戦時の祈り



 属州アラミゴへの配属が決まった際、ルクスは一切悲観などしていなかった。ゼノスの下で懸命に戦い、また、帝国の国是を忘れなければ、必ずや輝かしい未来が待っている。そう信じてやまなかった。
 ルクスはあまりにも現実を知らなかった。この世界には努力ではどうにもならない事が多くあり、また、いくら正論を訴えても、数の暴力によって世迷言だと切り捨てられてしまう事を。





 アラミゴ・ロイヤルパレス――かつてアラミゴの王族が暮らしていた王宮は、いまやガレマール帝国の所有物と化していた。新たに総督となったゼノスが玉座に腰を下ろし、彼の前に数多もの帝国軍――第XII軍団の軍人たちが整列する。
 いつもの光景。だが、この日ばかりは普段以上に張り詰めた空気が漂っていた。先日、第XII軍団の部隊がエオルゼア同盟軍と衝突し、敗北したからである。

「エオルゼア同盟軍は、以前としてバエサルの長城を占拠しており、接近する我が軍の部隊に対して、敵対行動を取っております。先日も、新型機の試験運用に出た部隊が、同盟軍と思われる部隊と遭遇、交戦の末、全滅しております」

 経緯を報告する幕僚のひとりに、ゼノスは淡々と問い掛けた。

「全滅……どのようにだ……?」

 仮面を被っており、その表情を窺い知る事は出来ないが、普通に考えれば自軍が失態を曝したとなれば、何も感じないわけがない。ルクスは、これ以上ゼノスの神経を逆撫でするような事が起こらなければ良いのだが、と内心思っていた。
 だが、そういった不安は得てして現実となるものである。ひとりの千人隊長がここで声を上げた。

「ハッ……! 同盟軍と交戦をしたのは、我が配下の部隊になります。ただひとり負傷しながらも逃げ帰ってきた兵によれば、イーストエンド混交林にて、待ち伏せ攻撃を受けたようでして……」
「…………ハ。聞くに足らぬ凡庸な戦だが、ただひとりの生還者というのは、悪くない……」

 ゼノスは特に憤る事もなく、寧ろどこか面白がるように聞いていた――ように見えた。

「生き残る悪運も、また力のうち……その者の命だけは狩らずにおいてやる。しかし、我が第XII軍団に弱者の席はない……即刻、飛ばしておけ」
「ハッ……直ちに任を解き、左遷しておきます。お言葉どおり、『蛮族』相手に敗北を喫するような腰抜けは、皇太子殿下率いる第XII軍団には相応しくありませんからな!」

 この瞬間、空気が凍り付いた。

「ほう……腰抜けは必要ない、か……」

 ゼノスは徐に携えていた刀を抜き、歩を進めた。そして、困惑する千人隊長の前で止まり、何も言わずに相手を斬り付ける。
 一瞬の出来後であった。千人隊長の男は叫ぶ事も出来ないまま倒れ、床が鮮血で赤く染められていく。

「素晴らしい見識だ。確かに後方で安穏としている腰抜けは必要ない……」

 ルクスは、まるで見たくないものを見ないようにするかの如く、誰も座っていない玉座へと顔を向けた。
 部下の失態は上官の責任でもある。どちらにせよ何らかの処分を下されていたであろうと考えれば、今この場で何も分からないまま殺されるのも、ある意味『処分』の一環と言えよう。ルクスはその是非を、今この場で考えようとは思わなかった。綺麗事だけでは生きて行けない、己たちの上官はゼノスなのだと、かつての第XIV軍団の仲間たちから何度も言われてきたからだ。

「さて諸君、俺は未知の蛮神が召喚されたのち、あえてバエサルの長城を放置し、エオルゼア同盟軍の手に委ねた。なぜか……」

 ゼノスは再びゆっくりと歩を進め、ルクスの前で立ち止まる。
 このタイミングで、下手な事を言えば終わりだ。ルクスは今までかつてないほど心拍数が上がっているような感覚を味わいつつ、表面上だけは平常心を装って、声を上げた。

「それは、皇帝陛下が我が第XII軍団の進軍を、何故か認めてくださらないからでありますっ!」

 その発言に、ゼノスは仮面の奥で笑った――ように、ルクスは感じた。尤も、周囲も「その言い方はまずい」とでも言いたげにルクスを見ており、ここが帝都であれば不敬罪で処分されていた可能性も無きにしも非ずである。

「ルクス様、御言葉ですが……その言い方では、皇帝陛下に不満があると受け取られかねないかと」
「あっ……」

 目の前のゼノスの不興を買わないよう努めるあまり、とんでもない事を言ってしまったと、兵士のひとりの言葉でルクスは冷や汗をかいた。尤もそれだけで済んでいるのは、この発言でゼノスが怒る事はないという確信があったからである。ここにいる誰かが皇帝陛下に告げ口でもしない限り、ルクスが処分される事はないのだ。

「その通りだ……我が父君にして皇帝たるヴァリス陛下が、未だにエオルゼアへの進軍許可を下さらぬからである」

 エオルゼア同盟軍と戦えない事を不満に思っているのは、なにもルクスだけではない。ゼノスもそうだと分かっているからこその発言であった。

「なればこそ、我が管轄下たるギラバニアを『猟場』とするため、エオルゼア同盟軍を招き入れたのだ……。そう……『狩り』を愉しむためにな……」

 ただ、ゼノスとルクスは根本的な考えが異なっていた。ルクスはガイウスの仇を討ち、そして帝国の国是どおり世界を統一する事が使命だと考えていた。だが、ゼノスはそうではなかった。

「弱き獣を、狭き庭に放したとて、面白き狩りにはならぬ。好きに駆けさせ、ときに追い立て警戒心をあおる……。そのための我が猟犬が、獲物に後れをとるなど度し難い……」

 ゼノスにとっては、強者との戦いが至上の喜びであった。それ以外は有象無象に過ぎず、国是すらも彼にとってはどうでも良い事であった。尤も、それをあからさまに表に出すような事はしなかったが、ルクスは薄々と勘付いていた。
 ただ、ルクスはゼノスの本質に異を唱えるつもりはなかった。ルクスの目的は『暁の血盟』への復讐である。ゼノスがあの忌まわしき英雄どもを抹殺してくれるのならば、ルクスの心も晴れるというものである。勿論、自らの手で仇を討つ事が出来れば良いのだが、『超える力』などという異能の力に今の自分が太刀打ち出来ると思うほど愚かではなかった。

「さて、優秀なる我が第XII軍団の将校たちに今一度、問おう。誰か帝国への抵抗を続ける『蛮族』どもを、駆り出す良き策を持っている者は……いるか?」

 ルクスは必死で思考を巡らせたが、ゼノスが納得するような案はすぐには思い付かなかった。ここをゼノスの言う『狩猟の場』とするのなら、餌を吊るしておびき寄せ、そこで一網打尽にする。そう簡単に思いつきはしても、では具体的にどの場所を『狩猟の場』とし、『餌』はどうするのか。
 ドマの反乱制圧の時のように、反乱軍が暴れてくれればこちらも『属州を守る』という形で戦闘態勢に入る事が出来る。では、反乱軍――エオルゼア同盟軍に同じ行動を取って貰う為にはどうすれば良いか。
 そこまで考えて、ルクスの頭は一度リセットされた。ひとりの千人隊長が声を上げたからだ。

「……この私に策がございます!」

 千人隊長、フォルドラ・レム・ルプス。アラミゴ人で構成される『髑髏連隊』の隊長である。だが、彼女の言葉は他の幕僚によって遮られた。

「口を挟むな! アラミゴ人風情が出過ぎたマネを!」

 お前こそ口を挟むな、とルクスは苦虫を噛み潰したような顔で相手を見遣ったが、当の幕僚はそんな視線などお構いなしに言葉を続ける。

「貴様ら現地民部隊は、前総督が設立したもの……。形式上、軍議の末席に加えてはいたが、誰も貴様のような『蛮族』の助言など求めておらんわ!」

 さすがに黙ってはいられず、俯き耐えるフォルドラに代わってルクスは怒りを露わにした。

「慎みなさい! フォルドラに文句があるのなら、当然ゼノス様が納得されるような策はあるのでしょうね?」
「黙れ、前総督の犬が! 大体お前が幕僚にいる事自体が不相応だと分かっているのか!?」
「それは、ゼノス様の采配に不服があるという意味ですか?」

 幕僚同士の口論が始まりかけたが、ゼノスがルクスの鼻先に剣先を向けた事で、強制的に終了する事となった。

「……申し訳ありません、ゼノス様」
「構わぬ。それよりも……」

 反省の色を示すルクスにはもう用がないとばかりに、ゼノスは何事もなかったかのように、フォルドラへと顔を向ける。

「そのアラミゴ人が、アラミゴ人を狩ろうというのだ。幾分かは愉快であろう……許す、発言せよ」

 フォルドラは顔を上げ、目を見開いた。この張り詰めた空気の中で声を上げる事が出来る時点で、確実な策があるのだ。ゼノスも納得し、確実にエオルゼア同盟軍と戦闘を行う事が出来る策が。ルクスはフォルドラへ顔を向けると、一瞬だけ目が合った。僅かにフォルドラの頬が緩んだように見えたのは、きっとルクスの気のせいだろう。

「ハッ……申し上げます!」





 先程の凍り付くような空気とは一転、ルクスは屋上庭園に繰り出して、美しい夕焼けの空を眺めながら、わざとらしく伸びをしてみせた。

「……まるで自分の家のような振る舞いだな」

 その後ろで、呆れるというより少し軽蔑するような眼差しを向ける女がひとり。
 ゼノスへ提案を行った、フォルドラであった。
 彼女の策はゼノスに受け容れられ、また、ルクスの「彼女に文句があるのなら策を出せ」という発言もあり、反対する者はいなかった。

「正直、ゼノス様はよくお前のような女を幕僚にしたのかと、私も思うほどだ」
「元々配属されていた第XIV軍団の功績が認められたからです。私個人が評価されているわけではないのですよ」
「それで、この振る舞いか……」

 フォルドラはルクスという女を好きになれずにいた。彼女はこのアラミゴに配属された時からずっと、「属州の民も我々と同じ帝国人だ」と主張し、周囲から反感を買っているのだ。だが、どういうわけかゼノスはルクスを傍に置き、よく雑談しているようにも見えた。フォルドラとて本当にルクスが幕僚として不相応とは思ってはおらず、恐らく彼女の知識や経験がゼノスにとっての益になっているのだろうと考えていた。
 彼を知り己を知れば百戦殆からず。ルクスは第XIV軍団としてエオルゼアに長く駐在した経験があり、第XII軍団に編成された後もスパイとして活動していたと、フォルドラは人伝に聞いていた。
 ゆえに、少なくとも己を批判する幕僚よりはマシなのではないかとフォルドラは少しばかり思いはしたが、それを口にする事は憚られた。
 彼女の正義感が、煩わしかったからだ。何も知らない帝国人の綺麗事。フォルドラが物心ついた時から、アラミゴは属州としてガイウスが統治していたが、属州人への差別は当時も今も酷いものである。
 恐らくは、ガイウスの影響を受けて今のルクスがあるのだろう。何にせよ、フォルドラにとってルクスは不愉快な存在であった。

「ゼノス様に、あんな幕僚と一緒にいたくないですって言ったら、気分転換にこの庭園を好きに使って良いと許可を頂いたんです」
「はあ……まるで子どもの我儘だな」
「そうですね、フォルドラはこんなにしっかりしてるのに、私は全然『なってない』です」

 分かっているなら少しでも努力をしろ、とフォルドラは言い掛けたが、そもそもルクスと雑談に興じる気はなく、相手のペースに載せられて堪るかと黙り込んだ。
 フォルドラは決して自らこの空中庭園に来たのではない。ルクスに強引に連れられたのだ。髑髏連隊の仲間たちは、先程ルクスがフォルドラ庇った事もあり、快く送り出したというのが事の顛末である。フォルドラとしては、仲間たちがルクスなど信用出来ないと言ってくれるのを期待したのだが、上手くいかないものである。

 ルクスは黙り込むフォルドラの手を取って、ゆっくりと歩き出した。

「ゼノス様、この庭園には全く興味がないそうです。勿体ないですね、こんなに美しいのに……」
「勘違いするな、お前と慣れ合うつもりはない」

 フォルドラは乱暴に手を振るって跳ね除けたが、ルクスは全く気にせず微笑を湛えていた。

「私、いつかフォルドラが、このアラミゴの総督になって欲しいと思っているんです」
「……お前、いくらなんでもその発言は……」

 突然何の脈略もなくそんな事を言われ、フォルドラは身構えた。一体この女は何を企んでいるのか。先程ヴァリス帝に不満があるような言い方をしたと思えば、己の前でゼノスを差し置いて有り得もしない事を言い出すなど、気が狂っているか、何かを企んでいるとしか思えなかった。

「ゼノス様は、属州の総督で終わる方ではないと思っています。いつかは皇帝陛下も崩御される時が来ます。その時には、ゼノス様が皇帝になって欲しい……私は心からそう思っています」
「……誰かに聞かれたら不敬罪で処刑だぞ」
「私はフォルドラを信じていますから」

 虫唾が走る。一体お前が私の何を知っているのか。何も知らない癖に。フォルドラは不快感を露わにし、ルクスを睨み付け、吐き捨てるように言った。

「……もしゼノス様が皇帝に即位される時が来れば、アラミゴの総督はお前がなればいいだろう。属州人も帝国人だと主張するお前なら、さぞ素晴らしい属州に出来るだろう」

 ガイウスで出来なかった事が、ルクスに出来るわけがない。それを分かっていて、フォルドラはそう言い放った。嫌味だと気付いて己から距離を置けばそれで良い。気付かないほど馬鹿ではないだろう。フォルドラはそう思っていた。
 だが、ルクスから返って来た言葉は、フォルドラが予想しないものであった。

「私には無理です」
「……どうしてそう言い切れる?」
「ガイウス様が為し得なかった事を、私が出来るとは思わないからです」

 まさか自分の心が読まれているのか、などとフォルドラは有り得ない事を一瞬考えてしまったが、そんな動揺が顔に出ていたのか、ルクスは気にしてないと言いたげに笑みを浮かべながら首を横に振った。

「私は何も知りませんでした。ガイウス様が管轄している属州は、差別もなく皆平和に暮らしているのだと思い込んでいました。……ですが、現実は違う。ドマも、そしてこのアラミゴも、ガイウス様が思い描くような環境ではなかった」

 ドマで大規模な反乱が起こったのは、決してガイウスを失い情勢が不安定になったからではない。長年の圧政で民は苦しみ続け、頭を失った事で今が勝機と反乱軍が立ち上がったのだ。

「ドマは今、ドマ出身の帝国人が代理総督に選ばれたんです。ならば、このアラミゴも、アラミゴ出身であるフォルドラ、あなたが総督になる事は、何もおかしな事ではありません」
「フン、お前は『良い事を言った』と思っているだろうが、人に責任を押し付けているのと同じだ」
「うーん……そういう意味ではないのですが……」
「そういう意味だ」

 もうこれ以上話したくない、とフォルドラが空中庭園を後にしようと踵を返した瞬間。
 突然突風が吹き、庭園に咲き乱れる花の一部が、花びらとなってフォルドラとルクスの周りを舞った。

「ふふっ、綺麗ですね。ゼノス様は戦にしか興味がないなんて、本当に勿体ないですよ」
「悪いが、私も花には興味がない」

 そう返した瞬間、フォルドラは一体何が悪いのか、と自問自答し後悔した。別にルクスにどう思われようとどうでもいい、寧ろ嫌ってくれた方が余程気が楽だというのに。

「フォルドラ。例の作戦、絶対成功させましょうね!」
「お前に協力して欲しいとは一言も言っていないが」
「嫌って言っても協力しますよ。一緒に頑張りましょう」

 付き合っていられない。勝手にしろ。フォルドラはそう思いながら、何も言わずに背を向けて空中庭園を後にした。
 本当にあの女は幕僚には向いていない。軍人として戦場を駆け、敵の血を浴びて生きるのではなく、それこそ花が好きなら花を愛でて静かに暮らしていれば良いものを。花びらを纏って微笑むルクスを思い出して、フォルドラは柄にもなくそんな事を思ってしまったのだった。

2022/09/11
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