悪魔の別荘



 この世界の破壊。アシエン・ファダニエルの目的は、ルクスとて分かっていた筈だった。忘れていたというよりも、信じられない出来事が多すぎて、あの男のわけのわからぬ発言など無意識に脳内から排除していたのだ。
 どちらにせよ、これだけは確かだ。
 どんな事情があれど、ゼノスはファダニエルを受け容れている。
 ゼノスがガレマール帝国の皇帝に即位し、この国を立て直すなど、初めから起こり得ない事だったのだ。

 果たして己はこれから何をすれば良いのか。ゼノスから兵は好きに使えば良いと言われているが、その中に正気を保った者は何人いるのだろう。否、最早精神汚染を受けた操り人形しかいないからこそ、ゼノスは己にあんな事を言ったのだ。

「それで、ルクスはこれからどうなさるんですか?」

 宛がわれた部屋で、ベッドに寝転がりながら端末を使用しているルクスの横で、いつの間にそうしていたのか、ファダニエルが横たわりながら訊ねて来た。
 ゼノスに会いたいと言ったのは己だが、こんな事になっているなど夢にも思わなかったのだ。この現状は自身の選択の結果というよりも、ファダニエルの意図によるものだ。どうするなど、どの口が宣うのか。
 何も答えず無視するルクスに苛立ちを覚えたのか、ファダニエルは強引に彼女の手から端末を奪い取って、画面をまじまじと見遣った。改造されつつある魔導城でも、正気を保った人間が動ける程度の設備は残っている。ルクスは軍内のネットワークに接続し、機密情報を閲覧していたのだ。

「返して」
「ええと、上級士官に該当する戦死者、行方不明者の情報……はあ」
「返せ!!」

 ルクスはファダニエルから端末を奪い返そうと上体を起こして手を伸ばすも、あっさりと躱されてしまった。そしてファダニエルは画面をルクスに向けて、何故か責めるように言い放った。

「あなた、まだこのフォルドラという女に未練があるんですか?」
「未練って……今もアラミゴに囚われているのか、調べたかっただけです」

 フォルドラ・レム・ルプス。その名前を見た瞬間、ファダニエルはこのアサヒという器を通して、胸の奥で憤りを感じていた。アサヒという男は最後まで、ルクスがこの女を気に掛けるあまり、最悪暁の血盟に寝返るのではないかと疑い、ドマへの同行を認めなかったのだ。尤も、息を引き取る間際に少しばかり後悔したようだが。
 ルクスは隙を付いてファダニエルから端末を奪い返した。とはいえ、彼にとってはそんな玩具はどうでも良いらしく、何事もなかったかのようにルクスの顔を覗き込んで、口角を上げた。

「会わせてあげましょうか? そのフォルドラとかいう女に」
「何を……! お前、フォルドラを巻き込むな!」
「いや、あなたが会いたいんですよね? 『俺』はただ、ルクスの為を想って……」

 中途半端にアサヒを演じられる事にもルクスは腹を立てたが、今ここでフォルドラを巻き込みたくはなかった。彼女を助け出したいという気持ちはあっても、帝都がこの有様では、連れ戻したところでフォルドラを不幸にするだけだ。
 だが、ファダニエルはルクスの胸中など当然どうでも良く、勝手に話を進めようとしている。

「これからルナバハムートと共に進軍を開始する予定です。それが終われば、どさくさに紛れてフォルドラとかいう女を連れ戻す事も出来ましょう」
「おい、勝手に決めるな! フォルドラに関わるな!」
「あなたもこの城にひとりでは寂しいのでは? お友達がいた方が楽しく過ごせると思いますが……」
「世迷言を! いい加減――」

 ルクスが叫ぼうとした瞬間。ファダニエルは端末をベッドの上に放り投げれば、ルクスの手首を掴み、引き寄せた。

「では、行きましょうか」

 ファダニエルの背後に虚空に黒い裂け目のようなものが出現し、そして、ルクスは抵抗する間もなくその中に引きずり込まれたのだった。



 暫し意識を失っていたルクスであったが、目を覚ますと、以前も同じ事があったとすぐさま思い出した。
 ドラゴンの背に身を委ね、今この瞬間も空を飛んでいる。あの時と同じだ。尤も、様々な事を把握しつつある今は、わけがわからなかった当時よりも心は落ち着いている。恐ろしいほどに。
 辺りを見回したルクスは、エオルゼアの空には似つかわしくない禍々しい『塔』がすぐそばに聳え立っている事に気が付いた。

「ファダニエル。今一度言いますが、私はフォルドラに会いたい訳ではありません。用が済んだら魔導城に帰還させてください」
「…………」
「ファダニエル?」

 これから進軍を開始するのではないのかと、ルクスは怪訝な表情を浮かべた。ファダニエルが自分を凝視して不思議そうに首を傾げていたからだ。
 彼が心配というよりも、勝手に己を来た事もない場所に連れて来て、放置されては困る。ルクスはファダニエルの肩を揺さぶった。

「しっかりしてください! あなたがそんな調子では、私はどうしたら……」

 漸く我に返ったファダニエルは、何事もなかったかのように無言で口角を上げた。

「ファダニエル、いいですか? 私はフォルドラには会いませんから――」

 改めてそう言おうとしたのも束の間、ファダニエルはルクスを強引に抱きかかえれば、ルナバハムートの背から飛び降りた。最早ルクスは叫ぶ事すら出来ず、再び気を失いそうな時間を味わったのだった。


 ファダニエルはそのまま着地するわけではなく、地面に近付くにつれて速度を落とし、羽根のようにふわりと地面に降り立った。
 促されるまでもなく、ルクスはファダニエルに絡ませていた腕を解いて、自分の足で着地した。無意識に彼の身体に抱き付いていたとは、いくら非常事態といっても情けない。ルクスは肩を落としたが、それも束の間で、目の前が異形の塔の入口である事に気付き、険しい表情を浮かべた。

「ファダニエル、一体何を?」
「あ、いえ。ネズミが侵入したいみたいなので、ちょっと寄り道を」
「……それでもあなたの計画通りに進むなら、構いませんが……」

 ルクスが空を見上げると、ルナバハムートが旋回していた。『あれ』は蛮神だと以前ファダニエルは言っていたが、果たしてこれから行うであろう進軍は、蛮神の意思なのか、あるいはファダニエルが操っているのか。

 ふと、ルクスは己がテンパード化していない事に気が付いた。
 通常、蛮神に近寄れば人間はたちまちテンパードと化し、死ぬまで蛮神の奴隷となるという。
 ゆえに帝国は蛮神討滅を国是に掲げているのだが、何故、己は平気なのか。ファダニエルが使役している『あれ』は例外なのだろうか。

「さ、ルクス。行きますよ」

 かつて愛した男の声がして、ルクスは我に返った。だが、それ以上考える暇もなく、ファダニエルに強引に手を引かれ、塔の内部へと歩を進める事となった。


 すぐさま、ルクスは異変に気が付いた。
 ここは侵入者と言うべきなのだろうか。改造された魔導城と同じような造りをした塔の内部で、人の気配がする。ファダニエルの言う『ネズミ』とはこういう事か。
 彼に協力するのは癪だが、もしここにいるのが暁の血盟やエオルゼアの人間であれば、剣を交えることになるだろう。今のルクスに戦う道理などないのだが、ファダニエルが己を連れて宣戦布告してしまった以上、戦闘は止むを得ないと諦めるしかなかった。



「な、なんだよ……これ……」

 ルクスとファダニエルは先客の姿を捉えたが、顔までは見えず後姿のみであった。背格好から男女ふたりである事は把握出来る。少人数で調査でもしているのだろう。そして、驚愕の声を上げた男の目の前には、塔に下半身を飲み込まれ、その一部と化しているようにも見えるアマルジャ族が囚われていた。
 蛮族を贄にこの塔を動かしているのか。実に悪趣味な事をする、とルクスはファダニエルを横目で見遣ったが、次の瞬間、頭が真っ白になった。

「知るか……。だが、自分の意志で囚われているわけではなさそうだな」

 男に応えるように呟いた女の声。聞き覚えのある声に、ルクスは目を見開き、息を呑んだ。

「お知り合いですか?」

 耳元でそう囁くファダニエルに、ルクスは何も言えないまま、泣きそうな表情で彼に顔を向けた。
 それだけで、ファダニエルは何が起こっているのか察して、意地の悪い笑みを浮かべた。
 今この場にいる女こそが、フォルドラ・レム・ルプスなのだと、相手を知らずとも察するのは容易かった。

「とにかく、ここから解放してやらないと!」

 余程正義感が強いのか、フォルドラと行動を共にしている男は、塔に囚われているアマルジャ族を助けようとした。だが、突然警報のような音が鳴り響いた。恐らくは塔の防衛機構であろう。
 咄嗟にフォルドラが男に向かって叫んだ。

「離れろ!」
「嘘だろ……し、死んじまったのか……?」
「後悔なら後にしろ……!」

 アマルジャ族は息を引き取ったらしく、男は暫し迷ったのち、フォルドラとともに塔を後にしようと踵を返した。
 だが、次の瞬間塔の内部が光り出し、そしてルクスにとって見た事もないモンスターが、突如として現れた。

「ファダニエル、あれは……?」
「ええと、そうですねぇ……『ルナイフリート』とでも言っておきますか」
「あれも蛮神!? いけない、フォルドラが……!」

 あのルナイフリートは、間違いなくフォルドラを襲おうとしている。ルクスは最早考える余裕もないまま、ファダニエルから逃れて彼女を助けようと飛び出した。
 だが、それよりも早く、フォルドラと一緒にいた男が彼女を守ろうと盾になった。

「護るんだ! 俺だって……俺だって!!」



 一瞬の事だった。
 フォルドラを護ろうとした男が、ルナイフリートの一撃を受けて倒れ込んだ。
 このままでは、フォルドラも巻き添えになってしまう。
 ルクスは何の躊躇いもなく、フォルドラの前に駆け付ければ、ルナイフリートにガンブレードの剣先を向けた。

「ルクス! お前、何故ここに……!」
「その人を連れて逃げて!」
「…………」
「早く!!」

 かつてアラミゴで共に過ごした日々はほんの僅かな間で、フォルドラにしてみればルクスは綺麗事を宣うだけの、現実を知らない女に見えた。更には後々派遣されたドマにて、非戦闘員であった当時の代理総督ヨツユの手で大怪我を負い、戦線離脱する羽目になるなど、耳に入る話はろくなものではなかった。
 それでも、属州出身者が差別される事はあってはならないという彼女の意思は紛れもないものであり、きっと、彼女は己と打ち解けたかったのだという事も、フォルドラは察していた。
 それがまさか、こんな形で再会するとは。

「くっ……」

 とはいえ、ルクスは当然今も帝国の人間である。今や『超える力』の特性を買われてエオルゼア同盟軍に協力する事になり、こうして塔の調査に来ているフォルドラから見れば、ルクスはれっきとした敵である。
 それも、彼女はこの惨劇を引き起こしたアシエン・ファダニエルと行動を共にしている事が、暁の血盟たちの証言で明らかになっているのだ。
 気に掛けている暇はない。まずは、己を庇って倒れた男――アレンヴァルトを助けなければ。
 フォルドラは唇を噛み締め、後ろ髪を引かれる思いでアレンヴァルドを抱え、力を振り絞って出口へと向かった。

「おや、助けに入ったお友達を見捨てて逃げるとは。ルクスの片想いだった、という事でしょうか……」
「お前は……!」

 フォルドラの前に、紫色のローブを纏った東方系の顔立ちをした男が立ちはだかる。フォルドラはファダニエルと対面した事はなかったが、暁の血盟の情報から特徴は伺っており、この男がそうなのだと察するのは、難しい話ではなかった。
 だが、ファダニエルはフォルドラの事自体はどうでも良いらしく、緩慢な足取りで歩を進めて、彼女たちの横を通り過ぎた。

 ルクスは大丈夫なのか。そうは思いつつも、まずは一刻も早くアレンヴァルドをウルダハへ連れ帰らなければならない。彼もまた『超える力』の加護があるからこそ、テンパード化は免れているのだが、蛮神の攻撃を受けて無事でいられるかは別問題である。
 ファダニエルの気が変わる前にここを脱出するのが先決であった。皆を助ける事など不可能で、何かを為すには犠牲が必要で、今回はそれがルクスだったというだけの話だ。
 フォルドラはこんな形で再会したくなかったと、複雑な思いを胸に、異形の塔――『終末の塔』を後にしたのだった。



 当然、ルクスは自分が普通の人間だと信じて疑わなかったし、先天的に魔法が使えないとされるガレアン族で間違いなかった。生まれつきある額の器官が、何よりもそれを証明している。
 だが、何故己は蛮神と対峙しても、正気を保っていられるのか。
 ルクスはルナイフリートの攻撃をガンブレードでひたすら耐えながらも、混乱していた。
 一体、己は何者なのか。
 蛮神と長い時間共にし、今もこうして対峙していても、テンパード化しない己は一体何なのか。

「はあ……ルクス、いい加減にしてください」

 愛する男の声で名を呼ばれると同時に、ルクスは後頭部に衝撃を覚え、そして、視界が暗転した。意識が途切れ、操り人形の糸が切れたかのように崩れるルクスを、ファダニエルは壊れ物を扱うように抱き締めた。

「『姉さん』が殴った場所ってどこでしたっけ。傷口がパックリ開いてないと良いんですが……後でついでに見ておきましょうか」

 自分がルクスを殴って失神させたというのに、ファダニエルは悪びれもなくそんな事を言ってのければ、ルナイフリートに向かって笑みを浮かべた。

「あなたの出番はまだ先です。今は力を温存し、来るべき時までお眠りなさい」

 そう告げれば、ファダニエルはルクスを抱えて、空間に突如現れた黒い裂け目に吸い込まれるように、その場から姿を消した。



 ファダニエルは魔導城の一室、ルクスの滞在する部屋へと現れれば、目を瞑る彼女をベッドへと横たわらせた。

「外傷はなし……まあ、暫くは眠って頂いても構わないんですが。『神の門』が完成するまでは、ね」

 愛おしそうにルクスの髪へ指を這わせるものの、ファダニエルの表情に笑みはなかった。

「しかし、『俺』が危惧していた事が現実となるとは。やはりドマに同行させなかったのは正解としか言いようがありませんね。あの茶番を目の当たりにすれば、百年の恋も冷めてしまうというものです」

 蛮神ツクヨミの召喚までは、ルクスとて帝国の為だと受け容れられたであろう。だが、その後のアサヒの言動を目の当たりにして、果たして正気でいられただろうか。あんな死に方をされては、気が動転して何も考えられなくなり、暫定的に民衆派と行動を共にしただろう。そう考えるのが自然であった。
 あの状況下でゼノスの命に従い、民衆派を始末するとは考え難い。なにせ、あの場で民衆派は『暁の血盟』と手を組んでしまったのだから。ルクスが憎んでやまない連中と。
 蛮神さえも倒してしまう連中と、ルクスたった一人では、勝ち目などない事は考えずとも分かる事である。

「さて、『私』はルナバハムートと共に一仕事して来ます。ルクスにも一緒に来て貰うつもりでしたが、うっかり暁の血盟にあなたを奪われては大変です。考えただけでも腸が煮えくり返りそうです!」

 正確にはファダニエルではなく、アサヒという器が、ルクスが暁の血盟に寝返る事を拒否しているのだが、アシエンが乗っ取った器に感情を引き摺られる事はない。器が相手に抱いていた感情を把握する事が出来る、ただそれだけである。

「あなたは『俺』だけを見ていれば良いんですよ……ルクス、良い夢を」

 己が憑依するこの器が、彼女の事を愛していたから。ゆえにそのように演じているだけだ。ファダニエルはそう信じて疑わなかった。

2023/07/16
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