Reach for Me Now



「ねえ、遠矢さん。放課後空いてる?」

 授業が終わった後、突然鳴上くんが誘いを投げ掛けてきて、人の良い笑みに圧されてふたつ返事で了承してしまった。放課後はB1を観に行くからと一度は断ったものの、すぐに始まるわけではないし、それまでの間の時間潰し、と言われて了承せざるを得なかった。
 多分、昼休みが終わって教室に入った時に、私があんな醜態を見せてしまったから、鳴上くんも心配しているのだろう。

 早くも無関係の人に迷惑を掛けてしまった。伏見くんにたかがあんな事を言われたぐらいで泣くなんて、まるで幼い子供ではないか。
 伏見くんの言っている事は正しい。だからこそ、正論を言われて悔し涙を浮かべてしまった自分の弱さが余計に嫌になった。伏見くんと関われば関わるほど惨めになる。ますます自分の事が嫌いになる。だからと言って、こんな醜い感情を人に見せるわけにはいかない。鳴上くんの前ではちゃんと取り繕わなくては。




「はあ、一日が終わった後のご褒美は格別ねえ」
「鳴上くん、今日はまだ終わってないけど」
「細かいこと突っ込まないの! 樹里ちゃんって見た目に反して案外冷めてるのね」

 テーブルを挟んで向かい側に座っている鳴上くんに怒られつつ、食堂で二人して頼んだパフェを口に含んだけれど、正直その甘味を堪能する心境にはなれなかった。気が滅入っているのもあるし、この後B1で英智さまが何か発表をすると言っていたから、それなりの心構えをしなくては。
 プロデュース科のテストケースとして入ったばかりの私にわざわざ伝えたという事は、私は無関係ではない。つまり、この学院全体に関係する、大々的な発表が行われるのだろう。

「あら。口に合わなかった?」
「え?」
「このパフェ、美味しくて評判なんだけど……樹里ちゃんは余程舌が肥えてるのかしらね、ふふっ」

 また顔に出てしまったんだろうか。こういう何気ない瞬間に綻びが生じてしまうのは問題だ。ちゃんと笑顔を作らないと。いや、何もないのに笑うのもおかしな話だけれど。

「そ、そんな事ないよ! ここの食堂ってどれも美味しいよね。それだけでもこの学校に来て良かったって感じ」
「無理しなくていいわよ」
「別に無理してなんか……」
「嘘」

 きっぱりと言い放った鳴上くんの瞳は、私が頑なに閉ざしている心の中を、いとも簡単に見抜いていた。鳴上くんが特別、『そういうこと』を敏感に感じ取ることに長けているのか、それともみんなとっくに気付いていて、私だけが隠せていると思い込んでいたんだろうか。

「……うん。嘘吐いた。今日はちょっと、無理してる」
 素直に認めると、鳴上くんは一瞬びっくりしたように目を見開いたけれど、すぐに愛想の良い笑みに変わって、満足そうに頷いてみせた。
「そう。辛い時は素直になった方が後々楽よ。強がってばかりだと、いつか潰れちゃうわ」
「鳴上くん、ごめんね。変に気を遣わせて」
「樹里ちゃん。そういう時は『ごめんなさい』じゃなくて『ありがとう』」

 鳴上くんはちょっと怒り気味に言うと、人差し指を私に向けた。訂正しろという指示だろう。

「……ありがとう」
「はい、どういたしまして。ねえ、樹里ちゃんって、もしかして謝る癖付いてない?」
「謝る癖……あ」

 前に伏見くんにも似たようなことを言われたのを思い出して、再び気が滅入ってしまった。複数人に言われるということは、その指摘は間違いなく正しい。

「鳴上くんの言う通りだ。直さないと」
「ああ、別にそれが悪いって訳じゃないのよ? 謝らないよりはずっといいわ。ただ、アイドル科は男の子しかいないし、プロデュース科なんて言っても隣のクラスの子と二人だけでしょ? 女の子にとっては特殊な環境だから……変に媚びて男に舐められたら駄目よ」

 この人は全てを見抜いている。取り繕うのは無意味だ。あれこれ愚痴ってしまうのは申し訳ないけれど、少しぐらいなら、この醜い胸中をいつか彼に打ち明けても許されるかも知れない。

 改めてパフェを頬張ると、お店で出されるのとはまた違った味わいを感じた。鳴上くんじゃないけれど、たまには自分へのご褒美にここでデザートを食べるのを己のルーチンワークに追加しても良いかも知れない。新たな楽しみを提示してくれた鳴上くんには感謝しなくては。そんなことを思いつつ、ふと気になったことを何の考えもなしに口にした。

「……あの、鳴上くん。ずっと気になってたんだけど」
「ん?」
「私のこと、前から下の名前で呼んでた?」

 記憶違いでなければ、この学院で私を下の名前で呼ぶのは、姫宮くんと英智さまのふたりだけだ。鳴上くんも含め、それ以外の皆は私を名字で呼んでいた筈だけれど、本当に私の記憶がおかしくなってしまったんだろうか。

「ああ、樹里ちゃんの居ないところで呼んでるわよ。ちなみにアタシだけじゃないわね」
「え? 待って、どういうこと?」
「ヤダ、何もそんな死にそうな顔することないじゃない」
 どれだけ私は酷い顔をしていたんだろう。鳴上くんは呆れているのか苦笑いして、事情を説明し始めた。

「悪い意味じゃないわよ。2−Bの癒し『樹里ちゃん』」
「はあ!? 何それ、やだ、誰が言ってるの」
「うーん……たくさん?」

 最悪すぎる。私はこの学院でプロデュースの勉強をする為に通っているのであって、決して男の子たち、それもアイドルの子達にちやほやされる為に通っているんじゃない。頑張って笑顔を作っているのだって不純な動機じゃなくて、話し掛け易い存在だと認識されれば、いずれはプロデューサーとして頼りにして貰えるからだし。願掛け、いわば日々の積み重ねとしてやっていたのだ。
 そもそも、癒しってなに? それって何の役にも立っていない、お飾りの存在ってことじゃないか。

「あらやだ! なんで泣きそうになってるのよ〜!」
「だって、それって私が役立たずって事だし」
「は!? あの、ちょっと待って? 樹里ちゃん、あなたの脳内一体どうなってるわけ?」
「どうもこうも、癒し的存在なんて何の役にも立たないただのお飾りじゃん」

 クラスでそんな風に認識されているとはっきり分かった今、取り繕う余裕なんてない。鳴上くんはぽかんと口を開けて呆然とした後、盛大な溜息を吐いた。

「樹里ちゃんって、超弩級のネガティブ思考ね。昨日の件は落ち込んでも仕方ないとは思うけど、それだけが原因じゃないわね」

 鳴上くんは呆れてはいるものの、表情は真剣そのものだ。多分、私が少しでも元気になるまで粘るつもりだ。私なんかの為に時間を割いても何の得にもならないのに、それでも、鳴上くんは。


 人の好意は素直に受けるべきだと、前に誰かが言っていた。
 誰か、なんて分かり切っている癖に。
 駄目な私に厳しく、でも真っ当で正しい助言を与えてくれていた人。彼が全て正しいって分かっている。でも、初めて会ったばかりの頃、対等な存在だと勘違いしてしまった私にとっては、彼と接するのは辛かった。これ以上惨めになりたくなくて、傷付きたくなくて、だから彼を遠ざけていた。
 なんて子供じみた感情なんだろう。こんな私がプロデューサーになるなんて、夢のまた夢だ。
 このままじゃいけない。


「……鳴上くん、あのね」
「お姉ちゃん」
「は?」
「ね、お姉ちゃんって呼んで? アタシ妹が欲しかったのよ」

 意を決して悩みを打ち明けようとしたものの、鳴上くんの突然のお願いで、今度は私が呆気に取られてしまった。
 お姉ちゃん。確かにこんな頼りになるお姉ちゃんがいたら最高だけれど、って、駄目だ。私はこれでも一応プロデューサーになる予定なのだし、いま目の前にいる鳴上嵐くんは、れっきとしたアイドルなのだ。

「鳴上くん、ごめん。一人を特別扱いするのは駄目だと思うんだ」
「あら。やっぱり樹里ちゃんって真面目ねえ。融通利かないっていうか」
「やっぱり、って?」
「樹里ちゃんって愛想良いけど、クラスの皆に対して距離置いてるわよね。そういうのって雰囲気でなんとなく分かるから。だから皆も気を遣って、樹里ちゃんの前では『樹里ちゃん』じゃなくて『遠矢さん』なのよ」

 ……そういう事か。
 知らなかったのは私だけ。演じる事が出来ていると思っていたのは私だけ。鳴上くんだけじゃない。皆、本質を見抜いていた。恥ずかしい。やっぱり私は何も出来ていない。

「だから、樹里ちゃん!」
 鳴上くんに突然大きな声で名前を呼ばれて、びっくりして心臓が止まるかと思った。
「無理しない、強がらない! 時には弱音を吐いたり愚痴を零したりしたっていいの! 我慢し続けるから、今日みたいに突然感情が爆発しちゃうのよ。わかった?」
 勢いに圧されて、こくこくと頷いてしまった。

「はい、じゃあ本題。樹里ちゃんはどうしてお昼、泣きそうになってたのかしら?」
「…………」
「言い難いだろうけど、やっぱり、いつも笑顔な樹里ちゃんが今日みたいな感じだと、クラスの皆も心配するし、雰囲気もちょっとおかしくなるのよ。無理して笑顔を作れっていう意味じゃないわ。出来る範囲で構わないから、全部一人で背負わないで愚痴のひとつでも零して欲しいのよ。それで少しでも楽になるなら安いものだわ」

 鳴上くんは、クラスを代表して私に声を掛けたのだと思った。さすがに皆で話し合って決めるなんて学級会みたいなことはしていないだろうし、そこまでする理由なんてないけれど、客観的に全体を見て、クラスの為に動いたのだ。
 本当なら、それも私の仕事なのだと思った。

 前も同じことがあった。よりによって年下の姫宮くんに慰められて、立ち直れた筈だった。それなのに、私はまた同じことを繰り返している。全然成長していない。本当に、役立たずの名ばかりのプロデューサー擬きだ。

 でも、これ以上腐ってたって前には進めない。
 もういい加減、覚悟を決めなければ。

「鳴上くん。私なんかの為に本当にありがとう。だから、言うね」
 目の前にいる鳴上くんは、まるで女神のように微笑を湛えている。
 鳴上くんは大人だ。だから客観的に物事を捉えて、感情論に流されず、冷静に的確なアドバイスが出来る。それはきっと彼――今から口にするあの人も同じなのだ。

「私ね、伏見くんに嫉妬してるんだ」




 全く予想外だったのか、鳴上くんは目を見開いて唖然としていた。返答はない。無理もないかと思いつつ、私は言葉を続けた。自分の醜い感情をはっきりと言語化すれば、あらゆる感情が整理され、解決策を導き出すことが出来る筈だ。

「うん……嫉妬って表現するのが一番合ってる。伏見くんってなんでも出来る癖に、自分なんて全然未熟とか言ってさ。本当に何も出来てない私に対して言う台詞じゃないと思うんだ。でも、私がそれに対して勝手に腹を立ててるのって、要するに伏見くんに嫉妬してるってことだし、こんな事で苛々して伏見くんに当たっちゃう自分が一番嫌。伏見くんと関わり合いになる度に、自分が嫌いになっていくし、もう本当に嫌なんだ、こんな状態」

 一通り言い終えて、はあ、と大きな溜息が自然に零れた。精神的にどっと疲れたので、とりあえず目の前のパフェを完食すべく、一心不乱にフルーツソース混じりの生クリームを口内へ運んだ。甘いものを食べると疲れが取れるという説が事実なのかは知らないけれど、幾分か気は紛れた気がする。
 最後の一口を食べ終えて、ふと鳴上くんの顔を見た。盛大に引いて私に話し掛けた事を後悔しているんじゃないかと思いきや、鳴上くんは満面の笑みを浮かべていた。それはもう、『鳴上嵐』のファンじゃなくても見惚れてしまうくらい輝いている。

「な、鳴上くん? その笑顔はどういう意味かな……」
「ウフフ、樹里ちゃんって思ってた以上にしっかりしてるって思って」
「はあ!?」
「心配する必要なかったかもね。だって樹里ちゃん、自分がどうすればいいのか、もうとっくに分かってるでしょ?」

 鳴上くんの問いに、私は眉間に皺を寄せて首を傾げた。どうすればいいのか分かってるなら、わざわざこんな話なんてしない。私の表情を見ても、鳴上くんは相変わらずどこか楽しそうに笑みを浮かべながら、諭すように言葉を続けた。

「負の感情って、ぶつけられた方は当然傷付くし、ぶつけた方だって好きでそうしたわけじゃないなら、後悔して傷付いてしまうわ。今の樹里ちゃんみたいに」
 鳴上くんは何を伝えたいのか。それはすぐに理解出来た。

「……それって、伏見くんは私以上に傷付いてるってことだよね」

 私は今まで、分からないふりをしていただけなんだ。



「弓弦ちゃんの言葉に悪気がないことは、樹里ちゃんも分かってるわよね」
「……うん。伏見くんは悪くない。私が勝手に卑屈になってるだけ」
「でもね、弓弦ちゃんも樹里ちゃんの態度を見て、自分が何か悪いことを言ってしまったんじゃないかって、きっと悩んでると思うのよ。多分だけど」

 今までは、鳴上くんに指摘されるまでは、伏見くんが私のことなんてそこまで気にする訳がないと無意識に思っていた。でもそれはただの決め付けだ。
 私が伏見くんの立場だったら。理由も分からない状態で嫌な態度を取られたら。訳が分からないし、そんな人とは関わりたくないと思うだろう。

 伏見くんが私に接して来たのは、元はと言えば副会長の命令だと思うし(本人はそれを濁してはいたけれど)、更にこれから私が生徒会の手伝いをする事になるのなら、嫌でも関わらなくてはいけなくなる。
 伏見くんが怒るのは当たり前だ。寧ろ今までこんな私に接してくれていた事が信じられないくらいだ。

「私、謝らなきゃ。今までのこと、全部」
「うんうん。でも、謝るだけじゃなくて、自分の気持ちをちゃんと伝えないとね」
「え?」
「だって、樹里ちゃんが弓弦ちゃんにツンツンしてたのには、ちゃんと理由があるんだから。自分の心の内を告白するのはとても大変だけど、でも理由ははっきり伝えた方が良いと思うのよ」

 難題だけれど、これを乗り越えないことには前に進めない。伏見くんも生徒会の手伝いをしているって言ってたし、私が英智さまの誘いを受ければ、必然的に伏見くんと一緒に過ごす時間が増える。このままで良いわけがない。

「鳴上くん。目を覚まさせてくれてありがとう。こんな話聞いてくれて、私なんかの為に放課後も犠牲にしちゃって」
「もう! 『私なんか』とか言わないの! 樹里ちゃんも弓弦ちゃんのこと言えないわよ?」

 不出来な私と優秀な彼とでは、まるで話が違うのではと思いつつも、反論はしないでおいた。素直にならないと。伏見くんの優しさにこれ以上甘えてはいけない。

「それに、アタシはただ話を聞いただけ。行動を起こすのは樹里ちゃんの意思よ」





 B1まではまだまだ時間がある。伏見くんが居そうなところの目星を付けて、一先ず生徒会室へ向かった。昼のことを思い出して緊張を覚えたけれど、勇気を出して固く閉ざされた扉を軽く叩いた。暫し間を置いたのち開かれた扉の先に、まさに今一番会いたかった人がいた。

「遠矢さま?」
「あ、あの、急にごめん、えっと」
「昼に会長さまとお話しになられていた件で来られたのですよね。申し訳ありません、あいにく今は取り込み中で」
「違う、そうじゃなくて! 伏見くんに会いに来たの」

 伏見くんは言葉を忘れてしまったかの如く、目を見開いて黙っていたけれど、部屋の奥から聞こえてきた英智さまの「弓弦、行ってきていいよ」という言葉で、我に返ったように見えた。
 伏見くんの後ろをちらりと覗き込むと、生徒会長だけが座ることを許された椅子に腰掛ける英智さまの前に、Trickstarの4人とあんずちゃんが並んでいた。そして、英智さまの傍に姫宮くんと副会長が佇んでいる。
 皆こちらを見ていたけれど、なんだか様子がおかしい。詳細はさっぱり分からないけれど、間違いなく私は完全にタイミングを見誤った、つまりやらかしてしまったという事だけは分かった。非常に気まずい。

「では遠矢さま、参りましょうか」
「え? は、はい」

 いつもの作られたような伏見くんの笑みに圧されて、皆に挨拶もせずに生徒会室を後にしてしまった。
 尋常ではない雰囲気を感じ取ったけれど、どうか杞憂であって欲しい。紅月とのS1に関しては思うところは多々あるものの、英智さまだってあれは規則違反ではないと仰っていたし、ペナルティを与えるとかそういう類の話ではないだろう。でも、あんずちゃんの表情が曇っていたように見えたのが気に掛かった。
 気になって仕方がないけれど、まずは目的を果たさなければ。蚊帳の外の私は余計なことに首を突っ込んではいけない。

「立ち話もなんですし、空き教室を探しましょう」
「ううん、いいよ。すぐ終わるから」

 言葉通り、すぐに終わらせないと。逆にぐだぐだと語ったら言い訳じみてしまうから、簡潔に済ませないと。その代わり、伏見くんからの批判はいくらでも受けるつもりだ。

「伏見くん」
 彼の瞳をしっかりと見つめて名前を呼んで、深々と頭を下げた。
「今まで嫌な態度ばかり取って、本当にごめんなさい!!」




「遠矢さま。どうか顔を上げてください」
 恐る恐る顔を上げると、伏見くんは眉を下げて、明らかに困惑を露わにしていた。
「わたくしに非がある事は重々承知しています。今日もつい感情的になってしまい、言い過ぎてしまいました。きっと前にも、貴女を傷付ける発言をしていたのだと思います。本当に、申し訳ありません」
「違う! 伏見くんは悪くない!」

 逆に謝られるなんておかしい。どう考えても悪いのは私だ。私が勝手に悪く捉えて、落ち込んで、嫉妬して。悪いのは全部私じゃないか。
 今ちゃんと言わないと、ずっと言えないままだ。

「私、ずっと伏見くんに嫉妬してた。初めて会った時、一緒に頑張ろうって言ってくれたのに。でも、伏見くんは私なんかとは全然違う。凄く優秀で、転入して来たばかりなのにfineの加入試験にあっさり受かっちゃうし、大舞台だってさらっとこなしちゃうし、普段の授業だって、レッスンだって、何もかも……」

 恥ずかしい。こんな醜い感情を、よりによって本人の目の前で打ち明けるなんて。でも、頑張って言わなきゃ。でないと、いつまでたっても前に進めない。また、伏見くんを傷付けてしまう。

「それに比べて、私なんてただのお飾り。何の役にも立ってない。そもそも伏見くんと私なんかを比べる事自体が間違ってる。なのに私……結局、もっと出来るはずだ、私だって伏見くんみたいに上手くやれるはずだって、心のどこかで勘違いしてたんだと思う。じゃないと、嫉妬なんてしないから。だから」

 これからは素直になる。嫌な態度なんて取らない。許して欲しいなんて言えないし、許して貰おうと思ってはいない。だから、私は伏見くんの叱咤を全部受け入れよう。

「遠矢さま、もう結構ですよ」
「ごめん、待って、まだ話は」
「理由が分かれば充分ですから。それに」

 伏見くんは私の手を取って、どこか照れ臭そうに笑ってみせた。

「わたくしだって貴女に嫉妬しているんですよ、樹里さん」




 伏見くんが何を言っているのか理解できなくて、私は馬鹿みたいに口を半開きにして言葉を失っていた。私なんかに嫉妬って、まさか、どう考えても有り得ない。聞き間違いだ、絶対そうだ。

「新設されたばかりのプロデュース科で、何をすれば良いのかも分からず不安だと思います。それでも貴女は、明るく振る舞って、いつも一生懸命で、思わず手を差し伸べたくなるような……そんな貴女を、わたくしは羨ましく思っています」
「でも、それって同情でしょ? あんずちゃんと違って、プロデューサーとして何も結果を出せてない私なんて」
「人と比べるのはもう止めにしましょう。昨日のような事があれば無理もありませんが、あれはあんずさん一人の力ではないと、樹里さんなら気付いていますよね」

 伏見くんの問いに頷きはしたけれど、それだって結局は人徳の差だ。協力したいと思えるような、それこそあんずちゃんが一生懸命頑張っている女の子だからこそ、UNDEADや2winkの人達も、生徒会に盾突くリスクを冒してまで力を貸したのだ。

「今、樹里さんが考えていることを当ててみましょうか?」
「やめて。絶対当てる気でしょ」
「ふふっ。では、今日はやめておきます」
「待って、今日『は』って何!?」

 私が素直に謝ったからだろうか。伏見くんは物凄く上機嫌、に見える。責めない代わりに、私をこれから散々弄り倒そうとしてるんじゃないかとか、そういう類の嫌な予感がした。

「ていうか、伏見くん、なんで怒らないの? 私、伏見くんをたくさん傷付けたのに」
「いえ、全然傷付いていませんので」
「は?」
「むしろ、どうしたら樹里さんは心を開いてくれるのかと、試行錯誤するのも楽しかったですよ。とはいえ、さすがに今日、会長さまを前にして恍惚の表情でろくに話も聞かずに生徒会入りの話をあっさり了承した時は、腸が煮えくり返りましたけど」
「はあ!? 何それ!? 恍惚? 私が? してないし!」

 今更ながら謝ったことを、ほんの少しだけ後悔した。今回に限っては謝るのは当然のことだと思った。けれど、それこそ『下手に謝ったら舐められる』相手とは、まさに目の前の男、伏見弓弦だったのではないだろうか。

「さっきの話全部なし! 謝罪もなし! 何もかも撤回!」
「嫌です」

 さっきからずっと伏見くんに握られていた手を思い切り払ったけれど、事も有ろうに伏見くんは満面の笑みを湛えながら、また私の手を掴んできた。今度は力加減なしだ。

「樹里さんが先程言った言葉、全部記憶してますので、お望みであれば一語一句違わずに復唱しますよ?」
「ああもう! 伏見ってもしかして、もしかしなくても意地悪くない!? も〜! やっぱり伏見なんて嫌い!」
「おや、それが素ですか?」
「うるさい! 馬鹿〜!」

 今までそれなりに取り繕ってきたけれど、この男の前ではもう無理だ。我慢の限界。呼び捨てで充分。というか、いつの間に私のことを下の名前で呼んでるんだ。英智さまに対抗して? 姫宮くんの影響? もうこの際どっちでもいいしどうでもいい。それよりも、私は心の奥底でずっと燻っていた負の感情を全て消し去った代償に、この伏見弓弦にこれから先ずっと弄られなければならないことが確定してしまったのだ。その証拠に、この男、すっごく良い笑顔してるし。すっごく楽しそうだし。

 でも、生徒会室の扉が開いた瞬間、彼の顔色が変わった。あんずちゃんの様子がおかしいことは分かってはいたけれど、出て来た彼女たちの雰囲気が尋常ではなくて、声も掛けられなかった。
 追い掛けようとした瞬間、未だ手を掴まれていることに気付いた。離してくれと目で訴えたけれど、彼の笑みは作られたものに戻っていて、その冷たい瞳はまるで逃がさないと言っているかの様だった。

「彼らには関わらない方がいいですよ。貴女はもう、わたくしたちの同志なのですから」

2017/04/27


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