ワルシャワにて I
 ガンマ作戦を成功させたリンネたちワイヴァン隊は、どういうわけか今、ポーランドの首都、ワルシャワ駐屯地で足止めを食らっていた。
 元は国立競技場だったこの場所は、反抗作戦の戦線から撤退したE.U.軍の巨大な仮設基地と化し、皆プレハブのテントで暮らしていた。ただ、生活環境は劣悪であった。着替えの支給すらなく、野宿とさして変わらない状況である。
 足止めを食らって一ヶ月。ワイヴァン隊の我慢は限界に達しつつあった。

「ねえ、レイラ! 一体いつまでここにいなけりゃならないのさ! もう一ヶ月もここにいるんだよ!?」

 ついにアヤノは司令のレイラに向かって声を荒げた。本来ならば、ワイヴァン隊はとうにヴァイスボルフ城へ帰還しているはずなのだから、無理もない。
 当然レイラとて好きでここにいるわけではない。寧ろイレヴンであるリンネたちと違い、不自由のない生活を送っていただけに、この環境は彼女には不釣り合いである。だが、レイラは自分の事よりも、アヤノたちの不満を受け止めようと同調した。

「毎日司令部に確認してもらっているのですが……なかなか手配出来ないみたいで……」
「こんな所さっさと出ていきたいの! それにここの連中……」

 アヤノが話している途中、E.U.軍の兵士たちが通り掛かった。

「見てみろよ!! イレヴンの兵隊さんだぜー、へへへ」
「頑張っておれたちの代わりに死んじゃってよね」
「死ねばイレヴンも英雄になれるかも知れねえぜえ〜」

 兵士はそう言うと、空き缶を投げ捨てて歩き去っていった。明らかにワイヴァン隊――というよりイレヴンを下に見ている。特にアヤノはスタイルの良さから性的な目で見られる事も度々あり、ゆえに一番最初に我慢の限界が訪れたのだった。
 兵士の投げ捨てた空き缶が、アヤノの足下に転がる。むしゃくしゃしているアヤノは当然、その空き缶を思い切り蹴り飛ばした。

 リンネは、アヤノの言い分は尤もであると思っていた。日向アキトはどうか知らないが、少なくともリョウも同じ気持ちだし、リンネも同様であった。ただ、リンネがアヤノほど苛立っていないのは、いつもユキヤの傍にいられるからに他ならなかった。しかも、ユキヤはいつの間にか何処からか携帯ゲーム機を拾って来て、暇潰しによくそれを弄っていた。度々リンネにも触らせてくれて、それで気晴らし出来ていたというのもある。

「にしてもさぁ」

 そんな中、ユキヤがレイラに向かって声を掛けた。彼が言いたい事は、リンネも常々思っていた事であった。何故こんな状況に陥っているのか、ふたりでもよく話し合っていたのだ。

「司令は小なりと云えども、独立部隊の司令官でしょ。その司令官本人と、パイロット五名の移送に一ヶ月かかるって、メチャクチャじゃない?」
「……そうは思うのですが」

 東部戦線が混乱しているため、移動は許可できないと回答があったのだ。ゆえに、レイラは毎日司令部に確認する事しか出来ずにいた。後見人であるスマイラス将軍の名前を出せば、ヴァイスボルフ城へ帰還できる可能性もあるが、この民主主義国家で特権を利用してはならないと考えていたのだ。
 とはいえ、これ以上他の皆、特に本音をぶつけてくれたアヤノに我慢を強いる事は躊躇われる。ゆえに、レイラは代替案を出した。

「ともかく、手は回しています。その代わりと言ってはなんですが、息抜きを用意しました」



 レイラの計らいによって、ワイヴァン隊はワルシャワの旧市街へと繰り出していた。近代化された新市街とは異なり、この旧市街には昔の趣きがそのまま残っている。
 その象徴が、人魚広場と呼ばれるバザールであった。数多もの屋台が出ており、食事をはじめ、衣類や化粧品、電化製品も並んでいる。
 駐屯地にある、軍属の民間会社が運営する売店の品揃えはろくでもなかった為、リンネたちは一気に目を輝かせた。

 問題は所持金である。レイラとアキトを除くワイヴァン隊四人は元々スマイラス将軍暗殺を試みたテロリストであり、自由な行動は制限されている。ゆえに、金銭を持ち合わせていないのだ。

「バザーに来たってあたしたち、お金持ってないし……」

 だが、レイラとてワイヴァン隊の皆に屋台を眺めさせる為だけに連れ出したわけではない。
 レイラは上級司令官用のID端末を皆に見せた。DNA鑑定により本人しか使えず、盗まれても他者が使う事は出来ないという優れものである。

「私のIDにはクレジット機能があります」

 自分が立て替えるというレイラに、リョウが限度額まで使ってやろうかとふざけて訊ねた。

「へー、いくらまでさ」
「確か、100万ユーロ……」
「100万!!」

 これにはリョウだけでなく、アヤノ、ユキヤ、リンネ、更にはアキトまで驚きのあまり目を見開いた。ブリタニアに占領される前の日本円にして、約1億5,000万。闇ルートで動いているKMFを購入しても、お釣りが来るほどの額である。

「よし! いっぱいおいしいもの食べよう!」
「それだな!」
「さすが中佐はダテじゃないね」

 アヤノ、リョウ、ユキヤが今まで見た事もないほど嬉しそうな顔でバザールに飛び込んでいく中、リンネはレイラに向かって頭を下げた。

「マルカル司令、ありがとうございます」
「いえ、御礼は不要です。さあ、久遠准尉も皆と一緒に」
「はい!」

 リンネはすぐユキヤの後を追い掛けようとしたものの、レイラのすぐ傍に立つ日向アキトと目が合って、何か言わなければ――と咄嗟に声を掛けた。

「あの、日向中尉」
「追い掛けなくていいのか」
「あっ、えっと……」

 リンネは一ヶ月前にベラルーシの戦場で起こった事を、今でも鮮明に覚えていた。夢でも見ていたのかと思ったが、ユキヤとふたりきりになった時に互いに話し合い、自分の認識は間違っていないと分かったのだ。
 ブレイン・レイド・システムにより、レイラを除く四人はアキトの記憶を共有した。幼い頃、兄によって殺されかけた事。そしてその兄は現在、ユーロ・ブリタニア軍に所属し、アキトの前に立ちはだかった。
 あの時は見逃して貰えたが、次戦場で対峙した際は、間違いなくアキトの事を、ワイヴァン隊ごと殺すだろう。

 アキトには聞きたい事が山のようにあったが、それをリンネが口にするのは憚られた。誰にでも触れられたくない過去がある。それに、きっとアキトが己たちを信頼出来ると思った時に、打ち明けてくれるかも知れない。
 そう思い、リンネは自分の思いを簡潔に述べた。

「マルカル司令と日向中尉のお陰で、皆、生き残る事が出来ました。ありがとうございます」
「……俺は何も……」

 アキトにしてみれば、全員生還出来たのは自分が何かをしたからではなかった。『死』というキーワードで力が暴走するのも、自分が好きで発動させているわけではない。ブレイン・レイド・システムで精神が繋がった事で、偶々四人はアキトの力の恩恵を受けただけであった。
 沈黙が訪れた瞬間、リンネの背後からユキヤの声が届く。

「リンネ、置いてくよ」
「待って! すぐ行く!」

 そうして、リンネもユキヤを追い掛けて、バザールに繰り出したのだった。



「やばーい!! やばい! やばい! やばすぎるー!! これも!! ねえレイラ!!」
「え!? ああ……ああ、いいですね。軍は制服も用意してくれないから」

 衣類を扱う露店にて、アヤノは大声でレイラを呼びつければ、興奮状態でしきりに話し掛けていた。いつもならその相手はリンネだったのだが、ユキヤとちょっとしたデートでもさせようと気を利かせているのもあった。尤も、レイラにしてみればそんな事は知る由もなく、突然積極的になったアヤノにただただ困惑するばかりなのだが。

「ねえねえレイラ!!」
「え? うわぁ、これ可愛いですね」

 アヤノに差し出された洋服を見て、レイラは思わず目を輝かせた。普段は着る事のない可愛いデザインに、思わず司令官らしくない言葉が漏れる。
 盛り上がるふたりの声に、リンネも様子が気になって背伸びして様子を窺おうとする。あの中に入りたい、とはいえユキヤとも一緒にいたい。少しばかり葛藤するリンネであったが、ユキヤに手を引かれて我に返った。
 ユキヤは一着の服を手に取れば、リンネの前に翳してみせる。

「リンネはこういうのが似合うと思う」
「……そうかな? 何が似合うとか、考えた事もなかった……」
「これ、司令に買って貰いなよ。それで、僕の前でだけ着てみせて」
「ユキヤの前で? いいよ」

 自分の前だけで、という明らかに独占欲を露わにする言葉であったが、リンネはそれに気付いているのかいないのか、あっさりと頷いた。もう少し恥じらいを見せるかと思っていたユキヤは、全然通じてないな……と肩を落としたが、それも束の間。

「これなんかユキヤに似合いそう〜」

 少し離れた場所にいたアヤノが女性ものの服を掲げて、ユキヤに向かって見せつける。ユキヤとて自身が女性的な顔の造りをしている事は理解しており、茶化された時にどう返せば良いかも分かっていた。

「アヤノよりはね」
「む!?」

 怒るどころか逆に挑発されて、アヤノは思わずユキヤを睨み付けた。その遣り取りにリンネは、確かにユキヤの女装姿は見てみたいかも、と少しだけ思ってしまったのだった。



「う〜ん……おやじ、もうちょい安くなんねえ? なあなあなあなあ……」

 リョウも別の露店で夢中になっており、レイラもアヤノたちと一緒にいる今、アキトだけが取り残されていた。尤も、アキトにはレイラを護衛するという仕事がある。バザールにも興味が持てず、ただ仲間たちを眺めている中、ふと妙な声がアキトの耳に入った。

「かわいそうに」

 見れば、ひとりの老婆がアキトをじっと見つめている。

「かわいそうに」

 明らかにアキトに向けて言っている。一体何なのか理解できず、呆然とするアキトであったが、荒ぶるアヤノの声によって我に返った。

「おかしいよ!! それ、壊れてんじゃないの!」

 アキトが老婆からアヤノへと顔を向けると、どうやら露店の店主と揉めているようであった。アヤノの元へ行ったアキトが目にしたのは、ID不明のため読み込み不可とのエラーメッセージが、決済装置に表示されている状況であった。
 店主が何度も決済装置にレイラのIDタグを翳すものの、エラーが解消される事はなかった。

「点検したばかりだぜ、これ……。ほら、これは使えないよ!」
「そんなはずは……」

 呆然とするレイラの傍で、リンネはユキヤに耳打ちした。

「ユキヤ、原因分かりそう?」
「ハードウェアに異常はなさそうだね。限度額超えてるならこんなメッセージにはならないし。決済ソフトのバグにしても、どこの店でも決済出来ないって事はないだろうし……」

 どうやらユキヤでもお手上げのようであった。明らかなのは、原因は店ではなく、レイラのIDタグにあるという事だ。
 混乱する一同をよそに、店主はIDタグをレイラに向かって投げつけた。

「欲しけりゃ現金を持ってきな」

 露店の店主にしてみれば、レイラが100万ユーロを自由に使う事の出来る存在だと知るわけがなく、ただのE.U.軍の兵士のひとりに過ぎない。

「ねぇ、ちょっと待ってよ!!」
「なんだよ、どうなってんだ?」

 嘆くアヤノに、異変を察してリョウが駆け付けるものの、レイラ本人はおろか、リンネやユキヤも現状が理解出来ずにいた。
 IDタグはクレジットカード機能のためだけに存在するわけではない。軍の施設への入退室もこのタグを使うのだ。
 リンネはユキヤと顔を見合わせれば、眉を下げて不安気な表情を露わにした。
 嫌な予感がする。そんな予感は、残念ながら当たるものである。



「え!?」

 リンネの予感は的中した。駐屯地に戻ったワイヴァン隊は、レイラだけでなく、ワイヴァン隊全員のタグが承認されなくなり、入る事が出来なくなっていた。
 警備兵が顔色ひとつ変えず、きっぱりと言い放つ。

「コード・エラー。登録情報がありませんねえ。そのIDでは入場できません」
「私たちが出て行く時は確認できたじゃないですか。本部で原因を調べます! だから通してください!」
「私に言われてもねえ〜。まあ、一般民間人は広報部を通してください」

 そもそもこの警備兵は、レイラたちが駐屯地を出て行く時と同じ人物である。元々イレヴンを抱え込むレイラの事を好ましく思っていなかったのか、挑発するように告げる警備兵に、リョウの堪忍袋の緒が切れた。

「てめー! ふざけんじゃねえぞー!!」

 リョウは勢い余ってモニターを蹴りつけ破壊してしまい、一同は駐屯地を退散するしかなくなったのだった。



「あの野郎、直で見つけたら、5、6発ブン殴ってやるぜ!!」

 仕方なく旧市街へ戻って来たワイヴァン隊一行であったが、当然誰しも納得していなかった。とはいえ、司令官であるレイラは部下の暴走を嗜める立場にある。

「暴力はいけません、佐山准尉」
「あんたは腹立たねえのかよ!」
「しょうがないです。軍は規律を順守しなければいけないのですから……」

 落ち込むレイラに、アヤノが怒りを露わにしながら訊ねる。それは決して彼女を責めているわけではない。

「あれは嫌がらせじゃないの?」
「そうですね」

 レイラたちのIDが無効となった原因は、実はワルシャワ駐屯地の補給部隊にあった。
 かつてwZERO部隊の司令を務め、そしてレイラによって失脚させられた、ピエル・アノウという男の策略である。
 ワルシャワに左遷されたアノウは、レイラからの補給要請を見つけ、復讐するためにワイヴァン隊のIDを無効にする小細工を仕掛けたのだった。

 そんな事情は露知らず、このままでは正真正銘野宿になると、行く宛もなく歩を進める一行が教会の前を通りかかった時。

「かわいそうに……」

 突然、目の前に老婆が現れた。先程露店でアキトが見掛けた老婆と同じ人物である。ユーロピアでは見掛けない民族衣装を身に纏っている。
 老婆はワイヴァン隊の元へ歩を進めれば、突然アキトの腕を掴んだ。

「呪われた子だ」
「離せ……!」
「かわいそうに、こんなに呪われてしもうて……」

『呪い』。
 その単語を聞いた瞬間、アキトの脳内に、兄――シンに告げられた言葉がこだまする。
『死ね』という言葉。それはアキトを縛り付ける呪いであった。

「その呪いを、解いてあげよう……」
「離せ!」

 冷静でいられなくなったアキトは、力任せに老婆の手を振り払い、突き飛ばした。
 年老いた民間人が軍人に叶うはずがなく、老婆はそのまま地面に転がり、呻き声を上げた。
 さすがに有り得ない行動だと、リョウはアキトに怒鳴りつけた。

「なにやってんだ、ババァ相手に!!」

 アキト自身も呆然としており、本人にとっても信じられない行動であった事は、誰の目から見ても明白であった。
 リョウは老婆の元に駆け寄ろうとしたものの、辿り着くより先に、どこに隠れていたのか、何人もの老婆が現れて、倒れる老婆を庇うように立ちはだかった。

「大婆さまー!」
「足がすりむけちまってるじゃないか……!」
「痛い……痛いよう……ヒィ〜」

 ただ、倒れ込んだ老婆は、どこか演技がかった口調で痛がっている。
 呆気に取られたリンネが思わずユキヤの顔を見た瞬間、真っ先にレイラが老婆たちの元に走って行った。

「大丈夫ですか!?」
「ヒィー、痛いよおー! 痛いー!」

 だが、痛がる老婆の前には何人もの老婆が立ちはだかっており、レイラが怪我の状態を確認する事は出来なかった。

「この擦り傷が元で死んでしまうかもしれないよ!!」
「貧乏なあたし達じゃ医者になんか連れてけないよ」
「せめて薬が変えるくらいのお金があればねぇ〜」

 駆け付けた老婆は次々とそう口にした。まるで、初めから台本があるかのように。

 アンダーグラウンドで過ごしたリンネは、このような状況をなんと呼ぶか知っていた。
 わざとぶつかって怪我をしたと騒ぎ、治療費を要求する。
 要するに、詐欺である。
 リョウも同じ認識らしく、先程の心配は何処へやら、呆れるように言い放った。

「なんだこのババァ共、タカリかよ」

 ワイヴァン隊で唯一、レイラはそんな事は夢にも思っていなかったらしく、驚いた表情でリョウを見遣る。当然ながら、アヤノやユキヤ、そしてアキトもリョウと同じ意見である。

「ああ、なんて言いぐさだ」
「年をとるって悲しいねぇ」
「乱暴されてドロボウ扱いかい」
「イタイ……イタイ、ぐううう」
「ああ、もう死んじゃうよ、死んじゃうんだねー」

 痛がる『演技』を続ける老婆たちであったが、残念ながらワイヴァン隊は現在無一文である。レイラのIDタグが無効になっている以上、当然薬屋でも使用出来ない。

「本当に申し訳ありません」

 馬鹿正直に謝るレイラをよそに、アヤノとユキヤがきっぱりと言い放つ。

「バアちゃんたちさー、悪いんだけど私たち、お金ないんだ」
「今日寝る所さえないんだ」

 断じて嘘は言っていない。無一文と分かれば、老婆たちも詐欺を働く気は失せ、他にターゲットを移すはずだ。レイラ以外の一同は、そう思っていたのだが。

「なんだってぇー……」

 倒れていた老婆が突然立ち上がり、レイラは小さく悲鳴を上げた。

「なんてこったあ〜」
「スカンピンだってよ」
「しゃあねぇなあ……」
「わかってるんだろうな、姉ちゃんよー」

 じりじりとにじり寄る老婆たちに詰められ、レイラは絶句していた。
 一体この先、己たちはどうなってしまうのか。不確かな未来を予想できないのはリンネだけではない。数多もの戦場を生き延びて来た日向アキトも同様であった。

2024/01/13
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