ヴァイスボルフ燃ゆ I
「さすがに今回はもう無理だと思った」

 爆発によって墜落したはずの『方舟』の中で、リンネは疲れ果てた顔で地べたに座り込んだ。正直、今すぐにでも横になって寝てしまいたいほどである。その隣に、一仕事終えたユキヤが同じように腰を下ろせば、リンネの髪を撫でて労いの言葉を掛けた。

「リンネ、お疲れ様」
「疲れてるのはユキヤのほうだよ。『方舟』のシステムを全部ハッキングして、爆発を止めちゃうなんて。世界中探してもユキヤにしか出来ないよ」
「大袈裟。でも、そう言って貰えると頑張った甲斐があるよ」

 方舟内部の至るところに設置されていた時限爆弾は、ユキヤのハッキング能力にて強制的に止める事に成功し、爆発はごく一部に留まる事となった。
 アキトをはじめ、リョウもアヤノも前線に出て戦っていたというのに、何も出来ていないリンネ本人としては労いの言葉など不要なのだが、ユキヤはそうではなかった。

「リンネも凄いよ。爆発で死にかけてる時に、さっきまで戦ってた敵に『一緒に逃げよう』なんて言わないでしょ、普通」
「……それって褒めてる? 貶してる?」
「褒めてるよ」

 不貞腐れるリンネに、ユキヤは微笑を湛えてきっぱりと言い放つ。それ以上追及はしないが、リンネとしては自分が敵に対して突拍子もない言動をしたとは思っていなかった。

「『方舟』と一緒に死ぬつもりだったのかなって……あそこで味方に引き込めば、爆発も止められるかも知れないと思って」
「まあ、実際止めたのは僕だし、『あいつ』は死ぬつもりなんて全くなかったみたいだけどね」

『あいつ』とは、赤いナイトメア『アフラマズダ』に搭乗していたユーロ・ブリタニアの軍人、アシュレイ・アシュラの事である。聖ミカエル騎士団に所属する彼は、アキトの兄、シン・ヒュウガ・シャイングの部下でもあった。
 リンネはユキヤの言葉に頷いて、だから己は何も出来ていないのだと改めて口にした。

「うん。私が言わなくても、アシュレイは私たちと手を組む事を選んだと思う」
「でも、ああいうタイプを手懐けるには、リンネみたいに人畜無害に見える子が一番効果的」
「『見える』って何。それに、手懐けるんじゃなくて手を組むの」

 面白がるように口角を上げるユキヤに、リンネは即座に訂正して窘めた。己が人畜無害に見えるのはともかく、アシュレイとは対等な関係であるべきだと思ったのだ。
 レイラと初めて会った時、彼女が己たちを対等な人間として見てくれたように。

「ここにマルカル司令がいれば、きっと率先して対話をしていたと思うけど……今は私たちが頑張らないといけないから」

 一先ず、ワイヴァン隊が今やるべき事は、状況把握であった。
 方舟の爆発と同時にwZERO司令室との通信が強制切断されてしまった為、今レイラたちがどうしているのか、リンネたちには分からずじまいであった。
 今出来る事は、ユキヤのハッキングによって外部の情報を集めながら、アシュレイからユーロ・ブリタニアの情報を聞き出すくらいである。

 司令部と通信出来るようになるかは、完全にユキヤ頼みになってしまうのだが、彼の見立てによると、どうやら通信切断は『意図的』なものらしい。
 詳細はまだ不明だが、もしヴァイスボルフ城で想定していない事態が発生しているとしたら、ワイヴァン隊が帰還できるのは当分先になるかもしれない。
 生き延びはしたものの、先の見えない状況に、リンネは軽く溜息を吐いた。



 リンネを評価しているのは、ユキヤだけに限った話ではなかった。

 リョウやアヤノはアシュレイを信用しておらず、協力関係を結べるとは言い難い状況であった。だが、ここにレイラがいたらどうしただろうか――真っ先に己の司令官の存在を思い浮かべたリンネは、アシュレイを懐柔してみせるとふたりに提案したのだった。

「は? なんでリンネがそんな事するの」
「マルカル司令だったらそうするかなって思って」
「お前、いつの間にそんなにレイラの事好きになったんだ?」

 納得いかないアヤノにリンネは淡々と答えたが、リョウは一体どんな心境変化があったのかと、意外そうに問い掛けた。
 だが、リンネは皆同じだろうとリョウにきっぱり言い放つ。

「リョウだってアキトの事大好きじゃん」
「ああ!? お前、それは事情が違うだろ! スロニムで一緒に戦って、ワルシャワで共同生活を送ればなぁ……」
「司令とも一緒に戦ったし、共同生活もした」
「うぐ……」

 それは、ブレイン・レイド・システムでアキトの過去を知り、精神世界で繋がったからこそ、己たちとアキトの間に仲間としての一体感が生まれたのだ。レイラとは違う、とリョウは反論したかったが、今この場にはアキトもいて、それ以上の事を口にするのは躊躇われた。アキトのトラウマを刺激する必要はないのと、確かにリンネの言う事も一理あるからだ。

 押し黙るリョウの代わりに、それまで黙っていたアキトが、思い掛けない事を口にした。

「リンネ、アシュレイの事はお前に任せる」
「アキト、本当?」

 アキトは無表情で頷けば、リンネに携帯用の通信機を手渡した。

「身の危険を感じたらすぐに助けを呼べ」
「分かった、ありがとう」

 レイラと連絡が取れない今、このワイヴァン隊のリーダーはアキトと言っても過言ではないし、誰も否定はしないだろう。リンネはアキトから任された事を心から嬉しく感じ、通信機を受け取れば柔和な笑みを浮かべて頷いた。
 そして、善は急げと慌ててこの場を後にした。ここより離れた場所で療養しているアシュレイの元に早速駆け付ける事にしたのだ。

 リンネの姿が見えなくなったのを見計らって、リョウはアキトに怪訝な顔で訊ねる。

「いいのかよ、アキト」
「何かあれば俺ではなくユキヤが手を下すはずだ。あの通信機を傍受する位は容易いだろうからな……」
「おいおい」

 それではまるで盗聴ではないかとアヤノは頬を引き攣らせたが、確かに弱腰に見えるリンネひとりでは、あのアシュレイという男が何をしでかすか分からない。アヤノはリョウと共に、この事を別の場所でハッキングを続けるユキヤに伝えに行ったのだった。





「怪我の具合はどう?」
「これ位なんとも――ッ」

 身体中包帯で巻かれているアシュレイは、己の傍に駆け付けて来たリンネを見て腕を動かそうとしたが、すぐに痛みで顔を顰めさせた。

「生身でアレクサンダに締め上げられたんだから、大丈夫なわけないよ」

 リンネはそう言いながら、アシュレイの隣に腰を下ろした。敵意はなく、対等であるという意思表面である。

「でも、死ななくて良かった」

 そう言って笑みを向けるリンネに、アシュレイは怪訝な顔を浮かべた。リンネだけでなくアシュレイにとっても、相手はつい前まで敵として戦っていた存在である。丸腰の弱そうな女に警戒する事はなくとも、不審に思うのは当然の事である。

「……チッ。勝者の余裕かよ」
「私なにもしてないし。アキトが交渉は私に任せるって言ったから、来てるだけ」
「そうかよ。何を交渉するか知らねえが」

 アシュレイはリンネから顔を逸らし、仏頂面を浮かべたままである。リンネから見て、アシュレイは恐くないと言えば嘘になるが、怪我を負っている今は危害を加えられる事はないという確信はあった。要するに、信頼を得るならアシュレイが自由に動けない今しかない。ただ、急いでも良い結果にはならない。彼の傷が癒えるまでに協力関係を結べれば良いと、リンネは長期戦で考えていた。

「交渉って、ひとつしかないでしょ。私たちと手を組んで欲しい」
「俺に聖ミカエル騎士団を裏切れってか? ユーロ・ブリタニアを捨てて、ユーロピアに亡命か?」
「方舟ごとあなたを殺そうとした国に、忠義を尽くす理由はある?」
「…………」

 リンネの鋭い指摘に、アシュレイの表情が曇る。怪我が回復したのを見計らい、アキトたちの目を掻い潜って、このガリア・グランデ――彼らの言うところの『方舟』から脱出し、己の上官であるシン・ヒュウガ・シャイングを問い詰める。そのつもりでいたが、納得のいく答えを得られる確証などない事は、アシュレイとて分かっていた。

 要するに、見捨てられたのだ。ワイヴァン隊を時間内に殲滅出来なければ、方舟ごと自爆するように、初めから仕向けられていた。シャイング卿は、そんな人ではなかったはずなのに。

 忠義を果たす理由はあるか――リンネの問いに対する答えを、アシュレイは持ち合わせていなかった。彼はユーロ・ブリタニアという国のためではなく、強いて言うならば、どうしようもない暮らしを強いられていた己を拾ってくれたシンのために戦っていたからだ。
 このまま黙っていたところで、この女はずっとここにいるだろう。アシュレイは軽く溜息を吐けば、改めて彼女に顔を向けた。

「逆に聞くが、お前らイレヴンはユーロピアに忠義を尽くす理由はあるのか?」

 アシュレイの言葉に、リンネの顔から笑みが消える。質問に対してではない。己への蔑称に対してだ。

「イレヴンじゃない。日本人だから」
「そこで怒るなら、なんでユーロピアの言いなりになってんだよ」
「…………」
「戦争したのはあくまでブリタニアと日本だってのに、ブリタニアの顔色を伺ってお前らを強制収容所に送り、あまつさえ特攻部隊として戦場に出すユーロピアに、正義はあるのか?」

 そう問い掛けるアシュレイの眼差しは真剣であった。決してリンネを茶化すわけではなく、己に矛盾を問うならばお前はどうなのか、という真剣な問いである。ユーロピアに暮らす旧日本人がどんな扱いを受けているのかは、ユーロ・ブリタニアでもニュースなどで自然と耳に入る事であった。更に、彼らを捨て駒として戦場に送っている事も、実際に戦場に立つ軍人ならば、機密情報として把握していたのだ。

「この作戦にだって、ユーロピアの人間はいねえ。ここにいる俺以外の人間はイレヴン――お前たち日本人だけだろ」

 ただ、初めてワイヴァン隊と戦った時は、パイロットが誰なのかアシュレイは知らなかった。だが、日向アキトと対峙し、そして方舟の自爆から逃れた今、佐山リョウ、香月アヤノ、成瀬ユキヤ、そして目の前にいる久遠リンネの存在を認識するに至った。
 この場にユーロピアの人間など、ひとりもいない。
 アシュレイの険しい目つきをリンネは真顔で受け止めれば、同じように真剣な面持ちで口を開いた。

「マルカル司令――レイラ・マルカルという人が、私たちを対等な存在として受け入れてくれたから」
「……そのたったひとりの為だけに、ここまで身体張ってんのかよ」
「そう」
「ふん、馬鹿馬鹿しい……結局お前らが犠牲になっても、ユーロピアの人間は知らんぷりだろ」

 結局ユーロピアという国に忠義を尽くすのではなく、レイラという女のために戦っているだけではないか。アシュレイはどの国も同じだと忌々しそうに溜息を吐いたが、そう思った瞬間、己も同じようなものではないかと気が付いた。
 ユーロ・ブリタニアという国ではなく、シン・ヒュウガ・シャイングという男に忠誠を誓った己と、レイラ・マルカルという女の為に戦う彼らに、何の違いがあろうか。
 アシュレイの心の変化に気付かないリンネは、考えながらたどたどしく言葉を紡ぐ。

「それでも……居場所のない私たちを司令が拾ってくれたから、司令の為に戦ってる。アンダーグラウンドで悪い事をして生き延びて来た私たちを、司令は受け容れてくれて、居場所を与えてくれたから」

 スマイラス誘拐事件を企てたリンネたちを、レイラはwZERO部隊に迎え入れるという形で救ってくれた。本来なら処刑されるはずのリンネたちは、レイラの下で戦うという名目で居場所を手に入れる事が出来たのだ。更には、レイラはリンネたちを『イレヴン』ではなく、対等な存在として見ている。
 レイラの言葉に嘘偽りはない。それは共に戦場に出た経験、そしてワルシャワでの共同生活から、十分すぎるほど分かっていた。

「帰る家があるって、ちょっと前の私たちでは考えられない事。だから、頑張る」

 そう言ってはにかむように微笑むリンネに、アシュレイは観念するように肩を竦めれば、つられて笑みを零した。

「……分かった、協力してやる」
「え!? なんで?」
「お前が手を組めって言ったんだろ」
「だって……その、ヨハネさんの事は……」

 仲間の仇を討つために、単騎でアキトを殺そうとしていたというのに、心の整理はまだついていないのではないのか。戸惑うリンネに、アシュレイは苦笑を零した。

「お前、交渉下手だな」
「時間が掛かってでも、ちゃんと信頼関係を築きたいと思ったから……」
「信頼できるかは知らねえが、少なくともここを脱出するまでは協力する。俺はシャイング卿を確かめねえと……あの人は、こんな事をする人じゃなかった」

 その言葉に、リンネはもしかしてこのアシュレイという男も、己たちと同じ境遇なのではないかと察した。ならば、急に手を組んでも良いと言ってくれたのも辻褄が合う。
 それに、シン・ヒュウガ・シャイングはこんな事をする人ではないという言葉。アキトの件といい、彼を狂気に走らせる何かがあったのか。
 リンネが口を出せる話ではない以上、まずは思いの外簡単に打ち解けた事を喜ぶべきだろう。そう決めて、リンネは目を細めて笑ってみせた。

「ありがとう、アシュレイ。今ユキヤが切断された通信を復旧しようと頑張ってるところだから、繋がれば色々な事が分かって来るはず」
「それならもう終わったよ」

 突然アシュレイではない声が聞こえ、リンネは目を見開いて声のしたほうへ顔を向いた。
 視線の先には、いつからそこにいたのか、ユキヤがひらひらと手を振って立っている。

「お待たせ。といっても、事情があって司令室とは切断状態にしてるけど」
「事情?」

 首を傾げるリンネをよそに、ユキヤは温和な笑みを浮かべて歩を進めれば、リンネとアシュレイの間に割って入った。そして、アシュレイの顔を覗き込んで張り付いた笑みで告げる。

「近すぎ。リンネは僕の恋人だから、ちょっかい出さないでよ」
「出さねえよ」

 ユキヤとリンネの関係を知らされ、そんな事はどうでもいいとアシュレイは呆れ顔で言い放った。リンネもアシュレイとの協力関係を継続するためにも、ユキヤに嫌な思いをさせないよう、適切な距離感を保つ事に決めたのだった。
 それよりも、司令室と繋げられないとはどういう事なのか。

「ユキヤ、司令室に何かあったの?」

 司令室、もといヴァイスボルフ城で何かトラブルが起こっているのかと思って問い掛けたリンネであったが、事態は想像よりも遥かに深刻であった。
 ユキヤはリンネに顔を向ければ、困ったように目を逸らして呟いた。

「司令が殺された」
「……え?」
「おい、マジかよ」

 呆然とするリンネと共に、アシュレイも思わず口を挟んでしまった。リンネからレイラの話を聞いた直後なだけに、言わずにはいられなかったのだ。
 ユキヤはアシュレイに背を向けたまま、ショックを受けるリンネを宥めるように言葉を紡ぐ。

「と言っても、政府の発表だけだから本当かは分からない。そう簡単に城が落ちるとは思えないし、それこそフェイクの可能性が高い」
「……確証があるの?」

 確かに、『方舟』からユーロピアへの攻撃はフェイクだっただけに、今回もその可能性はある。だが、ユキヤとて憶測でものを言う事はないだろう。どうか確証があって欲しいと、恐る恐る訊ねるリンネに、ユキヤは口角を上げてみせた。

「ユーロ・ブリタニアの攻撃で司令が殺されたと発表したのは、あのスマイラスだ。どうやらクーデターを起こして政府を掌握したみたいだよ」
「あいつ……!」

 リンネたちが方舟で戦っている間、レイラにジャンヌ・ダルクとなるよう促したスマイラスは、実はユーロ・ブリタニアの全権を握るために画策していたのだった。
 ユーロ・ブリタニアがヴァイスボルフ城を攻撃したのが事実だとしたら、例えレイラが生きていたとしても、捕虜となっている可能性がある。

「ユキヤ、早く司令を助けないと……!」
「落ち着いて。まずは情報を集めるところから始めよう」

 ヴァイスボルフ城はただの古城ではなく、軍事基地として改良されている。防衛システムもそう簡単には破られない事をユキヤは把握していたが、ユーロ・ブリタニアがワイヴァン隊不在の間にヴァイスボルフ城を攻め込もうとした事は事実だと考えていた。

「どうやら僕らは方舟の自爆で死んだ事になっているらしいし、詳細が分かるまでは司令室に通信を繋げないほうがいい。万が一ユーロ・ブリタニアがあの鉄壁の城を制圧したなら、wZERO部隊内部に裏切り者がいそうだしね」

 ユキヤとてそんな事など起こって欲しくはないのだが、念には念を入れて行動する必要があった。ユキヤはリンネの髪を撫でて彼女の心を落ち着かせようと宥めれば、今度はアシュレイに顔を向けて不敵な笑みを浮かべてみせた。

「というわけで、あんたにも協力して貰うよ。まずはユーロ・ブリタニア軍の情報提供から」
「裏切らせる気満々じゃねぇかよ……」

 とはいえ、怪我を負っている以上アシュレイには抵抗する手段もなく、信頼できるとは口が裂けても言えない、歪な協力関係が始まったのだった。

2024/05/12
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