約束の澱

 フィオナがグ・ラハ・ティアと冒険者部隊の後を追って『闇の世界』に乗り込んでいた時、シルクスの塔では突然ヴォイドゲートが閉じ始め、フィオナたちは間一髪でこの世界へ戻って来る事が出来たのだという。そして、フィオナと入れ違いにシドも闇の世界に飛び込んで、無事ネロを助け出す事に成功した。

 ヴォイドゲートが閉じた理由は、ザンデと『暗闇の雲』の契約が破棄された為。冒険者部隊が暗闇の雲を弱らせて、合流したウネとドーガが皇族の血を以て契約を破棄。そして、エーテル汚染を受けていたネロも、契約が破棄された事によって元の身体に戻れたのだという。

 一件落着に思えるが、この結末に至るには犠牲があった。
 冒険者部隊と合流したはずのウネとドーガが、ここにいないという事実。それは、彼らの犠牲によって他の皆が元の世界に帰って来れたという事に他ならない。
 冒険者の報告を聞いて、ラムブルースは神妙な面持ちで頷いた。

「そうか……彼らは託された役目を果たしたのだな。ふたりにとっては、数千年越しの悲願の成就だ……寂しくはあるが、あえて嘆くまい」

 フィオナはウネとドーガと再会出来る事を願っていただけに、寂しさはひとしおであったが、それが彼らの望んだ選択ならば、と何も言わなかった。ふたりの存在、そして成し遂げた事を記録し、後世に伝えていくのが己の役目だ。そう心に決めて、フィオナは改めてアラグ文明の研究を続けて行こうと決意した。
 だが、問題がひとつだけ残っていた。

「しかし、残された我々は、どうやってクリスタルタワーを封印すれば……」

 ラムブルースの言葉に、一同は一気に青褪めた。いくらザンデと暗闇の雲の契約が破棄されたとはいえ、太陽の光を集め、霊災を引き起こすような機構をこのままにしておくわけにはいかない。現代の第七星暦でザンデのような存在が現れる可能性もあるのだ。それこそ、アラグの叡智を悪用したガレマール帝国も、まだ君臨し続けているのだから。
 だが、皆の不安は杞憂に終わった。

「その役目は、オレが引き受ける」

 グ・ラハ・ティアが一歩前に出て、皆に向かって言い放つ。

「ウネとドーガから、血を託されたんだ。今のオレなら……クリスタルタワーを制御できる」

 フィオナはまさか、と改めてグ・ラハの顔を見遣った。
 紅色に光る双眸。かつてフィオナが皇族の生き残りではないかと胸をときめかせた『紅血の魔眼』は、今となっては不安を煽る色に見えた。
 フィオナの不安をよそに、グ・ラハの言葉の真意を察したラムブルースは、その目を見て喜んでみせた。

「おお、その眼は確かに……! では、クリスタルタワーを停止させることができるのですね。アラグが遺した脅威を、ついに封印することができる!」

 その言葉に、ノア調査団も歓喜の声を上げたが、グ・ラハは苦笑しながらラムブルースに提言する。

「なあ、喜びたい気持ちはわかるが、ネロと冒険者を休ませてやってくれねーか? ふたりとも、激闘を繰り広げてきたんだ」
「これはいかん、つい先走ってしまいました。では、一度ここから撤収だ。聖コイナク財団の調査地へ戻ろう!」

 ラムブルースの言葉で、ノア調査団の面々は、調査を続ける一部の者を除いてシルクスの塔を後にした。
 冒険者は戻る前に、グ・ラハに声を掛けた。フィオナが彼の傍に付いているからあまり心配はしていないものの、色々と気に掛かる事があるからだ。

「お疲れ様。今回も大活躍だったな」

 グ・ラハは冒険者を労ったものの、肩を竦めて自嘲するように呟いた。

「結局オレは、あんたについていって、ウネとドーガから託されたものを受け取っただけで、何ひとつできやしなかった……」

 だが、冒険者は決してグ・ラハが何もしていないとは思っていなかった。闇の世界で判明した事だが、グ・ラハには皇族の血が間違いなく受け継がれており、暗闇の雲の攻撃を跳ね除けたのだ。だが、あまりにも血が薄く、クリスタルタワーの制御が出来ない為、ウネとドーガが皇族の血を分け与えたというのが事の顛末だ。
 何千年もの間、使命を果たす事を望み、待ち続けていたふたりの意思は、グ・ラハ・ティアというひとりの青年へと受け継がれたのだ。グ・ラハが同行した事は、決して無意味ではない。
 そこで、冒険者は気になっていた事を訊ねた。『思い出さないといけない事』は分かったのか、と。
 その問いに、グ・ラハは静かに頷いた。

「……ああ、思い出せたよ。ウネとドーガがくれた血と、みんなの戦う姿が、遠い祖先から受け継がれていた願いを、呼び戻したんだ」

 結局のところ、具体的にどんな事だったのか冒険者が訊ねようとするも、グ・ラハは明るく笑みを浮かべながらそれを遮った。

「って、話は後にするんだったな! 疲れてるところを引き留めて悪かった。オレは少しやることがあるから、先に戻っててくれ」

 冒険者は一先ず頷けば、フィオナに向き直って「グ・ラハを頼んだ」と告げてその場を後にした。
 まだ調査員が何人か残ってはいるものの、先程までの騒ぎが夢のように錯覚するほど、シルクスの塔に静寂が訪れた。

「……っていうか、皆に休めって言うけど、グ・ラハこそ休まなくていいの?」
「ん、オレは平気」
「本当? 多少なりともエーテルに影響があると思うけど……」
「それが本当に平気なんだよ、実はさ――」

 グ・ラハはフィオナに『闇の世界』で起こった事、そして分かった事を、更に詳しく説明した。
 遥か五千年ほど前、アラグ帝国が栄華を誇った第三星暦。第四霊災が起こる間際、アラグ皇族は恐らくグ・ラハ・ティアの祖先に血を分け与えたのだ。それが代々受け継がれ、今はグ・ラハだけが皇族の血を受け継いでいる。だが、五千年も経ち血は薄れてしまい、クリスタルタワーはグ・ラハを制御権を持つ皇族とは見做さなかった。その薄い血を補う為に、ウネとドーガはグ・ラハに血を分け与えたのだ。

「だから、暗闇の雲の攻撃も防げたし、エーテル汚染も受けてねぇ。冒険者部隊は、きっと『超える力』の加護だろうな。とはいえ、オレと違って前線で戦ってたし、ちゃんと休んで貰わねーと」

 グ・ラハはそう言ってひとり頷けば、突然フィオナを睨み付けた。

「ったく、なんで『闇の世界』に来たんだよ! お前こそエーテル汚染を受けるところだったんだぞ!?」
「なっ……グ・ラハがいつまで経っても帰って来ないから、心配して行ったのに!」
「冒険者部隊が『暗闇の雲』と戦ってたんだ、時間もかかるに決まってるだろ」
「そんな事になってるって知らなかったし! てっきりウネさんとドーガさん、それにネロさんを探して連れ戻すだけだと思って……」

 そう言って不貞腐れるフィオナに、グ・ラハは溜息を吐けば、苦笑いを浮かべてみせた。

「もう二度と危険な真似するんじゃねーぞ。お前の本業はアラグ文明の研究、それにこの世界の歴史を綴る事だ。冒険者稼業じゃないからな?」
「グ・ラハがそれ言う?」
「……それを言われたら何も言い返せねー」

 グ・ラハ自身も今までフィオナを振り回していた――と言ったら語弊があるが、己が冒険者の真似事をすれば、フィオナは怒りながらも付いて来てくれていた。怪我をすれば回復し、軽減の魔法も唱えてくれて、いつも陰で己をサポートしてくれたのだ。そんなフィオナの優しさに、気付いていないわけがなかった。
 頭に生える耳が萎れるように垂れ下がり、反省しているように見えるグ・ラハの姿を見て、フィオナは苦笑しつつ、自分の想いを口にした。シドにも話した、この先の事だ。

「ねえ、グ・ラハ。クリスタルタワーの封印が終わったら……『暁の血盟』に入ってもいいからね?」
「…………は?」

 何故突然そんな事を言い出すのかと、グ・ラハは鳩が豆鉄砲を食らったように目を見開いて呆けた顔をしたが、フィオナは至って真剣である。

「あの冒険者さんと一緒に冒険したいって思ってるでしょ。分かるんだよ、私には」
「いや……まあ、うん、そうだな」

 何と返せば良いものかとグ・ラハは歯切れの悪い返答をしてしまったが、首を横に振って、改めてフィオナを見遣った。

「もしオレが『暁の血盟』に入るなら……フィオナ、お前も一緒だ」
「……え?」

 今度はフィオナが驚く番だった。まさか誘われるとは思ってもおらず、何も言えないフィオナに、グ・ラハは満面の笑みを浮かべてみせた。

「シャーレアンの賢人として生きながら『暁の血盟』で戦うのも、両立しようと思えばできるだろ。なにせ先輩が何人もいるんだからな!」
「確かに、ヤ・シュトラさんも、それにサンクレッドさんやウリエンジェさんも、元救世詩盟だもんね」
「ああ。バルデシオン委員会を立て直すまで、『暁』と一緒にいるのも悪くない、とオレは思う。まあ、すぐに決められる事じゃねーが……」

 先程まで口論していた事など忘れてしまうほど、ふたりには明るい未来が待っていた。バルデシオン委員会は消滅してしまったが、エオルゼアにいる者や、消滅から逃れた者もいるだろう。彼らを探す傍ら、『暁の血盟』として戦う事は出来なくもない。
 勿論、今すぐにというわけではない。クリスタルタワーの封印を終えた後、此度の報告書をまとめ、本国へと提出する。バルデシオン委員会は機能していなくても、クリスタルタワーの一連の出来事は共有すべき事だ。聖コイナク財団、そしてラムブルースにも別れを告げて、ノア調査団は解散となる。それからの話だ。
 フィオナは、そう信じて疑わなかった。

「先々の事は後で考えるとして……ウネさんとドーガさんにお別れを言えなかったのは心残りだけど、でも、グ・ラハがふたりの長年の意思を受け取ったなら、それが救いかな」
「うん、ちゃんと果たすよ。何千年も果たされなかった悲願を」

 そう言って笑みを零すグ・ラハに、フィオナは少しばかり違和感を覚え、恐る恐る問い掛けた。

「……ねえ、さっき冒険者さんも聞いてたけど、『思い出さないといけない事』って、何だったの?」

 その問いにグ・ラハはぴくりと肩を震わせれば、困ったように笑みを浮かべた。

「後で話す」
「えー、今がいい!」
「話せば長くなるからさ……」

 適当に誤魔化されて、フィオナは年甲斐もなく駄々をこねそうになったが、なんだかんだ言ってグ・ラハも疲れているのだろうと思って、質問を切り替えた。

「じゃあ、クリスタルタワーの封印だけど……私も何か手伝える事はある?」
「ない」
「即答!?」
「アラグの皇族の血がないと何もできねーんだよ。ウネとドーガを見て分かっただろ?」

 確かに、ウネとドーガや、ネロが補足で説明した通り、このクリスタルタワーを制御するには皇族の血が必要不可欠である。要するに、グ・ラハただひとりにしか出来ない事なのだ。
 フィオナはまたいじけてしまい、膨れっ面で呟いた。

「あーあ、やっぱり私も強引に同行すれば良かった! そうしたら、私も血を分けて貰えたかも」
「なに怒ってんだよ、遊びじゃねーんだぞ」
「だって、グ・ラハひとりでやらないといけないなんて……」
「そうやっていじけなくても、封印が終わればやる事は山積みだぞ?」
「別に自分が役立たずでいじけてるわけじゃないからっ!」

 具体的にどうやって封印するのかは知らないが、グ・ラハひとりだけがクリスタルタワーの制御をする事が出来て、要するに世界の命運が懸かっているなど、荷が重すぎるとフィオナは思ったのだ。少しでも自分が肩代わり出来ればと思ったのだが、まさかこの任務で役に立たなかった事を気にしていると思われるなんて。フィオナは一気に不機嫌と化した。

「そう怒るなって。ラムブルースも随分フィオナの事を信頼してるし、このまま聖コイナク財団に合流するのもアリだと思うぜ?」
「でもグ・ラハは暁の血盟に入るんでしょ?」
「いや、まだ分かんねーって」

 完全に機嫌を損ねているフィオナに、グ・ラハは苦笑しつつ、ここがシルクスの塔内でなければ甘いものでも振る舞ったのだが、と思ってしまった。さて、どうすればフィオナに笑顔になって貰えるだろうか――暫し考えた後、グ・ラハは彼女の髪を優しく撫でた。

「ちょっ、人前なんだけど……!」
「フィオナが怒るのやめたら、オレも撫でるのやめてやる」
「怒ってない!」
「ほら、怒ってる」
「〜〜〜ッ」

 今までグ・ラハがこんな態度を取った事があっただろうか。人を子ども扱いして、とフィオナは怒りに震えつつも、怒るのをやめない限り撫でられ続ける羽目になる為、ゆっくりと深呼吸した。

「……はい、もう怒ってません」
「フィオナ、そんなに撫でられるの嫌だったのか」
「人前でしょ!?」
「じゃあふたりきりなら良いのかよ」
「へ?」

 あっけらかんとそんな事を聞いて来るグ・ラハに、フィオナは呆けた顔をして、そして我に返った。
 この場で調査を続けている聖コイナク財団の人たちが、グ・ラハとフィオナの様子を窺って「やっぱりシド様の言う通り……」などと話している声が聞こえる。
 その瞬間、フィオナの頬は一気に赤く染まった。

「ち、違う! そういうのじゃなくて!」
「何だ?」
「も、もう……ねえ、そろそろ私たちも調査地に戻ろう? ラムブルースさんに報告とかあるでしょ」
「いや、オレはいい。封印の準備があるから、後は皆に任せるよ」
「…………」

 それは、やる事のないフィオナも調査地に戻れという意味にも聞こえる。
 少なくともフィオナはそう感じ、また、グ・ラハとの関係を誤解されるのも恥ずかしくて、とりあえず今は調査地に戻ろうと決めたのだった。

「……とりあえず、私はやる事ないみたいだし……ラムブルースさんのところに行くね」
「おう。つーかお前も休めよ? 短時間でもエーテルに影響出てるかも知れねーし……」
「言われてみればそうかも……」
「言わんこっちゃねえ……これに懲りたらもう危険な真似はするなよ?」

 まるで子どもをあやすような言い方に、フィオナは唇を尖らせて不貞腐れてみせた。と言っても、不機嫌になる気力も残っていないのだが。主にグ・ラハとの仲を聖コイナク財団の調査員に勘違いされて、どっと気疲れしたのだ。

「やる事ないかも知れないけど……また後で来るから」
「ああ。悪いな、付き合わせちまって」
「別に謝らなくていいよ、好きで一緒にいるだけだし」

 フィオナはそう言って、踵を返してシルクスの塔を後にしようと歩を進めた。
 その背中に、グ・ラハから何気ない声が掛けられる。

「フィオナ、いつもありがとな」

 いきなりどういう風の吹き回しかと、フィオナは怪訝に思いつつも、振り返って手を振れば、再び背を向けて今度こそその場を後にした。



 シルクスの塔の玉座の前で、グ・ラハは誰にも聞こえない程の声で、静かにひとり呟いた。
 まずは、思い掛けない出会いを果たした、憧れの冒険者に向けて。

「本当に、ありがとな。あんたの活躍、もっと間近で見ていたかったが、それはオレの役目じゃないみたいだ」

 そして、いつも傍にいてくれたフィオナに向けて。

「お前は、オレがいなくても大丈夫だ。バルデシオン委員会を再建する事も、暁の血盟に入って戦う事も、それに……オレの代わりに皆の冒険譚を綴る事も」

 後悔がないとは言えない。この世界でやりたい事はたくさんある。けれど、クリスタルタワーの封印は己にしか出来ないのだ。
 グ・ラハは雑念を振り払うように首を横に振って、自分自身に言い聞かせるように呟いた。

「数千年前から繋がれてきた願い……。ノアのみんなのおかげで、ここまで持ってこられた。だから、やっと……今度こそ、オレの番だよな」

2022/10/02

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