若葉によく似たまなざし

 知の都シャーレアンで生まれたフィオナは、魔法、エーテル学、この世界に纏わるありとあらゆる事象を学びながら成長し、魔法大学へと籍を置いた。
 シャーレアン魔法大学は、年齢など関係なく純粋に各々の生徒の実力で評価を行い、飛び級制度にて自分より後に入った生徒が先に卒業する事も少なくなかった。フィオナはそんな状況下で学業に明け暮れるうちに、徐々に『自分は本当は才能のない、平凡な人間なのではないか』と思うようになっていた。
 自分のやりたい事、学びたい事は何なのかが明確であれば、他人と比べる必要はない。周囲はまさに、他人と比べる暇があったら学業に勤しんでおり、フィオナはいちいち周りと比べてしまう自分は凡人なのではないかと、初めて自分の道を失いかけていた。
 幸い、フィオナは勉学が苦だと感じた事はなかった。ただし、研究として本格的に突き進むとなると、やはり興味のある、好きな分野でないと行き詰まる可能性がある。子どもの頃はそんな後ろ向きな事を考えた事は一度もなかっただけに、ある程度の年齢を重ねて、この魔法大学でフィオナは緩やかな挫折を味わっていたのだった。

 やがてフィオナは、とある分野に興味を抱いた。五千年以上前、第四霊災で滅びたと言われる『古代アラグ帝国』。帝国は霊災が訪れるまで、千年もの間栄え続けたと言われている。その時代に培われた『古代アラグ文明』は、今の我々の知識や技術では決して到達出来ない高みにあったのだという。ゆえに禁忌とされ、アラグ文明は第四星暦で放棄され、忘れ去られていったのだが、近年になってコイナクという男が失われた帝都を発見した事で、漸くアラグ帝国が実在した事が証明された。彼の功績を讃え『聖コイナク財団』が設立され、シャーレアンの者たちがエオルゼアに渡り、研究・調査を盛んに行っている。
 この話を聞いたフィオナは、やっと自分が本当に研究したい事が見つかった気がする、と感じた。
 禁忌の文明。それを紐解き、今この時代にそれを蘇らせる事が出来れば――フィオナは決して立派な信念を持った人間ではなく、漠然と『物凄い事が起こりそうだ』と期待と僅かな恐怖を抱き、徐々にアラグ文明にのめり込むようになっていった。

 そんな矢先、フィオナは運命をの出会いを果たした。運命の相手というよりも、彼女の人生に多大なる影響を与えた人物、と称した方が正しいのだが。





「えーっと、この辺かな……」

 図書館でアラグ文明に纏わる書物を探していたフィオナは、目ぼしい本を見つけて手を伸ばした。ただ、ほんの一秒先に他の者が同じ本に手を伸ばし、あっさり取られてしまった。

「あ〜!」

 フィオナが思わず声を上げると、相手もまたうわっ、と反射的に声を返した。相手は男の声であり、曲がりなりにも女子に対して「うわ」とは失礼ではないかと、フィオナは一言文句でも言ってやろうかと相手へと向き直った。
 フィオナの視線の先、目の前で驚いた表情を浮かべている男は、猫のような耳をぴくぴくと動かしていた。ミコッテ族と呼ばれる種族である。フィオナはヒューラン族であるが、このシャーレアンやエオルゼアには多くの種族が集い、互いを尊重し合って生きている。

「な、なんだよ。この本は渡さねーからな」

 ミコッテ族の男は、フィオナが欲しかった本を絶対に渡さんとばかりに抱き締めて、顔を背けた。
 その瞬間、男の前髪が少しだけふわりと浮かぶ。
 フィオナは偶然目の当たりにした。前髪で隠れていた男の右眼が一瞬だけ見えて、その瞳が紅く輝いているのを。

 ミコッテ族の男がそのまま立ち去ろうと踵を返し、一歩踏み出すと同時に、フィオナは無心で男の腕にしがみ付いた。

「な、なんだよいきなり」
「あの! その目……」

 フィオナは男の前髪から僅かに見える右眼を凝視した。左眼はふつうの青緑色をしているというのに、右眼だけはどういうわけか血のように紅かった。男は右眼を隠したいのか、嫌そうに頬を引きつらせて顔を背けようとしたものの、続くフィオナの言葉で、嫌な気分など一気に吹っ飛ぶ事となった。

「あなた、アラグ帝国の皇族の生き残り!?」
「…………は?」

 背けかけた男の顔が、再びフィオナへと向く。男の視線の先には、大きく目を見開いているヒューラン族の女の顔があった。恐い、気持ち悪いと忌み嫌う視線ではなく、それどころか羨望すら感じられる眼差しであった。

「絶対そう! 私、これでもアラグ文明にはそれなりに詳しいんだから。あ、やっぱり皇族相手なら敬語の方がいいのかな……? 」
「いや、あの……」
「皇子様、とお呼びすれば良いでしょうか……?」
「おい」

 一人で盛り上がるフィオナに、ミコッテ族の男はうんざりしたように溜息を吐いた。この魔眼があろうと自分は皇族の生き残りでは決してないと言おうとしたものの、話が通じなさそうだと男は早々に諦め、取り敢えずアラグ関連の書物を借りようと歩を進めた。当然、フィオナもその後を付いていく。

「私、本格的にアラグ文明の研究を始める為に、大学の授業だけでなく独学でも知識を得ようとここに来たんです」

 フィオナの言葉を無視し、男は受付に本を差し出す。

「そうしたら、まさか皇族の生き残りの方にお会いできるなんて……これはもう運命としか言いようがありませんよ!」
「静粛に!」

 フィオナを咎めたのはミコッテ族の男ではなく、図書館の受付の者であった。
 だが、当の本人はまるで悪びれる事なく軽い謝罪を口にしたのみで、まるで反省の色がなく、仕方なく男はフィオナを連れて図書館を後にした。



「お前、いちいちうるせえんだっての! 俺まで出入り禁止になったらどうすんだよ!」

 公共の場を出れば大声を出しても良いと、男もフィオナに負けじと声を荒げた。

「いや、私だって普段は奥ゆかしい生徒ですけど……でもアラグ帝国の皇族を前にして、冷静でいられるわけがないじゃないですか!」
「俺は皇族の生き残りなんかじゃねえ!」

 言っても聞く耳を持たないと男は思っていたものの、意外にもフィオナは一度口を閉ざした。そして、改めて男の顔をまじまじと見遣る。

「……じゃあ、アラグ皇族の特徴にしか見えない、その瞳は何故そんなに紅いの?」
「知るかよ。それが分からねーから研究してるんだ」

 男はこんな見ず知らずのわけのわからない女に身の上話などする気はなく、冷たく返したのだが、フィオナは嫌な顔ひとつせず、それどころか真剣な表情で男を見つめている。男は観念して、ひとまず正論をぶつけてやる事にした。

「……お前、アラグ文明の勉強してるって言ったな? 皇族はミコッテ族だったなんて話はどこにもねーぞ。研究するなら、それ位ちゃんと勉強しとけ」
「だって、つい最近まではアラグ帝国が存在したかどうかすら分からないなんて言われてたくらい、いろんな事が謎なんだから、本当はミコッテ族だったかもしれないじゃん」
「その自信は何処から来るんだよ……」

 男は呆れ果てながら歩を進める。ミコッテ族の特徴である長い尻尾が揺れ、その後を追うようにフィオナも付いていく。

「自信っていうか、直感? こんな紅い眼をした人なんて、どの種族でも見た事ないよ。皇族の生き残りかもしれないし、アラグ文明の何らかの力でその眼を受け継いだのかも……?」
「『何らかの力』ってテキトーすぎだろ……」

 一体この女は何なんだ、と男はうんざりしかけていた。煙に巻く事も出来そうになく、取り敢えず少し大人しくなって貰えないかと考え、少しばかり意地悪な事を口にした。

「つーかお前、図書館では敬語だったのに、オレが皇族じゃないって言ったら態度変えんのかよ」
「ええ〜……だって」
「だってじゃねえよ」
「皇族じゃなかったら、友達……というか、同じ分野を研究する同志になるわけだし」
「いやいや、勝手に人を友達にしてんじゃねえ」

 男はそう返したものの、『同志』という言葉に、僅かながら嬉しさを覚え、自然と尻尾が揺れていた。フィオナはそれに気付かず、相変わらず男を興味深そうに見つめていた。皇族ではないと言われようと、その眼差しから羨望という感情が消える事はなかった。自分は凡人なのではないかと思っていたフィオナにとって、紅い瞳を持った男は、それだけで特別に見えたのだ。
 いつも他人と比べて落ち込んでいたフィオナにとって、信じ難い事が起こり始めていた。この男と比べて自分は駄目だ、という思考にならないのは、持っている雰囲気か、または偶々アラグ文明に興味を持ち始めたタイミングで、まさにその特徴に合致する男に巡り会ったからなのか。

「ねえ、これからもしかしたら一緒に研究する仲になるかも知れないしさ、名前、教えてよ。私はフィオナ。はい、次はあなたの番」
「こんなうるさい奴と一緒にいたら研究も捗らねえな……」
「それが名前?」
「んな訳ねーだろ!」

 男は完全にフィオナのペースに巻き込まれており、仕方なく名乗る事にした。彼女の事を煩わしいとは思いつつも、決して悪意を持って自分に近付いたわけではない事は理解していたからだ。こんな形が友達と言えるのかどうかはまた別の話として。

「……グ・ラハ・ティア。これがオレの名前だ」
「うん、覚えた。よろしくね、グ・ラハ・ティア」

 フィオナに強引に手を掴まれ握手する形になってしまい、ミコッテ族の男――グ・ラハ・ティアはほとほと疲れ切った表情を浮かべていた。だが、この出会いがきっかけで、なんだかんだで一緒にお茶を嗜んだり、アラグ帝国について語り合う仲となるのは、そう遠くない未来の話であった。

「その眼の謎、解けるといいね。まあ、私はアラグ帝国の皇族だと思ってるけど」
「残念だが、グ族にそんな言い伝えはねえ」
「そっかあ……でも、例えアラグの血が関係していなくても、そのかっこいい眼には何か特別な意味がある筈だよ」

 呪いだなんだと言われ続けた魔眼を『かっこいい』などと称する奴がいるとは、グ・ラハ・ティアは思いもしなかった。このシャーレアンに変わり者が多いのか、あるいは己の故郷が閉鎖的だったのか。どちらにせよ、グ・ラハ・ティアにとってフィオナという存在は、もう邪険にする相手ではなくなっていた。

2021/10/01
2021/12/12 Revise

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