世界はもうすぐとろけだす


 撮影本番に向けて、Café Paradeの三人とF-LAGSの皆と合同練習を始める事になった私は、咲ちゃんと事前に相談の上、特訓に使えそうなものを持ち寄る事にした。
 シンデレラがモチーフなら、ガラスの靴をアピールするかもしれない。足元を映すかは分からないけれど、とりあえずヒールが高めのパンプスを用意しようと伝えると、咲ちゃんも同意してくれた。咲ちゃんはウェディングドレスの代わりにパニエを使って練習したいと提案して、確かに本物のドレスを練習に使うわけにはいかないし、どんなデザインのドレスでもきっと役に立つだろうと頷いた。
 お互いに意気込み過ぎていたと気付くのは、もう少し後の話だ。



「ソーイチローよ、我が歩みの軌跡はこれで問題ないだろうか?」
「ええ。堂々として、綺麗な歩き方になっていると思いますよ」

 アスランさんはまるでランウェイを歩くモデルみたいで、私も東雲と同じ感想を抱いた。背も高くて顔立ちも大人びているし、様になっていて、思わず見惚れてしまった。PR動画のプロポーズの言葉は、アイドルが独自で考えるそうだ。いつも紡いでいる独特の言葉を用いたら、新たなファンもかなり増えるのではないだろうか。

「あたし、仕草とか動きとか、ちゃんとできてたかな?」
「水嶋さんも問題なさそうです。優雅で素敵でしたよ」
「本当に? わーい、空いた時間にいっぱい練習してよかった!」

 咲ちゃんと東雲の会話が聞こえて来て、ぼうっとしていた頭が覚醒した。
 まさか咲ちゃんが合同練習をする前から、自己レッスンに励んでいたとは。私は合同練習が決まった事で、逆に今日まで何もせずにいた。別の仕事が入っていたのもあるけれど、プロ意識が足りなかったかも知れない。

「結婚式場でもスタッフさんに歩き方を教えてもらってたんだよね。あの時、たくさん質問できたおかげかも!」

 咲ちゃんの声はF-LAGSの皆の元にも届いていて、涼くんが感心するように声を掛けた。

「そんなに頑張ってるなんて咲ちゃん、すごいね」
「えへへ。ウェディングドレスは前から憧れてたし……やりたいって気持ちを応援してくれるみんなやプロデューサーがいるから! 全力で頑張るんだって、お仕事をもらった時から決めてたの!」

 どんな仕事にも全力で取り組むのは、315プロの皆にとっては当たり前の事だと思う。けれど、今回は咲ちゃんにとっては更に特別な仕事なのだろう。『アイドルの水嶋咲』を演じている時、咲ちゃんは女の子の衣装を纏って仕事をこなす事は最早当たり前となっている。それでも、ウェディングドレスを着る事は、咲ちゃん個人にとってより特別な意味を持つのだろう。きっと、私よりもずっと。

「えへへっ、もっと素敵にできるように、パピッと頑張らなくっちゃね!」

 咲ちゃんは終始笑顔で、本当にこの仕事が嬉しいのだと伝わって来る。でも、何故だか少しだけ不安を感じていた。
 頑張り過ぎるあまり怪我をしたり、空回りして挫折する事も、時にはあるからだ。



「――おや、西篠さん。……痛むんですか?」

 休憩してパンプスを脱ぎ捨てて、足の裏を揉んでいる私に、東雲が声を掛けて来た。隠す必要はないし、正直に話す事にしよう。

「痛くはないけど、浮腫んでる。実は私、こういう形のパンプスって慣れなくて」

 ヒールが高く、足先が尖っている形のパンプスを拾い上げて掲げてみせると、東雲はなるほど、と頷いてみせた。

「もう少し楽な形状の靴にしてみては?」
「でもさ、シンデレラのガラスの靴って、こういう形じゃん? 多分先方が用意する靴は、こういうタイプのはず……」
「……女性は大変ですね。男性ではそんな苦労はありませんし」

 東雲は神妙な面持ちでそう言ったけれど、男性は男性で別の苦労もあるだろう。気にしなくていい、と言おうとしたら、突然思いも寄らない言葉を掛けられた。

「……良ければ私がマッサージしましょうか?」
「え?」
「西篠さんさえ良ければ、ですが」

 気を遣ってくれているのは嬉しいのだけれど、さすがにこの場でお願いするわけにはいかない。というか、この場でなくても駄目だ。私は申し訳ないと思いつつ首を横に振った。

「だめ。足蒸れてるから触らせたくない」
「気にしませんよ」
「それに変な声出そうだし……」
「変な声?」
「いや、例えば、ヘアサロンで肩揉んで貰う時、くすぐったくて変な声出たり……しない?」

 東雲がぽかんとしているものだから、余程変な事を言ってしまったのかと、徐々に顔が熱くなってきた。もしかして、私がおかしいのか。
 不安に感じていたら、思わぬ助け船がやって来た。咲ちゃんだ。

「あの、深雪さんって身体触られるの弱いんですね? いつもパピッとしてるイメージだから、意外です」
「そ、そう! 今足の裏触られたら、大変な事になる」

 咲ちゃんの優しいフォローに苦笑しながらそう答えると、東雲は気まずそうに眉を下げたけれど、いくらなんでもマッサージはただの仕事仲間の距離感ではないんじゃないかと思ってしまった。それとも、私が東雲を意識するあまり、過剰に反応しているだけなのか。よくよく考えれば、Café Paradeのメンバー同士でやる分なら、誰も何も気にしないだろう。
 やっぱり、私も気負い過ぎているかも知れない。正直、咲ちゃんのほうがずっと周りを見れている気さえする。

 そう思っていたものの、翌日の夜、お風呂上がりに自室で足のマッサージをしていると、突然東雲からメッセージが届いた。
 別にレッスン室で言えば良いのに、と不思議に思ったものの、本文を見て確かにこれは個々の遣り取りでないと言えない事だと理解した。

『突然すみません。水嶋さんの事で少し話があるんですが、今電話しても大丈夫ですか?』

 大丈夫、私で良ければ聞くよ――そう返したら、すぐに電話がかかって来た。

「お疲れ、東雲」
『お疲れ様です。夜分遅くに申し訳ありません』
「全然大丈夫。それより咲ちゃん、何かあった?」
『水嶋さんの様子がおかしいんです。あまりにも気負い過ぎているというか……』

 身近にいる東雲がそう感じるという事は、私が抱いた違和感も間違いではないのだろう。
 でも、気負っているのは私も似たようなものだ。

「咲ちゃん、見学の時もかなり気合い入ってたもんね。まあ、私も結構気負ってるから、女子はそうなっちゃうのも仕方ない部分も……」
『私が見る限り、西篠さんはご自身でセーブしながら練習されているので、大丈夫だと思います』
「え、そう?」
『はい』

 あまりにもきっぱり言うものだから、驚いてその先の言葉が出て来なかった。すると、東雲は本題をさらりと口にした。

『ですが、水嶋さんは……明らかに無理をしているように見えます』
「……なるほど。如何せん仕事が上手くいっていると、まだまだいけるって錯覚して、セーブがきかなくなっちゃうのはあるね」
『おや、まるで痛い目を見た事があるような言い方ですね』

 高校時代の私なら、東雲にこんな事を言われたら怒っていたかも知れない。けれど、今なら……どういうわけか、弱音もすんなり吐けるような気がした。

「……そう。私も気負って、無理して……怪我しちゃった事があるから」
『え!? いつの話ですか?』
「あの……それこそCafé Paradeが主題歌歌ってくれた、アイススケートの……」
『あの時、一切そんな話はしませんでしたよね』

 東雲の口調は決して責めるわけではなかった。ただただ驚いて、心配しているように聞こえる。

「難しい技は競技者の方がスタントとしてやってくれたんだけど、自分でもある程度出来るようにならなきゃって、無理して、それで、捻挫しちゃって……」
『私もドラマは全話見ましたが、怪我をしていたとは気付きませんでした』
「数日安静にしてなんとかなったけど、下手したら放送が延期になっていたか、私が降板になって別の人が演じていたかも知れない」
『そんな事が……』

 ここまで話せば、もう弱音を吐いても良いかも知れない。咲ちゃんの相談だというのに、自分の話をするのもどうかと思うけれど、きっと今の咲ちゃんは、過去の私と同じ状況だ。

「捻挫っていっても軽かったの。だから演技を続けようとしたんだけど、監督や色んな人に怒られた。ちゃんとレントゲンを撮って、医師から許可が出ない限り撮影は中断だって」
『確かに、軽い捻挫でも、無理をしたら靱帯断裂……歩けなくなる事も有り得ます』
「そう。あの時はただただ落ち込んでたけど、皆の言う事を聞いて、お医者様に診て貰って、数日安静にした後復帰して……無理したらスケジュールに影響が出て、皆に迷惑がかかるって身をもって分かったから、それ以来無理しすぎないよう気を付けてる」

 復帰した時、皆が暖かく迎えてくれたからこそ、ドラマは無事クランクアップを迎える事が出来た。私が身勝手な行動をしていたら、降板になるか、ならなくても現場の雰囲気は悪くなっていたに違いない。
 そこまで考えて、話が脱線してしまったと我に返ったけれど、東雲は優しい言葉を掛けてくれた。

『素晴らしいです。西篠さんの身体を第一に考えて叱ってくれた人たちの言葉を、素直に聞き入れた事も、その経験を元にご自身を大事にしている事も』
「言い過ぎだって。きっと皆も同じ事をするよ」
『……だと良いのですが。万が一水嶋さんが練習で無理をされた結果、本番で支障が出るような事があれば……』
「そうならないよう、皆で咲ちゃんを見守っていこう!」

 そう告げると、東雲も納得してくれたようだ。今、咲ちゃんに私の身の上話をすれば、きっと押し付けがましいと思うだろう。私たちに出来る事はそっと見守って、それとなく助言する事くらいだ。



「水嶋さん、あまり無理はしないでくださいね」
「あはは、平気だよ! あたし、まだまだ頑張れるから!」

 撮影日が間近に迫ったある日。咲ちゃんは明らかに顔色が悪く、合同練習以外でも自主練しているのが見て取れた。やっぱり、東雲たちが声を掛けても強がるばかりだ。本人はそんなつもりはないのだろうけれど、傍から見れば無理をしているのは一目瞭然だった。
 そんな矢先、ついに起こってしまった。

「きゃっ!」

 咲ちゃんが転んでしまい、傍にいたアスランさんが慌てて抱きかかえた。

「サキ、大丈夫か!?」
「えへへ……転んじゃうなんて、なにやってんだろ。あたし……」

 必死で笑みを作ってはいるけれど、今にも泣きそうだ。私も駆け寄ろうとしたのも束の間、咲ちゃんは立ち上がれば皆に向かって告げた。

「ちょっとだけ、外の空気を吸ってくるね!」

 そう言ってレッスン室を後にする咲ちゃんに、私は東雲と顔を見合わせれば、即座に頷いた。そして、すぐさま咲ちゃんの跡を追い掛けた。
 ひとりにして欲しいのは分かる。でも、放ってはおけなかった。



「はあ……あたし、何やってるんだろ……」

 屋外に出て、ベンチに腰掛けている咲ちゃんを見つけた私は、今自分が手持ち無沙汰な事に気付いて早くも失敗したと思ってしまった。ペットボトルでも持ってくれば、差し入れがてら自然に声を掛ける事が出来たのに。
 ……いや、取り繕っている場合じゃない。私が声を掛けるのは、咲ちゃんにとって迷惑かも知れない。でも、ひとりぼっちの咲ちゃんの背中を見ているだけなのは、耐えられなかった。

「咲ちゃん、お疲れ様」

 咲ちゃんの反応を見る前に、即座に駆け寄って、隣に腰掛けた。咲ちゃんは困ったような顔で、何か言いたそうな素振りをしているけれど、先に口をついてしまった。

「ここでお水でも差し入れ、って出来たらかっこいい先輩なんだけどね。心配で、何も持たないで追い掛けて来ちゃった」
「そんな……深雪さんは、あたしの憧れの先輩です」

 きっと辛くて仕方がないのに、それでも私に気を遣ってくれる。

「足、痛くない?」
「大丈夫です、あはは……あたし、ドジしちゃって」
「大丈夫なら良かった。休むのも大事な仕事だからね、無理せずやっていこう」
「休むのも、仕事……」

 咲ちゃんが私の言葉を反復した瞬間。

「水嶋さん、見つけましたよ」

 東雲とアスランさんがやって来た。咲ちゃんと私の帰りが遅いから、心配して探してくれたのだろう。

「そういちろう……アスラン……心配かけちゃってごめんね」
「否、我らは問題ない。だが……サキは何か抱えているようだ」
「どうか私たちに、話していただけませんか?」

 ここからは、Café Paradeのふたりに任せよう。私がいたら悩みを打ち明ける事も出来ないかも知れないし。そっと立ち上がって、レッスン室に戻ろうとしたのだけれど、突然咲ちゃんに手を掴まれた。

「深雪さん! 迷惑じゃなかったら、一緒にいて欲しいです……!」
「いいの?」
「はい!」

 咲ちゃんの返事は溌剌で、少し元気が戻ったようだ。私がいたら話しにくいわけではないのなら、去る理由はない。私は咲ちゃんの隣に再度腰を下ろして、笑みを浮かべた。
 咲ちゃんは一呼吸置いて、意を決するように口を開く。

「……あたしね、ウェディングドレスにずっと憧れてたんだ。かわいくって華やかで、あれを着てる人はみんなキラキラして見えてたの。だから、この仕事が決まった時は心の底から嬉しかったんだよ」

 東雲とアスランさんも、咲ちゃんを見守りながら耳を傾ける。

「でも……前に結婚式を見学させてもらったことがあったでしょ? あの時気付いたんだ。ウェディングドレスは、かわいいだけのドレスじゃない。それは、着る人の人生を変えるもので……特別な意味を持ってる」

 それは、私も同じ事を思った。
 例え仕事でも、『着ただけ』で終わらせてはいけない。正直、東雲が主演したドラマでウェディングドレスを着た時は、そこまで考えていなかった。出来る限りベストな状態で撮影に挑もうとしていたのは、あくまで身体のラインが出るドレスだったからという理由だ。
 役名のないエキストラに近い出番だから、何も影響はなかったものの、あの時の私は意識が足りていなかったと反省したくらいだ。

「もうすぐ衣装合わせで、あたしは本当にドレスに袖を通すことになるよね。本当にウェディングドレスを着るって考えたら……わからなくなっちゃった。ただ憧れてただけのあたしが、このドレスを着てもいいのかなって……」

 でも、咲ちゃんが迷う必要なんてない。
 咲ちゃんは立派なアイドルだ。アイドル『水嶋咲』ならば、花嫁も華麗に演じてみせるはずだ。
 過剰に褒め称えているのではない。アイドル像を押し付けるつもりもない。
 今までアイドルとしてステージに立って来た水嶋咲、様々な役を演じて来た水嶋咲ならば、今回の仕事もプロとしてしっかりこなせると言い切れるからだ。

 私がその感情を言葉にするより先に、アスランさんが口を開いた。

「……何を躊躇う必要があるというのだ、パピ族の末裔サキよ! どのような装束であれ、サキならば魅惑の魔術を以て着こなせようぞ!」
「ええ、アスランさんの言う通りです。水嶋さんの好きなものを貫こうとする姿勢、いつも感銘を受けています。水嶋さんが水嶋さんらしくいればきっと、なんだって着こなせますよ。たとえそれがウェディングドレスであっても」

 東雲もアスランさんに続けば、実に説得力のある助言を口にした。

「あいにく、ここにはいませんが……神谷も巻緒さんも、この場にいたら絶対に同じことを言うはずです」
「そういちろう、アスラン……うん、そうだね。かみやもロールもきっとそう言う」

 咲ちゃんは頷けば、漸くその顔に心からの笑みが溢れた。やっぱり咲ちゃんは笑顔が一番だ。
 微笑ましく見ながらそう思っていると、突然東雲が私を見て言った。

「西篠さんも、勿論そう思いますよね?」

 そう言って問い掛ける東雲は、優しい笑みを浮かべていた。
 きっと、私を信頼しているからこその言葉。頷かないわけがない。

「当然でしょ。咲ちゃんなら、絶対出来る」

 そう言って頷くと、咲ちゃんは満面の笑みを浮かべてみせた。

「ありがっとー……! わかったよ。あたしは、あたしらしく! あたしたちの姿を見て、みんなが結婚に憧れを持ってくれるように……自信をもってウェディングドレスを着こなすために、練習も本番も頑張るよ!」

 もう咲ちゃんに迷いはない。自信を持って、最高の花嫁姿を魅せる事が出来るだろう。
 私も頑張らないと――Café Paradeの皆と過ごしてそう思えるのは、どうやら私だけではなく、東雲も同じのようだ。感銘を受けているという言葉に、きっと嘘はない。
 本番まで残り僅か。どんな衣装、どんなシナリオでも、315プロのアイドルを引き立てる事が出来るよう努めよう。そう思っていたものの、肝心の相手役を直前になって聞かされた私は、この後心を乱される事になる。

2024/03/10

- ナノ -