手にしたものは知識の海で

 グ・ラハの為に何が出来るのか。フィオナにとっては、彼の傍に寄り添い、いつも通り振る舞う事は容易かったが、それだけでは何の解決にもならない事も理解していた。
 ラムブルース率いる聖コイナク財団は、異界ヴォイドへの潜入について、エオルゼア内の有識者をあたって調査を進めている。フィオナとてシャーレアンの賢人としてこの地に派遣された事に変わりはなく、グ・ラハの事が心配である事と同時に、今こうして何も出来ないままでいる事が歯痒いのも事実であった。それは勿論、明らかな異変が起こっているグ・ラハ・ティア自身も同様であった。



「異界ヴォイドに足を踏み入れて、戻って来た人はいない……ヴォイドゲートをこじ開ける事は論理上可能でも、三人を連れて帰る事はおろか、助けに行く私たちも無事戻って来られるかどうか……」
「……でも、やるしかねえ。今あのクリスタルタワーを封印出来るのは、皇族の血を持っているウネとドーガだけなんだからな」

 キャンプ地で待機しているフィオナとグ・ラハは、『アラガントームストーン』と呼ばれるアラグ帝国の遺物を覗き込みながら話し合っていた。その遺物は、異界ヴォイドに飲み込まれたネロが、敵対の意思はない事を証明する為に、シド、そしてノア調査団に提供したものである。縦長で薄いその『端末』には、アラグ帝国時代の様々な知識が凝縮されていた。中にはシャーレアンでも持ち得ていない情報も多く含まれており、改めてガレマール帝国はこの世界を脅かす強大な力を持っていると思わざるを得なかった。

「それにしても、皇族の血を他者に分け与える事で、クリスタルタワーの制御が可能になる、か……」

 アラガントームストーンによると、アラグ帝国では皇族が魔科学者アモンたちに血を分け与え、それによって重臣も塔を制御する事が可能だったのだという。第七星暦を生きるフィオナにとっては信じ難い事だが、第四霊災を生き延びた人々が、後世に伝えてはならないと封印したアラグの知識――現代では禁忌とされる術と考えれば、納得せざるを得ない。

「こんな事になるなら、私たちもこっそりウネさんとドーガさんに血を分けて貰えば良かったね」
「お前なあ、簡単に言うなよ。大体それだけじゃ、クリスタルタワーの封印は出来てもあの三人を助けられねえじゃねーか」
「いったん塔の機能を停止させて、ヴォイドに行き来出来る安全な手段が確立されてから、皆を助けに行くって事も出来たと思わない?」
「その安全な手段とやらが確立されるまで、あの三人とも無事でいる確証はねーだろ」
「うーん……」

 結局のところ、『もしも』の話をしても意味はなく、今の会話は完全にフィオナの現実逃避であった。
 行き詰まっている時は、まずは温かいお茶でも飲んでリラックスするか、気晴らしに身体を動かしに外へ出る。シャーレアンでは、フィオナはいつもそうしていた。尤も、後者はグ・ラハの影響が大きいのだが。

「ねえグ・ラハ。ティータイムと冒険、どっちがいい?」
「いや、今の話の流れでどうしてそんな質問が出て来るんだよ」
「いくら考えても解決しない時は、いったんリフレッシュしないと」

 フィオナの問い掛けは一見何の脈略もないように見えて、己を気遣っているのだと気付いたグ・ラハは、彼女の言葉に甘える事にした。と言っても、今はさすがに冒険する気にはなれず、となれば選択肢はひとつであった。
 グ・ラハは肯定も否定もせず、立ち上がってちらりとフィオナの顔を見遣って呟いた。

「……お茶、淹れて来る」
「え? いいよ、私が淹れて来るから」
「いや、じっとしてるより動いてるほうが気晴らしになる」
「……じゃあ、私も行く」

 頷くより先にフィオナは立ち上がり、まるで魔法人形が追従するかのように、グ・ラハの傍まで歩み寄った。グ・ラハは果たして彼女は己を気遣って言ったのか、それとも単に自分が息抜きしたいから言ったのか――案外後者かも知れないと思い、笑みを零して頷いた。

「なんか今のオレたち、シャーレアンに居た頃に戻ったみたいだな」
「……そうかも。まあ、向こうと違ってこっちはいくらでも美味しい茶葉が手に入るけど」

 フィオナはこのエオルゼアでの生活、特に食事がいたくお気に入りの様子で、グ・ラハは傍から見れば食い意地が張っていると思わず苦笑いしてしまった。

「別に、シャーレアンに美味しい物が存在しないわけじゃないけどな。ただオレたちの場合、いかに効率よく栄養を摂取出来るか考えた結果が『賢人パン』だったりするわけだが……」
「その『効率』と『栄養』を無視したものを摂取しようものなら異端者扱いじゃない? 私は心置きなく美味しいものを食べたり飲んだりしたいよ」
「……お前、魔法大学でどんな生活送ってたんだよ……」

 魔法大学に通っていなかったグ・ラハでも、フィオナが周りからどう思われていたのかなんとなく察しは付いた。彼女の名誉を傷付ける事のないよう、敢えて追及はしないでおくが、こうして調査という形で外の世界に出て来たのはフィオナの人生に多大なる影響を与えるだろう――などと、まるで保護者じみた事をグ・ラハは思っていた。
 この世界の歴史を綴る事。それは人から聞いた話を事務的に記録するのではなく、実際に外の世界に出て、歴史が変わる瞬間をこの目で収めた方がずっと良い。そう思ってきたグ・ラハにとっても、このノア調査団での生活は実に意義のある、充実した日々であった。

 だからこそ、絶対にクリスタルタワーを封印しなければならない。グ・ラハは改めてそう決意したが、問題は彼自身の異変であった。調査が進むにつれて、どういうわけかアラグ帝国の知識が脳内に浮かび上がり、自然とそれが口をついて出る事が増えたのだ。フィオナやラムブルースに驚かれるのも珍しい事ではなくなり、一体自分は何なのか、何をしなければならないのか、何のために『魔眼』を持って生まれたのか――フィオナの知らないところで、グ・ラハは自問自答を繰り返していた。



 そんなある日、聖コイナク財団の職員の発見で、調査は再び一気に動き始めた。

「大変です!! クリスタルタワー内部のエネルギー値に異常が……!!」

 フィオナたちは、それが間違いなく『ヴォイド』からの干渉だと察し、急いで現地へと駆け付けた。
 以前冒険者部隊が踏破した『シルクスの塔』。三人が連れ去られた後と何も変わらないが、聖コイナク財団の者たちからデータを受け取ったフィオナとグ・ラハは、間違いなくこのクリスタルタワーは再び機能を始めたと判断した。太陽の力を集め続けているのだ。

「どうしていきなり……」
「……『契約』はまだ破棄されていない。ザンデがいなくなった今も、クリスタルタワーは命令を守り続けているんだ」

 きっぱりとそう言い切るグ・ラハに、フィオナは目を見開いた。ウネたち三人を異界ヴォイドへ連れ去った張本人――『暗黒の雲』がこちら側の世界に干渉しようとしているのなら、ヴォイドゲートさえ開けば、三人を助けに乗り込む事も出来る。ただし、クリスタルタワーが未だザンデと『暗黒の雲』の契約に従っているという事は、エオルゼアの危機が再び迫っている事に他ならない。一刻を争う事態だと、フィオナはすぐさま頭を働かせた。

「またヴォイドゲートが現れる事を待っている猶予はないよね。寧ろ、そんな悠長にしていたら手遅れに……」

 フィオナの弱音に、グ・ラハはいったん落ち着けとばかりに彼女の両肩に手を置いた。

「先走るなっつーの。まずはラムブルースに報告だ。それこそヴォイドゲートを開く方法を探してんだ。このクリスタルタワーの稼働を逆手に取って、抉じ開ける事も出来るんじゃねーか?」
「そうだ、シドさんたちの技術があれば……きっと……!」

 その言葉にグ・ラハは口角を上げて頷いた。
 三人を助け出す事が出来れば、ウネとドーガの力でクリスタルタワーを封印する事が出来る。無事に終われば、己たちはこれからバルデシオン委員会の復興に向けて、行方不明の仲間たちを探すのだ。それにウネとドーガにもメンバーに加わって貰って、アラグ帝国の文明を悪用せず、かつ有事の際に役立てる事が出来るよう、研究を進めていく。フィオナはそんな未来を密かに思い描いていた。尤も、ウネとドーガが無事に戻って来て、クリスタルタワーの封印に成功するかもまだ分からないのだが。

「やっと笑顔が戻ったな。フィオナ、やっぱりお前が落ち込んでるとオレも調子出ねーから……」

 突然グ・ラハにそんな事を言われて、フィオナは思わず彼に向き直って声にならない声を上げた。彼を元気づけるつもりで傍にいたのに、己が不安を隠せなかった事で逆に気を遣わせていたとは、本末転倒とはこの事である。
 だが、グ・ラハはまるで気にしておらず、それこそフィオナに影響されるかのように目を細めて笑みを浮かべて、力強く言い切った。

「絶対に成功させようぜ。三人を助けるのも、クリスタルタワーを封印するのも」

 迷いのない眼差しに、己が密かに抱いている夢は絶対に叶う――根拠などないのにそう思ってしまうほど、フィオナはグ・ラハの言葉を信じ切り、笑顔で頷いた。
 ただ、フィオナの不安が全てなくなったわけではなかった。己を見つめるグ・ラハの双眸。片眼に宿る、アラグの血族を意味する紅い瞳は、初めて見た時はアラグ皇族の生き残りではないかとフィオナの心をときめかせたが、今はそれが少しばかり恐ろしかった。
 グ・ラハが「思い出さなければならない事」をすべて思い出した時、フィオナの知るグ・ラハ・ティアという青年は、別人になってしまうのではないか。それこそ根拠のない不安が、フィオナの心の奥底を蝕んでいた。





 グ・ラハの報告を聞いたラムブルースは、早速ウルダハの呪術士ギルドに相談を持ち掛けた。彼らは異界ヴォイドやその仕組みについて、シャーレアンと同様か、あるいはそれ以上の知識を持ち合わせていた。禁忌とされている魔術も行っている可能性も無きにしも非ずであるが、今は世界の命運が懸かっている。フィオナたちもシャーレアンの常識を押し付けるつもりはなかった。
 寧ろ、フィオナは改めてこのエオルゼア――シャーレアンの外の世界は実に興味深いと思ったのだった。シャーレアンに引き籠っていたら、井の中の蛙でいただろうと言い切れるほどに。



 ラムブルースはシド率いるガーロンド・アイアンワークスにも改めて協力要請を行い、調査は順調に進んでいた。そんな中、キャンプ地にかの冒険者が顔を出した。ウネとドーガ、そしてネロがヴォイドに引き込まれたのを目の当たりにしているだけに、気になっての事だろう。

「何にせよ、今の我々には皇血を宿す協力者がいない。このままでは、いずれ巨大なヴォイドゲートが開き、『暗黒の雲』がこちらの世界へとやってくるだろう……」

 冒険者を迎え入れたラムブルースは、これまでの経緯を掻い摘んで説明した。

「そうなる前に、ザンデが結んだという契約を破棄した上で、クリスタルタワーを停止させる必要がある。つまりは……完全に『封印』するのさ。契約を破棄するだけでは、集めた力の使い道を失ったクリスタルタワーが暴走し、『第四霊災』のような惨事を起こしかねないからね」

 フィオナやグ・ラハは理屈で分かっている段取りだが、冒険者はそうではないだろう。ただ、正直フィオナも最初はここまで詳しくは把握していなかった。ネロが提供したアラガントームストーンと、そして、度々グ・ラハの口から紡がれるアラグ帝国の知識によって、ただの憶測が確信へと変わっていったのだ。
 ただ、グ・ラハの知識は果たしてシャーレアンで学んだ事なのか、あるいは「思い出さなければならない事」を思い出している過程なのか。それは、フィオナでも分からない事であった。グ・ラハ本人が違和感を口にしない限りは。

「……我々に託されたのは、三人の命だけではないということだ。諦めれば、じき世界に未曽有の脅威が訪れる。必ずや、皇血を宿すウネとドーガを連れ帰らねば……!」

 神妙な面持ちで語るラムブルースであったが、重苦しい空気を払うかの如く、グ・ラハが間に入って冒険者に声を掛ける。

「なぁに、もとからあいつらを助けるつもりだったんだし、今さら気負う必要はねーさ。……それに、こいつは朗報でもあるんだぜ?」

 危機的な状況だというのに、余裕すら感じさせる笑みを浮かべているグ・ラハに、冒険者は首を傾げた。だが、彼の傍にいるフィオナも穏やかな笑みを浮かべている事に気付いた冒険者は、もしや光明が差している状況なのではないかと目を見開いた。

「クリスタルタワーが、今もヴォイドゲートを開くために動作してるっていうなら……そいつを逆手にとって、『闇の世界』に行けるかもしれない。つまり、クリスタルタワーに大きな力を注いで、オレたちが通るためのヴォイドゲートを開くのさ!」

 異界ヴォイドに足を踏み入れて、帰って来た者はいない――そう囁かれていたが、これまで彼らはクリスタルタワー封印の為に、不可能と思われた事を実現して来たのだ。きっと今回も乗り越えられると、冒険者も無意識に感じていた。
 そんなグ・ラハの言葉を後押しするように、ラムブルースも補足で説明した。

「異界に詳しい呪術士ギルドにも相談して、実現は可能であるとお墨付きを貰っている。今はシドを中心に、準備の最終段階を進めているところだ」

 そんな時、新たな来客が現れた。冒険者たちが顔を向けた先には、片手を振ってこちらへと向かって来るシドの姿があった。
 シドはまさか冒険者もいるとは思わず、思わぬ再会に驚いてみせた。

「おお! お前も来てたのか」
「ちょうど、例の作戦の話をしていたんだ。……準備の方は順調か?」

 ラムブルースが問い掛けると、シドは力強く頷いた。

「ああ、ガーロンド・アイアンワークスの総力をつくして、どでかい動力を生み出す装置を用意した。既に、シルクスの塔への接続も終わってる。装置の調整を済ませたら、あとは実際にゲートを開くのみだ。それで、お前たちを呼びにきたのさ」

 まさか最終段階まで進んだとは思ってもいなかったフィオナたちは、一斉に喜びの声をあげた。成功するかは分からない。だが、これまで不可能な事を可能にして来たのだから、今回もきっと大丈夫だ。不思議とそう思わせる雰囲気が、ノア調査団に溢れていた。

「ついにこの時が……! ウネさんとドーガさん、それにネロさんも助ける事が……!」
「ああ、皆を救出すれば、あとはクリスタルタワーを封印するだけだ!」

 フィオナとグ・ラハは顔を見合わせて頷き、どちらともなく笑みを浮かべた。
 冒険者部隊による過酷な戦いの果てに何が待ち受けているのか、知る者はまだ誰もいなかった。

2022/09/03

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