亡国の少年たち I
 皇暦2010年8月10日。
 極東にかつて存在した国家『日本』は、超大国、神聖ブリタニア帝国による侵攻――通称極東事変、第二次太平洋戦争によって、帝国の属領『エリア11』と化した。植民地と化した日本に住んでいた日本人は『イレヴン』と呼ばれ、自分たちの国も、そして日本人を名乗る事も許されなくなった。
 ブリタニア支配下にあるエリアでは、元々の国民はナンバーズと呼ばれ、ゲットーと呼ばれる収容地での居住を強制された。ブリタニアの福祉や復興支援も行き届いておらず、職につけない者も多かった。祖国を捨て『名誉ブリタニア人』とならない限りは。
 ゆえに、反政府組織を作り、秘密裏にテロ活動に投じる者も少なくなかった。

 ナンバーズの扱いは、ブリタニア領だけに留まらなかった。他国E.U.――ユーロピア共和国連合においても、国内に在留する日本人を敵性外国人として拘束し、財産を没収。そしてブリタニアの植民地と同様に、ゲットーへの強制収容を行う事となった。
 ユーロピア共和国連合は、各地域が自治州として存在する連邦制の国家であり、各自治州によってゲットーの環境も異なっていた。
 自治州のひとつ、オランダ領アムステルダムで暮らしていた日本人の少女、久遠リンネは、本国がブリタニアの属領と化した事で、所謂『酷い環境』のゲットーに収容される事となったのだった。

 アムステルダムのゲットーでは、抑圧されたストレスにより、ゲットー内で弱者を虐げる行為――日本人が同じ日本人を迫害する行為がまかり通っていた。
 久遠リンネは、弱者である子どもが通う学校という箱庭において、その中で更に弱者としてターゲットにされていた。最早いじめという言葉では表現できない暴力を受ける生活を送っており、教師はそれを子ども同士の『揉め事』として処理し、見て見ぬ振りを続けていた。
 子どもを守る一番の存在であるはずの彼女の両親は、父親は市民権を得る為にE.U.の軍に入隊したものの、前線で捨て駒として使われ戦死。母親も後を追うように命を絶ち、彼女を守る大人は誰一人いなかった。

 この世界にとって自分が邪魔な存在ならば、いっそ死んでしまいたい。
 死後の世界があるのかは分からないけれど、両親のいない世界で誰からも愛されず、未来に希望も抱けないまま生きて行くなど出来るわけがない。
 リンネは心も体も限界が来ており、いつこの世への別れを決行してもおかしくはない状態であった。

 そんなリンネの元に、一枚の紙切れが舞い込んだ。辛うじて衣食住を確保出来ている収容施設にて、何物かがリンネのテリトリーに放り込んだであろうそれは、日時と場所が書かれ、そこに来て欲しいとの内容であった。リンネは何の目的なのか、見当も付かなかった。
 きっと悪戯だろう。また呼び出して暴力を振るわれるのだ。そう思ったものの、よく見ると端に署名が書かれていた。
 成瀬ユキヤ――彼がこの手紙の主であるらしい。

 だが、リンネは本当に本人からの手紙なのか確証が持てなかった。
 彼もまた、己と同じように迫害を受ける側の立場だからだ。否、己以上に。
 誰かにやらされたか、あるいは誰かが彼の名を騙ったか。リンネはそう考えた。

 ただ、本人である可能性もゼロではない。いっそこの収容施設を抜け出そうと誘っているのかも知れない。だとしても、リンネには成瀬ユキヤという少年が己を誘うメリットが分からなかった。足手まといの女を連れたところで、何の役にも立たないどころか邪魔なだけである。このゲットーを捨てた後、己を利用して生きる為の金を稼ぐのだろうか。旧日本人の女性が、生きる為に娼婦に身を窶すという話は、まだ13歳のリンネでも知っていた。
 果たして、この収容施設で命を絶ったほうが幸せなのか、あるいは、たとえ利用されても外の世界に出たほうが、己にとって幸せなのか。
 リンネは一晩悩み抜いた結果、成瀬ユキヤの誘いに乗る事にしたのだった。





 指定された日時はちょうど授業の時間であった。リンネはこの日初めて学校をサボり、両親が生きていたらこんな事は絶対にしなかっただろうと断言出来た。リンネは勤勉であり、また、成瀬ユキヤという少年の事も詳しくは知らないものの、決して不良ではないと認識していた。尤も、本当に収容施設から脱走するつもりなら、リンネとて最早良い子ぶる必要もないのだが。

 指定された、校舎からそれなりに距離のある場所。日中だというのに街は閑散としており、崩壊寸前の建物やひび割れたアスファルトが、修復も行き届いていない事を表している。『イレヴン』の為にユーロピアがそこまでする義理などないのだ。
 夜間ではないとはいえ、もしこの場で悪い連中に襲われたりでもしたら。リンネは今更ながら不安を覚え、誰もいない廃墟の街を見回した。
 そして、ふと青空を見上げた瞬間。

 近くでとてつもない爆発音が聞こえ、リンネは咄嗟に耳を塞いでしゃがみ込み、目を瞑った。
 建物に囲まれていたお陰で爆風は来なかったものの、衝撃で地面は揺れ、リンネ自身も耳鳴りがして、鼓膜が破れなくて良かったと思ったほどであった。
 ただ、爆発はその時のみであった。リンネは恐る恐る目を開ければ、起き上がって両耳から手を離した。目の前では特に変わった事はないが、果たして爆発はどのあたりだったのかと周囲を見回すと、空に向かって黒い煙が大きく立ち上っていた。
 本来ならば、今頃授業を受けているはずの校舎のある方角であった。

 リンネは真っ先にテロの可能性を考えて、果たしてこの手紙の主は無事なのかと真っ先に思った。心配しているというよりも、己を呼び出したのだから合流出来ないと困る、というのが本音である。
 腕時計を見ると、指定された時刻から一分弱経過していた。元々リンネは待ち合わせの際は早めに到着するよう動くタイプであった。
 ふと、リンネは疑問が湧いた。正確に計ったわけではないが、爆発が起こったのは今から一分ほど前である。
 まさか、手紙の主が――それ以上考えるより先に、背後から声を掛けられた。

「お待たせ」

 リンネが振り向くと、そこには同じ学校の制服を纏った、中性的な顔立ちの男子生徒がいた。会話をした事はなかったが、誰かは知っている。尤も、このシチュエーションでリンネに声を掛けて来る時点で、相手はもう決まっているのだが。
 一先ず、リンネは相手がテロに巻き込まれていないか確認する事にした。

「あの……大丈夫? 怪我してない?」
「怪我?」
「大丈夫なら良かった。あれって、テロだよね……」

 首を傾げる相手に、リンネは大きな黒煙の上がる空へ顔を向けて呟いた。だが、相手はどこか面白がるように微笑を浮かべている。

「爆発したのは何処だと思う?」

 突然問われ、リンネは慌てて再び少年を見た。不気味なほど落ち着いた笑みを湛えていて、リンネは背筋が凍ったが、それは彼の行為に対してではない。ただただ、目の前の少年が恐かったのだ。

「……学校」
「正解。じゃあ次の質問、こんな事を仕出かしたのは誰?」

 リンネはつい先程テロだと断言したが、撤回するしかないと分かった。目の前の少年の笑みを見れば一目瞭然である。
 彼の望みは何なのか。
 例え人道に反する行為でも、彼の行動原理をリンネは理解出来た。それを否定する気はさらさらない。ならば、リンネが今為すべき事は。

「……成瀬くん」

 相手を肯定し、認める事である。

「テロじゃない。成瀬くんがやってくれた」

 リンネの返答に、どういうわけか相手は鳩が豆鉄砲を食ったように目を見開いて、そして次の瞬間、まるで糸が切れたように無邪気に笑ってみせた。

「あはは……やって『くれた』かあ。まさかそんな風に言われるなんて思わなかったよ」
「……どうしてこんな事するの、って言ったほうが良かった?」

 恐る恐る訊ねるリンネに、少年は首を横に振った。

「いや、もしそんな事を言われたら失敗だったよ。わざわざ呼び出して助けなきゃ良かったって後悔した」
「助ける?」

 いまいち発言の意図が分からず、呆けた顔で訊ねるリンネに、少年は黒煙の上がる空へ顔を向け、せいせいしたように言い放つ。

「うん。あの爆発で全員死んだから」

 つまり、目の前の少年が何らかの手段で校舎を爆破し、巻き込まれないようにリンネをわざわざ事前に呼び出して、安全な場所に避難させたという事である。
 少年は再びリンネに顔を向け、相も変らぬ笑みで言った。

「僕が殺した」





 その後の事は、リンネも記憶が曖昧でよく覚えていなかった。様々な事がありすぎて、脳内の処理能力を超えてしまったといったところである。
 己たちを苦しめていた学校という箱庭が、一瞬にして吹き飛んでしまったわけだが、こんな事を仕出かして、当然ゲットーに戻れるわけがない。リンネとてのうのうと戻ったところで、何故その時校舎にいなかったのかを追及されれば終わりである。生き残り、爆発を起こした張本人と行動を共にしている時点で共犯なのだから。

 だが、リンネはすべてを失ったと思ってはいなかった。寧ろ両親を喪った己はからっぽだったのだから、此度の件で失うものなど何もなかったのだ。いつ暴力を振るわれるか分からない収容施設より、成瀬ユキヤとともに野宿をするほうが、遥かにリンネは安心出来ていた。

 成瀬ユキヤとともにアムステルダムを後にしたリンネは、オランダ領を抜け、ベルギー領を経由して、フランス領に降り立った。イレヴンである己にそんな事は不可能だと思っていたが、この成瀬ユキヤという少年はいとも簡単に可能にしてみせた。
 彼はハッキング能力に長けていた。密かに所持していたコンピュータを駆使して様々な機密情報を入手し、それをアンダーグラウンドの者たちに売って対価を得、金銭に困る事はなかった。ただし、イレヴンの少年少女が日中にふたりだけで堂々と行動するには、この世界は危険すぎた。ゆえに、アンダーグラウンドに住まう反政府勢力に接触し、ユーロピアの人間が寝静まる夜間に行動し、彼らの手助けで時には車で移動し、ユーロピアの首都パリのあるフランス領へと辿り着いたのだった。

 リンネはてっきり己は成瀬ユキヤに利用されるのだと思っていたが、今のところそのような素振りは見せなかった。それどころか、率先してアンダーグラウンドの者と取引し、リンネの事は妹だと主張して、極力彼らと関わらせないようにしていた。それは最早『守る』と称するに値する行為であった。



 人々が寝静まる深夜。アンダーグラウンドを塒としており、ここ最近は青空を見る機会がなかったが、見慣れた夜空は、リンネにとっていつもよりも星が輝いて見えた。
 この先どうなるかは分からない。けれど、彼と一緒にいればどうにでもなるだろう。そんな風に思えるほど、リンネはいつの間にか前向きになっていた。様々な事が起こり過ぎて、考える余裕がないと言えばそれまでなのだが。

「成瀬くん」
「いや、苗字で呼んだら他人ってバレるから。それと、『くん』もいらない」
「……ユキヤにずっと聞きたかった事があるんだけど」

 生まれ育ったアムステルダムで見上げた夜空と変わらない筈なのに、今己の真上に広がる星空はどこまでも綺麗だ。命を絶とうとすら考えていた己が、こんな風に思えるようになったのは、彼のお陰だ。
 そう思うからこそ、リンネは確かめなければならなかった。

「どうして私を助けたの?」

 彼にしてみれば、久遠リンネという少女もまとめて殺してしまっても良かった筈である。助ける程仲が良かったわけでもなく、それどころか会話もした事がなかった。ただ、お互いに迫害されている、という共通認識はあったのかも知れない。
 だからといって、わざわざ避難させて接触し、ここまで行動を共にするなど、リスクがあり過ぎるのも事実である。尤も、リンネがユキヤを否定する事があれば、きっとその場で殺されるだけだったのだが。
 どちらにせよ、どうして自分に接触したのか。リンネはそれが知りたかった。足手まといの女を守りながら動くより、一人で行動したほうが圧倒的にやり易い筈だからだ。

 ユキヤは少しばかり考える素振りを見せた後、いつもと変わらぬ笑みを浮かべた。

「リンネだけは他の連中と違うと思ったから」
「……そんなに違わない、と思うけど」
「じゃあ一緒に殺されたかった?」

 その問いに、リンネは首を横に振った。あんなに死にたいと思っていたのに、今はそうは思わない。夜空が美しいと思えるようになったのも、夜の澄んだ空気が美味しいと思えるようになったのも、夜の静かな時間が心地良いと思えるようになったのも、何もかもユキヤのお陰なのだから。
 リンネは首を横に振って、力なく微笑んだ。

「助けてくれてありがとう」

 ふたりがこの地で居場所を見つけ、家族と呼べる存在に出会えるのは、そう遠くない未来の話であった。

2023/04/29
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