冥府への旅



 ゼノスの命にて、ルクスはドマと和平交渉を行う事となったアサヒに同行する事となった。表向きには、最上級士官になったアサヒを補佐する為という事になっているが、実際は『民衆派』が怪しい動きをしないか監視する事が目的であった。

「ゼノス様。アサヒ殿――ええと、アサヒ様は民衆派だったのですか? 初耳です」

 民衆派とは、未だ属州民に対する差別が根強く残るこの国を変えようと、帝都で人権運動を行っている組織である。だが、それを快く思わない者も多くいる。とりわけ『閥族派』――ガレアン原理主義者にとってこの民衆派は実に目障りな存在であった。民衆派の人間が、いつの間にか不慮の死を遂げている事も少なくないと、ルクスも風の噂で聞いている。

「お言葉ですが、アサヒ様は帝国の方針に異を唱えるような方ではないと言い切れます。同行は構いませんが、監視と言われると……」
「……貴様がそこまで言うのなら、アサヒという男はさぞ信頼に値するのだろうな。だが、他の民衆派の連中はどうだ?」

 今回のドマ訪問には、アサヒだけでなく他の民衆派の軍人たちも同行するのだという。ルクスは彼らの事を階級と名前でしか把握していない。

「……分かりました。不穏な動きがあれば都度報告し、指示を仰ぎます」
「いざという時は……分かっているな?」
「はっ」

 いざという時――もし民衆派が帝国を裏切り、ドマに寝返るような事があれば、反逆罪として始末するという事だ。
 ルクスとしては、民衆派の行動理念を否定するつもりはなかった。寧ろ差別のない暮らしが望ましい世界であり、属州民が現実問題苦しい生活をしているのは、アラミゴでもドマでも目の当たりにしている。
 だからこそ、帝国の一部の人間は民衆派を反乱分子と見做しているのだろう。万が一民衆派が、属州が帝国から独立した事を、「差別から解放された」と肯定的に捉えるなどしようものなら、それこそ反逆罪と言われても仕方がない。帝国の世界統一という国是とは真逆の考えであるからだ。

 一体どういうつもりで、民衆派をドマへ派遣するのか。和平交渉など、それ自体が国是と矛盾するのではないか。ルクスは多くの疑問を抱いていたが、ゼノスには別の意図があるであろう事も理解していた。己には伝えず、アサヒにだけ命じた任務がある事も。

 それは決して憶測で考えているのではない。
 そもそも、ゼノスが生きている事は一部の人間しか知らない機密事項であり、此度の命令は表向きには『皇帝陛下』――ヴァリス帝の命令という体で通す段取りとなっている。
 国是と異なる以上、ヴァリスがドマとの和平を望んでいるとは到底思えない。となれば、和平交渉は建前であって、真の目的は別にある。それはゼノスとアサヒしか知り得ない事だと察するのは容易かった。





「――という訳で。今回は我々民衆派と、サポートしてゼノス様の幕僚である、ルクス殿にも同行頂く事となりました」

 ドマへ出発する前、ゼノスへ挨拶を終えた一行は、飛空艇へと向かいながら簡単に自己紹介を済ませた。アサヒは他の同行者――民衆派の者たちへルクスを紹介しながら、さらりととんでもない事を言ってのけた。

「まあ、サポートというよりは『監視役』として、でしょうけど」

 まさかいきなりそんな事を宣われるとは思わず、ルクスは愛想笑いを浮かべる事すら出来ず、ただただ居心地の悪さを感じながら黙り込んで歩を進めていた。アサヒの言葉を否定するのは完全に嘘になる以上、どう答えれば良いか分からなかったのだ。

「ルクス、反論はされないんですか?」
「え!? ええと……その……」
「ふふっ、構いませんよ。あなたは嘘が吐けないタイプのようですし」

 たじろぐルクスとは正反対に、アサヒは余裕の笑みを浮かべながら、民衆派の者たちへ補足した。

「ただ、誤解はなさらぬよう。ルクス殿は属州民への差別をなくすべきだと、第XII軍団で声を上げ続けて来られた方です。彼女は民衆派ではなくとも、志は我々と同じです」

 ルクスをフォローするようなアサヒの言い回しに、民衆派の面々も漸く警戒心を解き、其々の顔から笑みが戻る。
 その中の一人、眼鏡を掛けたガレアン族の男が皆を代表してルクスに声を掛けた。

「ルクス様、挨拶が遅れ申し訳ございません。私はマキシマ・クォ・プリスクス――民衆派として活動しておりました」
「あなたも……申し訳ありません、私、何も知らなくて……」

 己と同じガレアン族の軍人が人権運動をしていたのは、有り得ない話ではないものの、実際に行動に移していた人物を目の当たりにして、ルクスは改めて自分が綺麗事だけで生きて来たのだと思わざるを得なかった。
 アラミゴで、フォルドラが己に心を開いてくれなかったのも、そういう事なのだろう。安全な場所でただ声を上げるだけなら、誰にでも出来る。自分の地位を棒に振って、命の危険を顧みず訴えるなど、ルクスは考えた事もなかった。

「謝られる必要などございません、ルクス様。アサヒ大使の仰る通り、今の我々は同志です」

 マキシマはルクスを信頼に値する人間だと判断したらしく、優しい笑みを浮かべてそう告げた。ルクスは内心罪悪感を覚えつつも、ひとまずドマでは波風を立てぬよう、彼らの動向を見守る事に決めたのだった。





 帝都ガレマルドからドマへ向かうのは、ルクスにとっては二度目の事であった。尤も、一回目の帰路の時は意識を失っていて、全く覚えていないのだが。今回は無事に戻って来れると良いのだが、とルクスは若干嫌な予感を抱きつつ、窓から外の景色を眺めた。真っ直ぐ見遣ればどこまでも青空が続いていて、下へ視線を移すと大海原が広がっていた。

「ルクス」

 背後から声を掛けられて振り向くと、アサヒが二人分の飲み物を携えて佇んでいた。

「どうぞ。毒は入っていませんので、ご安心を」
「そんな事、疑ってませんよ。暗殺される覚えもないですし」

 ルクスは差し出されたカップを受け取れば、口を付けて一息吐いた。ただ、どういうわけかアサヒは神妙な面持ちで、ルクスの隣へ移れば同じようにカップに口を付けた。

「……アサヒ様、どうかされましたか?」
「『暗殺される覚えはない』ですか……ルクス、あまり人の善意を信じ過ぎないほうが良いかと。あなたは良くも悪くも甘過ぎです」
「あはは……そうですね、肝に銘じます」

 二人並んで窓から外の景色を眺めつつ、喉を潤していく。つい前まで帝国領だったドマに再び向かう事になり、それも今回は晴れてアサヒと一緒など、運命とは奇妙なものだ。ルクスがそんな事を考えていると、アサヒは突然彼女の耳元で囁いた。

「ルクス」
「は、はい」
「私とあなたは其々異なる任務を与えられていると思いますが……齟齬のないよう認識合わせをしておきましょう」

 アサヒの提案に、ルクスは無言で頷いた。

「和平交渉を切り出したところで、ドマ側が了承するわけがありません。そこで、我々は捕虜交換の話を持ち掛けます。了承を得られれば、一度帝都へ帰還します」

 その作戦はルクスも予め把握しており、他の民衆派の者たちも同様である。恐らくは、この後ルクスが述べる捕虜交換の真の目的についても。

「……こちらが徴兵されたドマ人を解放する代わりに、ドマで囚われている帝国軍を返して貰う……その中には、あのヨツユ殿も含まれている」

 ルクスは未だ信じられない気持ちでそう呟くと、アサヒは顔色ひとつ変えず頷いた。

「ええ。義姉は生きています。ゼノス様が仰られたのですから、間違いありません」
「はい、決してゼノス様が嘘を言っているとは思いません。それなりに証拠を掴んでの事でしょう。ただ、取引に応じるかどうか……」
「そこを承諾して頂くよう進めるのが、我々の役目です。ルクスに頼らずとも、やり遂げてみせますよ」

 アサヒはこの作戦について何も心配していないように見えて、ルクスは不安を覚えつつも静かに頷いた。

 代理総督ヨツユは、ドマ城にて暁の血盟をはじめとする解放軍に追い詰められ、ヒエン・リジンの手によって命を落とした――それが第一報であった。だが、彼女の遺体を確認した者はおらず、実は生きていて捕らえられているとしても何もおかしくはなかった。確かに、アラミゴで死んで埋葬されたと言われていたゼノスが、生きて帝都に帰って来たのだから、ヨツユが生きている事自体は疑いの余地はない。

 だが、果たしてドマ側はあっさりとヨツユを帝国に引き渡すだろうか。多くのドマ人の身柄と引き換えと考えれば、最終的には応じてくれる可能性はあるものの、あまりにも帝国はドマ人から恨みを買い過ぎている。ルクスとて属州での圧政が酷い有様であった事は重々理解しており、だからこそそう上手くはいかないのではないか、とどうしても楽観的になれずにいたのだった。



「……恐れ入ります、アサヒ大使。失礼を承知でお伺いしたいのですが」
「はい、構いませんよ」

 ルクスと離れた後、アサヒは突然マキシマに訊ねられ、愛想の良い笑みで頷いた。いくらドマ出身の帝国軍人という立場とはいえ、いきなり全権大使に任命される男など、長い間民衆派として活動して来た側からしてみれば、本当に大丈夫なのかと疑いの目を向けるのは無理もない話である。一応、表向きには今のアサヒは『民衆派』という事になっているが、当然彼は帝国に異を唱えようと思った事など、生まれて来てから一度もなかった。幼い頃から『それ』が正しいと教育されて生きて来たのだから。
 アサヒは何を質問されても上手く立ち回る自信があった。だが、マキシマの口から出て来た言葉は、予想しないものであった。

「大使は、ルクス様とどのような関係でいらっしゃるのですか」
「…………は?」

 呆けた声を出すアサヒに、マキシマは気まずそうに視線を逸らし、わざとらしく眼鏡を上げて咳払いした。

「いえ、民衆派の者たちの中でも噂になっておりまして。その、あなた方が恋仲ではないかと……」
「マキシマもそんな噂話に興味があるんですね。意外です」
「いえ、ただ……」
「ただ?」

 アサヒが問い掛けると、マキシマは先程は打って変わったように、真剣な眼差しを向けた。

「これは私の一意見ですが……仮にお二人が将来を誓い合った仲だとすれば、此度の同伴は納得出来ます」
「しょ、将来……?」
「『監視役として来た』とはっきり仰られるなど、普通であればルクス様も多少なりとも不快感を露わにする筈です。それが一切なく、寧ろお二人の間には見えない絆があるように思えます」

 つくづく、ルクスが一緒に来る事になって良かったとアサヒは内心失笑してしまった。勝手に勘違いして、せいぜい己を聖人だと思い込んでいれば良い――そんな事を心の奥底で思いつつ、アサヒは照れ臭そうに笑みを浮かべながら小声で呟いた。

「……いえ、実は私のほうが一方的にルクスの事を想っているだけなんです。私のような属州出身の者にも分け隔てなく接するだけでなく、心無い事を言われた時には庇ってくださった事もあり……」
「成程、お二人の間にはそんな事が……」
「ルクスは下心なんてなく、当たり前の事をしただけなんだと思います。それでも、『俺』にとってルクスは……」

 軍人としてではなく、一人の人間として。彼女の事を想っていると口にしたアサヒを、マキシマは何も疑わなかった。

「個人的な事を伺ってしまい、大変失礼しました。アサヒ大使の想いがルクス様に届く事を、我々も願っております」
「まあ、向こうの気持ちも考えないといけませんが……」

 アサヒは確実にマキシマ達からの信頼を得るために、最後にこう付け足した。

「それに、ルクスは元々は第XIV軍団の兵士でした。当時の軍団長のガイウス殿は、属州出身者も平等に評価していたと聞きます。そういった地盤があるからこそ、皇帝陛下やゼノス様もルクスの同行を勧めたのかも知れませんね」

 ただ単にルクスは民衆派として生きる選択肢が目の前になかっただけで、成し遂げたい事は同じである――マキシマはそう理解し、もう二人を疑う事はしなかった。

「アサヒ大使、此度の和平交渉、絶対に成功させましょう。さすれば、我々だけでなくルクス様の願いも叶う事になります」
「ええ。一筋縄ではいかないと思いますが、最善を尽くしましょう」

 かくして、誰もアサヒの真意を知らぬまま、彼らを乗せた飛空艇は滞りなくドマへと向かっていた。ルクスの不安は杞憂に終わるのか、それとも――。

2023/01/09
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