険しき星の道



 エオルゼアより東方、オサード小大陸の大国ドマ。だが、大国というのは昔の話である。約二十五年前にドマはガレマール帝国に侵略され、属州と化した。
 ガレマール帝国は、属州の民も帝国人と同等の権利を与えると宣っていたが、現実はまるで違っていた。属州の民は市民権を与えられず、奴隷のような暮らしを送る事となった。圧政、差別、それらはどう考えても同等ではなく、属州の民は苦しい生活を強いられるか、またはそれなりの生活を送る為に、帝国に魂を売るかのどちらかを選ばざるを得なかった。
 ドマの集落、ナエウリ家の嫡子として生まれたアサヒという少年は、本来のドマという国を知らぬまま、属州の民として帝国の教育を受けて育ち、当たり前のように現状を受け容れていた。物心が付いた頃には既にドマは属州と化しており、両親は帝国へ反旗を翻す事はせず、軍に媚びて生きる事を選んだのだから、無理もない話である。
 幸いにも非常に優秀であったアサヒは、帝都にある魔導院への留学が許可され、数年後には正式に帝国軍への入隊が決まったのだった。
 しかしながら、アサヒにとって自身の人生は、順風満帆とは言い難いものであった。実の両親は生活の為、彼と義理の姉ヨツユを帝国の貴族――ブルトゥス家へと売り渡し、彼らは養子として生きる事となった。尤も、アサヒと義姉は実のきょうだいではなく、親戚の遺児であるヨツユを両親が引き取ったというだけであり、ろくに口を利いた事もなかった。互いに帝国の貴族に養子として迎え入れられようと、己は軍人として生き、義姉は『これからも』娼婦として生きていくのだろう。互いの人生で己たちが交わる事はなく、恐らく実の両親とも二度と会う事はなく、例え属州の民であろうとガレマール帝国の軍人として、淡々と生きて行く――ブルトゥス家の養子となったアサヒは、紛れもなくそう思っていた。





「ルクス、お前を幕僚に任命する」

 ドマの反乱制圧から数ヶ月後。第XII軍団に所属するアサヒは、新たに軍団長となった皇太子ゼノスの発言に耳を疑った。
 無論、ゼノスの決定が気に食わないなど口が裂けても言えない。相手が皇族だからではなく、アサヒにとってゼノスはこの世の誰よりも特別な存在であるからだ。
 ドマで起こった大規模な反乱の際、かの国に駐在していたアサヒは、敢え無く反乱軍に殺されかけたところ、運良くゼノスに助けられた。相手にとってアサヒなど名もなき兵士のひとりであり、命を救った事もゼノスにしてみれば事足りぬ事である。だが、ゼノスの圧倒的な強さを目の当たりにしたアサヒは、それ以来彼を崇拝するようになった。
 ゼノスの判断は絶対であり、反論など許されない。
 だが、それでも――。

「何故あんな女が幕僚に……」

 その言葉を漏らしたのはアサヒではなく、彼の傍にいた第XII軍団の兵士のひとりであった。

 元第XIV軍団の兵士たち。彼らはアサヒがドマに駐在していた頃、エオルゼアにカストルムと呼ばれる根城を築き駐在し、いずれ属州とする為侵略の計画を立てていた。その筈が、ウルダハ、モードゥナ、リムサ・ロミンサの三国が同盟を結成し、更に『暁の血盟』と呼ばれる異能の力を持った連中と手を組み、エオルゼア同盟軍として帝国へ反旗を翻した。そして第XIV軍団そのものを壊滅させてしまい、辛うじて生き残った敗残兵がこの第XII軍団に再編されたというのが事の顛末である。
 その決定自体に納得出来ていない兵士が多いなか、どういうわけかゼノスは元第XIV軍団の女を突然幕僚に任命したのだった。アサヒだけでなく、他にも苛立ちを露わにする者がいるのは至極当然であった。

「とはいえ、ゼノス様にも何か考えがあっての判断だと思いますが……」

 アサヒは本音を押し殺して、作り笑いを浮かべながら傍にいる兵士を宥めた。揉め事を起こさず穏便に済ませる為の処世術である。例え帝国人の養子になったところで属州の生まれである事に変わりはなく、差別がなかったと言えば嘘になる。だが、喚いたところで何が変わるわけでもない。軍人として結果を出して、淡々と生きて行くしかないのだ。内輪揉めする暇があれば戦果のひとつでも挙げたいのが本音であり、何よりもアサヒが今言った通り、ゼノスが考えなしに気に入った女を幕僚にするとは思えない――思いたくなかったのだ。

「そう思いたいのは山々だが、ゼノス殿下とて男だからな」
「……何が言いたいんですか?」
「決まってるだろ、殿下と寝て――」
「不敬ですよ」

 あまりにも低俗な憶測に、アサヒはさすがに眉を顰めて嗜めたが、確かにあんな女が幕僚に選ばれるのはおかしいと感じていた。ルクスという女の事をアサヒは何も知らないが、第XIV軍団でそれなりの戦歴があるならば、己たちも多少なりとも把握している筈である。例えば『ダルマスカの魔女』ことリウィア・サス・ユニウスの存在は、第XII軍団でも知るところであった。
 だが、この女は一体何なのか。大きな戦果を挙げたわけでもないというのに。百人隊長と名乗っていたが、それだけでは理由にならない。同じ階級で昇格出来ない者は山のようにいるのだから。
 ゼノスが肉体関係を持った相手を易々と幕僚にするなど、そんなくだらない理由で決めるわけがないとアサヒは思いたかったが、かといって他に思い当たる理由もなく、ただただルクスへの不信感を募らせていた。





 ルクスとて、自身の昇格についてよく思われていないのは分かっていた。理屈で考えれば、本来敗残兵として処分される筈の存在が、第XII軍団の軍人を差し置いて幕僚に任命されること自体が異例なのだ。なお、ルクスだけでなく彼女の仲間もそれなりの地位に置かれる運びとなっていた。
 実力主義とはいえ、第XIV軍団の実力など他の面々は知る由もなく、ましてやルクスは名の知れた軍人でもない。ルクス自身も困惑しているものの、後々この判断は正しかったと思って貰えるように結果を出すしかない、そう思うしかなかった。ゼノスの決定に異を唱えるのは、それはそれで間違っているからだ。

 ルクスが一人で行動している時、周囲から面と向かって非難される事はなかったが、裏で好き勝手に言われているのは察していた。自らの身体を使ってゼノスに取り入り、幕僚の座を手に入れたのだ、そうに違いない、そんな言いがかりも本人の耳に届いていた。

「――女はいいよな、楽に出世出来て」

 通りすがりに誰宛とも取れない言葉を呟かれても、ルクス自身が幕僚になった理由が掴めずにいる以上、反論しようがなかった。
 今はただ耐えるしかない。ルクスはそう思っていたのだが、

「御言葉ですが、あたかもゼノス様が短絡的な理由で選んだと決め付けるのは、如何なものかと思いますが」

 突然聞こえた言葉に、ルクスは耳を疑った。第XII軍団の者からこの判断を是とする意見を直接聞いたのは、これが初めてであったからだ。
 ルクスが顔を向けると、その発言を為したのはどこかで見覚えのある顔――先日のドマ反乱制圧で見掛けた、東方系のヒューラン族の男であった。

「いや、ゼノス様が間違っているなどと思ってはおらん。だが――」
「何か理由がある筈です。良い機会ですし、直接本人に伺った方がお互いに蟠りもなくなると思います」

 東方系の男はそう言うと、ルクスの傍へ歩を進め、人の好さそうな笑みを浮かべて声を掛けた。

「無礼をお許しください。ですが、我々もまだあなた方第XIV軍団の事を知らず、憶測が飛び交っているのが現実です」
「い、いえ、私は気にしていませんので、大丈夫です」
「あなたが大丈夫でも、我々はそうではないんです。幕僚殿」

 明らかに棘のある言い方に、鈍いルクスでもさすがに察さざるを得なかった。この男は己を庇う為に声を掛けたのではない。彼もこの決定に納得出来ていないからこそ、今この場で全てを明らかにしろと言いたいのだ。

「……皆様が私を受け容れられないのは分かります。ですが、私自身もどうして任命されたのか、見当が付かず……」
「謙遜しなくて結構ですよ。我々はただ経緯を知りたいだけなんです。ゼノス様が一時の快楽に流されるなど、私としても絶対に認めたくありませんので」

 これは質問ではない、尋問だ。
 だがルクスも彼らが納得出来る答えを持ち合わせておらず、俯いて口を閉ざすしかなかった。やはり噂は本当なのだと失笑が零れる中、唯一ルクスに直接問い質した男だけは、張り付いた笑みを浮かべていた。お前が真実を口にするまでずっと追及し続ける、そう言いたいかのように。

「いい加減にしろよ。ゼノス様は勿論、ルクスをこれ以上侮辱するのも見過ごせん」

 今度は別方向からルクスにとって馴染み深い声が飛んで来た。元第XIV軍団の仲間である。何かとルクスをフォローしているその仲間もまた、新たに重要なポジションに置かれたひとりであった。

「俺たち元第XIV軍団では、あの忌まわしき蛮族が持つ『超える力』の研究も行っていた。ゼノス様はその研究にいたく興味を持たれており……技術提供の見返りと情報収集力を買われて、俺たちを幕僚の座に置いた。ただそれだけの話だ」

 ルクスの仲間は簡潔にそう告げて、もうこれ以上話す気はないと踵を返した。

「ルクス、行くぞ。下世話な戯言に付き合っている暇などない筈だ」
「で、でも……」

 果たして今の説明で納得出来たのだろうかと、ルクスは己を問い質した東方系の男へと顔を向けた。恐ろしいほど無表情で、その胸中を窺う事は出来なかったが、ルクスと目が合った途端また愛想の良い笑みを浮かべてみせた。

「ご説明、ありがとうございます。ゼノス様の身の潔白が証明されてほっとしました」

 これで互いに少しでも関係が改善されれば良いのだが、そう思いつつルクスが背を向けた瞬間。

「まあ、あなた方は亡き軍団長殿の遺産を利用しただけで、実力で幕僚になったわけではない事は納得がいきませんが。ゼノス様のご判断ですから、我々も仕方なく受け容れるしかありませんね」

 男はさらっとそんな事を言ってのけて、さすがにルクスの仲間も頭に血が上って振り返った。己たちがガイウスを利用してゼノスに取り入ったなど言い掛かりにも程があるが、とはいえ第XII軍団の面々にそう捉えられても仕方のない部分もある。下手に揉め事を起こすのは今は得策ではないと思いつつも、東方系の男を睨み付けて、捨て台詞を言い放った。

「納得出来ないのなら貴殿も戦果を挙げるべきだろう。属州民でもサスの階級にはなれるのだからな」

 属州民。その言葉に、今度はルクスが振り返った。
 本来ガレマール帝国はガレアン族の国であった。今となっては各国の属州化も相まって様々な種族が入り混じり、ヒューラン族もそれなりに多くはいるものの、黒髪、黒い瞳の東方系ヒューランの容貌は未だに珍しい存在である。ゆえに、属州ドマの出身と否が応でも分かってしまうのだ。
 だからといって、侮蔑の意味を込めて口にして良い言葉ではない。

「いくらなんでも失礼です! ガイウス様の教えを忘れたのですか!?」
「属州の人間が帝国人と同等など、綺麗事に過ぎん。ガイウス様は甘すぎたのだ」
「そんな訳が……」
「いいから行くぞ。これ以上足の引っ張り合いに付き合ってられるか」

 仲間は強引にルクスの腕を掴んで引き摺り、強引にその場を後にした。ルクスは謝らなければと東方系の男を見遣ったが、もうそこには愛想笑いすらなく、ただただ無表情で己たちを見つめる男の姿があった。
 ルクスは声を掛けるタイミングを失い――否、男の無表情な様子を恐ろしく感じ、言葉を失ってしまっていた。



「どうしてあんな酷い事を言ったんですか!?」
「俺にはお前が理解出来ん。あそこまで侮辱されて、何故そこまであの男を庇う?」
「だって……属州民も帝国人なのだと、ガイウス様はいつも仰られていたじゃないですか……」

 ルクスはやはり間違っていると、仲間に声を荒げた。かつての第XIV軍団には、ガイウスの意向で属州出身の軍人も多くいた。リットアティンも属州出身だが、多くの戦果を挙げてサスの階級を得るに至ったのだ。それ以上の階級は認められないのも現実ではあるが。

「ルクス、俺たちは今までガイウス様のお陰で、現実を知らずに生きて来られたのだ」
「……それは、私だって分かっています。現実は差別もあり、ガイウス様の教えは理想論に過ぎないと。ですが、その意志を私たちが継がなくては――」
「それは無理だ。お前がエオルゼアに潜入している間、俺たちも勉強がてら属州の様子を窺ったが……」

 仲間がはっきりと言い切るのには理由がある。現実はルクスが想像するよりも遥かに過酷であった。属州の民は何らかの功績を挙げて帝国から市民権を与えられても、差別は根強く残っている。それどころか、市民権のない属州民からも売国奴だと罵られ、安定した生活を手に入れる代わりに人としての誇りも失われる。
 特にアラミゴはそれが顕著に表れていた。ガイウスが管轄していた頃は平和であったが、彼がエオルゼアに拠点を移してからは酷い有様へと変わったのだという。恐らくそれはドマも同様であるからこそ、先日大規模な反乱が起こったのだ。

「……だからといって、帝国のために命を賭けて戦っている軍人を、属州出身だからという理由で罵っても良いのですか?」
「そう簡単にいかんのだ。『民衆派』の可能性が極めて高いからな」
「民衆派……属州民にも平等に市民権を与えるべき、という派閥の事ですね。ガイウス様と同じ価値観に思えますが」
「駄目だ。ガイウス様と同じだと考えるな。民衆派に加担すれば、最悪ガレアン至上主義の派閥に文字通り消される事になる」

 まさかそんな理由で暗殺など有り得るのか、とルクスは怪訝な顔をしたが、仲間はいたって真面目な顔をしていた。

「ガイウス様が特別だったのだ。皇帝陛下からの信頼も厚かったからな。だがソル帝が崩御され、ヴァリス帝が皇帝に即位された今は違う」
「……つまり、民衆派への弾圧も激しくなっていると?」
「そういう事だ。どちらにせよ、もう過去の考えは捨てるべきだ。ろくでもない事に巻き込まれる前にな」

 この国は変わってしまった。否、ガイウスが偶々特別な存在だったのか。あるいは、ソル帝とガイウスの死を機に、様々な問題が表面化しただけに過ぎないのか。
 理想論だけでは生きて行く事は出来ない。様々な事が変わりつつある情勢に、ルクスは受け容れなければならないと分かってはいつつも、あの東方系の軍人――アサヒという男が無表情で立ちすくむ姿が頭から離れなかった。

2022/08/07
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