恋の陶酔



 エオルゼアの英雄たちはアサヒの要望で、今はもう水没しているドマ城や周辺の武家屋敷を見て回る事となった。
 ルクスはアサヒとは違い、ゼノスの直属の部下という肩書があるだけに、ユウギリから常に疑いの目を向けられている。ゆえに気が気ではなかったのだが、どういうわけかアリゼーは敵対心のない様子で、ただただ興味深そうにルクスへ視線を向けていた。

「あのう、私に何か……?」
「何かも何も、気になるに決まってるじゃない。帝国の幹部が目の前にいるんだから」
「幹部と言えるほどの立場ではありませんよ。それに、今は争いに来たわけではなく――」
「ねえ、ルクスから見てゼノスはどんな人だったの?」

 無邪気に質問する少女の眼差しだけを見れば、単なる雑談だと誰もが捉えるだろう。だが、このアリゼー・ルヴェユールという少女は、知の都シャーレアンの魔法大学を卒業した秀才であり、れっきとした『暁の血盟』の一員である。魔法を駆使して戦う事も把握しており、決して年齢だけで判断してはいけない存在であった。
 侮ってはいけない。これは尋問だ。ルクスは心の中でそう言い聞かせて、眉を下げて答えた。

「……恐ろしい人でした」

 ルクスは一瞬だけアサヒの視線を感じた気がしたが、会話の意図は彼とて察しているはずだ。そう信じて、言葉を続けた。

「任務に失敗した際、左遷で済めばまだ良いほうです。私の目の前で同じ立場の幕僚が殺された事もありましたし……」

 ユウギリと英雄は険しい顔付きをしたが、アリゼーは神妙な面持ちで頷けば、ルクスを気遣うように微笑を浮かべた。

「ルクス、そんな環境でよく心が折れなかったわね」
「いえ、怖かったですよ。いつ自分が殺されてもおかしくない、と……だから、差別をやめるべきだとゼノス様に直接訴える事など出来なかったのです。情けない話です……」

 そう言って落ち込むルクスに、今まで黙っていたアサヒが漸く口を開いた。

「ですが、漸く皇帝陛下が民衆派の活動を認めてくださったのですよ。過去を悔やむのも大事ですが、ルクスには前向きに未来を見据えて欲しいです」

 これは演技だ。ゼノスが生きている事を隠し通す必要がある以上、そういう筋書きにしているだけの話である。ルクスはそう理解してはいつつも、微笑を湛えるアサヒを見て顔が熱くなるのを感じていた。
 その様子をまじまじと見遣りながら、アリゼーは更に質問を繰り出した。

「……ていうか、ルクスって今はどんな立ち位置なの? 幕僚といってもゼノスはもういないんだし」
「ええと、暫定ですが一応私が上官、という形ですね。今のところは」

 そう答えたのはアサヒであった。ゼノスは生きているのだから、実際は何も変わっていないのだが、この場をやり過ごすだけならそういう事にしておいた方が好都合と判断しての事である。

「へえ。ルクス、良かったわね。気紛れで殺されるかも知れない恐怖もなければ、差別もなくなるかも知れないし、良い事づくしじゃない」

 あっけらかんとそう告げるアリゼーに、ルクスは苦笑したが、内心腸が煮えくり返りそうであった。自分からゼノスを『怖い』と評してしまったものの、己の仇である暁の血盟にゼノスを悪く言われるのは腹立たしかったのだ。





 ヨツユによって壊滅させられた武家屋敷や、水没したドマ城跡を巡っている間、アサヒはこれまでの属州政策は失敗だった事、和平が結ばれれば帝国からドマへ復興のための支援物資を送る事が出来るなど、エオルゼア寄りの論を語っていた。
 ルクスは最早何が演技で何が本心なのか分からなくなるほど、アサヒに心酔していたが、ユウギリたちは当然半信半疑であった。ガレマール帝国はこれまで他国への侵略行為を行っていたというのに、皇帝陛下がいきなり和平交渉を命じるなど、信じろというほうが困難である。

 だが、英雄とユウギリが不可解に思うのは、どちらかというとアサヒよりルクスのほうであった。実際に彼女と戦場で対峙した事があるが、とてもではないがゼノスに怯えているようには見えなかったのだ。幕僚たるもの、上官の前で恐怖を露わにする事はないと考えれば辻褄は合うのだが、妙な引っ掛かりを感じていた。

 今のルクスは嘘を吐いているようには思えない。だが、英雄においては『超える力』で彼女の姿を見ていた。
 ルクスはゼノスの命令には逆らえないものの、部隊を率いてある程度自由に動ける立場であった。ヨツユに殺されかけ意識を失った後、目覚めたら帝都にいたと言っていたが、それは彼女の部下たちの働きがあってこそであろう。部下たちがルクスを抱えてドマ城から退散し応急処置をして、一命を取り留めたと想像するのが妥当である。ヨツユに寝返る事もなければ、ルクスを見捨てる事もなく、上官を救う為に最善を尽くしたのだ。左遷されたという割には、部下の忠誠心は高いように思える。果たして本当に左遷なのかすら怪しいところである。

 それらを踏まえ、ヨツユに「アサヒと手を組んで代理総督の座を奪いに来た」と思われたのは、ルクスという軍人がそれほど驚異的な存在であった事を意味していた。それを裏付けるように、圧政を行うヨツユとは正反対に、彼女はドマの民衆と打ち解けるよう裏で動いていた。
 その行為は果たして、彼女の優しさから来るものなのか、あるいは本当に代理総督の座を乗っ取ろうとした打算的な行動なのか。その時点でルクスとアサヒが協力関係にあったかは定かではないものの、ヨツユに誤解される程度には関わりがあった事は確実である。

 演技をしているのは暁の血盟側も同じであり、アリゼーも砕けた振る舞いでルクスの事を探っているのは、英雄とて理解していた。



「なんか私ばかり質問してるけど……ルクスは私たちに何か聞きたい事はある?」
「え?」

 突然アリゼーにそんな事を言われて、ルクスは頭が真っ白になってしまった。お前たちの事など知りたくもない、というのが本音であったが、和平交渉の為に来た以上、友好的な対応を心掛けなくてはならない。だが、何を質問すれば良いものか。
 ルクスは少しばかり考えた後、無難な質問を口にした。

「では……アリゼー殿とアルフィノ殿の能力に違いはありますか?」
「……は?」
「外見だけ見ると瓜二つで、声と服の違いがなければ見分けがつかないほどです。その場合、能力値にどの程度の差があるのか、個人的に興味があります」
「…………」

 アリゼーは地雷すれすれの質問に呆気に取られてしまったが、ここはルクスに良い印象を与えようと決め、満面の笑みできっぱりと答えてみせた。

「よくぞ聞いてくれたわね。アルフィノは回復専門で、私は赤魔導士――まあ攻撃と回復両方の魔法を使えると思ってくれていいわ」
「情報として知ってはいましたが、やはり、アリゼー殿は凄いですね」
「まあ、幕僚なら私たちの戦闘データくらい把握しているわよね。それとね、これはここだけの秘密なのだけれど……」

 思わず息を呑むルクスに、アリゼーはにやりと口角を上げた。

「私は泳げるけど、アルフィノは泳げないわ!」

 その場に居た全員が「そんな情報はどうでもいい」と心の中で突っ込んだのは、言うまでもない。

 なんとも砕けた雰囲気になってしまったが、ここで初めて英雄が挙手し、それとなくルクスに訊ねた。「アラミゴ独立戦争の時は戦場にいなかったそうだが、知り合いはいるか? もしかしたら捕虜になっているかも知れない」と。
 まさかその話を切り出されるとは思わず、ルクスの表情は一気に暗くなった。

「ルクス、どうしたの? 嫌な思い出しかないなら、無理に答えなくても良いけれど……」

 ドマに左遷されるきっかけとなる、何か辛い出来事があったのかも知れない。そう思ったアリゼーが助け船を出したものの、アサヒは先程とは打って変わって、ルクスを庇う事はせず、それどころか英雄に同調してみせた。

「そういえば、ルクスと仲の良かった同僚は皆アラミゴに配属されていたのですよね? 正直、俺も興味があります。必ずしも我々に伝達された情報が正しいとは限りませんから」

 アサヒの言葉に、アリゼーはその内容よりもルクスの前では自分の事を『俺』というのかと、ふたりの関係性を勘ぐり始めた。そんな彼女をよそに、英雄は「ルクスの同僚が捕虜として生きているかも知れない」と告げた。
 英雄が己の事を探ろうとしているのは分かる。だが、アサヒもその話に乗るという事は、この任務においては取るに足らない情報という事だ。それとも、己を試しているのか。
 ルクスは苦悶の表情を浮かべつつ考えた。アサヒの言う『仲の良かった同僚』は、元第XIV軍団の仲間たちの事だろう。彼らはもう命を落としたと聞いているが、もしそれが誤った情報で、実は生きていて捕虜として捕らえられているのだとしたら。気になりはするものの、己がかつて第XIV軍団にいた事は、エオルゼア側は把握していない筈だ。元々以前の軍団では名の知れた軍人ではなかっただけに、マーチ・オブ・アルコンズ後はスパイ活動に勤しむなど、己の知名度の無さを逆手に取る事が出来ていた。
 だが、かつての仲間たちの安否を尋ねれば、ゆくゆくは己が第XIV軍団の人間だったと知られてしまう。そしてスパイ活動をしていた事が知られれば、到底信頼は得られないだろう。

「ルクス?」

 アサヒに顔を覗かれて、ルクスは我に返った。
 さすがに黙り込んでいると怪しまれてしまう。ここは元第XIV軍団の者ではない、知っている者の名前を出すのが正解だ。そうと決まれば、ルクスはもう何も迷う事はなかった。かつての仲間以外で安否を知りたい存在は、たったひとりだけだからだ。

「……英雄殿。フォルドラ・レム・ルプスという軍人を御存知ですか?」

 ルクスの質問に、英雄とアリゼーは大きく目を見開いた。同時に、アサヒがそんな交友関係など初耳だと言いたげに怪訝な顔をしたのは、誰も気付いていなかった。

「……ルクス、あなたフォルドラと仲が良かったの?」

 そう告げるアリゼーの表情は明るく、それを見ただけでフォルドラが生きているのだとルクスは察し、思わず涙が込み上げて来そうになった。

「生きて……いるのですね……!? 良かっ……」

 良かった、と言い掛けたものの、果たして本当にそれがフォルドラにとって良い事なのか。生きているという事は、捕虜として捕らえられているという事だ。髑髏連隊として戦ってきた彼女が、アラミゴ人からどう思われているか。考えるまでもなく、捕虜として生きる事は死ぬよりも辛いかも知れない。
 他者に対して、死んだ方が良かったとは思わない。けれど、『良かった』と軽々しく口にするのは間違っているのではないか。

「……どうしたの?」

 良かったという言葉とは裏腹に、徐々に表情が曇るルクスを見て、アリゼーが心配そうに訊ねる。英雄はルクスの胸中をなんとなく察したのか、先回りしてこう告げた。フォルドラは自らの意思で、責苦を負って捕虜として生きる事を選んだ。彼女の選択を、誰も否定する事など出来ない、と。

「……あんまりです、フォルドラは好きで軍人になったわけじゃないのに……」

 ルクスのそんな言葉は、甘すぎると思ったのだろう。ユウギリが険しい顔付きで言い放った。

「……よく言えたものだな。帝国軍のせいで、一体どれだけの罪のない民が死んでいったと思っているのだ! お前たちのせいで……!」

 和やかな雰囲気は一変し、睨み付けるユウギリであったが、ルクスを庇うようにアサヒが間に入り、愛想の良い笑みを浮かべてみせた。

「申し訳ありません……それを言われてしまっては、私も返す言葉がありません。ですが、こうした帝国による『歪み』を二度と起こさない為にも、我々は和平交渉に来たのです」

 アサヒの言葉は確かに理に適っていた。属州政策が間違っていたからこそ、フォルドラは苦しみ、ガレアン人でありながら差別意識を持っていないルクスも、自分の無力さに打ちひしがれている。英雄とアリゼーは納得しつつも、やはりまだ全面的に彼らを信頼する事は出来ずにいた。

「ルクスも、まずはご友人が生きていた事を純粋に喜びましょう。ドマとの和平交渉が成立すれば、いずれはアラミゴとも和平が結ばれるかも知れません。そうなれば、捕虜交換でフォルドラ殿が帝国に迎え入れられる可能性もあるんですよ」
「おい、何を勝手に……」
「まあまあ、忍びさん。これは仮定の話です」

 ユウギリだけはルクスへの敵意を露わにしていたが、アサヒは宥めつつ話を切り替える事にした。アラミゴの話になると和平交渉を進めるにあたり厄介な上、アサヒ自身も取り繕う事が出来ないほど、許せない出来事があった場でもある。ユウギリのように感情的になる前に無駄話を切り上げ、計画を進めなければ――アサヒの考えは、英雄たちだけでなくルクスも知り得ない事であった。

「さて、次は、ドマに暮らす民の様子を見せて頂けますか? 確か近くに、ナマイ村という集落がありましたよね」
「ナマイ村まで赴くなら、河を下ったほうがいい……。城下船場まで向かい、船を用意して貰うとしよう」

 ユウギリも一旦落ち着いたらしく、取り敢えず一触即発になりかねなかった状況は回避する事が出来た。心なしか英雄とアリゼーもほっとした様子である。
 アサヒは安堵しつつ、落ち込んでいるルクスの手を取った。

「え? あ、あの、アサヒ様……?」
「今度じっくり聞かせて頂けますか? アラミゴで、フォルドラ殿とどんな風に過ごしていたのか」
「い、いえ。フォルドラは私の事は好きじゃなかったと思います……私の一方的な片想いで終わったというか……」

 その言葉を聞いて、アサヒはその光景が手に取るように分かると苦笑してしまった。ルクスと初めて出会ったばかりの頃、彼女の綺麗事に満ちた正義感、押し付けの偽善には心底うんざりしていたのを思い出したのだ。アサヒはフォルドラの事はろくに知らなかったのだが、捕虜になっていると聞いたルクスが「好きで軍人になったわけではないのに」と発言した事で、その者も己と同じ属州出身の軍人だと察するのは容易かった。
 ルクスの干渉はさぞ腹立たしかっただろうし、ルクスが属州民差別をやめるべきだと訴え、最終的にドマに追い遣られたのは、恐らくそのフォルドラが良い扱いを受けていなかったからなのだろう。
 ルクスの事など別に知りたくもない、どうでもいい情報ではあるものの、点と点が繋がったような感覚に、アサヒは妙に納得したのだった。

「取り敢えず、今は前向きに考えましょう。ドマの和平交渉が上手くいけば、ゆくゆくはアラミゴも同じ運びとなって、ルクスもフォルドラ殿と再会出来るかも知れません」
「そう……ですね。どんな顔をして会えば良いのか、分かりませんが……」
「はい、落ち込むのはここまでにしましょう。行きますよ」

 アサヒは強引にルクスの手を引いて、ユウギリを先頭に歩を進める一行の後を追い掛けた。上官と部下の関係には見えないふたりを、どこか面白そうに何度も振り返って見ているアリゼーの視線に気付いていたアサヒは、わざと聞こえる声でこう告げた。

「ところで、ルクス。その……前も言いましたが、俺に『様』は付けなくていいですよ」
「ですが、やはりお互いの立場もありますし……」
「では、せめて今だけは対等な関係でいませんか?」

 これは演技なのか、それとも。この一連の台詞も任務の中に含まれているのか。考えても答えは出ないが、最早ルクスにはアサヒに逆らう気など起きるわけがなかった。

「……分かりました。ええと、アサヒ……今だけですよ?」
「別に、帝都に戻ってもそのままで構いませんが」
「駄目ですっ! 周りに文句を言わせない為にも、敬称はしっかり付けるべきです!」
「形から入っても仕方ないと思いますけどね……」

 手を繋ぎ、そんな事を話しながら歩を進めるふたりを見て、英雄もアリゼーも信用は出来ないものの、帝国に住まう者たちもひとりの人間なのだと感じていた。当たり前と言えばそうなのだが、ガレマール帝国はエオルゼアにとっては侵略国家であると共に、謎に包まれている国であった。帝国の人々がどんな暮らしをしているかなど、まるで想像出来なかった。

「属州民差別があるっていうなら、あのふたりは民衆派にとってさぞ希望の光でしょうね……」
「和平の話が事実であるなら、だがな」

 ユウギリは端から信用していないらしく、ぽつりと呟いたアリゼーに苦言を呈したが、英雄は事実であってくれれば良いのだが、と思っていた。少なくとも、フォルドラが生きている事を知った時のルクスの態度は演技ではなく、きっとあれが彼女の本質なのだと感じていた。自身がかつてルクスから大切なものを奪い、心の底から恨まれている事など、知る由もないのだから。

2023/03/13
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