えるのが己の役目だ。

 変わったことは何もない。
 己は何も失っていない。
 その筈なのに。

 同じクラスの転校生、遠矢樹里。彼女が生徒会という檻から解放され、一夜にして一気に必要とされる存在になった事に対し、複雑な感情を抱いてしまっている自分に苛立ちを覚えずにはいられなかった。

 尤も、彼女が生徒会以外の人間と接触できず孤立していたのは、生徒会の一部の人間による裏工作が原因であったため、彼女が周りから必要とされている現状は、本来初めからそうあるべきものだったのだ。誰からも必要とされていない、自分は無能だと思い込まされ、それでも必死に笑顔を作って毎日登校していた彼女を見ていた者は多い。隣のクラスのプロデューサーと比べて仮に劣っていようと、生徒たちは皆彼女に手を差し伸べ、共に歩んでいくだろう。

 己はもう、彼女に手を差し伸べる資格などない。
 彼女のプロデュース業への妨害が一部の人間による仕業であっても、生徒会全体がそういう目で見られても仕方のないことだ。それに気付かず、止められなかったこと自体、己たちの責任でもある。

 変わったことは何もないなど、ただの強がりだ。
 彼女を取り巻く環境が一気に変わったことで、己と彼女の関係も徐々に変わっていくだろう。
 己は彼女にとって、その他大勢のひとりでしかなくなる。その時はもう、とうに訪れているのかも知れなかった。





「おはよ、伏見」

 弓道部での自主的な朝練を終えて教室に行くと、相変わらず己に対してだけは満面の笑顔は向けない、澄ました顔の彼女がいた。その態度はDDD前と変わらないが、ひとつ変わったことと言えば、彼女の所有物にノートパソコンが増えたことだ。天祥院英智からの贈り物である。小細工がされていないか、隣のクラスの遊木真が入念に確認し、更にハッキング等されないようプロテクトされた代物だという話だ。尤も、ハッカーの手に掛かればいとも簡単に破られてしまうとは思うが、少なくともこの学院内で彼女を邪魔しようとする輩は、もういないだろう。

「おはようございます。随分と早いですね」
「うん。今まで何もして来なかった分、遅れを取り戻さないとね」

 その非は己たちにあるのだから、何とも耳の痛い言葉である。
 彼女は己からパソコンのモニターへ視線を移せば、真剣にタイピングを始めた。生徒からの様々な依頼やレッスンのスケジュール管理、小規模なライブの企画・運営を、スマートフォンとノートパソコンを上手く活用し行っているそうだ。

「プロデュース業は順調ですか?」
「お陰様で。会長がパソコンを貸与してくれて、凄くやりやすいんだ。通知を受け取ったり簡単な書き込みをする程度ならスマートフォンの方がいいけど、生徒のデータ管理とか企画書を作ったりするのはパソコンの方が楽だしね。プレゼン資料も作っていきたいし、あっあと動画の編集や写真加工もしたいし」

 案外パソコン操作は得意のようだ。今まで抑圧されていた反動か、今はプロデュース業が楽しくて仕方がないのが見て取れた。

「最初から『あれもやろう、これもやろう』と頑張り過ぎると頓挫してしまいますよ。誰も遅れを取り戻せなんて言っていないのですから、目の前のことに着実に取り組んで行けば良いかと存じます」
「うん……確かにそうだね。焦ったせいで失敗して皆に迷惑が掛かったら、元も子もないもんね」

 我ながら出過ぎたことを言ってしまったが、彼女は怒りもせずに黙って忠告を聞き入れた。意外――ではないだろう。元々彼女は耳の痛い言葉も聞き入れる柔軟さは持ち合わせている。変なところで噛み付かれはするが。

「ていうか、伏見も随分と朝早いね? 姫宮くん絡み?」
「いえ、わたくしは弓道部で少しばかり稽古をして参りました」
「あ、そういえば弓道部だったね。ああ、私もそろそろ部活どこに入るか考えないと……こんなに忙しくなるなら、DDD前にさっさと決めておけば良かった」
「紅茶部はどうですか? 会長さまが部長ですし、それこそ生徒会室に出向かなくても美味しい紅茶がたくさん飲めますよ」
「そんな部あるの!? 部活っていうかサークルだね」

 彼女はモニターからこちらを視線を移せば、目を丸くして驚きの声をあげた。
 アイドル科の生徒は何らかの部活に必ず入らなくてはならないが、プロデュース科はその校則には該当しなかった筈だ。無理に入る必要もないのだが、この先プロデュース業で更に多忙になるであろう彼女にとって、部活が一種の安らぎになれば良い。プロデュース業も部活も頑張れというのは、恐らく彼女にとっては重荷になる。

「姫宮くんはどこの部活だっけ。って、調べればいいか」
「テニス部ですよ」
「へえ、意外。てっきり文化系かと思ってた。皆と仲良くやれてるといいね」
「確か他の部員は仁兎先輩、遊木さま、瀬名先輩と記憶しております」
「ひっ」

 変な声を漏らして何事かと思ったが、彼女は己の顔を見るなり「なんでもない」と首を振った。その一連の動作が何を意味するのかまるで分からなかったが、彼女がfineと関わる前にKnightsの練習を見学し、その際に当時リーダーを代行していた瀬名泉に何らかの嫌味を言われていたことなど己の知るところではなかった為、彼が主に対しても同様の態度を取っていることを、今の己が知るなど無理な話であった。

「紅茶部ねえ……他にも面白そうな部活ありそうだし、色々調べておこう」
「プロデュース科の生徒は、恐らく無理に入らなくてもよろしいかと思いますが」
「そうなんだよね。あんずちゃんは部活入るのかな? って、噂をすれば!」

 彼女の視線が今度は教室の外へと移る。その先に何があるのか、話の流れから汲み取ることは出来たが、一応彼女に倣って外へ顔を向けた。

「樹里〜! やっほやっほ!」
「だから! 明星くん、気安く呼び捨てしないでって!」

 開きっ放しの扉の向こうの廊下から、Trickstarの四人と彼らを勝利へと導いた女神と呼ばれる転校生が、彼女へ向かって大きく手を振っている。

「みんな朝練かな。桜フェスも近いもんね。DDDが終わったと思ったら今度は……あんずちゃん大変そうだし、私も頑張らないとな」

 彼女の興味は完全にTrickstarの面々へ移っている。己など、取るに足らない存在なのだろう。

「ちょっとあんずちゃんと情報共有したいから、皆のところに行って来るね」
「ええ、わたくしのことはお気になさらず。『遠矢さま』」

 この教室だけではなく、全学年の生徒の多くが、彼女のことを親しみを込めて下の名前で呼ぶようになった。この学院内で己が彼女に一番近い存在だったなどと、今となっては誰も思わないだろう。
 もう、己は彼女にとって、その他大勢のひとりでしかなくなったのだ。





「遠矢さまがわたくしに……ですか?」
「そ、ふたりきりで話がしたいんですって」

 ある日の休み時間、同じクラスの鳴上嵐からそんな話を持ち掛けられ、不可解過ぎて勘繰ってしまった。話があるのなら彼女から直接声を掛ければいい話で、クラスメイトを通すのはあまりにも不自然である。彼を疑うわけではないが、彼女がこんな手段を取るとはどうしても思えなかった。とはいえ、それを目の前の本人に訊ねるのはさすがに角が立つ。

「かしこまりました。都合の良い日時や場所等、遠矢さまに直接訊きますね」
「えーっと!! 樹里ちゃん今プロデュース業で忙しいでしょ? 掴まえるのも難しいのよ。ほら、今だって教室にいないし。引き留めるのも仕事を邪魔するみたいで、申し訳ないじゃない?」
「確かに。言われてみればそうですね」
「だから、今回だけ! お願い、樹里ちゃんの都合に合わせてあげて。今日の放課後、場所は学院のすぐ傍の海!」

 彼女が場所を指定してくるのも珍しい、というか初めてかも知れない。話がある時は自ら相手の居る場所へ赴き、時間を取らせないよう徹しているイメージが先行しているせいか、らしくないと思ってしまった。とはいえ、『らしくない』と言い切れる程、己が彼女の心理を理解しているとは言い難いのだが。

「海辺でふたりきりでお話なんて、なんだかロマンチックよね〜! 弓弦ちゃん、頑張って!」
「は、はあ……」

 一体己は何を頑張らなければならないのか知らないが、クラスメイトはまさに名前通り嵐のように去って行った。人当たりが良く、天真爛漫な人物と把握しているが、それにしては今日は些かわざとらしさを感じた。そもそも大前提として、仮に彼女が己に話し掛けるのも難しいほど多忙ならば、鳴上嵐に仲介を頼むという行為も難しいのではないか。尚更不自然である。

 もしかしたら、彼女の名を騙った反生徒会の人間が、報復でもしようとしているのかも知れない。しかし、『Knights』は生徒会側ではないものの、DDDにおいては生徒会長に協力的であった為、鳴上嵐が反生徒会側に付いて己を騙すとは考え難い。彼自身が脅されたり騙されることもないだろう。
 考えれば考えるほど謎が深まる一方だが、該当の場所に直接赴けば全て解決するに違いない。そして、どう罷り間違えても、鳴上嵐が言うような『ロマンチック』なことは絶対に有り得ないと断言できる。



 念の為、海辺に向かう前に主に許可を取るために生徒会室へ行くと、クラスメイトであり生徒会役員の衣更真緒に「姫宮のことは俺に任せて、お前は遠矢のところに早く行ってやれって!」と、やけに引き攣ったわざとらしい笑顔で追い返されてしまった。彼も変な裏工作をするようなタイプとは思えないが、どう考えても引っ掛かる。

 主が自分も一緒に行くとごねたものの、副会長に「貴様は仕事をしろ!」と窘められ、結果「早く帰って来てボクの仕事を手伝え!」という命令を受けてしまった。その為にも、彼女には申し訳ないが早く会話を切り上げて戻った方が賢明だ。





『学院傍の海辺』という情報のみで、果たして彼女を見つけることが出来るのか不安はあったが、それはすぐに打破された。学院から海辺へのルートは決まっており、普通に歩いて行けば、既に先に来ていた人物を見つけるのは容易かった。

 砂浜に立ち、ぼんやりと海を眺めている彼女の姿が見えた。手を庇い、時々擦る仕草から、かじかむ手を温めているのだと推察出来た。今しがた来たわけではないのだろう。春とはいえ、夕方の海風はまだ冷たい。

「遠矢さま!」
「あっ、伏見!」

 少し離れた場所で声を掛けた瞬間、彼女は振り向き、こちらに向かって駆けて来た。
 ――と思いきや。

「遠矢さま!?」

 彼女は砂浜で豪快に転んでしまった。慌てて駆け寄れば、砂浜に突っ伏している彼女を起こそうと、しゃがんで肩に手を触れた瞬間、ぴくりと身体が震えた。そして彼女は力なく顔を上げた。その頬は砂で汚れていて、今にも泣きそうな顔をしている。
 きっと拒否する元気もないだろう。ひとまず抱き起こして様子を窺ったが、外傷はないようだ。

「……ごめんね、会って早々迷惑掛けて」
「迷惑も何も、わたくしは何の害も被っていませんよ。それより、お怪我はありませんか? 足を捻ったり、どこか痛めてはいませんか?」
「ううん、大丈夫」
「そうですか。痛かったら遠慮なく言ってくださいね。責任を持って保健室までお連れいたしますので」

 そう言って、頬に付いた砂を拭ってやると、何故か彼女の顔が紅潮しているような気がした。きっと、転んでしまったのが恥ずかしかったのだろう。

「本当にごめんね、いつも迷惑ばかり掛けて」
「ですから迷惑だとは思っていません。同じことを何度も言わせると怒りますよ?」
「嘘」
「は?」
「迷惑だと思ってないなんて、嘘に決まってる癖に」

 言葉は強いが、その声は震えていた。

「だったらどうして……どうして私と距離を置こうとしてるの? 嫌いなら優しくしないでよ。今日だってこうやって呼び出して、もう生徒会に関わるなって言いたいんでしょ? 姫宮くんと関わるなって」
「あの、待ってください」
「待たない」
「今、『呼び出して』と言いましたよね?」

 彼女は訝しげに眉を顰めた。返事はない。そんな細かいことはいいから質問に答えろ、という事だろう。そして否定の言葉や素振りがないという事は、彼女自身が放った言葉に間違いはないという事でもある。

 鳴上嵐と衣更真緒が何やら不自然な態度で、強引に己をここに来させた目的が漸く理解出来た。
 己が彼女と距離を置こうとしているのを察して、云わば仲直りさせる為に、己たちをこんな人気のない場所に来させたのだ。彼女も、ふたりのうちどちらかに己と同じことを言われ、ここに来させられたのだろう。世話好きのあのふたりがやりそうなことだ。

 普段なら事情を説明したいところだが、今の彼女に事実を伝えるのも気が引けた。なにせ、今、彼女が泣きそうになっている理由を作ったのは、己なのだから。


 彼女の手に触れると、やはり冷えきっていた。己が生徒会室に寄っている間、既にここで待っていたに違いない。

「遠矢さま」

 ここは、クラスメイト達の計らいに乗ることにしよう。

「こちらから呼び出したのに、明確な時間をお伝えしていなかったせいで、お待たせしてしまい申し訳ありません。わたくしの失態をどうかお許しください」
「失態なんて大袈裟だよ。それより」
「いえ、他にも謝らなければいけないことがあります。その為にお呼びしたのです」
「あの……たぶん、伏見が言いたいことは分かるから、いいよ。そのことは、もういいの」
「いえ、きちんと言葉にしなくては、わたくしの気が済みません」
「ちょっと、私の意思は!?」

 彼女もだいぶ調子が戻って来たようだ。そもそも、今回に限っては彼女を情緒不安定にさせてしまった原因は己にあるのだが。……いや、違う。その前もだ。寧ろ、転入初日のあの日から、DDDが終わったあの日まで、ずっと。

 伝えるのは、今しかない。
 この時を逃してはいけない。
 彼女がこれ以上、遠い存在になってしまう前に。

「『遠矢さま』……いいえ、『樹里さん』」

 そう呼ぶと、心なしか彼女の表情が一瞬、明るくなったように感じた。我ながら前向きな主観である。

「もしかしたら、わたくしの話であなたのことを再び傷付けてしまうかもしれません。ですから、わたくしの事を嫌って頂いてかまいません。それでも、今だけ……どうか、わたくしの話に耳を傾けて頂きたいのです」

2018/02/04


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